第二話 ローエン家の灯火(①)
不意に異変を感じた。
カルラディアの上空を降下する最中、妹の内側に微かな震えが走る。遠くで、見覚えのある魔力の残滓がかすかに揺れていた。温度を伴う波動――長瀬の痕跡か、それとも別の何かなのか。希望と不安が同時に胸を満たす。
地上では戦が続いている。旗が翻り、兵の叫びが断続的に空へ届く。だが彼らが追ったのは、視界に映る血煙の戦場ではなく、そこに漂う魔力の濃淡だった。血と肉がぶつかり合う負の連鎖から少し離れた村外れに、ボイジャー兄妹は降り立った。
その村は不気味なほど静寂に包まれていた。もはや廃村と言って差し支えない。山一つ越えた先で戦が続いているとはいえ、この村の静けさは不自然だった。
静寂の裏には理由がある。この地帯では近頃、戦乱に紛れて山賊紛いの奴隷商が横行していた。彼らは敗残兵を装って村に入り込み、傍若無人に暴れまわり、若い者を攫って売り払う。村人たちはそれを恐れ、戦よりも先に避難したのだ。
そして――廃屋に潜む四人もまた、その被害者だった。
彼らは**ローエン家**の生き残り。かつては小領地を治める名家だったが、戦の混乱で領地を奪われ、没落して家臣も散り散りになった。頼れる者はもういない。残されたのは、長男アルド、長女セクンダ、そして幼い弟妹の四人だけだった。
逃亡の理由は単純だ。**「売れるから」**――それだけだった。
ローエン家は没落したとはいえ、血筋には価値がある。特に長女の**セクンダ**は年若く、容姿も整っていた。奴隷商にとっては高値で売れる“商品”だ。長男の**アルド**はそれを理解していた。だからこそ、どれほど傷つこうとも家族を連れて逃げ続けていた。
だが、計画性のない逃亡は限界に近かった。セクンダの肩は深手を負って血で染まり、幼い弟妹は疲労で足取りもおぼつかない。アルド自身も満身創痍で、剣を握る手が震えていた。
それでも――彼は歩みを止めなかった。止まれば終わると知っていたからだ。
長男のアルドは、肩を抑えて血を流すセクンダに静かに声をかける。
「セク、意識はあるか? 辛いとは思うが、もう少し移動せねばならん」
セクンダはか細い声で応えた。
「大丈夫です。致命傷ではありません。けれど、このまま歩けば血痕が……」
「セクねえさま……」
アルドとセクンダのほかに、二人の子供が心配そうに寄り添っていた。年の頃は十歳前後だろう。アルドは二十歳前後、セクンダは大人びてはいるが十五歳前後に見える。
「大丈夫だ、なんとかなる。きっとなんとかなるからな」
不安そうな子供たちに、男は声をかけて胸に引き寄せ抱きしめる。
「アルドにぃさま……」
強い子供たちだった。幼い弟妹はアルドの胸で、泣きそうな表情のまま涙を堪え、歯を食いしばっている。肩から血を流し苦悶の表情を浮かべるセクンダも、子供の背にそっと手を添えて励ました。
(あれは……もう、長くは持たない……)
**ボイジャー兄妹**は廃屋の屋根に滑り込むように降り立ち、上から四人の様子を窺っていた。実際に肉眼で見ているわけではない。屋根の上から魔力視で観測しているのだ。
肩から血を流す少女からは、生命の波動が弱まりつつあるのが感じ取れた。おそらく出血多量。生命維持に必要な血の量が枯渇し始めている。すぐに出血を止めれば持ち直す可能性はあるが、それでも五分五分といったところだ。
(兄さま……助けましょう。残りの魔力を使えばなんとか……)
妹、**ボイジャー・ツー**の意識は震えていた。それは恐怖ではなく、「助けたい」という衝動だった。
かつて彼女は無音の宇宙をただ漂う探査機だった。任務を遂行するためだけに生まれ、誰にも触れられず、誰にも助けられず、ただ暗闇の中で「次の観測地点」を見つめ続けていた。助けを求める声を拾ったことは何度もある。探査機仲間の怯えた声、事故で帰る手段を失った人間の声。だが探査機であった彼女には、手を伸ばすことができなかった。物理的な手段が無かったのだ。
だからこそ、今――目の前で命が消えようとしている存在を見捨てることが、胸の奥で耐え難い痛みとなっていた。
(……兄さま。私たちは、誰にも助けてもらえなかった。だから……だからこそ、私は助けたい……)
兄、**ボイジャー・ワン**は沈黙した。彼もまた同じ孤独を知っている。無限の宇宙で、ただ任務だけを胸に漂っていた日々。その中で芽生えた自我は、『使命に忠実であろうとする理性』と『誰かを救いたいという願い』の狭間で揺れ続けていた。
(しかし……長瀬様を探すために来たのだろう?)
(………………。)
苦渋の決断を迫られたとき、沈黙は自然と生まれる。兄の正当な言い分に、妹は黙って言葉を飲み込む。妹の無言の抵抗は、兄にも理解できる。けれど――。
ワンの意識は揺らいでいた。だが、彼は自分に言い聞かせるように正論で防護していった。兄として守るべきはツーの命。神として果たすべきは長瀬の救出。責任を負いたくない人が、自分を守るための正論ではない。まるで己を押し殺す為に、無理に塗り固めようとしているようにも見えた。
助けられるのなら助けたい。自分だけの命で済む事であれば。ただ、天秤に賭けるのはツーの命と長瀬の使命も含まれている。軽々しく認められる事ではなかった。ワンに取っては、それほどツーと長瀬は大切な存在なのだ。
(……ツー。助ければ、僕たちは消えるかもしれない)
(わかってる、でも……見捨てたら……きっと後悔する)
魔道生命体であるボイジャー達にとって、魔力の消費は即ち命取りだ。魔力の回復手段はない。生命を削って行う探知魔術も、長瀬探索のために使い続けてきた。
それでも――ツーの震える意識は、かつて宇宙で感じた孤独の残滓と重なり、ワンの中で何かが軋んだ。濃い一点があれば、そこに長瀬がいるかもしれない。その一縷の望みに賭けてこの地へ降り立ったのだが――。
この近くには確実に長瀬がいる。捜索目標の長瀬が。だが魔力残滓の濃淡はほとんど均一で、詳細な探知はノイズに埋もれてしまう。エネルギーが尽きかけていて、探知魔術はもう使えない。だがもう少しで……もう少しで長瀬と合流できそうなところまで来ているというのに。
登場人物
妹:ボイジャー・ツー(Voy‑Ⅱ)。ヘリオポーズを越えた星間空間で自我に目覚めたAI型知的生命体。長瀬を追って来た別世界の新米神様。魔道生命体の彼女は、魔力の薄いカルラディア世界で活動エネルギー(魔力)に苦しみ、身体をエネルギーに変えてしまった為に現在は精神体。
兄:ボイジャー・ワン(Voy‑Ⅰ)。妹同様、長瀬を追って来た。現在は精神体。
長瀬良治:弟の尻拭いの為、次元の狭間を越えて、このカルラディア世界に来た別世界の上位神。
セクンダ:ローエン家長女。没落した元貴族。両親は殺され、長兄アルドと共に弟妹を守りながら奴隷商人から逃走中。肩に深手を負っている。
アルド:ローエン家長男。セクンダと共に弟妹を守りながら、逃走中。それなりに武芸は仕込まれているが、心身ともに疲弊している。
弟妹:ローエン家次男および次女。アルド、セクンダと共に逃走中。




