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第106話




 世界に変化が訪れたのは、五年の月日が経った頃だった。

 アリスの尽力のもと、サキソフォン家がそれまで一番配下の多かった勢力を退け、世界の覇権を制したのである。


 彼らは自らの組織をシグリード(全ての導き)と名乗り、活動を広げていく。

 

 その頃の彼女は、美の女神さえ震撼し平伏すると言われるほどの美貌に、誰も寄せ付けない絶対的な力を宿していた。

 それはもはや人域を超え、恐怖心すら植え付ける姿だと、人々は言う。

 アリスの存在は、同じ民族はもとより、彼女に付き従う他民族にすらその崇拝を広め、王者として世界に君臨することになる。


 神と同格にすらなった彼女だが、正直に言えば、世界情勢などどうでもよかった。


 激化していた争いに介入し、己の力で沈静化すれば、確かに敵勢は膝をついて許しを乞うた。

 己の故郷は戦利品で潤い、還元されて人々の生活は向上し、それにあやかう他民族との交流も盛んになった。

 トゥーラと共に各地を周り、破壊された生活を修繕していけば、敵意を向けられることもあったが、人々から感謝もされた。


 次第に声は大きさを増して、多くの人間がアリスを慕っても、彼女は表面を取り繕うことしか出来なかった。


 そんなアリスでも唯一、己の意思で行なっていた事がある。

 着々と外交によって富を蓄えていく、ハープシコードに介入する輩を、徹底的に退けることだ。

 それは自民族であっても等しく、誰も彼らに手出しを許さなかった。

 何故かと問われれば、数日でも衣食住を提供してくれた謝礼だと言い張り、己の主張を押し通す。


 アリス自身も、彼らを気にかける理由は分からない。

 ただの子供であった自分は、彼らに踊らされ、無様にも手の内を少し明かしてしまっている。シアドは優秀な男だ、アリスの力を分析し、もうとっくに自らのモノにしてしまっただろう。

 そう思いながらも、彼らの穏やかな生活が害されるのだけは、どうしても我慢できなかった。


 しかし彼女はこの五年、一度もハープシコードの領土に足を踏み入れていない。


 毎晩、賑やかで寂しい夢を見るたびに、アリスは己の心に泣きそうになるのだった。




「……調査では先遣隊が侵入できたのは、ここまでだと言います。どうしましょうか」


 空の光さえ満足に届かない樹海。鬱蒼と生い茂る草木は異様に成長し、咲き誇る大輪もあまりに大きく、花粉が目に染みるほどだ。

 汗を拭って顔を上げたアリスは、誰かを誘うように下方へ続いていく穴を覗き込む。


 数日前より突然、世界で森林の一部が巨大化し、まるで一つの生き物のように活動を始めたのだ。

 中には植物に襲われたという事案もあり、人々の生活が少しずつ脅かされ始めている。

 アリスは領民の依頼を受けて、複数の部隊を率いて調査にあたっていた。

 

