「俺の彼女をお前にやるから、お前の彼女を俺にくれ」
ごきげんよう、じゃなくて「おはよう」
なじみ深い挨拶をしてくれた声の主に、俺も安堵の笑みを浮かべて振り返った。
「おはよう、結心」
彼女は夢原 結心。この学校のもう一人の『一般特待生』かつ、俺の彼女だ。
背筋をなぞるように伸びた深いチョコレートブラウンの髪に、年相応に幼さを残しながらも、大人びた印象を残す知的な顔立ち。
俺と同じ、高校と進学先の学費の免除を目的に、不亜高にやってきた一般家庭の女の子だ。
「いつもだったらもう教室に待機している時間なのに。寝坊でもしちゃった?」
少し前かがみになって、下から覗き込むようにいたずらな笑みを見せる結心。
同じ一般家庭ということもあり、すっかり意気投合した俺たちは、そのまま交流を深めるうちに、互いに惹かれ会うようになった。
結局、放課後一緒に勉強をしていた時に、互いに交際を申し出ることがあって、以降、仲睦まじく学校生活を送っている。
特別な仲になってから、かれこれ1年が経ちそうだ。自分で言うのもなんだが、赤い糸が切れる気配はない。
「来週公開の新作を観る前に、過去のシリーズを復習したくてさ。通して見てたら夜更かししてしまって……」
「『トイ・キングダム5』? 私も観るつもりだったんだ! 一緒に行かない?」
「オッケー。じゃあ2名分のシート予約しとく」
なんて会話をしていると、周囲の生徒たちも会話に混ざってくる。
「映画だったら、旧校舎のシアターホールを使えばいいのに。最新作でもフィルム手に入るぞ」
「観客が大勢いるシアターで、ポップコーンシェアしながら見るのが楽しいんだよ」
「あら、映画なら私もご一緒したいですわ! あの狭いシートにもリベンジしたいです!」
「おいおい、デートなんだから二人で行かせてあげろよ」
「そういうわけだからごめんね。映画は翌週辺りに日程合わせてみんなで行こうか」
まだまだ世間とずれているところは多いけども、俺や結心と交流がある生徒たちは、一般常識も少しずつだけど身につきつつある。
休日に俺主導で買い物に行ったり、スポーツ施設で遊んだり。
学校には自販機などを導入してもらい、庶民の金銭感覚を体験で落とし込むことで、世間の常識を学ばせていく。
教える苦労がないわけじゃないけど、基本的には気の良い生徒が多いし、勉学の環境は整っているし、青春を共に謳歌する彼女もいる。
庶民の感覚を大事にしながら、学業に励んで、結心と一緒の大学へ進学すること。
それが俺の、不亜高でのスクールライフの目標となっていた。
♢ ♢ ♢
橙の日差しが差し込む夕暮れ時。
俺は本校舎横に併設されている大図書館の自習スペースに結心と向かい、椅子を並べて勉強をしている。
特別な用事がないときは、この図書館で一緒に勉強するのが放課後の日課だ。
「そこの数式は、この公式を使えば楽だよ」
「どれどれ……、あっほんとだ! ありがとう。小テストでここだけ分からなかったんだ~」
今日は小テストの復習。
図書館の中、普段の声量で会話をしているけど、建物は広いし、利用者も俺たちを覗けばほとんどいない。大声を出さない限りは大丈夫だ。
俺は理数系が得意だから、今は教える立場だけど、国語や英語などの文系科目は結心が強い。得意な分野が違うから、互いに教え合うような形で勉強している。
「相変わらず教えるの上手いよね。皆も勇星のこと、頼りにしてるし」
「どうしたんだよ急に、感傷に浸るような雰囲気になって」
「だって、来週で1周年だもん。勇星と付き合い始めてから」
うん。だからこそデートに誘いたかったんだよね。
向こうも意識していたことが嬉しくて、俺の頬に少し熱がこもった。
「ありがとね。この一年、勇星がいなかったら、こんな風に楽しく過ごせていなかったと思う」
確かに入学当初、俺と比べると結心は学校に馴染むのに苦労していた。
一般家庭出身という、家柄の違いに、俺と違って、綺麗に着飾ったご令嬢たちにも見劣りしないどころか、一段上に秀でた容姿。
周囲の男子生徒を虜にする様子から、女子生徒を中心に、良くない印象を広められていた。
結心と違って俺は勉学以外が平凡な要素で構成されていたこともあり、庶民ってキャラを押し出して、早い段階で学校に馴染んだ。
友達になったご令嬢たちに、金銭感覚や一般家庭での事情を教えていたときに、一人で勉強していた結心を巻き込む形で話の輪に入れたのがきっかけだったか。
