三番打者
九回表のマウンドに上がるのは、もちろん高卒ルーキー・若林だ。投手が残っていないため、一人で投げ切らねばならない。パイレーツ初勝利のために責任は重大である。
バッテリーを組む俺にも、当然プレッシャーがかかってくる。いかにして3つのアウトをとるか。頭の中で素早く、敵バッターの攻め方をシミュレートする。言いようのない不安がわいてくるが、自分の判断と若林の球を信じるしかないだろう。
若林は緊張の素振りすら見せていない。心憎いまでに、ポーカーフェイスを保っている。こんなにメンタルの強いルーキーが、かつていただろうか? 彼がこれから対決するのは、14球団で最も強力なクリーンアップだというのに。
三番の古賀さんは目下、打率リーグ1位の3割8分。このスラッガーほど、〈天才バッター〉と呼ぶにふさわしい選手はいない。一番の宮野は「将来の中軸」だったが、古賀さんは「現役バリバリ、脂の乗り切った中軸」である。
俺がサインを出すと、若林は素直に頷いた。サイン通りに、ど真ん中のストレートを投げ込んできた。左打席の古賀さんは平然と見逃したので、俺たちは難なく1ストライクをとれた。
プロのバッターは、ただ漠然と打つのではない。ピッチャーの球速や球筋を把握し、その情報をもとに次の投球の球速と球筋を予測して、最適なミートポイントに向けてバットをスイングするのである。それが、プロのバッティングである。
打席に入った古賀さんから、打ち気が感じられなかった。俺の読みは的中したわけだが、古賀さんはあえて初球を見送ったのだ。急速と球筋を把握するため、ストライクを一球すてた。その目的は、もちろん二球目か三球目、四球目を打つためである。
だが、若林のストレートを一球見ただけで、すべてを把握できるわけがない。高卒ルーキーのストレートは、俺が惚れ込んだ特殊な球なのだから。
その証拠に、二球目の外角ベルト付近のストレートに、左打者の古賀さんは完全に振り遅れて、三塁側スタンドに入るファウルになった。
古賀さんは打席を外して、二度三度と軽く素振りをおこなう。その際、さりげなくバックスクリーンを見やったことを、俺は見逃さなかった。古賀さんの身体から、違和感を味わった気配が立ち上っている。
バックスクリーンのスピードガン表示は「134キロ」を示していた。この数字は、俺たちの味方だ。古賀さんには、134キロのストレートをとらえそこねた感触が生々しく残っている。その数字と体感のギャップが、天才バッターを混乱させる。
三球目は内角ギリギリのカーブで緩急をつけたが、古賀さんは態勢も崩さずに躊躇なく見送った。判定はボールだったが、この球は四球目で仕留めるための伏線である。
決め球は最初から、外角高目のストレートと決めていた。そこに行き着くまでの段階を着実に積み重ねてきたのだ。古賀さんも「次は外角にストレート」と読んでいるかもしれないが、それでも空振りがとれるのが、ルーキーの外角高目である。
若林が渾身の四球目を投げ込んできた。古賀さんのバットが、トップの位置から一直線に振り出された。ヒュッという風を切る音を確かに聞いた。
古賀さんは、「完全にとらえた」と思ったはずだ。だが、次の瞬間、若林の球は加速した。古賀さんの目にはまちがいなく、そう見えたはずだ。〈切れのいい球〉という言い方があるが、若林のストレートがまさにそれである。
スピードガン表示は「136キロ」だった。東さんの158キロは誰が見ても速いが、若林の136キロはその158キロ以上の速さで、バッターの目に映ってしまう。古賀さんのバットがボールの下を潜ったことが、その証拠である。
若林の球は、天才バッターの予測した軌道の数センチ上を通過した。手元で伸びて、加速したからである。それが、ルーキーの独特なストレートだ。彼にしか投げられないストレートなのである。




