第二十五話:長瀬が視た少年の記憶
ニューホライズンズとパイオニア11号に出会った、その日の夜。
長瀬は夢を見ていた。
大好きだった野球を諦めて科学者になった少年の夢……。
私は、自分が夢を見ていることに気づいた。明晰夢だ。
はっきりした意識が残っているので、夢に対してある程度の意志的制御を得る、即ち自分の見たい夢へ意識的に誘導できるハズだが、内容はコントロールできなかった。少し残念だ。
その夢を想い撮りに操れなかったのは、自分の夢ではなく、他人の夢だったからだろうか。
――いや、私の演算能力をもってすれば、他人の意識のダイブなど造作もないはずだ。
精神生命体となった今では、睡眠は必要な事ではない。
しかし度重なる因果の介入に、精神的な極限に達しようとしていて休息を求めているのもわかる。
だが、一体誰の夢を見たと言うんだ?
私の深層意識は何を求めている?
長瀬は、夢の中で訝しんだ。
だが、まずは何の夢なのか見てやろうではないか、と夢世界の中へ意識をダイブさせた。
――その夢が、ニューホライズンズの人格形成に関わる過去の記憶だったと知るのは、もう少し後の話――
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まだ年端も行かぬ幼い少年が、ボールとバットを父からプレゼントされ大喜びしていた。
古来より現代に至るまで、子供のチャレンジ精神は旺盛だ。
プレゼントされたボールとバットから、野球という競技を知り、その楽しさにのめり込むのに時間はかからなかった。
幼い少年は、子共用の小さなバットと軟式の軽い野球ボールを片時も離す事は無く共に過ごしてた。
車を一台止められる程度の小さな庭が、日常的な遊び場になっていた。小さな庭と野球のボールが幸せな日常を彩りながら時が過ぎ去っていく。
少年は毎日、日が昇るより早くに起きてバットを振り回し、日が暮れて暗くなってもボールを投げる手を止めなかった。
ぎりぎりボールを握れる程度の小さな手が一回り大きくなった頃、彼は町内会の少年野球チームに入った。
町内会の少年野球チームは高学年の子共ばかりだった。
あまりにも小さいチームメイトの加入に、周りの子共達は彼をどう扱って良いのかわからないようだった。
野球の巧さだけを求めたガツガツとしたチームではなさそうだが、それでも野球なんて出来るのかよ?という好機な目が周囲から注がれ、自然と距離を置かれていた。
幼い彼は、ただ見学しているだけの毎日が続いた。ボールを打つのもキャッチボールするのも許されなていない。だが、それは意地悪でそうしているのではなく、触れただけで怪我をさせてしまいそうで、誰も誘う事が出来なかったのだ。
グラウンドの隅で眺めているだけの退屈な日々が何日も続いた。
それでも彼の小さな手には、使い込まれた軟式のボールが握り続けられていた。
いつまでも仲間に加えてもらえない彼を見かねた監督は、高学年の子供たちに少しで良いから相手してあげてくれと頼んだ。高学年の子たちは、仕方ないといった表情で、恐る恐る幼い彼を誘った。
「じゃ……じゃぁ、キャッチボールからやってみる?君はどれぐらいの距離なら投げられる?」
高学年の子は、キャッチボールと言うよりも軽く投げてキャッチするような玉遊びを想定して誘った。だが、幼い彼の返事は皆と同じぐらいの距離で良いと応えた。
少年野球のグラウンドは小さい。内野エリアのダイヤモンドも子供用に合わせて小さく作ってある。それでも幼い彼から見れば、とても広く映っているだろう。高学年の子は、小さな彼が背伸びして意地になっているのかと思いつつも、戸惑いながら言葉に従った。
普段のキャッチボールは、ピッチャーマウンドからホームベースぐらいまでの距離でキャッチボールを始め、肩を慣らしながら徐々に距離を伸ばす練習をしている。最終的には外野の位置まで離れて遠投練習をするのだが、届かずにゴロになるのを想定しながら、位置についた。
だが次の瞬間、思いもよらずに矢のような送球が、高学年の子のグローブを弾き飛ばした。届かないどころか、今まで見た事も無いような速度の玉が、飛んできてビックリしていた。驚きの表情を浮かべ、点々と転がる後ろに逃したボールを見つめる。
「す……すごい!すごい!!」
たった一球で、幼い彼は、その少年野球チームのスターになったようだ。高学年の子が次々と駆け寄り、笑顔の輪が彼を中心に広がってゆく。
さらに、彼は打っても凄かった。ミサイルのように場外に飛んでゆく打球が、周囲の大きな子供達を魅了した。投げてはエース、打っては4番。それが、幼い彼に与えられたポストになった。
笑い合いながら仲間と練習し、楽しく野球を学んで数か月が経ったある日。彼等は、となり町にある別のチームと試合をすることになった。交流試合だったが、幼い彼は初めての野球の試合だったので、何日も前から夜も眠れないほど楽しみにしている様子だった。
だが幼い彼は、楽しみにしている反面、少し天狗になっていた。
幼い彼はピッチャーとしてマウンドに上がり、相手チームの大きな相手をきりきり舞いさせていった。相手打者は目を白黒させながらバットがくるくると回る。僅か12球でとなり町の野球チームは、攻撃回が終わった。
「ふふん。どんなもんだい!」
幼い彼は、相手を舐めて鼻高々に笑う。
「よーし、打つ方でもホームランしてやる!」
彼は、バッターボックスで鼻息を荒くしたままフルスイングした。
カッキーーーン!
