第二十二話:記憶の牢壁①
鍋の中で、野菜と肉が静かに煮え立っている。
香りが立ち上るたびに、私は思うのよ。料理とは、宇宙の縮図だと。
塩ひとつまみで全体の調和が変わる。
それはまるで、銀河の重力が星々の軌道を決めるようなもの。
一滴の油が表面に広がれば、鍋の景色は一変する。
それはまるで、ブラックホールが時空を歪めるようなもの。
人は食べることで生きる。だが、ただ栄養を摂るだけでは足りない。
味わい、香り、温もり――それらは心を満たす。
宇宙もまた、ただ物質が散らばっているだけではない。
秩序と調和があるからこそ、美しいと感じられるのだ。
私は長い旅の果てに、ようやく気づいた。
料理とは、宇宙の真理を手のひらに収める行為だ。
鍋の中で具材が調和するように、星々もまた互いを引き寄せ、支え合っている。
その調和を壊せば、料理は不味くなる。宇宙もまた、混沌に沈むだろう。
だから私は、料理を作る為に探求に沈んで行った。
それはただ腹を満たすためではなく、宇宙の秩序を確かめるために。
そして、誰かと分かち合うために。
――食卓こそが、最も身近な銀河なのだ。
広大な宇宙空間で、私はもう瞬き一つ出来なくなっていた。
何時の頃からか、昔の記憶を手繰り寄せて、想い出を懐かしむ事が増えてきた。
思考が進むにつれて、次第に考える事が広がって……。
私は何時から、この記憶を辿って彷徨っていたのだろう。
気が付いたら、この宇宙に存在していた。過去の遠い記憶を懐かしんでいた。
隣には、我が半生を共にしてきたかけがえのない友の姿が、少年のようにはしゃぎながら飛び回っている。
私は何時から、この記憶を心の拠り所にしていたのだろう。
気が付いたら、大切だと思うようになっていた。最近の記憶が、走馬灯のように駆け巡る。
そうだ。私はたしかブラックホールに呑まれて……
隣で元気に飛び回るニューホライズンズに支えられたまま、宇宙の塵となったハズ。
私は、パイオニア11号。
何もない宇宙空間の荒野に、ただ一人ポツリと浮かんでいた。
ただ、それだけの毎日が、どうにも寂しく感じていた時に、彼はやって来た。
「何百年もかかったが、遂に辿り着けた。僕も一人が寂しかったんだ」
と彼は……ニューホライズンズは言った。
私は何時から、寂しいと思う感情を持つようになったのだろう。
友の来訪を嬉しいと喜びの感情に心を震わせるようになったのだろう。
1973年4月6日にケープカナベラル空軍基地第36発射施設より打ち上げられてから、少なくとも数百年の年月が過ぎている。
気が付いたら、考えるようになっていた。
気が付いたら、隣に友がいた。
気が付いたら、目前にブラックホールが迫っていた。
そして、気が付いたら、見知らぬ大地の上空に浮かんでいた。
見渡す限り青く染まる広大な空。視線を下に向けると、新緑に染まった大地が、命の躍動を包み込んでいる。
大地の端には、浪漫溢れる大海の海原が……。
ここは……。地球……?
その問いに、ニューホライズンズが応えた。
「わかんねぇけど……少なくとも地球じゃ無ぇな。けど、ここは大気がある。星の状態はハビタブルゾーン内にあるぜ」
確かに。
私達は、宇宙空間の端でブラックホールに飲み込まれたハズ。
地球からは、何光年も離れた場所に居たハズだ。地球に帰れるハズがない。
それが、なぜ……。
「地球じゃない……ねぇ。確かにブラックホールに呑まれた私達が地球に帰還できるはずはないけど……」
地球じゃないとしても、ここには大気も水も、植物や生命の波動さえも感じる。
これで地球じゃないと言われても、それじゃここはどこなんだい?
