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それぞれの立場

残酷描写にご注意下さい。

「お手をどうぞ」


 アズベルトに差し出された手に、ネネフィーははにかみながら手を添える。

 しっかり握り込まれた温かい手に、ネネフィーはふわふわと自分の身体が浮いているように感じた。


 2人でゆっくり湖の畔を歩く。


「あ……きれい」

 魚が跳ねると湖面に美しい波紋が広がり、日の光を受けてゆらゆらと揺れている。

 ネネフィーは思わず立ち止まって水辺に近寄ると、思った以上に水が透き通り深いところまで良く見えた。


「魚がいっぱいいますわ」

「午前中の水温はかなり低いですが、午後からなら泳ぐことが出来ますよ」

「え!?」

「それまでは、あそこでゆっくりしましょうか」


 アズベルトが指差した先、大きな木の下には既にシートが敷かれ、使用人たちがお茶の用意をしている。

 それを見たネネフィーは、一気に現実に戻された。


 促されるままにシートに座ると、使用人の1人が紅茶の入ったカップをネネフィーに差し出す。


「ありがとう……」

 苦笑しながらそれを受け取ると、じっとカップの中を覗いた。


 ゆらゆらと揺れる紅茶に特に変わった所はない。

 ちらっと見たアズベルトは静かにカップに口をつけている。

 それを見たネネフィーは思い切って紅茶を一口飲んだ。


(うげっ……やっぱりにがっ)


 目の前に置かれた皿には、いつの間にかお茶請けとして小さなチョコレートが置かれている。

 ネネフィーはほっとして1つ摘んで口に放り込むも、噛んだ瞬間ねっとりとした生臭さが口の中いっぱいに広がった。

 焦って紅茶で流し込むが、それもそれでとんでもなく苦い。


(頑張れ頑張れ頑張れ私!!)

 ネネフィーの目尻に、じんわりと涙が滲む。


「坊っちゃま~集まりました」

 息を止めてチョコレートを何とか飲み込んでいると、林の中から1人の壮年の男が小箱を持って走って来る。


「ああ、用意出来たね」

「沢山見付けました。元気いっぱいですよ」

 アズベルトがその男から小箱を受け取る。


「あ、あの、アズ様。それは?」

 ネネフィーは、何となく嫌な予感がして尋ねると、アズベルトは小箱を軽く振りながらにっこりと笑った。


「これはミミズですよ。釣りの餌に……」

「ミ、ミズ……」

 ネネフィーは息を止める。

 頭の中が真っ白になり、その後続くアズベルトの言葉が見事に耳をすり抜けていった。


(元気いっぱいなミミズ? え? まさか……ミミズまで、生で……食べる?)


 ネネフィーは顔色をなくしてカタカタと震え出す。

 知らず知らずの内に、手に持っていた紅茶がだらだらと膝の上にこぼれていた。


「ネネ?!」


 アズベルトは驚いて手近にあるナプキンを手に取ると直ぐに立ち上がる。

 しかしそれと同時に、ネネフィーは勢いよくその場に土下座した。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい無理です無理ですごめんなさい!! 不束なネネフィー・ロッシーニでごめんなさい!!」

「え? ネネ? どうしたの?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 アズベルトは困惑しながらネネフィーの身体を抱き起こすが、ボロボロと涙を流すネネフィーの顔を見て言葉を失う。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。私には無理です。まだ無理です。ごめんなさい」

「…………え? そ、れは、私といることが無理だと言っている、の?」

 ネネフィーの言葉を聞いて、今度はアズベルトが顔色を失う。


「主!!」

 その時、ジョエルが離れた場所から走って来る。


「護衛騎士! この屋敷の使用人全員を捕縛!! 1人も残すな!!」


 その声を聞いた護衛騎士たちはすぐさま動く。

 あっと言う間に使用人たちが捕縛され、地面に転がされた。


「ここは私に任せ、今すぐ屋敷に行きなさい。1人残らず捕縛して地下牢に入れなさい」


 ジョエルは護衛騎士たちに命じると、それを受けた騎士は捕縛した使用人を引きずりながら屋敷に戻っていった。



「お嬢様、大丈夫ですよ」

 ジェンはネネフィーの背中に優しく手を置いて擦る。


「私、私、頑張ろうって思っていたの。でも、でも、ミミズ……、ミミズを生で食べるなんて……、まだ無理……無理……もう少し訓練、時間がほしいの、ううう……うぐぅ……無理ですわああああああ~うわ~ん」

