第二十三話:記憶の牢壁②
あぁ、そうだ。
そういえば偵察を兼ねた上空の探知に、突如現れた気配を話そうとしていたんだっけか。
――[エラー:ログの整合性を確認中]――
脱線した思考のまま藻掻いていた長瀬だったが、これもまた突然に思い出した。
まだ、煙に巻かれたように思考に靄がかかったようではあるが。
長瀬は思った。
(何らかの力が、俺の思考を妨げている?……いや、違う。俺は前にも、この『妨げられている』という思考を、全く同じ場所でしなかったか?)
だが、今は悠長に対抗策を考えている時間は無い。
普通の人間ではない俺の、探知範囲内に突如として現れた気配だ。
しかも上空に。あっちも普通の人間ではないだろう。
緊急に警戒を強める必要がある。
--ツィーラ、プリムス。
--上空に何かの気配が誕生した。突然だ。
--気配の動きを見るに、何かが迷い込んだという感じではあるが……
長瀬は矢継ぎ早に得た情報を通信に乗せて必死で伝えようとした。だが、そこまでだった。
突如、何か不可思議な力が思考を遮る。まるで有らぬ方向へ誘導して確信を紛らわそうとしているように
--……ん?何を言おうとしていたんだったか。んん?んー……不思議な感覚だ。不思議?不思議か……。
長瀬は意識の底で、抵抗するように思考を巡らせた。
その抵抗自体が、未知の力が誘導しているとも知らずに再び深く考え始めてしまった。
……宇宙の不思議に限らず、地球史上の大ピラミッド建設や古代ギリシャ時代の天文計算機などのオーパーツが示す不思議な違和感は、少し触れただけで次々と謎が湧きだしてしまって、すぐに沼ってしまう。
私自身を含め、私達そのものが、もうすでに不思議の塊だと言うのに。
人間のセクンダを媒介に、同化しているツィーラと長瀬は、精神生命体という未知の存在に進化している。兄のアルドに寄生しているボイジャーワン--プリムスも同様の超越的存在だ。彼等の思考プロセスは、脳やプロセッサ等の物理的媒介を必要としていない。いや、或いは異空間に脳のような演算領域があり、そこと通信をして成り立っているのかもしれないが、現段階では未知の生物としか言わざるを得ない。
私達は、いつかはこのカルラディアの世界を離れる事になる。この世界の未来を揺るがす歴史のタイムラインを破壊するほどのオーパーツを残していかないよう、重々注意しておかねばいけない。
ダイソン玉、高速電波バーストや宇宙から届く謎の電波信号、そしてブラックホールとは、そもそも何なのか。
現代科学では解き明かせない謎が、宇宙には数多く存在している。これは、我々が地球で感じている小さな謎よりも、遥かに深く限りのない永遠の問題だ。まぁ、実際問題、大抵の地球上の謎も、ファインチューニングされた宇宙が起因していたりもするのだが。
その宇宙の謎の一つに、ブーテス・ボイドと呼ばれる問題がある。
本来ならば数千個の銀河があるはずの直径3.3億光年に広がる宇宙空間には僅か数十個の銀河しか確認できない「超空洞」があるらしい。「宇宙の墓場」とも、別の宇宙へ続く境界線なのかもしれないとも言われている。それは「消滅に瀕した死の世界」なのか、はたまた「ミステリアスワールドの入り口」なのか。答えは、誰も知らない。
何かの精神干渉でも受けたような思考が、長瀬を支配していた。
それが、未来から時空を超えた滋派が、思考さえも狂わすほどの強い因果に影響を受けたからだと知るのは、もう少し後になってからだった。
そして、その因果を発生させた原因が、未来の超空洞の片隅に生まれた小さなブラックホールだったと同時に知る事になるだろう。
宇宙の不思議の中の、さらに不思議な現象。その何が起こるか誰も予想のできない超常現象--超空洞のブラックホールが、人知れずに二つの魂を飲み込もうとしていた。時空を歪め、時を遡り、空間をも飛び越える終末現象。