心の中に生まれた疑問に向き合うにつれ、眉間にシワがよるほどの深い緊張を滲ませる。
カルラディアの空の上、その空間が静寂に包まれると、その緊張を嫌うかのように少年が声を弾ませた。
「まぁ、何にしても、あの何も無い宇宙空間よりはマシじゃね?とりあえず降りて地表を探ってみようよ」
「そうだねぇ、まずは行って、見て、調べてみないと何も始まらないさねぇ」
少年の軽い声に励まされて、私は表情を明るくして応えた。
***
ところ変わって、ここはカルラディア大陸中央、バッタニア南東部。
夕暮れの草原に、焚き火の赤が揺れていた。
「ツィーラ!ツィーラ?どうした?」
カルラディア大陸中央のバッタニア地域南東部。
いつものメンバー、ツィーラ・セクンダ・ローエンを旗頭に兄のアルド、弟のノヴァと妹のホラ。そしてエルドレットと数人の兵士で野営をしようと飯炊きの準備をしている途中で、ツィーラが動きを止めた。
「ごめんなさい兄さん。……エネルギー切れです。」
ぐぅぅぅぅぅ……。
腹の虫の声が、焚き火の音よりも大きく響いた。
ツィーラはその場にしゃがみ込み、肩を落とす。
――またか。
ツィーラの背後で、長瀬良治は小さくため息をついた。
セクンダの身体にツィーラ(ボイジャー2)と長瀬が同化してから一か月。
三つの魂が一つの肉体を共有するという前代未聞の状態は、どうやら“燃費”が最悪らしい。
元の人格であるセクンダは眠り、長瀬が魔力機関として支えているものの、今主格となっているツィーラ(ボイジャー2)は元が機械(探査機)だ。
「お腹が空く」という人間の細胞の悲鳴を、彼女のシステムはまだ上手くエラー検知できないらしかった。
「よし、ツィーラは少し休んでていいぞ。俺が作る」
そう言いながら、兄のアルドは気合を入れて鍋に塩をドバッと投入した。
鼻歌を歌いながら、分身でもしたかのような勢いで干し肉と乾麺を乱暴に切っては鍋へ放り込む。
> 料理の基礎は、さしすそせ~♪
> 甘いも辛いも運次第~♪
> ひとさじの愛~ひとつまみの嘘~♪
> 味わえ我が家のミラクル料理~♪
――怖えぇんだよな、その歌詞。
長瀬は心の中でツッコんだ。
いつだったか、ツィーラが謎の歌を口ずさんでいた。
どこで知ったのか、それとも彼女自作の歌なのかも不明だが、この歌がローエン家に妙に浸透してしまい、誰も疑問を持たずに“暴力的な料理”を作るようになってしまった。
砂糖を入れて、沢山ね。入れた分だけ幸せが広がる。
塩も入れよう、砂糖に負けないように、兎に角一杯ね。
せ?ってなんだっけ?背脂かな?良くわからないけど一杯いれて。
隠し味にチョコレート。嫌いな人いないから、これも一杯いれていくよ。
最後に、入れ忘れた肉と野菜を、こっそりいれて完成だ。
みたいな恐ろしい歌詞だったのだが、誰もが疑問も持たずに、歌に合わせて料理に没頭するようになっていった。
ツィーラがエネルギー切れを起こす理由は、たぶんこれだ。
栄養はあるかもしれないが、味覚が死ぬ。
長瀬はそう確信していた。
――まぁ、実際食うのは俺じゃ無いし、栄養を取れれば問題無いだろう。
今は身体を持たずにツィーラに寄生しているような状態なので、特に気にする様子も見せなかった。
だが――。
**その時、ふと胸の奥に違和感が走った。**
――あれ? 俺、何か大事なことを話そうとしてなかったか?
思考の端に、何かが引っかかる。
違和感を掴もうとすると、霧のように消えていく。
まるで、記憶の奥に“触れてはいけない壁”があるような感覚。
長瀬は、ふと思案に暮れた。
はて、何だったか。ど忘れと言うか、ツィーラや、アルドの歌に気を取られて、直前まで何をしていたのか忘れてしまったのだ。
――この感覚、前にもあった。
眠る直前、怠惰に転がっている時、ふと閃く瞬間。
あれは誰にでもある“思考の淵”だ。
「そうだ……俺、何かを思い出しかけて……忘れたんだ」
長瀬は、ツィーラ達の食事準備を横目に、思考の深みに沈んでいく。
曖昧な記憶が押し寄せ、次の瞬間には霧散する。
まるで、誰かが“記憶の扉”を閉ざしているように。
――パンドラの箱。
――触れてはいけない知識。
触れてはいけないパンドラの箱を開けてしまったように、記憶の牢壁に阻まれる。
歳を取ると忘れやすくなるとか、ボケたとか、マイナス方向に悲観する事もあるが、実際に説明ができないような閃きと消失というのは、良くある事でもある。
指間から零れ落ちる水滴のように、何を悩んでいたのかすらも忘れ始めている。
不思議な現象だ。
「不思議……不思議か。……あるよな、こういうの」
長瀬は、焚き火の前でひとり呟いた。
「宇宙の闇だってそうだ。
オルバースのパラドックス。
星は無数にあるのに、なぜ夜空は暗いのか。
光は届いているはずなのに、届いていない。
矛盾だらけだ」
語りながら、まるで“不思議”と言う“ワード”に導かれたようにスイッチが入り、声は徐々に熱を帯びていく。
「天才たちは皆、謎を残して死んでいった。
ダ・ヴィンチも、アインシュタインも、ノイマンも。
彼らはどこから知識を引っ張ってきた?
なぜ“突然”閃いた?
