第三話 ローエン家の灯火(②)
彼らが選べる選択肢は、究極の二択だった。セクと呼ばれた少女を見捨てて長瀬探索に戻るか、逆に彼女を助けて自分たちが消滅するか。
(……ここで消耗、いや消滅してしまっては意味がない)
(………………。)
ワンの意思は伝わってくる。だがツーは聞こえない振りをして黙っている。いや、ワンの意思も沈黙に近い状態だったのかもしれない。答えは出ているが、それを口に出すことができずにいるのだ。
(……助けたいんだね)
(……うん)
短い応答。その一言に、ツーのすべてが込められていた。その決意の籠った返事に、ワンは少し間を置いてから、小さくため息を付いた。
この世界では、驚くほどに命が軽い。戦で死ぬ者より、戦の“後”に死ぬ者の方が多いとさえ言われている。敗残兵を装った奴隷商は村を焼かず、殺しもせず、ただ“使える者”だけを攫っていく。彼らにとって命は値札でしかなく、「いくらで売れるか」という一点でしか価値を持たない。若さも、美しさも、血筋ですらも。
捕らえられた者の末路は、誰も語りたがらない。語れば、次は自分が狙われるからだ。だから村人たちは逃げた。戦よりも、敵兵よりも、“人間を値札として扱う者たち”の方が恐ろしかった。
ローエン家の四人もまた、その恐怖の中にいた。セクンダの傷は逃亡の途中で受けたものだ。彼女を守ろうとしたアルドの腕にも、刃物で裂かれた傷跡が残っている。幼い弟妹は、恐怖で声を出すことすらできず、ただ兄と姉の衣を強く握りしめ、震えていた。
この世界では、泣く暇すら贅沢だ。泣けば口を塞がれ、連れ去られる。だから子供たちは泣かない。泣けない。
ツーはその震えを魔力視で感じ取り、胸の奥が締め付けられた。かつて宇宙で孤独に漂っていた時でさえ、これほどの“恐怖の波動”を感じたことはなかった。
(……兄さま。あの子たち……怖いのに、泣くことも許されていない……)
ワンは答えなかった。だがツーの意識に触れた瞬間、彼の中にも同じ痛みが走った。
この世界は残酷だ。命は軽く、弱者は踏みにじられ、助けを求める声は誰にも届かない――まるで、かつての自分たちのように。
と、その時。廃屋の扉が蹴破られ、男たちが乱入してきた。
「居たぞ、こっちだぁ!!」
荒くれ者――いや、野盗か。奴隷商人と呼ぶべき、人間の皮を被った醜悪な獣どもが無慈悲な怒号を上げる。恨みが沁み込んだ汚れた毛皮を羽織ったむさ苦しい男を先頭に、数人の男たちが廃屋に雪崩れ込んだ。
「くっ……見つかった、逃げるぞ!」
瞬時にアルドは一人の子供を抱きかかえ、もう一人の手を引いて裏口から逃げようと試みた。転げるように家屋の外へ飛び出し、よろめきながらセクンダもあとに続く。
だが――。
無情にも野盗の一人が放った矢が背に突き刺さり、セクンダは家屋の外へ出る前に倒れてしまった。
「バカっ! おめぇ……あぁ、ありゃダメか。一番高く売れると見込んでたのによぉ」
野盗のリーダーらしき男が大喝し、矢を放った部下を殴り飛ばす。女の状態を確認するように倒れた身を起こして覗き込むと、セクンダは元々の出血と合わせて、すでに息も絶え絶えの様子だった。
少し間を置いてから、男はセクンダを床に投げ出し首を振ると、部下に命じた。
「ダメだな。しかたねぇ、残りを捕まえるぞ」
「へい! ラダゴスの兄貴!」
野盗の部下たちは、逃げた獲物を追って一斉に家屋の外へ飛び出した。そこには数名の野盗に囲まれながら剣を抜くアルドと、子供に剣を突きつけて脅す禿頭の男が対峙していた。どうやら、手を引いていた子供を捕らえ人質に取っている。
「おぉ、よくやったガルター、お手柄じゃねぇか!」
駆けつけたラダゴスはその様子に喜び、子供を盾に恫喝するガルターに声援を送る。
