エルンストの発作
夜、宿の部屋。窓の外は静かな闇に包まれている。
ベッドの上で、沙羅は目を閉じても眠れずにいた。
(……これから、どうしよう)
リュカの宿は清潔で居心地がよい。
リュカも父も気遣ってくれるが、仕事としての宿の手伝いはもう十分に人手が足りていた。
加えて、エルンストの研究室での出来事が頭を離れなかった。
彼の知識欲は恐ろしいほど強く、何かに飲み込まれてしまうような気がした。
秘密を知られてしまった今、これからも通っていいのか、正直わからない。
(お金……)
この世界で暮らすには、食事にも宿にもお金が必要だ。
「エルンストさんのところで……掃除や洗濯の手伝いならできるかな」
沙羅は小声で呟いた。
ただ、彼に深く関わることへの不安がすぐに胸を締め付ける。
もうひとつ思い浮かんだのは――ガルディスの存在だった。
冒険者として街での信頼も厚い。
彼の仕事の斡旋なら、自分にもできるかもしれない。
「……でも、危ない仕事には絶対ついていけない」
沙羅は小さく頭を振った。
不安と希望の間で揺れながら、彼女はようやく瞼を閉じる。
沙羅は誰にも相談出来ずにいた。しかし時間は無駄には出来ない。エルンストの部屋で、文字の勉強をすることにした。エルンストが「本とペンだけでは不安だろう、ここで勉強したら教えてあげられる」と言ってくれたからだ。
――ドサッ。
不意に背後で大きな音がする。
振り返ると、エルンストが椅子から転げ落ち、苦しそうに胸を押さえていた。
「えっ!?」
駆け寄った沙羅は息を呑む。
彼の顔は青白く、額には大粒の汗。
そして――沙羅の目に数字が浮かぶ。
65/920 だった数字が、今は 12/920 にまで急降下している。
「っ……!」
沙羅の手が震える。
(死んじゃう……!どうしたら……!)
恐怖で頭が真っ白になりながらも、沙羅は走り出していた。
――リュカの宿へではない。
彼女の足は、自然とガルディスの姿を目指していた。
「ガルディスさんっ!」
今日は冒険者ギルドにいる、と沙羅は朝偶然ガルディスに会って聞いていた。姿を探す。
ガルディスの表情が、沙羅のただならぬ様子にすぐさま険しく変わった。
「どうした、沙羅!?」
「エルンストさんが……倒れて、息が苦しそうで……数字が、すごく下がって……!」
「……っ、まさか!」
ガルディスは剣も外套も掴む暇なく、駆け足でエルンストの家へ。
床に横たわるエルンストを見て、ガルディスはすぐに状況を察した。
「魔力再生不良症の発作だ。知っているか?」
沙羅は必死に首を振る。
「し、知りません……!」
「魔力が極端に枯渇すると、体が維持できなくなる。放っておけば命に関わる」
ガルディスは自分の鞄を素早く開け、奥から小瓶を取り出した。
濃い青色の液体が入ったガラス瓶――魔力回復のポーションだ。
「本来は戦場で使う高価なものだが……仕方ない」
エルンストの背を抱え、口元に瓶を押し当てる。
「飲め、エルンスト!」
わずかに意識の戻った学者は、かすかに呻き声を漏らしながらも液体を飲み下した。
数字が―― 12/920→112/920 へ。
確かに回復していた。
エルンストの呼吸が落ち着き、顔色にも血の気が戻ってくる。
「……はぁ……助かった……」
弱々しく呟く彼に、沙羅は胸を押さえて泣きそうな声をこぼした。
「よかった……ほんとうに、よかった……」
沙羅は泣いていた。死んだ曾祖母の姿が脳裏から離れなかった。
沙羅はエルンストの看病の為、泊まる事にした。夜、発作から回復したエルンストは、ベッドに横たわりながら沙羅をじっと見ていた。
顔色はまだ青白い。けれど、その瞳には強い光が宿っている。
「……沙羅」
「はい」
椅子に腰かけて見守っていた沙羅は、不安そうに顔を上げる。
「この数か月、発作が増えている。……正直に言えば、いつ死んでもおかしくない」
沙羅は息を呑む。
言葉を失い、拳を握る。
「……でも、今日わかった。君の力は、もしかすると……私を生かすかもしれない」
「わ、私が……?」
「そうだ。君は無意識に魔力を動かした。なら……意図して触れれば、数字を増やせるのではないか」
沙羅は怖さに震えた。
「で、でも……もし、失敗したら……」
「そのときは私の寿命だ」
エルンストは静かに微笑む。
「私はもう、十分だ。……君のせいにする気はない。だが、試させてほしい」
沙羅は胸が詰まり、しばらく声が出なかった。
(どうしよう……でも、もし……もし本当に助けられるなら……)
やがて、小さく震える声で答えた。
「……わかりました」
沙羅はそっと、エルンストの手を握った。
ひどく冷たい。
――その瞬間。
「数値」が浮かんだ。
エルンスト: 112/920
(……増えろ。どうか、増えて……!)
沙羅が必死に願うと、数字がかすかに光り、じわりと変化した。
112/920→ 140/920→ 179/920 → 210/920 → 750/920
「っ……!」
エルンストの胸が大きく上下する。
「……信じられない……!」
エルンストは起き上がり、自分の両手を見つめた。
「ここまで一気に回復するとは……。沙羅、君は……奇跡だ」
沙羅はその場で手を離し、震える声で言った。
「……ほんとうに……できちゃった……」
エルンストは感極まったように息をつき、しかしすぐに沙羅を真剣な眼差しで見つめる。
「このことは絶対に秘密だ。……誰に知られてもならない」
沙羅は強く頷いた。
だが同時に――胸の奥に重い不安が渦巻いていた。
(わたしの力……これから、どうなるんだろう……)