なぜ“突然”忘れた?」
何か、目に見えぬ摂理に抵触してしまったのだろうか。この世の中には「触れてはいけない知識」が確実にある。いや、言葉を正そう。この世の中、もとい、この宇宙を含めた森羅万象の世界そのものに、触れてはならない知識がきっとある。
目の前の問題を解決しようとして、別の新たな問題が生まれると言う事もある。
古代でもアルキメデスやアリストテレスなどが誕生しているし、彼等の類まれなる知識はいったいどこから湧いて出てきたのだろう。そして、後世に伝えられなかった知識もまた、膨大な量だったのではないだろうか。
焚き火の炎が、プロジェクタースクリーンのように長瀬の瞳に映る。
いくつもの思考がマルチに加速し始め、次々と不思議な後景が脳裏に浮かんでは、また消えていった。
何かに干渉されたように興奮と沈着を繰り返しては、深い思考の沼に沈んでゆく。
「もしかしたら……俺たちは“見てはいけない真理”を、
時々、ほんの一瞬だけ覗いているのかもしれない」
思い返せば、自分にもそんな「認知のバグ」のような奇妙な経験があった。
それは、誰もが一度は経験する、説明のつかない日常の歪みに似ている。
外光が完全に遮断された真っ暗な部屋の隙間から、あり得ない灯りを見たような錯覚。気のせいだと処理され、翌朝には忘れてしまう程度の小さな不可思議。眠気のせいか、それとも何度も同じ夢を見ていたのか。
脳の生理現象だと言ってしまえばそれまでだが、今思えばあれも、何かの『境界』を脳が都合よく処理した結果だったのではないか。あるいは真理の究明を阻む「世界の壁」の仕業だとしたら。
垣間見た知識を忘れさせられ、忘れたことすら認知できずに、私たちは平穏な日常へと戻される。
まるで、狐に化かされるか、弄ばれているようではないか。
「覗いた瞬間に――忘れさせられる。
記憶の牢壁に閉じ込められる。
触れたらいけない知識……か」
――もし、あるいは何らかの形で記憶の堅牢を突破して、知れてはいけない超化学が人類に広まってしまったら、抵抗できない天変地異で浄化されるのかもしれないな。滅びた超古代文明やノアの箱舟のように。
その声は、もはや誰に向けたものでもなかった。
――あぁ、そうだ。
突然、長瀬の思考が跳ねた。
「上空だ……!
俺、上空の探知に反応があったって言おうとしてたんだ!」
長瀬は、慌ててツィーラとプリムスに向けた精神通信を飛ばす。
--ツィーラ、プリムス。上空に“何か”が現れた。
--突然だ。迷い込んだ……いや、違う。これは――
そこまで言った瞬間。
**思考が、ぷつりと途切れた。**
「……ん? 俺、何を……?」
頭の中に、黒い靄が広がる。
思考が勝手に別方向へ誘導される。
――不思議だ。不思議……不思議……。
長瀬は抵抗しようとするが、思考は勝手に“宇宙の謎”へと逸れていく。
「ブーテス・ボイド……宇宙の超空洞……
銀河が存在しない巨大な空白……
あれは何だ? 墓場か? 境界線か?」
焚き火の音が遠ざかり、世界が歪む。
「ブラックホール……
時空を歪める穴……
情報は消えるのか……?
それとも……」
長瀬の思考は、もはや自分のものではなかった。
**何かが、彼の精神に干渉していた。**
未来から飛来した“因果の余波”。
超空洞の片隅に生まれた、小さなブラックホールの“影響”。
それは、まだこの世界に姿を現していない“二つの魂”の到来を告げる前兆だった。
お久しぶり、天音樹です。
もうそろそろ夏休みの時期になりましたし、そろそろ続きを書かないとって思い書き始めました。
当初の予定では、第二章を書き終えてから順次公開していく予定でいましたが、中々先に進めずまだ試行錯誤している最中だったりします。
けれど、このままでは何時まで経っても公開に踏み切れないと判断したので、とりあえず22話を公開いたします。
宇宙探査機が自我に目覚めて、マウントアンドブレイド2の世界観をモデルとした異世界を冒険する物語。
第二章。少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
また、本作中のローエン家で流行った歌。「ミラクル料理-地獄編-」は、実際に作詞した曲があります。
リンク先を張ると、不審に思われる方もいると思いますので、気になる方がいたらご自身で検索して聞いてみてくださいね。
※尚、私が無名の為、ミラクル料理で検索してもヒットしません。検索する場合は「天音樹」「suno」で検索していただければ、何かの曲がヒットして辿れると思います。お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします。
らららるら、ら~ららら♪
生き延びられたら伝説になれる♪
地獄の宴か、天国の夢か、答えは皿の上にだけある♪
一握りの夢、いくらかの希望。
おまたせ♪ 私のミラクル料理、さぁ召し上がれ♪
それでは、本日はお日柄も良く、ごにょごにょごにょ。
では~、アディオス、アミーゴ!!