「よぉ、兄ちゃん。奴隷だって生きることはできるんだぜ。それともガキともども、あの女みてぇに死をお望みか?」
「てめぇ……セクを……くそっ!」
アルドは抱えた子供を必死に守ろうとするが、包囲する盗賊はすでに数十人に膨れ上がっていた。彼がどれほど強かろうと、子供一人を人質に取られ、もう一人を守りながら戦うことは不可能に近い。
しばらくの沈黙の後、アルドは観念して剣を地に置いた。彼は子供を抱えたまま、野盗たちに囲まれて連れ去られていく。命の灯が消えかけているセクンダは、廃屋の片隅に残されたままだった。
「おいガルター、とっととずらかる準備しろ。女はダメだったが、ガキは良い値が付く。傷つけるなよ」
「へいへい、さっさと運べや」
ガルターと呼ばれた盗賊は、気分良く成果を上げたのにラダゴスに怒鳴られ、不満を隠そうともせずに辺りの手下どもに当たり散らした。手下は不機嫌が連鎖したように苛立ってアルドを蹴とばすと、よろめく彼に縄を掛けた。うなだれてうつむく彼の表情は見えないが、握りしめる拳に血が滴り落ちた。
廃屋に残された静寂は、先ほどとは違う冷たさを帯びている。野盗たちの足音が遠ざかると、空気は重く沈んだ。セクンダの呼吸はかすかに続いているが、残された僅かな時間は確実に減っている。
家族を連れ去られ、僅かな時間を残してポツンと廃屋に残されたセクンダを見て、ツーの意識は震えた。ワンも内の中で何かが決壊しそうになる。助けたいという衝動が理性の壁を押し崩す。だが現実は残酷だ。魔力を使えば彼らは消えるかもしれない。消えることは、長瀬を見失うことでもある。
それでも、ツーの感情はもう止められなかった。彼女はかすかな残滓を振り絞り、セクンダへと魔力を注ぎ込んだ。残り僅かな魔力を生命力に変えて。
ツーの決死の救命が功を奏し、冷たい空気の中で微かな温度の変化が生まれた。血の流れが少しだけ戻る。セクンダの胸がかすかに上下し、命の灯は消えかけながらも消えなかった。
ワンはツーの存在を必死に繋ぎ止める。二人は互いの意識を寄せ合い、残された魔力を分け合って均衡を保った。しかしその均衡は脆く、長くは続かない。
廃屋の外では野盗たちの勝ち誇った声が遠くなっていく。アルドと弟妹は連れ去られ、残されたのは傷ついたセクンダと力の枯渇した別世界の神が二柱。村の静けさは、さらに深い影を落とした。
ツーは廃屋の隅で消えかけた自分の存在を必死に繋ぎ止めながらセクンダを癒した。ワンはその手を取り続ける。二人の選択は、すでに強固な意志の内側で決まっていた。目の前の命を救うこと――それが今、最も自分達らしい行為だと、ワンは思った。
ローエン家の灯火は消えかけている。だが、まだ完全には消えていない。微かな希望を胸に、白い少女の誕生へと物語は静かに、しかし確実に動き出していた。
登場人物
妹:ボイジャー・ツー(Voy‑Ⅱ)。ヘリオポーズを越えた星間空間で自我に目覚めたAI型知的生命体。長瀬を追って来た別世界の新米神様。魔道生命体の彼女は、魔力の薄いカルラディア世界で活動エネルギー(魔力)に苦しみ、身体をエネルギーに変えてしまった為に現在は精神体。
兄:ボイジャー・ワン(Voy‑Ⅰ)。妹同様、長瀬を追って来た。現在は精神体。
長瀬良治:弟の尻拭いの為、次元の狭間を越えて、このカルラディア世界に来た別世界の上位神。
セクンダ:ローエン家長女。没落した元貴族。両親は殺され、長兄アルドと共に弟妹を守りながら奴隷商人から逃走中。肩に深手を負っている。
アルド:ローエン家長男。セクンダと共に弟妹を守りながら、逃走中。それなりに武芸は仕込まれているが、心身ともに疲弊している。
弟妹:ローエン家次男および次女。アルド、セクンダと共に逃走中。
ラダゴス:奴隷商人。山賊頭領。
ガルター:奴隷商人。山賊副頭領。




