074 大神官は慢性硬膜下血腫
案内された部屋は寝室だった。と言っても急に色気のある展開になるわけじゃない。寝室のベッドの上には50代に見える、どう見ても日本人の男が横になっていた。
「ケンジさんのスキルで私の父を治療できないでしょうか」
聖女メグミの父……ということはこの男が話に聞いたことがある大神官なのか。俺への話ってのはそういうことか。
「俺のスキルは体調管理、人の体調を操作する能力ですよ。治療は貴方の専門では?」
「私のスキルは外傷には効果がありますが、慢性の病や症状には効果が出ないのです」
「じゃぁこの方は、内科的な疾患なんですか?」
< 血中酸素濃度 5 >
ガス交換は正常に行われてて呼吸器系が弱ってる様子はない。
< 心機能 5 >
心臓も普通だ。
< 腸蠕動 5 >
消化器系も普通に動いてる。ザックリ主要な機能を見ても異常が分からない。となると内分泌系とか?
「違います。ケンジさんなら分かると思いますが慢性硬膜下血腫だと思われます」
なるほど、それならこの状態も納得だ。
「こうなる前に頭部を打ったんですか?」
「はい。マクシムさんとサユリさんが王都から消えてすぐの討伐隊に参加し、その時落馬して頭部打撲しました」
「その時はただの打撲と思ったけど1ヶ月くらい経過して症状が出てきた……って感じですか」
「その通りです。すぐに回復スキルを使用して内部の出血は止まったと思われますが、すでに大きくなった血種にはどうやっても効果が表れず、最初はわずかに保っていた意識も今では目を開くことも無くなってしまいました」
そういう聖女は拳を握りしめ悔し気だ。
「ケンジさん、あなたも元の世界では医療関係者ですよね」
「はい、看護師でした」
「看護師でしたか……」
「あなたは医者ですよね?」
「そうです。でも研修医になってすぐにこの世界に召喚されてしまい医者としての経験は少ないです」
この聖女と大神官が召喚されたのって10年前って話だったよな。ん? そうするとこの聖女メグミは何歳だ? 医大にストレート合格して一度も留年せずに卒業しても24か25歳だ。そうすると少なくとも34歳以上ってことか?! 30代半ばにしては随分と若く見えるな。アンチエイジングに回復スキルが役に立ってるとか? おっと今はそんなこと考えてる場合じゃない。
「医療の知識をベースにしたその回復スキルでも治療ができなかった」
「はい。私が治療できるものは急性期の外傷だけ、慢性硬膜下血腫には効果が出ませんでした」
「そうですか、でも俺のスキルも役に立てるか、小さい血種なら経過観察で改善することもあるらしいですが、意識を失うほどとなると。たとえ俺のスキルで代謝を高めても血種が吸収されるってのは厳しいんじゃないかな」
「何かいい方法は無いでしょうか」
根本的な治療は外科的治療だもんな。頭蓋骨に穴掘って溜まった血を抜く。それだけだ。この大神官の場合聖女のスキルで出血部位は治療されたが血種がそのままで、それが脳を圧迫したままとなり意識障害が続いてるってことだろう。それでもこの状態がキープできてるってのは、やっぱり聖女の回復スキルのおかげか。ハッキリ言って俺のスキルを応用して治療できるようなものじゃないと思う。研修医までだとしても一応医者なんだから聖女が外科的治療をやるしかないんじゃないかな。
「穿頭血腫除去術はできないんですか?」
俺は看護師歴9年でそのうち6年は手術室だ。慢性硬膜下血腫の手術は何度も見た。脳外科の手術の中では定番で使う道具も少なく、頑張れば聖女にもできるんじゃないかと思う。
「それも考えましたが、私はその術式は一度見ただけでして、父の意識があれば詳しく教えてもらって行うことができたのかもしれませんが」
「でもそれしかないんじゃないかって思うんですが」
「そうかもしれません。でも道具も無いし、麻酔も消毒も抗生物質も無い状態で手術など」
ああ、そうだったここは異世界だった。医療が魔法中心であり内科疾患には薬屋が対応する世界だ。きっとこの世界では頭蓋内に血が溜まってこうなる症状なんて知られてすらいないかも。
「なんとかならないでしょうか?」
「申し訳ないけど俺も外科的治療しか思いつかないですね」
「そうですか」
あからさまに落ち込む聖女。あの気の強い鋭い目の聖女はどこいった?
「いやそんなに落ち込まなくても、外科的治療をやればいいじゃないですか」
「どうやって? 必要な物が何もないのに? 技術だってないです」
「んー、まぁそれはなんとかなると思いますよ。この術式に必要な道具って大工道具みたいなので代用できますし、俺のスキルで痛覚を操作できますから麻酔は必要ないです。滅菌はできなくても煮沸消毒はできるし、消毒はできなくても抗生物質の代わりは俺のスキルで体の免疫力を高めればいい」
おお、思いつくままに言ってみたがほとんどの条件をクリアーできるじゃないか。後は技術だけだ。
「あとは技術だけ……ですね」
「この硬膜下出血の術式は何度も見てきたんでアドバイスできると思います。それにちょっと失敗したってあなたの回復スキルでなんとかなるでしょ? 切り過ぎたとかは外傷なんだから」
「……私にできるでしょうか?」
「やらなけりゃ、ずっとこのままですよ?」
父親である大神官に目を向け、真剣に考える聖女。そして覚悟を決めたのか俺の目を見て言う。
「わかりました。穿頭血腫除去術を行います。どうか協力をお願いします」
経験のない手術をやるうえにその対象は自分の父親だ。手術が日常だった俺よりずっと覚悟がいるだろう。俺としては聖女には恩を売っておいて損はない。できればそれと引き換えに、俺がやった仕返しについては口外しない約束をとりつけておきたい。この世界に来てすぐのスキルをあれこれ試してた時期とは言え、アーニャに変態だと思われるのは嫌だからな。でももしかしたらあれが俺のスキルだと気付いてない可能性もあるんだよな。余計なこと言って気付かせてしまうのもヤバイ。こりゃ言うか言わないか悩むところだ。
とりあえずは、この手術を成功させるために集中して頑張ろう。
王国の政治には関わらず、のんびり過ごしていた俺にやることができた。まず聖女と手術の内容について話すと必要な手術道具について、まるで把握できてないことが分かった。俺は飽きるほど準備してきたから今でもはっきり覚えてる。なので代用できそうな道具集めは俺の仕事だ。さらに手順も教える。解剖学的な知識は十分な聖女だが、実際に手術を執刀したことがないため正確な手順など知らない。研修医1年目の人にいきなり執刀しろって無茶をするんだ。俺が見てきたこと経験したことを図に描いてみたりしながら教えていく。それでも回復スキルのおかげでかなりの部分を省略できる。普通の医者だったらまずは傷を閉じる縫合の方法、糸の結び方から練習してるけど、聖女には圧倒的な回復スキルがあるからね。そんなの覚える必要がない。
不思議だな。医療の代わりに回復魔法が発達してる世界で手術の準備をすることになるなんてね。




