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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第29話 忘却は、やさしくない その4 境界

 時間は、何も解決しなかった。


 一週間。

 一ヶ月。

 三ヶ月。


 青木理の名前は、社会から完全に消えていた。


 警察からの連絡はない。

 会社からもない。

 探偵は消えたまま。


 世界は平常運転を続け、

 彼がいた事実だけが空白になった。


 梓は働き続けていた。

 生活を止めれば、思考が止まるからだ。


 だが帰宅すると、必ず同じ行動を取る。


 資料を開く。

 地図を広げる。

 記録を並べる。


 何かがあるはずだった。

 何もないはずがない。


 人間が消えるのなら、

 原因がある。

 場所がある。

 条件がある。


 ただ、誰もそれを見ていないだけだ。


 ある夜、SNSの片隅で奇妙な投稿を見つけた。


 匿名掲示板のまとめのようなアカウント。

 信憑性は低い。

 だが数だけは多い。


《あの神社、夜に人が消える》

《近くで失踪が続いてる》

《警察が来てた》

《肝試し行った友達が戻らない》


 場所は郊外。

 古い神社。

 周囲に民家は少ない。


 普通なら、無視する。

 都市伝説の類だ。


 だが梓は違った。


(何もない場所で、人が消える)


 それは青木と同じだった。


 翌日、仕事を終えるとすぐに向かった。



 神社は小さかった。


 石段は欠け、

 鳥居は色が落ち、

 社殿は閉ざされている。


 観光地でも、信仰の中心でもない。

 ただそこに残っているだけの場所。


 人の気配がない。


 虫の声すら遠い。


 静かすぎる。


 その静けさが、奇妙だった。


 普通の森の静けさではない。

 音が存在しないような、空白。


 スマートフォンを取り出す。


 投稿時間を確認する。

 曜日。

 時刻。


 目撃情報の時系列を並べる。


 規則があった。


 夜。

 深夜。

 日付が変わる前後。


 さらに——


 月齢。


 満月の前後三日。


 梓の背筋が冷える。


(条件がある)


 怪談ではない。

 現象だ。


 条件が揃えば起こる。


 つまり、再現可能。


 その瞬間、恐怖より先に理性が動いた。


 確かめたい。


 真実を。



 満月の夜。


 梓は再び神社にいた。


 腕時計を見る。

 23時58分。


 空は澄み、月が明るい。


 境内に立つ。


 何も起きない。


 00時00分。


 何も。


 風もない。

 音もない。

 匂いもない。


 ただ、静かだ。


 00時05分。


 異常なし。


 00時10分。


 何も。


 梓は長く息を吐いた。


(違ったのか……)


 そのとき、遠くから声がした。


 笑い声。


 若い男女の声。


 振り向く。


 石段の下に、二人の人影があった。


 スマートフォンのライトが揺れる。


「マジでここ?」

「動画で見たやつでしょ」


 カップルだった。


 梓は咄嗟に身を潜める。


 彼らも同じ情報を見たのだ。


 そして同じ結論に至った。


 00時14分。


 彼らが境内に入る。


「何もないじゃん」


 女が言った瞬間——


 音が消えた。


 完全な無音。


 虫の声も、風も、遠くの車も、すべて。


 梓の心臓の音だけが異様に大きくなる。


 空気が重くなる。


 視界が暗くなる。


 月が、歪む。


 境内の奥。


 社殿の前に、何かが立っていた。


 人の形をしている。


 だが影がない。


 輪郭が曖昧で、

 焦点が合わない。


 見た瞬間、理解する。


 見てはいけないものだと。


 カップルはまだ気づいていない。


「寒くない?」

「え?」


 男が振り向く。


 それを見た瞬間、声が止まった。


 口が開いたまま、音が出ない。


 次の瞬間。


 身体が、潰れた。


 見えない力で押し潰されたように。


 骨が折れる音。

 肉が裂ける音。

 湿った破裂音。


 血が飛ぶ。


 だが、落ちない。


 宙で止まり、

 逆流するように消える。


 女が悲鳴を上げる。


 だがその声も途中で消える。


 首がねじれる。


 目が、こちらを見る。


 助けを求める目。


 次の瞬間、身体が内側に折れ、

 存在ごと潰れる。


 何も残らない。


 血も、肉も、衣服も。


 最初からいなかったかのように。


 梓は動けなかった。


 恐怖で凍るとは、こういうことだ。


 逃げなければならないのに、

 足が動かない。


 影のような存在が、ゆっくりこちらを向く。


 顔はない。


 だが視線は分かる。


(見られている)


 世界が傾く。


 地面が消える。


 境内が崩れる。


 闇が波のように押し寄せる。


 気づいたとき、そこは神社ではなかった。


 同じ場所。

 だが色がない。

 音がない。

 空気がない。


 灰色の世界。


 空も地面も境界が曖昧。


 影の存在が近づく。


 逃げ場はない。


 声も出ない。


 死ぬ。


 確信した。


 その瞬間。


 空間が裂けた。


 黒い亀裂が走り、

 そこから人影が飛び出す。


 男だった。


 長い棒状の器具を振り下ろす。


 影に触れた瞬間、

 光ではなく、ノイズのような歪みが走る。


 影が悲鳴のようなものを上げ、

 形を崩す。


「——戻れ」


 低い声。


 器具が突き立てられる。


 空間が再び裂ける。


 灰色が剥がれ落ち、

 色が戻る。


 音が戻る。


 風が吹く。


 梓は石畳に倒れ込んだ。


 神社の境内だった。


 カップルの姿はない。


 血もない。


 ただ、静かな夜。


 男が振り返る。


 無表情。


 冷たい目。


「あなたは一般人です」


 声に感情がない。


「ここに来てはいけない」


 梓は震える声で言った。


「……あれは、何ですか」


 男は少しだけ沈黙した。


 そして言う。


「残響です」


 その言葉が、

 彼女の世界を完全に反転させた。

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