エルンストの研究①
沙羅は自分のことを少しずつ語るようになり、秘密を抱えた心も、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
エルンストはそんな沙羅の話を興味深そうに聞き、異世界の道具について矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。
「女性の身を守る道具は何があったんだ」
「えっと……防犯ブザー、催涙スプレー、スタンガン……」
沙羅が答えると、エルンストはすぐに試作品を作り上げた。
掌に収まる魔道具から甲高い音が鳴り響き、もうひとつは触れた相手に痺れる衝撃を与える。
「何かあったとき、身を守れるようにしておきたいからね」
そう言ってエルンストは沙羅に渡した。
その後、この二つは特許を取得して商品化され、冒険者や商人、さらには貴婦人たちにも人気を博すことになった。
沙羅はさらに思い出すように語った。
「ドライヤー、コピー機、電子レンジ、スマホ、水洗トイレ……車、自転車、電車、飛行機……」
「沙羅、君の知識は宝箱だな」
そう笑うエルンストの顔に、沙羅は思わず笑みを返した。
彼はまた問うた。
「君がこの世界で、あったら便利だと思うものは?」
沙羅は少し考え、髪を留めるゴム、柔らかい靴、ハンドクリームやリップクリームのことを話した。
すでに似たものは存在したが、色や質感が微妙に違うという。
エルンストは器用に何度も試作を重ね、沙羅が「これだよ」と言える仕上がりになれば、微笑んでそれを渡した。
「使うといい。作り方と残りの試作品は売るからね」
やがて、彼の作り出す商品は次々にヒットし、沙羅にも特許料の一割が入るよう口座が作られた。
「これは、いざというときに沙羅が使えるように」
エルンストはそう言った。
生活は、穏やかで、平和で、どこか夢のようでもあった。
沙羅は勉強を進め、字が書けるようになった。料理を色々覚え、町に慣れ、少しずつ日々に馴染んでいった。
月ごとに魔力代として現金を直接受け取り、お金にも困らなくなった。
そんなある日
「転移の魔法陣?」
沙羅の何気ない一言に、エルンストの表情が一変した。
机に散らばった薬草も器具も放り出し、目を見開いて身を乗り出す。
「今、なんと言った?」
「えっと……隣国で。紙に魔法陣が描いてあって……スクロールって呼ばれてました。それを破ると、術が発動して……紙は消えるんです」
エルンストは椅子を蹴るようにして立ち上がり、部屋をぐるぐる歩き回った。
「スクロール……魔法を一度きりで発動させる使い捨ての陣! なんという……いや、待て、それは可能なのか……?」
ぶつぶつ呟きながら本棚を開き、積み上げてあった書物を引っ張り出す。
「沙羅、覚えている図はないのか?」
沙羅は困ったように首を傾げた。
「細かい模様がいっぱいで……わからないんです。丸や線がたくさんあって……」
翌日、エルンストは紙を何十枚も用意して待っていた。
魔法陣がびっしりと描かれたそれを机に並べ、目を輝かせて言う。
「どれか似ているものを教えて欲しい」
沙羅は首をかしげながら、一枚ずつ眺めた。
必死に思い出そうとしたが、どうしてもあやふやで、数枚までしか絞れなかった。
「これと……これ、かな。でもやっぱり違う気がします」
「充分だ!」
エルンストの声は震えていた。
その夜、彼は沙羅にこう告げた。
「沙羅、私は研究に専念する。一週間……いや、それ以上かもしれない。その間は来なくていい」
沙羅は困惑したが、真剣な瞳に押されて頷くしかなかった。
――そして一週間後。
エルンストの家を訪ねた沙羅は、息を呑んだ。
床に倒れていた彼の魔力値は殆ど残っておらず、頬はこけ、髪は乱れていた。
「……!」
沙羅は駆け寄り、慌ててその手を握る。数字を確認し青ざめ、力を込めた。
エルンストの魔力値がぐん、と上昇する。
「……助かった」
それでも彼の目は異様なほど輝いていた。
沙羅は水差しを取り、彼に水を飲ませる。持ってきたパンを差し出すと、エルンストは夢中で口に運んだ。
それから、パン屑を払う間もなく言葉を続ける。
「わかったんだ、沙羅。あれは転移の魔法陣ではない」
「……え?」
「術を――封じ込める陣なんだ! 術式そのものを紙に閉じ込め、破ることで解放する……そういう構造になっている!」
彼は机の上から一枚の紙を取り上げ、沙羅に渡した。
見慣れないが、どこか既視感のある陣が描かれている。
「沙羅、この紙を破ってみてくれ」
「え、でも……」
「大丈夫だ、失敗してもせいぜい風が吹くだけだ」
沙羅は恐る恐る紙を両手で持ち、ゆっくりと引き裂いた。
次の瞬間――。
ごうっと空気が爆ぜ、部屋の中に強烈な風が巻き起こった。紙片は渦に吸い込まれるように消え去り、棚の本や書類が宙を舞う。
「きゃっ!」
沙羅は必死にテーブルの脚にしがみついた。
エルンストは乱れ飛ぶ紙の中で、狂気じみた笑みを浮かべていた。
「 成功だ、沙羅!」




