第19話:ヘビに睨まれた愚か者
――ビュンビュン
――ビュンビュン
風を切るような音が聞こえる。
俺の横を、学園生が爽やかに通り過ぎていき、みんなに元気に挨拶をしている。
肩で風を切る、とはいうが、いまの時代では効果音までつくものらしい。
――ビュンビュン
――ビュンビュン
おはようと言いあう人達。
下駄箱前で、春休みに何があったか、さっそく話し合う人達。
いつも学力テストの話しかしない人と、それに付き合わされる友人。
走って先生に怒られている生徒。
そして、これから新入生となる初々しい顔ぶれ。
春の暖かい気候と日差しの中、迎える新学期。
――ビュンビュンビュン
――ビュン
――そう、なるはずだった。
――バチン!!!
「あぐうッ――!! っソがぁああ!!!」
聞いたことのある声が、また一つ悲鳴を上げる。
「はぁ……っはあぁあっ……はぁ……っ」
心臓の鼓動が早くなる。
熱い、いや冷たい。わからない。とにかく胸が熱くて冷たい。
「紗姫――っ!!」
目の焦点がぼやける。
先ほどまで周りで笑っていたはずの生徒達は、俺の目からはもういなくなっていた。
幻想が解け、代わりに映し出された光景。
それは、部分的に色がなくなっている木々や、何の色を混ぜたらああなるのか、わからないような濁った色の空。
校舎の半分は、あの屋上の黒い球体に吸い込まれたのか、断面図のように消失している。
校庭のグラウンドには、ひび割れたアスファルトを縫うように、どす黒い「影」が走っている。
その中で、どうやっても目に入ってくる三人の人物。
体育館の背にして、陣取るように立つ一人の男。
細身のスーツ姿だが、肩に『10』と書かれた刺青が見えた。
そして――
その近くに転がる、見覚えのある二つのシルエットだった。
「はぁっはぁっ……」
息のし過ぎで、過呼吸になりそうだ。
頭も痛い。目が熱くてチカチカする。
俺の脳が、目の前の光景を事実として受け入れるのを拒否し続けている。
「はぁっはぁっ……はぁ……っ!!」
……落ち着け。
リミテッドの言葉を思い出せ。
『案ずるな。キミはリミテッドと戦わなくていい。おそらく、わざわざバカみたいに歯向かっていかなければ狙われもしないだろう』
「そう……だ。はぁ……はぁ……っ。俺の目的は、あんな、化物と戦うことじゃ、ない――」
戦う理由なんてもうないんだ。わざわざバカみたいに歯向かう理由なんてないはずだ。
リミテッドも言っていたように、アイツの目的は達成してるんだ。俺なんて小物を狙う理由もない。……はずだ。
俺は戦場から十分に距離を取って、トラックの外の茂みから、回り込む様にして体育館を目指して全力で走った。
――ビュンビュン
――ビュンビュン
たぶん、アイツが『ヘビのリミテッド』なのだろう。
ヘビは、ムチのようなものを振り回していた。
風を切るような音の正体は、アイツのムチが放っていた音のようだ。
「――くッ!! ハッ!!!」
絢瀬さんが如月さんを担いで、その場から距離をとる。
彼女のその反応も尋常ではなかった。
体育館の天井を『切った』という発言に、いまは信ぴょう性が増してくる。
喫茶店に俺みたいな男が一人住み始めたとして、男だなんだといったところで、彼女らには何の脅威でもないんだろう。
「クソ……! どうすればいいんだ……っ!」
距離を取って走ってる分、最短よりも時間がかかる。
リミテッドの言葉を信じて、そのまま最短距離を突っ走ればよかったのか??
……いや、無理。
俺を攻撃しないなんて保証はないし、それに、あんなところ近づけたもんじゃない。
弾道的に絶対に当たらないからそこに立って! って言われて、ピストルの前に立てるか?
それで、頑張って体育館についたとして、結局俺は何をどうしたらいいんだ……?
もう結果は変えられないんじゃないのか??