自己主張が控えめなだけで、生真面目で優しい性格の結心だ。
一緒に過ごすようになってから、良くない印象は自然と解消していって、俺と付き合ってからは、ご令嬢たちのやっかみもなくなったと、結心も笑って話していた。
きっかけは俺かもしれないが、結局馴染んだのは本人の素養のおかげだ。
「俺の方も、価値観を共有できる相手が欲しかったんだよ。俺だって結心がいなかったら楽しく過ごせていない」
「ふふ、ありがと。ねえ勇星。映画を観終わったら、そのままご飯も行こうよ。ちょっといいものを食べてさ。1周年を祝いたいな」
「いいねそれ。美味しい店をクラスメイトに聞いておくよ。……って、ダメだダメだ。あいつら万を超える店しか行ったこと無いだろうし」
「私たちも生活支援でブラックカードを支給されているんだけどね」
「庶民の感覚を忘れたくないんだよ。あいつらの金銭感覚に慣れるのは怖すぎる」
一応、俺たち一般特待生は、学友との交流用にブラックカードを支給されていて、休日含めて、学生期間中の買い物や飲食は無料だ。こんなもんでも支給されないと、金持ちどもの遊びについていけなくなるというのが理由ではある。
だけど、俺はこいつを必要最低限の使用にとどめている。
使えるからって、こんなカードを使うことに慣れてしまえば、大人になったときが怖い。
今度のデート代だって、親から支給される小遣いからの出費だ。
「うん。私も一緒」
そう言って結心も穏やかな笑みを浮かべて、顔の前で手を組んだ。
何気ない会話で心がシンクロした感覚に、不思議なリズムで心臓が跳ねた。
やっべ、今の顔、可愛い。
1年も経とうというのに、時々ドキッすることがある。毎日会っても惚気が消えない当たり、バカ彼氏ということなのだろうか。
俺の赤くなった顔を見て、結心も頬を赤くして顔を逸らした。
このまま流れでキスとかしてしまいそうだ。
だけど、初めてのキスは、ちゃんとした雰囲気でやると決めている。それこそ、1周年のデートの最後とか。
湧き出る衝動を抑えるために、俺は目の前のノートに逃げた。
それは結心も同じらしく。動作が重なったことで、再び嬉しさと恥ずかしさを混ぜた衝動が、頭の中を埋め尽くしていく。
息の音が聞こえるほど静かな空気が、かえって胸の熱を煽る。
手に力が入ってシャーペンの芯が折れたところで、「勉強中ごめんなさい」と、俺に語り掛けてくる生徒が来た。
「唐草君、今いいかしら。生徒会長が、あなたのことを呼んでいるのだけれど」
生徒会長? こんな放課後に、名指しで何の用だろうか。
結心と顔を見合わせた後、「行ってくる」と一言残して、俺は生徒会室に向かった。
♢ ♢ ♢
「……失礼します」
及び腰のノックを3回した後、俺は生徒会室の扉を開いた。
巨大なシャンデリアで照らされた室内には、大小様々なアンティーク家具で彩られていて、まるでどこかの博物館にいるような雰囲気になってしまう。
部屋の奥の幅の広い作業机に肘を置きながら、俺の方を見据えている男子生徒。
この学校の生徒会長である、財全 司だ。
「突然呼びつけてすまなかったね。唐草君に一つ、頼みたいことがあってね」
肩の高さに切りそろえられた橙色の髪に、威光を感じさせるような鋭い瞳。
廊下を歩けば道行くご令嬢たちが振り返る、鼻筋や輪郭が整った気品あふれる、国内有数の大企業の御曹司。
俺と同じ制服を着ているのに、向こうの方が決まって見えるのは、気のせいではないだろう。そもそもの身に纏う空気が違う。俺とは違う世界の住民、そのトップだ。
「生徒会長ともあろうお方が、一体私に何の用ですか?」
「そうだな。長々とする話でもないので、早速本題に入らせてもらおう」
静かな生徒会室に、低く芯の通った声が良く響き、俺の胸が緊張で締まる。
学業では体育以外はどの教科も、トップ3以内を維持し続けているし、学内の友人関係も良好だ。『一般特待生』としての務めは順当に果たしているつもりだ。
それでも、気づかぬうちに、何か粗相でも働いてしまったのだろうか。
鼓動を短く刻む心臓を抑えつけるように、強張る体。
「――唐草君」
嫌な汗をかきながら、立ち尽くす俺に、財全生徒会長は小さく息を吐いて、改まった顔になって告げた。
「俺の彼女をお前にやるから、お前の彼女を俺にくれ」