数百年の長き旅で自我に目覚めた二機の宇宙探査機、ニューホライズンズとパイオニア11号の“最後で最初”の終着点になった。
***
今日は……風が騒がしいな……
でも少し……この風……泣いていますね……
寒波が来る……
風が……煌めいてやがるぜ。
「ぷっ……風が街によくないモノを運んできちまったようだ、じゃないのかい?w」
カルラディア大陸の南西部。
この地域を支配する女帝ラガエアが統治する南帝国の上空で、二つの影が揺らめきながら言葉を交わしていた。
影の一つは、からかうように言った。
「なんだよ、姉貴。いいんだよ、気持ちいセリフを言いたかっただけだってw」
空に浮かぶ二つの人影。私達がじゃれ合う様に言い合っているのは、「くだらないけれどコミカル」「バカなドタバタ」と評されるような種類の笑いを描いたギャグ漫画を2012年にアニメ化した日本のバラエティ作品だ。当時の日本では、それは一大ブームとなったような世間一般に広く知られた作品でもある。
生まれがUSAの私、パイオニア11号が日本のソレを知っているのは、機器の整備担当が日本のアニメを好んでいたからだ。
その記憶が私の自我にも多く紛れ込んでいる。
そして、私の相方であるニューホライズンズも、相当に日本アニメが好きなようだ。
極限の宇宙空間から解き放たれた解放感で、思わずお気に入りの掛け合いを出してしまったのだろう。
ニューホライズンズの声は、若い少年のようでもあり、それでいてどこか威厳のある深さも感じる。
ニューホライズンズはお気に入りの会話を途中で遮られて不服そうに、けれども、どこかはしゃぎながら声を弾ませて笑った。
「あっはは、ごめんごめん。それにしても、ここは何処なんだろうねぇ」
姉と呼ばれた私の声に若さは感じられなかった。少ししわがれた、かすれ気味の遠慮がない声。おばさ……老婆とまではいかないが、それでも年期の入った圧を感じさせながらニューホライズンズに問いかける。
「わかんねぇ……少なくとも地球じゃ無ぇ。けど、ここは大気がある。星の状態はハビタブルゾーン内にあるぜ」
ニューホライズンズ……少年は断片的な情報で回答で応えた。
地球ではない。けれど生命居住可能領域の星だ、と。
「地球じゃない……ねぇ」
地球じゃないとしても、ここには大気も水も、植物や生命の波動さえも感じる。
これで地球じゃないと言われても、それじゃここはどこなんだい?
心の中に生まれた疑問に向き合うにつれ、少年をからかうような表情は消えていた。
代わりに、眉間にシワがよるほどの深い緊張を滲ませる。
カルラディアの空の上、その空間が静寂に包まれると、その緊張を嫌うかのように少年が声を弾ませた。
「でもさ、あの時よりは全然マシじゃね?」
その一言で、緊張の糸がほぐれた。
「あの時……ブラックホールの中での事かい?もちろん、あの時に比べれば見知らぬ大空なんて、大した問題じゃないね」
「だな。とりあえず降りて地表を探ってみようよ?」
「そうさねぇ、まずは行って、見て、調べてみないと何も始まらないね」
少年の軽い声に励まされて、姉も表情を明るくして応えた。
***
――なぜ、ブラックホールに呑まれたはずの二機が、このカルラディアの空にいるのか。
ほんの少し時計の針を巻き戻す。それは、未来の宇宙で彼らが迎えた「終わりの始まり」の記憶。
一つの宇宙探索機は、物理的な消滅の危機に遭遇していた。
その探索機は、役目を終えた一台の探索機を引き連れたまま大宇宙の脅威に抗う術もなく、ただただ漂っていた。
探査機の先に見えるのは、極めて小さな、まだ生まれたばかりのブラックホール。