甲高い音と共に白球は場外に消え……なかった。
ホームランどころかボールはバットに当たりもせず、勢い余って尻もちまでついてしまった。確実に当てたと思ったようだが、実際は当たっていない。ボールは相手のキャッチャーミットに収り、幼い彼はきょとんとしながら不思議そうにミットのボール、それと自身のバットを交互に見た。
「あれ?なんで?」
彼の天高く伸びた鼻は、僅か一球で早々にへし折られてしまった。
相手ピッチャーの投げる球は、何の変哲もない遅い球に見えた。いつもの彼ならばボールは外野を飛び越えてホームランになっているようなスイングをした。けれども当たらなければ、ボールは飛びはしない。
程なく、幼い彼は三振した。何度もくるくると回りながら。
幼い彼は、良く投げて失点を許さなかったが、打つ方では相変わらずバットが空回りしてばかりだった。
「今度は必ず打つ!しっかり見て!そして打つ!当てる!!」
意気込みながら、幼い彼はフンフンと鼻音を鳴らしつつ再度バッターボックスに立った。だが……。
……結果は同じだった。
(あれは……流し打ちか?)
長瀬は、幼い彼の行動を見て、思わず声をあげた。
流し打ち……追っ付けとも言う。球筋をギリギリまで見極めてから、遅れ気味にバットに当てる高等技術だ。可愛らしい体躯の少年が、大人びた技術で挑戦し続けている。
普通に打とうとしても当たらないので、流し打ちを試しているようだった。
……それでも。
……掠るのが精一杯で、ボールは前にさえ転がらなかった。
結局、相手のピッチャーから得点をする事が出来ずに、幼い彼のチームは試合は負けてしまった。彼は長いイニング数を投げ続ける体力が無かったようで、後続のピッチャーが打たれてしまったのだ。
意気消沈して、悔しい敗北を喫した。
けれど、敗北は人を成長させる。
幼い彼は、敗北後に試合の分析をしていた。地面に書きなぐったボールの軌道を書いた跡。スイングの軌道と球筋の差異。あの、何故か打てない玉を投げたのは女の子だ。けれど、女の子の投げる球だから打ち難かったわけではない。
違いがあるとすれば、彼女は左利きだった。サウスポーは見に見えぬ変則的な軌跡を描く。
(……待て。このサウスポーの球筋を捉えようとする少年の『空間認識の歪み』のデータ……私はこれと酷似したログを、スイングバイ軌道計算のエラー記録で視たことがないか?)
長瀬は、幼い少年の分析を静かに凝視した。
左腕のサイドスローから繰り出される軌跡は高角度でホームの淵を掠め、更には若干の変化球も混じってる。書きなぐった線は、やがて数値に置き換わり、何処から導き出したのか、一球ごとの球速も微妙に変化をしてるようだった。投球術とでも言うのか、それが打ち難さに繋がっていた。
本来、左投手には右打者は有利と言われている。左投手のボールは外側から入ってくる為、ボールが手から離れた瞬間から自分の方に向かってくるので球筋がよく見える。右打者しか居ない彼のチームは、理論上では打ちやすいはずだった。
左投手には右打者。右投手には左打者が有利。
これは現代野球では鉄則になっているような常識だ。けれど、それは野球に熟知している玄人目線だから言える事で、幼い彼を含めた少年野球では『見慣れない角度』から飛んでくる玉は、技術的にどうこう言ったところで打ち難い球だったのだろう。なにせ、初めて見たのだから。
幼い彼は、この試合で始めてサウスポーと言う存在を知った。そして、自らもそのサウスポーに傾倒して行く。新しい概念に大きく興味をそそられた彼は、必死に努力して左利きに変わった。元々才能のある右腕投手だった彼は、左腕でも遺憾なく才能を発揮して強力な両投げ投手となった。勿論、打っても両打のスイッチヒッターだ。それは、類まれな体幹と高度な分析力が織り成す芸術作とも言える技量が魅せた成長の結果だった。
だが、幼い彼は大きく成長しても大成する事は無かった。
右で投げても、左で投げてもエース級の投げ分けられる快投で周囲を賑わしていたが、幼い身体で無理をし続けた代償は大きかったようだ。身体が才能についていけなかったのだ。彼は左肘の故障をきっかけに、将来を有望視されていた野球界から去った。右腕は健在だったが、左腕の故障から身体的なバランスを欠いて、上手く投げる事が出来なくなっていた。もちろん、右腕ではそれなりに投げる程度は可能だったようだが、それでも精密的に投げる事を要求される投手のようなポジションは無理だった。それどころか、内野であっても外野であっても、返球がどこに向かうかわからない状態では守備に着く事も出来なかったのだ。
