第65話
「はーい、ちょっとチクっとするわね。……はい、チク」
「うっ……うぅう、まぁあまああっ」
フェイに髪飾りを授けられ、針で少し刺したような痛みに泣き出したヨヒラを宥めつつ。
エルシィは隣に立つトゥルバに視線を向けた。
「ごめんね、トゥルバくん。ヨヒラちゃんと話し辛かったよね……」
「いや。子供の言いたいことは、どこもそれほど変わらねーよ」
トゥルバの白い髪にも、フェイの分身扮した髪飾りが添えられている。
すっかり頭から抜け落ちてしまっていたが、トゥルバとヨヒラは別言語であったのだ。慌ててフェイに頼み、これで一応、全員が安全に意思疎通可能となった。
大所帯となった一行は、聖女の転移魔法で無国籍自治区に飛び、今はセオドアが宿泊場所の交渉を行ってくれている。
ただ、流石にこの人数だ。ウィズィとルーシェはひとまずとして、流石に難航しているようである。
セオドアは受付で何度か頭を抱え、鍵を持って戻ってきた。
カウチに腰を下ろすエルシィ達を見渡し、二つの鍵を見せる。
「大部屋が空いてなくてな。部屋分けしようと思うんだが。まず、奥さま──は、後で」
エルシィと同室を勝ち取ろうと、聖女達が割と勢いよく立ちあがろうとするので、セオドアは一旦、エルシィのことを脇に置いておく。
幻想生物たちが、一斉に己の聖女を宥めて座らせてから、シテラが片手を上げた。
「私とフェイは別室でお願いします」
「!? なんでよ!?」
「むしろ、なぜ同室である必要が? 潔く男女で別れましょう」
「聖女トゥルバと離れろとおっしゃるのですか……?」
周囲に人の目もあり、大きな声では話せないため、トゥルバに背負われた銃が控えめに声を発する。
チェンノッタの肩に止まっているウィズィが、片翼を上げつつシテラに賛同した。
「おうおうおうシテラねーちゃんの案は妥当だと思うぜ! まだ小さいヨヒラを御母堂様から離すわけにもいかねーだろーしよ!」
「そっか。うん、僕はそれでいいよ」
「そう言うことなら、俺も異論はない。お前もそれでいいな、ルジー」
もごもごと何事か言いかけていたルーシェだったが、トゥルバの一言に数秒、沈黙する。
「……我が聖女のご指示とあらば」
不服そうだが渋々了承する彼女に、エルシィはやや気の毒に思いつつ、セオドアを見上げた。
「わたしもそれで良いですよ。旦那さまも、良いですか?」
「多勢に無勢だ、従おう」
彼はエルシィと視線を交えた後、肩を竦めて頷く。
聞き分けの良い返答に、思わず面食らった。セオドアならゴネそうだと思っていただけに、彼を過小評価していた自分が恥ずかしい。
微妙に顔が見られず、よそよそしく鍵を受け取ったエルシィの片手に、彼はそっと指を絡ませた。
え、と頭が反応する前に引き寄せられ、唇が触れ合い鼻先が擦る。
セオドアは目尻を緩ませエルシィを見つめ、再び優しい仕草で指を離した。
「こっちの部屋は向かい側だ。何かあれば俺を呼んでくれ、奥さま。……絶対だぜ」
片手を振って身を離し、呆けた様子のチェンノッタを抱えて、彼は鼻歌まじりに歩き出してしまう。
真っ赤な顔で体を硬直させるエルシィを、腕にしがみついたルヴィナとメイイェンが、覗き込んだ。
「ママ、セオドアさまと何かあったの?」
「さぁさぁ早く、あたくしたちの心を育む、栄養の餌食になりませ!」
嬉々として引きずっていく聖女二人に抗えず、エルシィは掠れた悲鳴をあげるしかない。
同情気味に生ぬるい視線を寄越すシテラと、彼女に抱えられたヨヒラの不思議そうな顔が、ますます居た堪れない状況だった。
「納得いかないわ……!」
深夜。
宿泊施設の一角にあるバーラウンジの半個室で、フェイがハンカチを噛み締めながら訴えた。
「奇遇ですね、こちらも納得がいきません」
「そうよね、そうよね、あーなんでシテラってば、同室拒否しちゃうのかしら!」
サボテン状態のルーシェが、大きな一つ目をぐるぐる転がしながら、フェイに同意して軽く跳ねた。
膝ほどの高さにあるテーブルには、見たことのない珍しい軽食が色とりどり並んでいる。
曲線の美しいガラス瓶には氷が敷き詰められ、綺麗な色合いの細い瓶が3本ほど入っていた。
1人がけ用のソファーは二つ用意され、それぞれフェイとルーシェが座り、その向かい側の2人がけソファーに、エルシィとセオドアは腰を下ろしている。
エルシィは究極の場違い感に、もはや気絶しそうであった。
「奥さま、夕飯あまり食べなかっただろう。これなら食べやすいんじゃないか?」
「ぇへっ、は、はい、お気遣いありがとうございます……」
セオドアが差し出してくれる、パンの上に少しずつ野菜が乗った料理は、確かに美味しい。
だが隣で氷を揺らしながら、琥珀色の飲料に口をつけるセオドアに、エルシィはそれどころではなかった。
ここしばらく、落ち着いて話をすることがなかったので忘れていたが、エルシィの夫は驚くほど顔がいい。黙っていれば巷で噂になること間違いなしの顔面なのだ。
現に、最初に食事を届けにきた給仕たちも、皆一様に惚けた表情でセオドアを見ていく。
エルシィはこの事実をすっかり忘れていたのだ。横を見ては心臓が潰れてしまう。
というか、自分はどうしてここにいるのだろう。
子供達を寝かしつけて、ふと何故かセオドアに挨拶をしなければと思い立ち、向かい側の部屋に行けば、フェイに捕まったのである。
トゥルバの様子を見について来たルーシェと、出迎えてくれたセオドアの襟を掴み、そのまま引きずられて来たのであった。
「……いや、なんで? あのフェイさん、わたし、お酒も飲めないし、なんでここに……!?」
「そりゃ、夫婦の時間を作ってあげるついでに、アタシの愚痴も聞いてもらおうと思って」
「ふ……!?」
「だいたい、納得いかないのは、ハープシコード、アンタのこともよ! すっかり落ち着いてくれちゃって、いつもの道楽者はどうしたの? これじゃただの顔面偏差値が天元突破した良い男じゃない!」
フェイが飲んでいるのは酒類ではないのだが、完全に絡み酒である。
セオドアは面倒そうに視線を逸らし、エルシィの肩を腕の中に引き寄せた。
「こんな場所で騒がないくらいの常識は持ち合わせてる。当たり前だろ、俺の奥さまは地上の女神だぜ」
「そこに異論はないわ」
「真理ですね」
「みんな正気に戻って!?」