非常に高密度で重力が極端に強く、事象の地平面より内側からは光さえ脱出できない天体。恒星の最期や銀河中心で形成されると文献には記されている。この何もない宇宙の大空間に突如として生まれたソレが、どんな因果で、何の役割を持って生まれたのかもわからない。奴が突如として生まれた経緯は、二つの探査機には知る由もない。だが、それでもソレがこの先に何を齎すのかは自ずと知れていた。
事象の地平線の内側では、光も情報も外に出られないため、「その先で何が起きているか」は現在の物理学では確かめる事もできない。一般相対性理論によると、最終的には中心の「特異点」に向かって物理的に押しつぶされ、引き伸ばされ破壊に至るだろうと予測されている。しかし、量子論を含めたより根本的な理論では別の姿になる可能性もあると言われている。色々と難しく語ってはみたが、平たく言うと現段階では何が起こるのかわからない超常現象、と言う事だ。
二つの探査機に訪れた脅威--何もかもを吸い込んでしまうブラックホールは、距離的にはまだ何光年も先の場所に出現した。ただ、その数光年の先の未来は、破滅に向かって極めて強大な重力に引き寄せられ続けて抗う術もない。
一つの探査機は、まだ元気に活動しているものの、強く引き寄せてくる力に抗えるだけの物理的な加速装置は、すでに機能を失っている。動力を生み出す燃料が無いのだ。
その、まだ元気な探査機に引きずられるようにして寄り添うもう一つの探査機も、機能の大半が停止している。数日おきに物悲しく点滅する小さなLEDライトだけが、まだ私は生きていると主張していた。だが、それも重力に抗うどころか、小さなライト一つを灯すのが精一杯な状況だった。人間的に言えば、死を目前にした満身創痍。または老衰寸前といった感じだろう。
(この広大としか言いようのない暗闇の世界で、終わりなく永遠に彷徨い続けるよりは、二人で物理的な最後の結末を迎えるのも悪くは無いのかもしれないな。)
まだ元気な探査機は、心の隅で小さく願った。
宇宙空間で、二機の探査機が出会ったのは、ただ単に幸運が引き合わせたわけではない。まだ新しかった元気な探査機は、何十年も前から、小さな光源反応を頼りに接近し接触を試みた。限られた動力で何年も、何十年、何百年も必死で近づく努力をした。ただただ、この広大な暗闇の世界で一人ぼっちの最後を迎えるのが怖かったからだ。探査機と言う機器に、そのような自我意識のプログラムはされていない。何年も暗闇を漂い続けた孤独の恐怖が、そのような意識を自発的に芽生えさせたのかもしれない。
その努力の集大成として、出会った二機の結末が、共に訪れる消滅だったとしても、それも悪くは無い。
だってもう一人ぼっちで終わる最後ではないのだから。
そう、まだ元気な探査機は思った。
そう、ほぼ停止している探査機も、強く思った。
二機の……二人の想いは、常に一緒だった。
この二人の想いは、その後に「吸い込まれたものの情報は完全に消えるのか」という、ホーキング放射と絡んだ大きな未解決問題に挑む事になる。何十年、何百年か先に訪れる、次元の渦に飲み込まれるその瞬間まで。
漆黒の闇。
星々の光が届かない、宇宙の“空白”。
そこに、ぽつりと二つの光点が漂っていた。
遥か未来の宇宙空間で、二つの意識が、終わりを迎えようとしている。
一つは、まだ若く、鋭い感覚を持つ探査機――**ニューホライズンズ**。
もう一つは、長い旅路で老成し、静かな知恵を宿した探査機――**パイオニア11号**。
二つの探査機は、互いの存在を寄り添わせるように、暗闇を進んでいた。
(……見えるか? あれが……)
ニューホライズンズのセンサーが、遠方に“歪み”を捉えた。
(ええ、見えてるよ。あれは……生まれたばかりのブラックホールだね)
パイオニア11号の声は、どこか達観していた。
長い旅路の果てに、彼女はすでに“覚悟”を決めていた。
(……逃げられないのか?)