「ええ、ええ。そうです、そうですよね。きっと誰もが無理だと思いますよ」

「は?」


 2人の会話を聞いていたアズベルトが目を見開く。


「ミミズを生で食べる? 一体何故そんな話を……」

「その辺りは私が説明致します」


 ジョエルは先程ジェンより聞いた内容をアズベルトに説明した。



「ネネ、どうしてそんな勘違いを」

「ひっく、少しでも、アズ様のことが知りたくって……私、アズ様の、つつつつつつつつつ妻になるのですから……アズ様の好みを知ろうとして……」

「ネネ……ありがとう、とっても嬉しいよ」

 アズベルトはネネフィーを抱き締める。


「そうだ! これから街に降りてデートしましょう。お勧めのレストランがあるのです。美味しいステーキが食べられますよ。裏メニューにあるこんがり厚切りベーコンも絶品です」

「ステーキ! 厚切りベーコン!! 焼いたお肉ですね!! 行きたいです!!!」


 めそめそと泣いていたネネフィーの瞳がぱっと輝く。

 直ぐに機嫌の直ったネネフィーにほっとしたアズベルトは、護衛の1人に馬車を回すように言った。



 当然のことながら、アズベルトはネネフィーの好物を熟知している。

 昨日のディナーも今日の朝食も、今持っている軽食も全てネネフィーの好みに合わせて作るように命じていた。

 それがまさか全て『生』だったとは。



 アズベルトがちらりと横目で見ると、確認の為にネネフィーのサンドイッチを口に放り込んだジョエルが、とんでもない表情ですぐに吐き出したのが見える。

 ジェンも同じく確認の為にネネフィーの紅茶を口に含むが、物凄い表情ですぐにその場に吐き出した。



「火の通った料理~料理~うふふふふ~こんがり肉~厚切りベーコン~ふっふぅ~~」

 ネネフィーはご機嫌に鼻歌を歌う。

 アズベルトはそんな彼女のまつ毛に未だ残った涙を指で優しく拭うと、抱き上げて到着した馬車のシートに乗せた。


「少し待っていて」

 ネネフィーの額にゆっくりと口付けると、アズベルトは馬車の扉を閉めた。


「ジョエル」

「こちらに」

 アズベルトは打って変わって冷たい声でジョエルを呼ぶ。


「尋問して主犯をあぶり出せ。何人かは殺してもいい。連帯責任で使用人は全員解雇だ。推薦状も書かなくてよい。犯罪紋を手の甲に焼き付けて好きに放り出せ」

「承知しました」

「そこの」

「はい」

 アズベルトは側で控えていたジェンを呼ぶ。


「名は?」

「ジェンと申します」

「ではジェン。お前はジョエルと共に地下牢に行き、夜食を運んだ使用人の顔を確認しろ。その後、ネネフィーの荷物をまとめてジョエルと共に馬車に乗れ。行先はジョエルに伝えておく」

