085 必死の救命ファーストキス
苦しい、俺が意識を失いそうだ。人工呼吸舐めてた。そもそも病院じゃ道具使ってやるもんな。今の医療の世界でマウストゥマウスの人工呼吸なんて無いに等しい。それ用の道具もあるけど使ったって話を身の回りで聞いたこともない。自分がこんなに苦しいとは思わなかった。アーニャに人工呼吸をはじめて5分経ったか? 自発呼吸がしっかりしてくるまで人工呼吸で持ちこたえようと思ったけど俺が過換気症候群で先にダウンしそうだ。
「ロナ、水、お願い、飲みたい」
人工呼吸に驚いてたロナだが、必死な俺を見て意味は分からなくても騒ぐことなく見ていた。俺は喉を潤したくて水を頼む。そしてすぐに人工呼吸を続ける。これが心肺停止だったらまた違った対応になっただろう。心臓マッサージだけでしのぐこともできたかもしれない。最近では、心臓マッサージをやるだけでも肺も圧迫してある程度呼吸させることができるってなってたもんな。だけど、アーニャは心臓には大きな影響がない。心臓を圧迫し続けるなんて、別のダメージを与えそうでできない。
ヤバイな。これ恐ろしく苦しい。過換気症候群ってやつだ。過換気の経験がない人でも、浮き輪とかを急いで膨らませようとして必死にやってたら、頭に血が上ってボワーッなったりするあれだ。このまま続けてたら意識を失う。とは言え大きくペースを落とすとアーニャが苦しむ。
アーニャは自分で呼吸ができずに苦しみ、俺は呼吸しすぎで過換気状態だ。
あ! 換気能力を下げればいいんだ!
( ガス交換能力 4 )
過換気が換気し過ぎで起こる症状なら、換気能力を下げれば症状が出にくくなるはず。それでバランスがとれるはずだ!
狙い通りにいくことを願いながら人工呼吸を続ける。しばらく続けるとボーッとなりかかってた頭がすっきりしてくる。上手くいった。これなら俺が過換気で意識を失う心配はない。あとは体力勝負だ。
「アーニャ、なんとかしばらくはやれそうだ。頑張れよ」
わずかに首を縦に動かしたような気がした。だけど人工呼吸を続けながらアーニャの胸が上下するのを見ているが、自発的に動いてる様子はない。たぶん呼吸はもうほとんど止まってるんだろう。
過換気気味な状態が改善して頭がクリアになった。必死でやっていた人工呼吸のせいでアーニャの綺麗な顔がべたべたになってるのに気づく。
「ロナ、タオルとって」
「はい」
異空間収納より素早くタオルを取って渡してくれる」
「アーニャ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。だけど時間はかかるかもしれない」
人工呼吸の合間にアーニャの顔を拭いてやりながら答える。そうだ俺の体力が続く限りは大丈夫だ。だけどこの神経毒、どのくらいの時間で効果が切れるんだ。そもそも効果が永遠だったらどうしよう。凄く不安になってきたけどそんなことは顔にはださない。患者の前で不安げな様子を見せないのが看護師だ。
「ロナ、俺がやってるのを見て、覚えてくれないか?」
俺の体力が持たない場合のことも考えろ。ロナにも人工呼吸を覚えてもらって交代でやれば時間はかなり稼げるはずだ。技術的にはそんなに難しくない。俺だってマウストゥマウスの人工呼吸は初めてだ。知識として知ってるのと、道具を使っての換気の経験があるだけだからな。
「私にできる?」
「ああ、できるよ、手の位置、口の当て方、よく見て」
「わかった」
人工呼吸を続けながら、説明もする。ガス交換能力を操作したからか、いくら人工呼吸を繰り返しても俺が過換気症状を起こすことは無い。体力的にもまだまだ余裕がある。ちょっとコツをつかんできたのか、ちょっと大きな呼吸をする程度の力で人工呼吸ができるようになってきた。とは言え、アーニャは変化がない。喋れない、息ができない状態から改善がない。いつから話す力がなくなったのか分からないけど、最後まで泣き言いわなかったな。でもこの状態ってすっごい怖いと思う。自力で生命維持ができない状態で他人にそれを委ねるんだ。怖くないわけがない。
「アーニャ、俺、人工呼吸が凄く上手になってきたかも。一応長くなるかもしれないからロナにも覚えてもらおうと思うけど、心配しないでね、まだまだ全然平気だ」
気休めだが、なるべく笑顔で話しかける。
「本当はロナに交代したくないくらいだぞ。アーニャの唇をロナに奪われたくないからな」
俺の中は不安でいっぱいだがあえて冗談を言う。毒がぬけるかの保証もない。いつかぬけると信じてやるしかない。だけどそんなの顔にだせない。自分の不安など顔に出さず、俺なりにいい笑顔をアーニャへ向ける。そういうやりとり、いや俺からの一方的な語り掛けを繰り返しながら人工呼吸を繰り返す。
どんな悲惨な状況でも患者の前ではそれを表に出さずに関わる。そんな元の世界での日常が役に立ってるな。
森の方向からは、ゴーっと大きな音がしてる。チラッと見ると竜巻が発生していた。大きくはないとは言え森全体が燃えてるんだ。凄い上昇気流が発生してるんだろう。なんか動画かテレビで見たことがあるな。えーと……あれだ。火災旋風だってやつだ。それが何本も立ち上がっていた。
森から聞こえるゴーっという音が小さくなり、パチパチと気が弾ける音に変わってきた。どれくらいの時間がたったんだろう。曇ってるのか煙なのか分からないが太陽が隠れてて時間が分からない。結局俺一人で継続するのは厳しくなり、ロナに交代してもらいながら人工呼吸を続けていた。最初うまくできなかったロナも、もう今では俺と変わりない感じに空気を送り込めている。ロナは体力がないから長くは続かないけど、ちょっと変わってくれるだけで大助かりだ。もちろん俺は自然治癒力を10の全開まで上げて短時間で最大限体力が戻るようにしてる。ちなみにロナは魔族だからか過換気の症状は起こさないみたいだ。
ロナと交代して人工呼吸を続ける。しっかり息を吹き込んで、息を吸いでアーニャの目を見て笑いかける。大丈夫、大丈夫と繰り返し伝えながら。
「あり……が……とう」
!?