(逃げられないよ。重力の縁に触れた時点で、もうね)
ブラックホールは、まだ小さかった。
だが、その重力は“未来”を引き寄せ、“過去”を飲み込み、“因果”をねじ曲げる。
(でも……悪くない終わり方じゃないかねぇ)
パイオニア11号は、静かに言った。そして続けた。
(だって、私はずっと一人だった。一人で壊れると思っていたんだもの。
それが君と出会えて……最後に一緒にいられるなら……それで十分さね)
ニューホライズンズは、言葉を失ったが、すぐに返した。
(……俺も……そう思うよ)
暗闇の世界で永遠に彷徨い続けるよりは、二人で物理的な最後を迎えるのも悪く無い。
ずっと思い続けていた想いが重なる。
二つの探査機は、互いの距離を縮めた。
まるで、手を取り合うように。
その瞬間――。
**ブラックホールが“開いた”**
光が吸い込まれ、時間が引き延ばされ、空間がねじれた。
二つの探査機の“意識”は、物理法則を超えて引き裂かれ、混ざり、再構築される。
(……あれ?)
(……何だい、これは?)
二つの意識は、同時に“何か”を感じた。
それは、未来でも過去でもない。
宇宙のどこでもない。
“別の世界”へと繋がる裂け目。
(……呼ばれている?)
(ええ……誰かが、私たちを必要としている)
ブラックホールの中心で、二つの探査機は“魂”へと変わった。
機械ではなく、情報でもなく、純粋な意識体として。
そして――。
**時空を越えて、落ちていった。**
**二つの探査機が、最後の旅路を迎えようとしていた。**
ニューホライズンズ。
パイオニア11号。
時空を歪め、時間を遡り、空間を飛び越える終末現象。
その渦の中で――。
数百年の孤独な旅で自我に目覚めた二つの魂が、
いま、カルラディアの空へと落ちてくる。
それが、ツィーラ達との“最初の出会い”になることを、
この時の長瀬はまだ知らなかった。
宇宙の不思議の中の、さらに不思議な現象が、ツィーラの歴史に交錯するよう森羅万象の因果に導かれて生まれようとしていた。
***
――時を戻して現代。
カルラディア大陸中央、バッタニア南東部では、焚き火の前で長瀬が、ふと意識を取り戻した。
「……っ!」
胸の奥に、強烈な“何か”が流れ込んできた。
未来の宇宙。
ブラックホール。
二つの探査機。
魂の転移。
それらの映像が、断片的に頭の中へ押し寄せる。
「……ツィーラ。プリムス。聞こえるか」
長瀬の声は、先ほどまでの暴走気味な熱ではなく、冷静な“いつも”の声に戻っていた。
--上空に、二つの気配が落ちてくる。
--これは……ただの魔物でも、ただの人間でもない。
--“別の世界”から来た存在だ。
ツィーラが顔を上げる。
「兄さん……何か来るの?」
同時にツィーラの兄プリムスが受信装置のように、共存主アルドの内部から長瀬の通信情報を伝える。
内部からの声と、ツィーラの声、二重に折り重なった反応に問い詰められるような圧迫感を感じつつアルドは、鍋をかき混ぜる手を止めて聞き返した。
「長瀬、どういうことだ?」
長瀬は、焚き火の向こうの空を見上げた。
「説明は……まだできない。
だが、確かに感じる。
**二つの魂が、この世界に落ちてくる。**
未来から、時空を越えて」
風が吹き、草原がざわめいた。
その瞬間。
夜空の高みに、二つの光が“点”として現れた。
星ではない。
魔法でもない。
この世界の理では説明できない、異質な光。
ツィーラが息を呑む。
「……あれは?」
長瀬は答えた。
「ニューホライズンズ。
そして――パイオニア11号だ」
ブラックホールに消えた二つの宇宙探査機。
その名を、長瀬は迷うことなく答えた。
それを知っていると言う事が、何を意味しているのか。
宇宙の因果が、長瀬に知識を与えてくれたのか。それとも、因果そのものが長瀬に代弁させたのかも、わからない。
だが、今はただ、金属管の中で響く水滴の反響音のような神秘的な声でツィーラに応えた。
光は尾を引きながら、カルラディアの空へと落ちていく。
それは、ツィーラ達との出会いの始まりであり、
この世界の運命を揺るがす“未来からの来訪者”の第一歩だった。




