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第107話




「……し、あど」


 何故か声が震える。

 シアドは五年前以上に、目を奪われるほどの青年に変貌を遂げていた。

 何か採掘作業でもしていたのが、背負う用具入れから道具が突き出して、両手は黒ずんだ手袋をしている。それでも目にかかる前髪が風に揺れれば、青と真紅のオッドアイがアリスを射抜いた。


 心臓が跳ね上がって、五月蝿いくらいに身体中を鼓動が駆け巡る。同時に背中へ冷や汗が流れて、アリスは眉尻を下げた。

 彼女が視線を地面に下げると、シアドはぐっと奥歯を噛み締め早足に歩み寄ってくる。


 怒らせてしまったのだろうかと、アリスは目の前にきた彼を見上げ、無意識に衣服を握りしめた。


 彼は衝動的に両手で触れようとして、はたと気が付き手袋を外し、パタパタと衣類に付着した汚れを落としてから、大きく咳払いする。

 そして改めてアリスの頬を両手で包むと、そのまま──思いっきり左右に引っ張った。


「いひゃいいひゃいっ」

「オメー様よくもこの俺様から散々逃げ回ってくれたもう逃さねーぞ手取り足取り腰取り根掘り葉掘り全部暴いてやるからなこの【自主規制】━━ッ!!」


 積年の恨みかと言わんばかりなシアドの怒号に、鳥たちが一斉に羽ばたいていった。




 シアドたち兄妹はこの場所へ、術式を書くために使う鉱物の採取に訪れていた。

 各地に現れる樹海では稀に鉱物が採取でき、その鉱物を砕いて液状にするだけで、シアドが持つ特別な力を具現化できるのだという。

 最深部と言っても過言ではない場所で作業をし、双子が飲料水の確保に出かけたところ、先ほどの怪物に襲われたのだ。

 兄が施した術のおかげで軽傷で済んだが、アリスが現れていなければ、命の危険すら伴う状態であった。

 

 アリスの両腕に腕を絡ませ縋る彼女たちに、アリスは目を点にしながら、歩みを進める。

 半ば連行されるような形になっているが、一体何事なのだろう。シアドがそれはもう激怒しているので、着いてこいの一声に頷くしかできず、背後で付き従うトゥーラのにこやかな笑顔も、また癪であった。

 

 アリスたちが案内されたのは、柔らかく発光する鉱物が、いくつも連なる場所だ。

 洞窟の行き止まりのような場所で、誰かが採掘用の工具を片手に、軽く合図する。


「ハッセンカ! 一人にしてすまん、大丈夫だったか」

「何事もないよシアド、それより双子ちゃんは……、あれ?」


 艶のある黒髪に、青灰色の瞳を持つ青年は、シアドと同じくらいだろうか。

 顔立ちが周辺民族と違っているが、言葉遣いはサキソフォン家が外交目的で定めた公用語である。

 彼は目を瞬かせてシアドを見上げ、そして再びアリスに視線を戻すと、パッと顔を輝かせた。


「ああ、もしかして、シアドの女神ちゃん?」

「しあどのめがみちゃん?」

「ダァから違うって言ってんだろーがよハッセンカ!! こいつは研究対象だよ!!」

「生涯の愛について? 熱烈だねぇ」

「余計な脳内変換を口から出力すんじゃねぇええッ!!」


 真っ赤な顔で叫ぶシアドの半歩後ろで、アリスはキョトンとするしかない。

 ハッセンカ、と紹介された彼はシアドの友人で、研究助手として協力しているのだという。

 握手を求められ、その場の勢いに押されて片手を差し出すと、豆のできた手の平に優しく握り返された。


 無骨な手は武器を握るというより、農作業や採掘作業を行う職人の手に似ている。

 ハッセンカは興味津々にアリスの顔を見つめ、双眸を柔らかく崩すと首を傾けた。


「初めまして、シグリード王。僕のことはどうぞ、ハッセンカと。いやぁ本当に綺麗な人だね。思わず跪きそうだ」

「はぁ、ありがとうございます?」

「ふふ、不敬も許してくださる寛大なお心、恐れ入ります」


 あまり自覚はないが、そういえばアリスは領主であった。

 手を放したアリスも、己が連れている従者二人を紹介すると、エリザヴェータが僅かに進み出る。


「我が王。ここでの作業は危険も伴いますし、我々が護衛してはいかがでしょうか」

「護衛ですか?」

「先ほどお二方が襲われたように、安全は保証されておりません。ですのでここは、手を組み合うのが良き選択かと」


 穏やかに目尻を下げるエリザヴェータに、アリスはやや瞠目して視線を泳がせる。

 シアドに目を向ければ、彼は眉間に皺を寄せたまま、アリスの手首をむんずと掴んで引き寄せた。


「護衛云々は別として、オメー様は終わるまでいろ」

「え……」

「いや、終わってからも俺と行動しろ。さっきも言ったが絶対に逃さねぇからな、いいな、わかったな、返事」

「待て待て、待ってくれハープシコード」


 成り行きを見守っていたトゥーラが、呆れた様子で止めに入る。

 シアドのオッドアイが剣呑に細まり、相手を視線で射殺さんばかりに殺気立って、トゥーラを睨んだ。岩肌に打ちつけた靴先からは、五年前より更に洗練された力が迸り、美しい白の稲光が立ち上る。

 見えずとも皮膚が痛むほどの気配に、トゥーラは恐れることなく、手慣れた様子でアリスから彼を引き離し、片手を眼前に掲げて制した。


「おひぃ様にもご予定がある。だが、アナタの心配事や不安は多少理解しているつもりだ」

「あ゛ぁ?」

「十日ほど待ってくれないだろうか。正式に書状をだし、ハープシコード領へ滞在許可を受けたい」

「……そんで?」

「期間は一ヶ月。その間、友好的に交流したい」

「一年だ」

「だめだ、一ヶ月」

「半年、いや、さん、……よ、いや、二ヶ月で手を打ってくれ」


 苦虫を百匹程度噛み潰した顔で、シアドが2本の指をトゥーラに突きつける。彼なりの譲歩なのだろう。

 だがアリスからすれば、トゥーラの提案は晴天の霹靂もいいところ。驚きすぎて口が開閉するだけで、続く言葉を紡げなかった。

 褐色肌の従者はアリスを一瞥し、やれやれと息をついて、彼女に向かって声を顰める。


「おひぃ様、オレの独断をお許しください。ここは穏便に解決しましょう。このまま押し問答しても、彼は今度こそ諦めませんよ」


 アリスは困惑を隠せず眉を下げ、トゥーラを見つめる。

 そしてシアドの懇願にも見える双眸と交わってしまえば、諦めて頷くより他なかった。


 この時のアリスは混乱しながらも、内心、無自覚に喜んでいた。偶然にも再会し、シアドの心は相変わらず読めないが、向けられる視線は5年という歳月の中で、誰よりも柔らかく心音を浮つかせる。

 指摘されれば否定できないほど、二ヶ月もシアドの側にいられる大義名分に、浮かれていたのは事実だった。


 だからアリスは気が付かなかったのだ。


 

 トゥーラの隣にいるエリザヴェータが、どんな表情でシアドを見ていたのかを。

 

 


 


 

 



 

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