……この短い間で、そんな考えが頭に何度も何度も浮かぶ。
でも答えは出ない。
地面はもう所々に亀裂が走り、うまく走れない。
それでもいまは走るしかない。
いまの俺にできるのはそれだけだからだ。
「ふぅ……ふぅ……うっ」
『バカみたいに歯向かっていかなければ』
彼女たちは戦っている。もう戦う意味もないのに。
もしかして、知らないのか……? このあと世界がどうなるのか。世界がいま、どうなっているのか。
……それとも。
そんなことすらもわかった上で、それでもバカみたいに戦う理由が、彼女たちにはあるっていうのか……?
――バチン!!!
「ッ――!!!!!」
再び、ムチが音速を超え、何かを爆ぜた音がした。
それと同時、声にならない声が俺の耳をつんざく。
再び彼女たちの方を見る。
ムチが直撃したのだろう。遠目からでも分かった。
絢瀬さんの左足のふくらはぎは、その部分がハッキリわかるように抉られていた。
そして、絢瀬さんが俺に気づいたようで、俺と絢瀬さんの視線が合った。
絢瀬さんは困惑した表情のあと、俺になにかを言いかけたかと思うと、一瞬で引っ込めて、ヘビの方を睨み返していた。
……彼女は。
俺に助けを求めるよりも、俺に注意が行かないよう、自分がヘビの注意を引き付けることが最優先だと瞬時に理解し、切り替えたのだ。
――遠くから悲鳴が聞こえる。
いや、違う。自分の都合のいいように意識を逸らしているだけだ。
実際は、聞こえるくらい良く聞こえている。
すぐ目の前で女の子が殺人鬼に襲われて血まみれになっているのに、俺には何もできない。
『カッコよかったね! 仮面バイカー!』
『キミはこれから責任を取らなければならない。彼女のヒーローとして』
『つまりだヒーロー。我々にはもう退路はないというわけだ。夏休みの終わりのように、ケツはもうそこまで迫っている』
ヒーローヒーローうるせえ!!!
俺は!! ヒーローにはなれない。そんなのはとっくにわかってんだ!!
……ごめん如月さん、絢瀬さん。
でも、俺に何がある? 何もない。武器もない。プロレス技も使えない。
あるのは、この自分でさえ心底軽蔑する臆病な心と、無駄に生きている命だけだ。
俺に、もっと勇気があれば違ったかもしれない。
俺の心が、臆病だけしかない心じゃなくて、そのうちの幾つかでも、勇気に変えることが出来れば、何かできたのかもしれない。
その時『キュィィィーン!』という、何とも高揚感が高ぶるような、鋭い高音がどこからか聞こえた気がした。
それから少し遅れて、男の叫ぶ声が聞こえた。
「――――俺が相手だ!! このヘビ野郎ぉおおお!!」
遮蔽物のない校庭では、俺の耳にもよく届いた。
どうやら俺たち以外にもまだ生き残りがいたらしい。
しかし、バカなやつだ。
折角拾った命を、相手は殺人犯だぞ……?
……でも、きっと、ああいうやつがヒーローっていうんだろう。
この場面で、あの現状を見て、それでも立ち向かえる男。
俺は、その声の主をバカにする権利なんてない。
俺にできるのは気づかれないように、コソコソと、全速力で逃げながら走るだけで精いっぱいだ。
「はぁっはぁっ……はぁっ」
なぜか、さっきよりも息が、胸が苦しい。
吐く息はまるで灰を吐いているかのようにカラカラだ。
胸も張り裂けそうなくらい、心臓がバクバクいっている。
いつの間にか、目の前も真っ暗だ。
足も動いているのかわからない。
貧血か、酸欠になってしまったのかもしれない。
まずは息を整えろ。
そして、落ち着いて、目を開けるんだ。
目の焦点がぼやける。
先ほどまで走っていたはずの木の陰や茂みは、俺の目からはもうなくなっていた。
代わりに映し出された光景。
それは、人工的に整えられた地面で、赤や緑のテニスコート。
そして何より、目線の先にはあのヘビの殺人鬼がいた。
叫んでいたのは、俺だった。
■あとがき
[週2回(主に水曜と日曜)更新予定]
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