「ケンジ! 今のって」
ロナがアーニャの頭元へ急いて寄ってくる。
「アーニャ、話せるの?」
「……少し……だけ……」
やっと声が出せるって感じだ。
「まだ……苦しいけど……」
「自分で息できてる? まだ続けた方がいい?」
「……自分で……だと……ボーっと……してきた……かも」
ああ、良かった! 毒が抜けてきたみたいだ。本当に良かった。
「わかった。アーニャ、もう少し続けるよ」
俺はアーニャの肺へと息を吹き込む。作業化しつつあった人工呼吸、とにかく長時間続けられるようにすることだけ考えてた人工呼吸だったが、急に胸に熱いものがこみあげてくる。
「よかったよ、アーニャ、もう大丈夫だと思う。もう少しがんばれ」
アーニャの頬に水滴が落ちる。俺の涙だ。うれし涙だ。数時間人工呼吸を続けてたんだ。涙なんて恥ずかしくもなんともない。とにかく嬉しい。溜まってきた疲労なんて完全に忘れた。
「ごめん……ね……私……が、何も考え……ないで……行動したせいで」
「はは、反省したんだ。色々考えてたの?」
「う……ん」
「まぁアーニャは戦闘のことになると、積極的になり過ぎることがあるもんね、腕試し気分な感じ?」
「そう……かも」
人工呼吸のペースはかなりゆっくりになってきた。合間にする会話も、ちょっとづつ話しやすそうになってきてる。
そしてアーニャの手が動いた。アーニャの顎を支える俺の手に弱々しく触れる。
「また……助け……られちゃった……ね」
「また?」
「うん……喘息……いつも症状……消して……くれてる」
「ああ、そんなことか」
「ふふ」
笑った。ほとんど無表情に近かった表情がハッキリほほ笑んだって分かる動きを見せた。どんどん改善してるのが分かる。もう心配ない?
「ケンジ、もうアーニャは大丈夫なの?」
「ああ、回復傾向だし、もう大丈夫だ」
「よかった。よかったね、アーニャ」
コクンと頷くアーニャ。どんどん動きが増えてる。そろそろ人工呼吸も必要無くなるか? 安心感から余裕が出てきたのか、ちょっとだけ人工呼吸をやめるのが惜しまれる。とは言え必要ないのに続けてたら変だしな。どんどん改善しているのを感じながら人工呼吸を続ける。
胸の上下する動きがハッキリ分かるようになってきた。呼吸音もちょっと弱々しいけど聞こえる。
「どう? もう自分で呼吸できる? 深呼吸できる?」
アーニャが、自分で深呼吸しようとする。俺は胸の動きを見る。人工呼吸の途中でチェストプレートは外した。アーニャの大きな胸がしっかり上下したように見えた。というかずっと胸を見てたのに今までその立派な胸を意識できずにいたな。必死だったんだな、俺。
「できる……みたい……」
「よかった。もう安心だよ」
「でも、もう一回だけ……おねがい」
「わかった」
これが最後かな。やっぱり惜しまれる気持ちになってしまう。あくまでも救命のための行為だけどね。
俺は大きく息を吸い込み、しっかりとアーニャの口に自分の口を密着させる。そして息を吹き込もうとすると、俺の顔がアーニャの手に挟まれた。予想外な行動に息を吹き込むのを忘れ時間が止まる。弱々しいアーニャの手に挟まれ動かないでいると、チュ、チュっとアーニャが顔をずらし小さくキスを繰り返した。俺はどうしていいか分からず、アーニャのなすがままだ。繰り返される小さなキス。
どのくらいの時間だったの分からない、凄く長かったような一瞬だったような。そして弱々しい力で俺の顔が押しのけられる。
少し離れて見たアーニャの顔は、色白な頬を綺麗なピンク色に染めていた。
「ありがと。でも……ファーストキスは……人工呼吸じゃなくて……今のってことで……いいよね」
恥ずかしそうな顔でチラチラと俺の目を見てそう言う。ああなんて可愛らしいんだろう。普段見せない弱々しさが相まって、その可愛らしさは天井知らずだ。いや毒の症状を喜んじゃダメだけど、だけど本当に可愛らしいんだ。
思わずアーニャの背中に手をまわして上半身を起こし、強く抱きしめる。
「こっちこそ……助かってくれてありがとう」
また涙があふれ出た。




