異文化交流
「ダメです」
「え~」
就寝前、自室のソファーでクッションを抱えてごねるネネフィーに、ジェンはきっぱりと言い切った。
「こんな時間から、夜食などいけません」
「だって、このままだとお腹が空いて眠れないわ……」
「夕食を残すからこんな事になるのです」
「だって、胸がいっぱいで食べられなくて……」
「お腹がいっぱいの間違いでしょう。大体ここはご自宅ではありません。お嬢様の為にわざわざ夜食を作ってもらうなど……」
言いかけたその時、室内にノックの音が響く。
ジェンは時間を確認すると、僅かに目を細めて扉の前まで歩いた。
現在夜半近く。
仮に来訪者がアズベルトであったとしても、大層非常識な時間である。
ジェンは扉を開けず、廊下にいるであろう人物に尋ねた。
「どちら様でしょうか?」
「主から、夜食をお出しするよう言われましたのでお持ち致しました」
ネネフィーは、パッと顔を上げて嬉しそうにジェンに扉を開けるように促す。
ジェンはやれやれと溜息を吐きながら、扉を開けて食事の乗ったワゴンを受け取った。
「ありがとうございます」
「それでは、お休みなさいませ」
ジェンは食事を運んでくれた使用人を部屋には入れず、すぐに扉を閉めた。
「余り食べ過ぎないで下さいね」
クローシュを開けると、軽く摘めるサンドイッチとキッシュが綺麗に皿の上に並んでいた。
「美味しそう!」
ネネフィーはソファーから立ち上がると、ひょいっとサンドイッチを摘んで口に放り込む。
「お行儀が悪いですよ。きちんと座って下さい」
ジェンはポットから紅茶を注いでネネフィーの前に出した後、用意されていた小皿に丁寧に取り分けていく。
「明日の朝、アズベルト様にお礼を……どうされましたか?」
いつもとは違い、妙にゆっくりとしたペースで咀嚼しているネネフィーに、ジェンは不思議そうに尋ねた。
「う~ん。食べた事のない味と触感。ぐにぐにとして、妙に鼻にツーンとくるっていうか……」
「?! お嬢様、すぐに吐き出して下さい!」
ジェンは慌ててネネフィーの口元に手を添えるが、
「え? 別に食べられなくはないわよ? こう鼻を摘めば飲み込めるわ」
そう言うと小鼻を摘みながら、口の中の物をごっくんと飲み込んだ。
「お嬢様……」
「大丈夫大丈夫。別に毒でもなさそうだし」
「だからと言って……」
ジェンはネネフィーに出す予定だった小皿を引っ込めると、フォークでサンドイッチとキッシュの中身を確認する。
「特に毒性の物は入っていないようですが……もしかして、全部生でしょうか?」
ジェンはサンドイッチに鼻を近付けてクンクンと匂いを嗅いだ後、かかっていたソースを小指の先に付けてペロリと舐めた。
「えっ……なんですか、このとんでもない苦みは」
ジェンは盛大に眉を顰める。
サンドイッチの具として挟んでいる魚、肉の全てに火が通っておらず、かけられているソースはまるで、熱冷ましの薬草汁に匹敵する程の苦さだった。
「この辺りって、肉や魚を生で食べる習慣があるのかしら?」
「聞いたことございません」
「それじゃあこれってまさか、大衆本に載っていた噂の姑や小姑による嫁いびり?!」
「私の記憶が正しければ、お嬢様はステファニー様に大層可愛がられていたと記憶しております。ちなみに今のところ、アズベルト様に姉弟はおりません」
「それじゃあ、使用人たちによる『主の嫁に、あなたのような平民など認めません! 身の程を弁えなさい!』っていうアレ?」
「お嬢様はれっきとした辺境伯令嬢でございましょうに」
「あ、そっか……」
ネネフィーはしょぼんと俯く。
「そのような本、どこでお読みになられたのですか?」
「お母様が、あなたは少し情緒が足りないようだから読みなさいって貸して下さったの」
「……そうでございますか。まあひとまずこの件は、明日の朝にでもアズベルト様にきちんとお伝えしましょう」
「それはいけないわ! ジェン」
ネネフィーは、妙にきっぱりと言い切る。
「?」
「もしかするとアズ様は、大層生食がお好きなのかもしれませんわ。それをわざわざ私に伝えているのかもしれません。むしろ私が逆に、食べられるように訓練しなければいけないのかもしれないわ」
「絶対に違うと思います」
「私はアズ様のつつつつつつ妻となるのですから、おおおおおお夫となる方の好みを知るのは当然ですわ! これを機に、バカンス中はしっかりとアズ様を観察してみますわ!」
「……左様でございますか」
取り敢えずは暫く様子を見て、酷くなるようならアズベルトの側近であるジョエルにでもそれとなく聞いてみようとジェンは思った。
「え……」
朝食の席。
