聖女の宿命
沙羅がこの世界に来て一年が過ぎようとしていた。
昼下がりの研究室。窓から差し込む光の中で、沙羅はそっと問いかけた。
「最近……悩んでる顔してる。何かあった……?」
エルンストは手を止め、しばらく無言で沙羅を見つめていた。
やがて、眉間に皺を寄せて小さく吐息をつく。
「……沙羅、君に話すべきかどうか、ずっと迷っていた」
彼の声音は普段よりも低く、重さを含んでいた。
沙羅はじっと見つめ返す。
「私は大丈夫だよ。何でも覚悟はしてる」
震えそうになる声を、無理に明るく保とうとした。
エルンストは目を伏せ、机の上で指を組み合わせたまま沈黙する。
その沈黙が長く続き、ようやく彼の口から言葉がこぼれた。
「――聖女は、短命なんだ」
「……短命?」
「うん。今まで、出来るだけ情報を集めてきた。古い書物も、旅人の噂も、学者たちの断片的な記録も調べた」
エルンストは机の上の本を軽く叩き、続けた。
「けれど、聖女について残っている情報は驚くほど少ない。隣国はほとんど鎖国状態で、外に出す情報を徹底的に管理している。だから正確なことはわからない。ただ……どの聖女も、高い能力を持っていたこと、長くは生きられなかったという記録が残っている」
沙羅は固く唇を噛んだ。胸がきゅっと縮まる。
彼女が黙り込むのを見て、エルンストは言葉を継いだ。
「……君には、選択肢がある」
その言葉に、沙羅は息を呑む。
「ひとつは、このままの生活を続けること。……だが、その場合、能力を使うたびに命を削っている可能性がある。いつ死ぬかは、誰にも分からない」
部屋に重い沈黙が落ちる。
それを振り払うように、エルンストは続けた。
「二つ目は、ここから離れて……のんびり暮らすことだ。能力を使わなければ、長生きできるかもしれない」
沙羅は唇を噛み、視線を揺らす。
その生活がどんなものか、想像できなかった。
「そして三つ目……」
エルンストは深く息を吸い込み、真っ直ぐに沙羅を見つめる。
「頭の中の魔方陣を消すことだ。『魔方陣解除』という魔法がある。極めて難しい術だが……もし成功すれば、長く生きられるかもしれない」
沙羅の胸に、かすかな希望が灯る。だが、すぐにその炎は揺らいだ。
「ただし……」
エルンストの言葉は刃のように鋭く響く。
「魔方陣を消せば、意志疎通魔法も消える。つまり、君と僕らの言葉は通じなくなるかもしれない。そして、君の能力も、魔方陣に依存しているのなら……失われる可能性が高い」
沙羅は呆然としたまま、何も言えなかった。
失うものがあまりに大きい。
けれど、生きるための選択肢でもある。
エルンストはしばらく沙羅を見つめ、それから視線を逸らした。
「……よく、考えてみてくれ」
エルンストの言葉が途切れたあと、部屋はしんと静まり返った。
沙羅は膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、喉の奥がきゅう、と詰まるような感覚に襲われた。
「……私は……死ぬの?」
かすれる声が、自分のものとは思えなかった。
エルンストは答えず、ただ苦しげに眉を寄せる。
その沈黙こそが、肯定であることを沙羅は悟った。
(どれを選んでも……エルンストはまた、魔力を失う……)
魔法陣の解除に挑めば、彼は命を削るように膨大な魔力を注ぐだろう。
今までも何度も、研究のために無理をして、窶れた姿を見せていた。
彼が倒れてしまう姿など、もう二度と見たくない。
私が能力を失くせば、エルンストの魔力値を回復する手段はポーションだけだ。きっと、以前に戻ってしまう……。
「でも……」沙羅は震える唇で、必死に言葉をつなぐ。
「でも……一人にはなりたくないの」
頬に熱い涙がつたう。
それがどうしようもない本心であることに、自分でも驚いた。
「死ぬのは……怖い。けど、それ以上に……、また、魔力を失くした姿は見たくない……」
泣きじゃくる声が小さな部屋に響き、沙羅は俯いたまま嗚咽をこらえた。
エルンストは立ち上がり、ゆっくりと彼女の隣に腰を下ろす。
そして、何も言わずにそっと沙羅の肩を抱き寄せた。
温かな腕の中で、沙羅はようやく声を殺して泣くことを許された。




