ゲームセット
五番打者・六車さんは、悠然と左打席に入った。どっしりとした構えを目の当たりにして、どこに投げても打たれそうな気がしてしまう。だが、若林のストレートがどこまで通用するか、試してみたいという誘惑もある。
六車さんは、若林の球を見たことがない。球筋を目に焼き付けるために、初球は見逃すはずである。労せずとれるストライクは確実にとっておく。カウントが有利になればなるほど、打ちとれる確率が高まるからである、
一球目は外角にストレート。少々甘く入ってもいいから、全力投球の球を見せておく。若林は俺のサインに頷いた。無駄のない美しい投球フォームによって、全身のエネルギーの集中させた指先からボールが放たれる。
やや真ん中に来たが、力のあるストレートである。だが、この球を六車さんは、これ以上ないタイミングでとらえた。甲高い打球音が響きわたった。
俺はマスク越しに、ボールの行方を追う。打球はライトスタンドに向かって、高々と舞い上がっていく。まさか、外角一本に絞って、初球狙いでくるとは。悔やんでも悔やみ切らない。俺のミスリードである。若林が力んだせいか、減速の度合いも大きかった。
ただ、当たりが良すぎたことが俺たちに幸いした。打球には強いドライブがかかり、ポールの右を通過する大ファウルとなった。もう少し詰まった当たりだったなら、切れずにスタンド中段まで運ばれていただろう。
若林のストレートには弱点がある。球質が軽いのだ。球質の軽さは、回転数の高さと無関係ではない。強力なバックスピンは、ジャストミートされると、普通の球以上の飛距離を生んでしまうのだ。つまり、本塁打を打たれる危険性をあわせもっている。
背筋に沿って冷や汗が流れ落ちた。若林はというと、打たれた瞬間にチラっと打球の行方を見ただけだ。落ち着き払った態度で、右手でロージンバッグを弄んでいる。俺はタイムをとって、マウンドに駆け寄った。
俺よりも先に、若林が言った。
「今の球は、甘すぎました。僕のコントロールミスです。六車さんは今、僕のストレートを見切ったと思っているかもしれませんが、次は、さらに上の球を投げ込みますよ」
ホームラン性の当たりをくらってビビっているかと思ったが、そんな心配は無用だった。
「あと一人や。思い切って来い」そう言って、マウンドを後にした。
決め球はやはり、外角高目のストレートだ。その前に、ファウルを打たせて2ストライク目をとる。俺はルーキーにサインを送った。二球目は内角へのストレート。ボールになってもいいから、思い切り投げ込んでこい。
若林は頷くと、ワインドアップポジションに入った。素早い投球フォームで、右腕を思い切り振り下ろした。外角のストレートにバットがピクリとしたが、手を出さずに見送った。
球速は134キロ。球審の判定はボールだったが、バッターに「外角一辺倒ではない」と意識させるためなのだから、それはそれで構わない。
三球目は、カーブで速球との緩急をつける。六車さんも読んでいるだろうが、初めて見る若林のカーブを打つのは容易くはない。三球目もファウルを打たせるのが狙いだ。
ルーキーのカーブは、外角高目のボールゾーンから少し曲がり落ちて、ストライクゾーンギリギリと入ってきた。これは、絶妙の軌道である。
六車さんは待っていた外角に来たので、バットを出してきた。しかし、途中でカーブとわかったため、わざと空振りをした。打ち損じて内野ゴロになるのを防いだのだ。
しかし、ストライクをとれたことは大きい。カウントは1ボール2ストライク。前にも言ったが、ピッチャー有利のカウントになれば、バッターの打率と本塁打率は大幅に減るものである。
六車さんは、若林のストレートを初めて見た。球筋を見たのも、この打席での二球にすぎない。それを最大限に活かすべきだろう。もう一球、内角のボール球を挟むことも考えたが、ストレートの軌道に目が慣れる前に勝負した方がベター。そう判断した。
四球目には、外角高目のストレートを選択した。俺のサインに、若林は頷く。ルーキーは軽やかに左足を上げて、素早く体重を軸足にのせる。右手はグラブの中におさめておき、小さなバックスイングの軌道を描く。そして、素早い体重移動とともに、バッター方向へと思い切り振り下ろされた。
しかし、若林のストレートは、バッターの想定した軌道を上回っていた。バットの描く軌道を避けるように、ベースの手前でこれまで以上に浮き上がったのだ。ボールはバットの上を通り過ぎて、俺のミットに心地よい音を響かせた。
目の錯覚だろうが、確かに加速してホップしたように見えた。スピードガン表示の球速は、「137キロ」。バッターの手前での球速は、推定135キロといったところか。しかし、六車さんの目には155キロにも見えたことだろう。
球審は高らかに、空振り三振とゲームセット、を宣告した。スタンドのパイレーツファンは、今日まで貯まっていた鬱憤を吹き飛ばすように、歓喜の声を爆発させた。