朝日に輝くアズベルトの姿に見惚れながら紅茶を一口飲んだネネフィーは、思わず声を上げる。
(苦すぎる……)
カップの中を覗き込むが、特に変わった様子もない。
ちらりとアズベルトのカップを覗こうとするが、目の前に飾られてある大きな生花のアレンジメントが邪魔して全く向こう側が見えなかった。
「ネネ、どうかしましたか?」
「えっと、あの、紅茶の味が……」
「ああ、気付きましたか。この紅茶はうちの領地で作っているモノなのです。独特の香りと口の中に残る僅かな苦味が、目覚めにはぴったりなので好んで朝食に飲んでいるのですよ」
「へ、へぇ……」
(僅かな苦味……? いやいや相当苦いですわ)
「口に合いませんでしたか?」
「え、いえ。初めて飲んだな~っと思いまして、はい」
「そうですね。確かにこの茶葉は皇族御用達の為に余り一般市場には出回りませんね」
「そうなんですね~~おほほほほ」
笑ってごまかす。
(私、バカ舌なのかしら? この苦味は昨晩のサンドイッチにかかっていたソースと同じ味がする。幼い頃に無理やり飲まされた、熱冷ましにそっくりなんだけど……)
ネネフィーはしょんぼりしながらも気を取り直し、好物である腸詰にナイフを入れる。
瞬間、ぷにゅっと中から引き肉が溢れ出した。
(え……)
ネネフィーは目を見開く。
表面の皮はこんがりと焼き色が付いているが、中の引き肉は生のままだった。
(こ、こんな調理法が!?)
斬新な調理方法に戦慄が走る。
恐る恐る口に含むと、感触は面白いがいかんせん生のせいで非常に獣臭い。
耐えられない程ではないが、朝からこれはなかなかに腹に来る。
ネネフィーはこっそり自分のお腹に回復魔法を掛けた。
その後、出てきたスープやデザートまでもがネネフィーの体験したことのない調理法ばかりであった。
「お嬢様、朝食が進んでいないようでしたが」
「ええ……」
部屋に戻って出掛ける準備をしていたネネフィーは、ジェンの質問にがくりと項垂れる。
「すごかったの……全てが……」
「すごい、とは?」
「全部よ、全部。腸詰のひき肉が生のままとか、紅茶が熱冷ましくらい苦いとか、スープの具の野菜が歯ごたえ抜群の生とか……余りにも斬新過ぎて……世界は広いんだなって実感したのよ」
「……」
「ああ、いけないわ、私ったらこんな愚痴を。頑張らなければ! やっぱり領地が違えば文化も違うのね!」
ネネフィーは拳を握り、自らを奮い立たせる。
「さあお嬢様、出来ましたよ」
「ありがとう! ジェン」
外出着に着替えたネネフィーがエントランスホールに向かうと、そこにはすでにアズベルトが待っており、ネネフィーは嬉しそうに駆け寄った。
ジェンはアズベルトのすぐ側にいるジョエルに軽く目配せをすると、それに気付いた彼はしっかりと頷いた。
アズベルトとネネフィーは手を繋いで湖に向けて歩く中、その周辺を帝都から連れてきた護衛騎士たちがしっかり守っている。
彼等の少し後ろを、一定の距離を開けてジョエルとジェンは並んで歩いていた。
「いかが致しましたか?」
「この領地について、いくつかお伺いしたい事があります」
「答えられる事であれば」
ジェンの質問に、ジョエルが頷く。
「この辺りは、『生』で肉や魚を食べる風習がありますか?」
「は? 何ですか? それは」
「お答え下さい」
驚いたジョエルに対し、ジェンは無表情で淡々と答えを望む。
「生ですか? 私はこの領地出身ですが、聞いたことがありませんね。むしろ夏が短く雪が多い為、保存のきく『燻製』と言う製法の料理が主流です」
「燻製ですか、そうですか。後一つ」
「はい」
「この領地で作られている皇族御用達の紅茶ですが、とても苦いのですか? 具体的には熱冷ましの薬草汁ほど」
「はぁっ!?」
ジョエルは驚いてジェンを見るが、彼女は至極真面目な顔をしている。
前を歩いていたアズベルトとネネフィーは、いつの間にか木陰に座って休憩を始めており、ジョエルとジェンも少し離れた場所で待機する。
「どうしてそのような質問を?」
「現在、ネネフィー様の身に起こっている状況を説明したまでです」
「なっ!? いつからですか? それは!」
「恐らく、昨晩の夜食からでございます」
「夜食?」
「はい。ネネフィー様は昨晩のディナーの大半を残してしまっていた為、正確には分かりませんが、気付いたのは昨晩の11時過ぎに届けられた夜食からでございます。そうですか、生食はしないのですね」
「当たり前です。ああ、すぐに主に報告を……」
ジョエルは急いでアズベルトに駆け寄ろうとしたその時、木の下でくつろいでいたはずのネネフィーが、アズベルトに向かって土下座しながら号泣している姿が目に入った。
2022.11.20修正




