エルンスト、沙羅の魔方陣を知る
事件から一週間が過ぎた。
沙羅はまだ肩に包帯を巻いていたが、エルンストのことが気がかりで仕方なく、ガルディスを伴って彼の家を訪れた。
「エルンスト、入るぞ」
玄関を開けると、机に向かって本を読んでいたエルンストが顔を上げた。
「もう大丈夫なのか」
沙羅はきゅっと唇を結び、答える。
「傷はまだ痛むけど……じっとしていられなくて」
エルンストの眼差しが一瞬柔らかくなる。だがすぐに真剣な色に戻った。
ガルディスが腕を組み、問いかける。
「で、何があったんだ? 沙羅が宿で倒れたって話は聞いたが、詳しくは知らされてねぇ」
エルンストは沙羅に視線をやった。
「言っていいかどうかは、沙羅に確認してからだ。ガルディス、少し席を外してくれ」
「……分かった」
ガルディスは渋々ながら外に出た。
部屋に二人きりになり、エルンストが声を落とす。
「沙羅、触れると魔力値を動かせる話を、ガルディスにして良いか? でないと、薬のことが説明できない。ガルディスは信頼できるだろう」
沙羅は迷った末、ゆっくりと頷いた。
「……分かった」
「ガルディス、入れ」
ガルディスが再び入ってきて椅子に腰を下ろす。エルンストは淡々と語り出した。
「沙羅が魔力を数字として見えるのは知っているな。……加えて、対象に触れると、その数字を動かせることが分かった」
ガルディスが目を剥いた。
「……動かせる? つまり、増減させられるってことか?」
「そうだ。私は沙羅に魔力値を上げてもらい、魔法を使えるようになった。その力で薬を作った」
エルンストは手元の小瓶を示す。
「だが、そのことを探る輩に、沙羅は襲われた」
しばし沈黙が落ちた。
やがてガルディスが低く呟く。
「……待て。薬ってのは……ハイポーションとか、育毛剤とか……あれか?」
「そうだ」
ガルディスは額を押さえ、深くため息をついた。
「……分かった。だが、黙ってやるのに条件がある」
「何だ」
「ハイポーションと……美肌液を分けてくれ」
「……何で美肌液なんだ」
「女たちが欲しがってうるさいんだよ……。俺だって肩身が狭いんだ」
エルンストは苦笑ともため息ともつかない顔をして、やがて頷いた。
「少しならな」
こうして取引は成立した。
その後、エルンストはガルディスを一足先に帰らせた。沙羅は送るから、もう帰って良い、と。
小瓶を懐にしまいながら帰路についたガルディスは、ひとり考え込む。
(……こんな力、知られたらどうなる? あの子が狙われたのも当然だ。危険すぎる……)
ほくほく顔の裏で、冷たい予感がじわじわと胸に広がっていた。
ガルディスが去り、部屋の扉が閉まると、静寂が落ちた。
沙羅は真剣な眼差しでエルンストを見上げる。
「……数値がすごく下がってます。本当は立っているのも辛いのでは?すぐに上げます!」
彼女は迷わずエルンストの手を握り、集中する。淡い光のように、エルンストの魔力値が上がっていく。
「ふう……」エルンストは息を整え、沙羅に視線を向ける。
「…沙羅、本当は触れなくても上げられるのでは?」
沙羅は固まった。驚きに目を見開き、やがてゆっくりと顔を上げる。
「……」
「あの男は死んでいない。安心しろ。……それより、私は知りたい。沙羅にとって、その力の使い方はどれほど負担になるのか。……試してくれないか」
沙羅は少し迷った末、手を離し、両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。そして深呼吸をして、エルンストを見つめる。
次の瞬間、触れていないにもかかわらず、エルンストの魔力値がぐんぐん上昇していった。
「……! 確かに上がっている」
エルンストは驚きと同時に、冷静に確認する。
「大丈夫か? いつもと違うか?」
沙羅は眉をひそめながら答える。
「少し……引っかかるような感じがするけど……大丈夫」
数値がかなり上昇したところで、沙羅は息をつき、力を止めた。
エルンストは沙羅を真っ直ぐに見つめる。
「体調は変わりないか?」
「平気、です」
「……その力は、明らかに異常だ」
「……沙羅、……君は異世界から召還された聖女ではないのか? 黒い目、黒い髪……この辺りでは珍しい。隣国から追い出されたのではないのか。始めの頃、常識を知らなかった理由も、それなら説明がつく」
「……答えられなければ、首を振るだけでいい」
沙羅は、無言で頷いた。
エルンストは静かに息を吐き、さらに問いを重ねる。
「それなら……言葉の問題だ。沙羅はなぜ、この国の言葉が話せる? そんな魔道具は存在しない。仮に隣国で作られたとしても、簡単に渡すとは思えない」
沙羅は迷った。……禁術。
「…絶対に、誰にも、話さないで下さい」
「私の頭の中に、魔術で魔方陣が描いてあるそうです。意志疎通を可能にする……」
エルンストは絶句した。
「……それは……凄く重要な問題だ」
深く思考に沈み込み、やがて彼は低く呟いた。
「少し……考えさせてくれないか」




