大逆転
若林の言うとおり、東さんは落ち着きを失っていた。1点はとられたもののノーヒットは継続中だし、5点差がついているのに余裕が見られない。絶対的エースの精密機械のような投球術が狂い始めていた。
その心の隙に乗じて攻めるのもプロフェッショナルである。パイレーツの反撃が始まった。まず、小湊さんがファールで執拗に粘る。フルカウントから5球連続ファウル。11球目が外角に遠く外れて、八番打者は四球で出塁した。
九番には俺が入っている。俺は右打席の足場をならしながら考える。バックスクリーンのスピードガン表示で確認したが、東さんのストレートは140キロ半ばに減速していた。心の乱れから、投球フォームのバランスを崩しているせいだろう。
俺に変化球はない。狙いを真っ直ぐ一本に絞る。甘い球の来る確率が最も高いファーストストライクをひっぱたく。
東さんの初球を思い切り振り抜くと、両手に心地よい衝撃を残った。絶対的エースから奪ったクリーンヒットの感触である。俺のバットが、東さんのノーヒットを消した。一塁ベースを駆け抜けて、その快感をじっくり嚙みしめた。
打順は一番に戻る。トップバッターの飯田さんも初球狙いで、一二塁間を抜いた。パイレーツの連打なんて久し振りだ。当たりがよすぎて、二塁ランナーは生還できなかったが、これで二死満塁である。
次打者は二番の西口さんだ。開幕以来の打率は一割台で、精彩を欠いている。二球目の変化球をとらえたが、結果はボテボテのショートゴロ。ただ、飛んだコースが幸いして内野安打になった。形はとにかく、パイレーツは東さんから追加点をもぎとった。
三番の加茂さんがセンター前に弾き返して、さらに二点を加えた。マウンド上の東さんは、呆然と立ち尽くしている。10分前に真っ赤だった顔は今や、すっかり青ざめている。タイガースの投手コーチが、ようやくマウンドに向かった。
「2点差に迫られたが、あと1アウトだ。この回は投げ切ってくれ」とでも言っているのだろう。ブルペンでは、セットアッパーか守護神が大慌てで肩を作っているに違いない。
この場面で、準備万全の守護神が出てきていたら、パイレーツに傾きかけた流れは止められていたかもしれない。だが、タイガースはエースを続投させた。このベンチワークが試合の命運を分けることになる。
それは、直後の初球におこった。四番の越谷さんがフルスイングすると、乾いた打球音がスタジアム中に響き渡ったのだ。一瞬の静寂の後、スタジアムは大歓声に包まれた。パイレーツのダグアウトも歓喜を爆発させた。
レフトスタンド中段への逆転3ラン。越谷さんは起死回生の一打を噛みしめるように、ゆっくりとダイヤモンドを一周する。今シーズン13試合目にして、第1号のホームランである。クシャクシャにほころんだ笑顔は、消沈した東さんの表情と、あまりにも対照的だった。
スコアボードの八回裏の枠に、7という数字が刻まれた。今シーズン初の大量得点である。攻撃の一端を担った俺にも信じられない想いだ。
タイガースはエースに代えて、若手のセットアッパーをマウンドに上げた。あっさりと次打者が打ち取られたため、パイレーツのリードは1点にとどまった。
9回表さえゼロに抑えれば、パイレーツは連敗に終止符を打つことができる。それはパイレーツファンが待ちわびた今シーズン初勝利である。