「承知致しました」


 ジェンは深々と腰を折る。

 アズベルトはそれを見届けるよりも先に、ネネフィーを乗せた馬車に自らも乗り込んだ。



「それでは参りましょうか」

 ジョエルはジェンにそう告げると、2人で屋敷に戻った。


 エントランスホール前には護衛騎士が立っており、ジョエルに気付いて敬礼した後に先行して2人を地下へと案内した。


 使用人全員がいなくなった静かな廊下を歩き、地下に向かうと3つの牢に分かれて60人近い使用人たちが後ろ手に縛られて座り込んでいる。

 薄暗く表情は見えないものの、そこかしこですすり泣く声が聞こえていた。


 牢の前で見張っていた騎士が、ジョエルたちに気付いて敬礼する。


「こちらが名簿になります。執事から狩猟番まで総勢58名。全て確保済みです」

 名簿をジョエルに渡しながら騎士は報告する。


「ありがとう。ではジェン殿」

「はい」

 ジョエルに言われ、ジェンは牢内を確認する。


「アレとアレです」

 ジェンは牢の隅で屈んでいた2人の使用人を指差すと、2人はびくんと身体を揺らした。

 ジョエルは控えていた騎士に目配せして、その2人を牢から引きずり出させた。


「お、おたす、け……」

「ひ、ひぃ……」


 2人はガクガクと震えるばかりで、まともに言葉を発する事が出来ない。

 1人の騎士が背後で焼きごてを用意している。


「今からお前たちの手の甲に犯罪紋を押す」


 ジョエルの言葉に2人は悲鳴を上げた。

 押された紋は一生消えることはない。

 今後貴族に仇なした犯罪者として、日陰の人生を歩まなければならない。


「ジョ、ジョエル様、これは一体どういうことでございますか。彼女たちの勤務態度に特に問題はありませんでしたが」

 執事が焦って声を上げる。


「成程、お前はそう判断したのだな」

 ジョエルは無表情で答える。


「え……」

「この2人は、主の大切な客人に粗相したのだよ。罰せられて当然だ」

「粗相、でございますか?」

「到底食べることの出来ない物を出し、飲むこともはばかれる程のひどい茶を出した」

「あ、あのご令嬢にでございますか? それがこれほどの罰を受ける程のことでございましょうか。我々は、長い間ミラー家にお仕えしております由緒正しき使用人たちでございます」


 執事の言葉に使用人たちは一斉に頷く。

 彼等の表情には明らかにネネフィーを見下す色が見て取れた。


 ジョエルは騎士に目配せする。

 すると彼等は容赦なく焼きごてを2人の手の甲に押し当てた。


「やああああああああああ」

「ぎゃあああああああああ」

 ジューッと肉の焼ける匂いが辺りに充満し、一部の使用人がえづく。


「なっ……」

 執事は絶句する。


「連帯責任だ。牢にいる者全員残らず押せ」

「な、何故でございますか!?」

 執事が髪を振り乱して絶叫する。


「当然ではないか。お前たちは皇族に仇なしたのだ。殺されないだけありがたいと思え。いや、殺されたいのか?」

「え……」

「逆に聞くが、お前たちは何の変哲もない一般人だろうが。何故皇族である主がお連れしたお客人を平気で貶めることが出来るのだ? お前たちはそれ程までに偉いのか? 自分たちは皇族に意見出来る立場だと本気で思っているのか?」

「え、ちがっ」

「ああ、実家が貴族であったとしても、この場合何も関係ない。皇族に仇なして許されるのは同じ皇族か教皇のみだ。たかが一貴族がピーピー騒ごうが何の関係もない」


 千年繁栄を続けるルビリオン帝国。

 神の血を引く皇族たちは何よりも尊い存在である。


「主が敢えてお忍びでお連れした客人に嫌がらせなど、お前たち、自分の立場を本当に理解しているのか?」

「あ、あの方は一体」

「あの方はアズベルト様の最愛の婚約者だ」

「「「「っ!?」」」」


 牢の中の使用人たちが一瞬目を見開き、皆一様に驚愕の表情を浮かべる。


(何だ?……)

 その様子に、ジョエルは僅かに眉を顰める。


「そ、そんな……それじゃあ我々は一体……」

「騙されていた?」

「いや、そんなはず……」

「でも!」

 使用人全員が、1人の年配の女に視線を向ける。


「あ……」

 その女は、口を開けたまま小さく震えていた。


「アレは?」

 ジョエルは護衛騎士に尋ねる。


「侍女長です。元オックス伯爵家令嬢ローリエ殿の専属侍女です」

「成程、連れてこい」

 ジョエルに命じられ、騎士がその女を牢から引きずり出した。


「ひぃっ。お助け下さい!」

 侍女長は焼きごてを押されると思い、ガクガク震えながらも後ろに下がろうと試みる。


「お前の主は誰だ」

 ジョエルは侍女長に尋ねる。


「あ……うっ……」

 侍女長は答えない。それが答えである。

 公爵家の使用人でありながら、他に主がいるなど万死に値する。


「首をはねろ」

 ジョエルの命に侍女長は息を止めた。


「はねたその首を箱につめろ。オックス家に送る」

「はっ」

 騎士の1人が腰からすらりと剣を抜く。


「ひっ! ひぃ~~お許しを、どうかお許しを!!」

「ミラー家に喧嘩を売ったのだ。ただで済むとは思うまい。ジェン殿は部屋に戻ってネネフィー様の荷物の整理をお願いします」

「いえ、このまま見届けさせてください。今後はこちらでお世話になる身なのですから」

「承知した。殺れ」


 ジェンはジョエルの提案を断ると、侍女長が首をはねられる瞬間をしっかりと目に焼き付けた。


2022.11.20修正

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