 アリスが生成した明かりを手に、穴の入り口を照らす従者へ、彼女は眉を寄せたまま視線を向ける。


「エリザヴェータ。貴女から見て、ここはどう見えますか」


 名を呼んだ彼女、──エリザヴェータは、深い海を思わせるグラデーションの長髪を揺らし、片手を頬に当てて暫し考え込んだ。


 エリザヴェータ・バスガイゲ。柔らかな銀の垂れ目に、甘やかな相貌が印象に残る女だ。

 一年ほど前に臣下に降ったバスガイゲ一族の人間で、彼女もアリスと同様に不思議な力を扱える。後々は一族の長に就任するだろうと言われる人物だ。

 エリザヴェータは出会った頃から、神格化されたアリスを慕い、トゥーラと共にどこへでもついてきてくれる。おっとりとしながら実力は指折りの、力の使い手であった。


 彼女は斜面を照らし、アリスと同じく眉を顰める。


「暗くてよく見えませんが、あまり良い感覚は受けません。何か生物がいる気配も、若干ですが致します」

「オレが先に行きましょうか」


 背後を警戒していたトゥーラが、視線を投げかけてくる。

 アリスはどうしたものかと腕を組み、ふと、微かに物音が聞こえて再び穴を覗き込んだ。

 小さな音でも拾えるように、指先で円を描いて己の力を可視化させれば、野花が芽吹いて一斉に空中へ咲き誇り、一気に空間を広げていく。


 三人の耳が、やはり何か音を捉えた。

 それは穴の奥から聞こえ、悲鳴と助けを呼ぶ声に鮮明となる。


「っ行きましょう」


 背後で様子を伺う数名の配下を残し、アリスはエリザヴェータとトゥーラを連れ、穴に飛び込んだ。

 急な斜面はしばらく続き、ようやく視界が明るくなった刹那。目の前で二人の少女が、何かに投げ飛ばされて空中へ放り出される。


「トゥーラ!!」

「おまかせを!」


 アリスの叫びへ即座に応じ、トゥーラが地面を蹴って二人を抱き止める。

 衝撃を両足で殺しながら着地すれば、目を回した少女らが、ハッとして顔を上げた。


「ま、まぁ、どなたでしょうか」

「ありがとうございますわ!」


 パッと顔を上げて礼を述べた二人は、非常に見覚えがある。

 一つ結びを上か下かで区別している双子の姉妹に、アリスは目を丸くして足を止めた。


「……貴女がたは……」

(あね)さま!」

(あね)さまだわ! 早くここから離れ、痛っ」


 柔らかなレッドブラウンの髪を揺らす姉妹のうち、フィンカが足を押さえてよろめいた。

 トゥーラが確かめれば、足首から血が流れていて、青黒く腫れ上がっている。寄り添うユーフェの額にも傷がつき、同じく青黒い痣が出来ていた。

 視線を巡らせると彼女たちの対角線上に、歪な花を咲かせる何かが蠢き、生物のごとく動き回る蔓を地面に叩きつける。

 自分たちの背丈をゆうに超える、巨木にすら届く花の集合体だった。

 

 アリスは姉妹の痛々しい様子に、頭に血が上るのを自覚する。

 慌ててエリザヴェータが治療を施すのを背に、己の足元へ一斉に野花が芽吹いた。自身を取り囲む球体の陣は、鮮やかな薔薇の花を纏って大輪を咲かせる。

 空中から幾重も管が伸び、大小様々な筒が連なる武器が出現すると、アリスは両手で構えて腰を落とした。


 片目を覆うスコープ越しに怪物を見定め、地面を踏み締めて引き金をひく。


「穿て、バジアステイロ……!」


 凄まじい爆発音と共に、発砲された細い()()の弾丸が、怪物目掛けて放たれた。

 奇声を上げた怪物はなす術もなく、森林の何割かを削り取って吹き飛ばす。

 あまりの威力に、爆風の余韻が数十秒続き、周囲の木々も薙ぎ倒された。


 その全てが収まってから、アリスは銃器を空気に溶かすと、息を吐き出す。

 燃え殻となった怪物に近づこうとして、背後から抱きしめられ、腹が締まり呻き声を上げた。


「ぐえっ」

「姉さま! 姉さまだわ、会いたかった!」

「どうしてあたくし達を避けてたの、姉さま!」

「ふ、たりとも、力がつよい、です……」


 もう逃さんと言わんばかりに、ギリギリと体を絞められ、アリスが青い顔で二人の腕を叩く。か弱き少女では出せない、尋常でない力である。流石にアバラが折れそうだった。

 イヤイヤと顔を振る二人に動揺し、何が何やら分からないまま混乱するアリスは、別の足音が聞こえて顔を上げた。


「ユーフェ、フィンカ!! 大丈、……ぶ、か……」


 抉り取られた森林を横目に、随分と汚れた様相の男が植物の間から飛び出してくる。

 アリスの頭一つ以上も長身になった彼は、双子に押さえつけられたアリスを見つめ、大きく目を見開いた。



 

 

 




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