若林のストレート
俺は若林の投球練習に付き合いながら、最後にかける言葉を探しあぐねていた。いくらメンタルが強いとはいえ、若林にとっては初めてのマウンドだ。緊張から浮足立ってもおかしくない。
スタンドのパイレーツファンから、
「ルーキーには無理やで!」「あほんだら、試合を投げやがって!」「パイレーツのファンは今日かぎりや!」という声が上がった。
規定の投球練習を終えたところで、俺は若林に駆け寄った。「開き直って思い切り投げてこい」と言おうと思ったが、その前に若林が言った。
「あの野次、すぐに黙らせてやりますよ」
口元には笑みさえ浮かべている。何てヤツだ。プロ初登板だというのに、緊張の欠片もない。つくづく思う。どんなメンタルしとんねん。
次打者はトップに返り、切り込み隊長の宮野である。将来の中軸を期待されている三年目のショートストップだ。打率3割2分、3試合連続マルチヒットと目下絶好調。若林の実力をはかるには充分な相手である。(プロ球界は年齢序列の世界だ。宮野は俺より早くプロ入りしたが、高卒なので俺よりも年下なので、〈さん〉づけではなく、呼び捨てにする)
俺の出したサインに、若林は軽く頷き、セットポジションに入った。リラックスした投球フォームで、プロ第一球を投げた。いつも通りに無駄がなく、スピーディーで、バランスのとれた美しいファームだ。右打席の宮野は真ん中低目のストレートを見送ったので、難なく1ストライクがとれた。
バックスクリーンのスピードガン表示には、球速が「135キロ」と出ていた。宮野の表情を盗み見たのだが、「打ち頃の球だな」と、ほくそ笑んだように見えた。だが、それはこちらの思う壺というものだ。
二球目は、外角ベルト付近へのストレート。宮野は強振したが、打球は一塁側スタンドへのファールフライとなった。未来の中軸は怪訝な表情を浮かべていた。ジャストミートしたと思ったのに、なぜか振り遅れた。打ち損じの原因が、理解できなかったのだ。
「俺が135キロに差し込まれた?」宮野はそう感じたはずである。
いつも通りの若林の球だ。初見の宮野には絶対に打てない。どんな三割打者でも不可能なはずだ。そういえば、キャンプ中、三割打者について、若林と話し合ったことがある。
若林はこう言った。
「年間500打数として、三割打者は150本のヒットを打つことになります。二割五分の打者は125本。一年間でたった25本の差しかありません。一週間で1本しか違わない。つまり、三割打者も二割五分も同じようなものです」
若林独自の見方だろうが、三割打者をまったく脅えない点は評価できる。
三球目には変化球を選んだ。真ん中から外角へと大きく曲がり落ちるカーブ。宮野は態勢を崩されながらも、かろうじてカット。またもや一塁側スタンドにファールを打ち上げた。
俺は内心、舌打ちをした。このブレーキの利いたカーブは、投球練習でも投げさせずにバッターに隠しておいたのだ。これで空振り三振を仕留めるつもりだったが、さすがは未来の中軸といったところか。
だが、すぐに頭を切り替えて、次の球で決める、と思い直す。 四球目は、内角ベルト付近に、真っ直ぐを投げさせた。若林の渾身のストレートが、内角ギリギリをえぐる。強振したバットは、ボールの下を通過した。空振り三振である。
バックスクリーンのスピードガン表示は「136キロ」だった。
宮野はダグアウトに戻りながら、しきりに首をひねっていた。きっと「嘘だろ、140キロ半ばは出ていたぞ」と、考えているはずだ。宮野の背中を横目に、俺は心の中で喝采を上げていた。
打ち頃の球のはずなのに、なぜか差し込まれる。バットはボールの下をくぐってしまう。これが若林のストレートの威力だ。球速は130キロ半ばにすぎないのに、なぜか150キロの剛速球より打ちにくいという特殊な球である。
だが、まだ1アウトだ。安心はできない。左打席に入った二番打者の相葉は、コツコツと当ててくる嫌らしいバッターである。
若林は相変わらずポーカーフェイスだ。気負いもなく、自分のペースで、テンポよく投げ込んでくる。内角、外角と球を散らした後で、最後は内角べルト付近のストレートでピッチャー前への小フライに打ち取った。
若林はマウンドを駆け下りて、わざとワンバウンドさせてからキャッチ。俺の構えたミットへの素早いアンダートスを見せた。俺はしっかりホームベースを踏んでから、余裕を持って一塁に送球した。狙い通りのホームゲッツーである。
タイガースの上位打線に、無死満塁から追加点も許さなかったのだから、ルーキーの初登板としては上々の出来である。




