エルンスト調合する
それから数日後。
エルンストは沙羅を自宅の研究室に迎え入れ、机の上に分厚いノートを広げた。
魔術式や数値の記録がびっしりと書き込まれている。
「沙羅。君の力は……私の病に限らず、この世界の理を揺るがすものかもしれない。だが、無理をさせるわけにはいかない」
沙羅は小さく頷いた。
「……はい」
「今日は、実験を一度だけにしよう。数字をどこまで増やせるのか、そして君の体にどんな影響があるか……細かく記録する」
沙羅はエルンストの手に触れた。
浮かび上がる数値は―― 380/920。
「……増えろ」
心の中で願う。
すると、数字はじわじわと変化していった。
→ 380/920
→ 510/920
→ 730/920
「……ここまでだ」
エルンストが沙羅の手を外した。
「顔色が少し悪い。今日はこれ以上は危険だ」
沙羅は息を整え、うなずく。
「……大丈夫です。でも、不思議な感じがします」
その日から、実験は慎重に続けられた。
一日一度。多くても二度まで。
数値を増やす限界を少しずつ見極める。
翌日、疲れが残っていたら実験はしない。
――そして、数字が増えたエルンストは、かつての自分を取り戻すように少しずつ動けるようになった。
「……久々に、魔力で触媒を調合できる」
彼は棚から取り出した材料を魔法で練り合わせ、薬瓶を並べていく。
「出来た……! 高位回復薬だ」
エルンストは町に来てからも、理論だけは研究していた。ハイポーション作成の効率化、魔物避けの効果増大版、エクストラポーションの作成、都ではつまらない、と意識すらしていなかった育毛剤、美肌液等々……。
エルンストは次々と作成した。
町で売ると作成者が判るから、と都の兄を頼った。「商品を売りたい。入手先不明で頼む。育毛剤、美肌液はサンプルだ。信頼の置ける人に渡して欲しい」
エルンストの兄は突然の弟の願いにも関わらず、動いた。サンプルは大好評、ポーションも買い手多々。注文が想定以上に入ってきた。
「これで研究費は困らないな」
しかし、同時に沙羅の肩に手を置き、真剣な顔で告げる。
「……沙羅、有難う」
ある日、エルンストの研究室には、木箱に収められた小さな魔獣が運び込まれていた。
牙の短い狼型の幼獣。体力はあるが、まだ大人ほどの脅威はない。沙羅は対象に触れなければ能力が発動しない為、幼獣は拘束されていた。
「今日は“限界値”を確かめよう」
エルンストの声は硬い。
沙羅は不安そうに魔獣を見つめる。
「限界値……?」
「君の力がどこまで働くかだ。数字を増やしすぎればどうなるか。逆に、減らせばどうなるか。……それを知らなければ、いずれ人に試すこともできない」
魔獣の数字は 12/80。
既に傷を負い、弱っている個体だった。
沙羅がおそるおそる触れる。
数字が増えていく。
沙羅は数字を読んでいく。
→ 20/80
→ 40/80
→ 80/80
→ ……
「……まだ増やせるか?」
エルンストが食い入るように観察する。
→ 120/80
→ 160/80
魔獣が苦しそうに身をよじる。牙を鳴らし、苦悶の声を上げた。
そして、痙攣したのち――動かなくなる。
沙羅は青ざめて手を引いた。
「……!」
「……死んでる」
エルンストは震える手で記録を取る。
「……上限を超えると、対象は耐えられない。魔力の容量以上を無理やり押し込まれると、体が崩壊する」
「まだ、できるか?それとも、今日はやめるか?」
「……します」
沙羅は固い声で答えた。
……逃げることは出来ない。
別の魔獣――まだ元気な小型の魔獣用意される
。
数字は 55/55。
「今度は“減少”を試す。無理ならすぐ止めろ」
沙羅はこわばった手で魔獣に触れ、意識を集中する。
すると、数字がみるみる減っていった。
沙羅は読み上げる。
→ 40/55
→ 20/55
→ 5/55
魔獣は力なく伏せ、呼吸が荒くなる。
さらに下げようとした瞬間――
「もういい!」
エルンストが声を上げ、沙羅の手を掴んだ。
魔獣の数字は 0/55 になっていた。
次の瞬間、完全に動かなくなった。
重苦しい沈黙。
沙羅は震えながら言う。
「……私の力は、人を助けられるだけじゃない……殺すことも……」
エルンストは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……そうだ」