幼い彼は、成長して絶望を知り、そして野球とは何の関連性のない宇宙科学研究員となった。
その研究員の記憶を宿した彼は、直前まで宇宙を漂っている探査機だったが、現在はどこかもわからない惑星の空を漂っていた。
蝶のように物理的にではなく、空気のように空を飛んでいた。
(なるほど……。あの幼い野球少年はニューホライズンズの記憶か。)
幼い彼の記憶を持った『少年の影』は、自分が幼い彼だったのか、それとも話を聞いて幼い彼を知ったのか、わからずに戸惑っているように見えた。しかし、彼は少なくとも人間ではない。あるとすれば、モデルとなった人間の記憶をインストールされたか、それとも学習して吸収したか。
人は誰しも、自由と可能性の翼を持って生まれる。
けれどそれは、歳を取るにつれ、汚れ傷み剥がれ落ちて飛べなくなる。
人間とはそういう生き物だ。人生とはそういう運命だ。
夢を持って生まれ、夢に破れて絶望を知った人生の儚さ。
切ない記憶を夢に見ながら、現実を明るく受け止める彼の健気な姿。
(この明晰夢は私に何を見せようというのだ。少年の叶えられなかった夢?それともニューホライズンズの動揺?)
長瀬は、『少年の影』に思いを寄せて、ふと荘子と言う哲学者の話を思い浮かべた。
***
紀元前中国王朝の思想家、哲学者の荘子。
ある晩、荘子は蝶になる夢を見た。人間である事を忘れ、ただ一個の蝶となり花畑を舞う。けれど、目が覚めたら人間の自分がぼんやりと虚空を見つめていた。まだ寝ぼけている頭で考える。これは人間の私が蝶の夢を見ていたのか、それとも蝶の私が人間の夢を見ているのか。どちらが現実で、どちらが夢なのか、いずれが本当か私にはわからないと呟いた。
だが、どちらであったにせよ己であることに変わりはない。どうせ確かな判断は出来ないのだから、考えたところで仕方がない。むしろ、そんなことはどちらでもよいことではないか、と彼は笑った。
この「胡蝶の夢」と言う説話は、実において相対しているかに見えるものは、人間の「知」が生み出した結果であり、荘子はそれを「ただの見せかけに過ぎない」と言った。どちらが真の世界であるかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよいと説いた。
***
夢も現実も、すべてはデータ上での演算結果で、そのどちらも実は存在する世界であるならば……
ピッ……
――[エラー:ログの整合性を確認中]――
(くっ……。またノイズが……)
長瀬は、明晰夢を見ながら、思考に異変を感じた。
まるで、見えない何かに思考を搔き乱されているようなノイズ。
まるで思考を書き換えられているような違和感。
意識とノイズが混じり、視界が暗転する。
(まさか明晰夢を通して、探査機の自我形成に影響した成り立ちを見せているのか?
しかし……ツィーラとプリムスに人間の記憶は無かった……)
ツィーラ達とニューホライズンズとの違い……
自我に目覚めた意味……
目的……
ピッ……
――[エラー:ログの整合性を確認中]――
くっ……。
長瀬は夢の中で、何かのヒントを掴んだように感じた瞬間、プツリと意識を閉じた。
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『少年の影』は、思い出したように笑った。
「僕が野球少年であろうと、宇宙探索機であろうと、蝶であろうと、何でもいいじゃないか。今ここで、こうして生きているんだから。己であることに変わりはない。考えたところで仕方がない。願わくば、これからの人生、面白可笑しく笑って過ごせれば、それでいい」
宇宙を彷徨っていた方が夢か、それとも今が夢なのかもわからない。
けれど……それもどちらでも良い事だ。
『少年の影』は、隣を並行して飛んでいる姉を見て、続けて言った。
「ま、今の僕等でも人生って言えるのかは、微妙なところだけどね」
その視線に気が付いて、姉は不思議そうに首を傾げていたが、その様子を見て『少年の影』は、再び笑った。




