長かったプロローグ
気付くと見たことがある天井が見えた。
モーネ亭の俺が取った部屋の天井だ。
なんか薄暗いな、まるで明け方のような。
「どうっつああぁ!?」
左腕に激痛が走って反射的に上半身を起こす。
「は?」
左手を見ると、肩から先が無くなっていた。
正確には肩から少し下に行った所からだが、さしたる違いは無いだろう。
「いっつう!」
また痛みが走って右手で左手を押さえる。
「ご主人様!?」
「え? うわっつぅ!」
声がした方へ振り返った瞬間、誰かが抱きついて来た。
いや、俺をご主人様と呼ぶのは一人だけだから、誰かじゃないな。
痛みを堪えてゆっくりと確認する。
「ジーナ?」
「はい、はい!」
顔をうずくめていたジーナが顔を上げる。
彼女は泣いていた。
泣き顔も可愛いけど、なんか男としてやっちまった感もあるな。
なんとも複雑な心境だが、今はそれよりもやるべき事がある。
「ほらほら、綺麗な顔が台無しじゃないか」
ちょっとくさい台詞を吐いてしまって照れつつ、彼女の頭を出来るだけ優しく撫でる。
「誰のせいだと思っているんですか!」
「……まあ俺だよね」
左腕を見る。
うん。もし俺が逆の立場だったら、猛烈に心配するな。
「ご主人様、どうしてサモンを使わなかったのです。何度も呼びかけたのに!」
「呼びかけた?」
そう言えばうっすらとサモンの文字が頭に浮んでいた気がする。
「私の胸に急に印が浮んで、コールという文字が頭に浮んだんです。きっと、ご主人様に何かあったと思って、何度も心の中で唱えたんです。でも、何もおきなくて、印の光りも、段々薄くなっていって……うう」
ジーナが声を震わせながら、それでも頑張って説明してくれる。
その間も俺は彼女を落ち着かせようと優しく撫で続ける。
多分俺に何かあると使い魔に印が浮んで知らせる。
そして使い魔がコールすると、主人の頭にサモンが浮ぶと。
サモンと念じていたらジーナを呼び出せたのではないだろうか。
でもそれだと緊急時に使えないよな……いや、それより俺に何かあったら使い魔に知られる。
つまり心配をかけるって事だよな。
俺は無知であったこと猛省する。
「その後はどうしたんだ?」
「急いで館長に説明して、一緒にコロッセオに向かいました。スポンサーであることを証明して、入場して、それで治療室に案内されて、治療されているご主人様が……」
「そうか……俺が宿屋にいる理由は?」
「ご主人様、もう大会から二日経っているんですよ」
「……二日もか」
随分と暢気だなぁ俺は。
他にも聞きたいことはあるが、今聞くのは無粋だろう。
「心配をかけてごめんなジーナ。もう大会は終わったんだから大丈夫……」
「はい……」
ジーナが袖で涙を拭う。
よくよく見れば机の蝋燭に火が灯っていた。きっと看病してくれていたのだろう。
あ、ジーナ私服なのか。
俺から離れたことでジーナの姿が蝋燭の明かりに照らされる。
シンプルな作りの無地の長袖のシャツと、長いチェックのスカートを履いてた。
色合いは流石に薄暗くて分からなかった。
これはこれでジーナ自身の魅力を引き立たせていてグッドである。
ま、声には出さないけど。
「今って、もしかして明け方か?」
窓の外の明るさ具合から判断してジーナに尋ねる。
「はい」
「ジーナは館に戻るのか?」
「はい。ご主人様が目を覚ましたら、一度だけ館に戻ります」
「ん? 一度だけ?」
エルメイルさんって優しいけど仕事はちゃんとやらせるきっちりした人だから、看病の時間の仕事の合間の限りだと思ったんだが。
「私はもうご主人様のものですから、お別れの挨拶と引継ぎのために戻るだけです」
「え? ジーナが俺のもの?」
ジーナが机の引き出しから二枚の紙を持ってやってくる。
「それは……」
二枚の内、一枚だけはすぐに何か分かった。ジーナの身請けの契約書だ。
「優勝はできませんでしたが、目標の十万MS以上の収益が出たと、館長が認めてくださいました」
「そうか……」
元々俺は十万MS稼げれば良かったんだし、優勝は出来なかったが、何の問題も無い。
心残りがあるとすれば、レイナと決勝で戦えなかったことくらいか。
「ご主人様、こちらの二枚に血判を」
ジーナがナイフを取り出す。
け、血判なんだ。
ナイフを受け取ろうとして左手が無いことを思い出す。
「あ、す、すいません。配慮が足りませんでした」
「いや俺も忘れてた。それじゃジーナがナイフを持っていてくれ」
ジーナが両手でナイフを持って、その切っ先に親指を押し当てる。
親指に軽い痛みが走ったが、正直左腕の方が痛くて殆ど気にならない。
赤い雫を走らせる親指をジーナが指示した場所に押し当てる。
血判の横に二文字で何か書かれていた。
「もしかしてこれでソラって読むのか?」
「はい。これがご主人様の名前になります」
へ~こんな文字なのか、
もしかしたら単語としての空は別の字な可能性もあるが、とりあえず覚えておこう。
「これでもう私はご主人様のものです」
「そっちは?」
「こちらは後で館長が説明してくれるそうです。血判が必要でしたので、一緒に置いて行きました」
「そうか……ジーナ、その身請けの契約書ってのは、ただの紙か?」
「はい。少しいい紙を使ってはいますが特に呪い等はかかっていません」
「こういう契約書の契約を無視するとどうなるんだ?」
「契約をした後に契約を無視して逃げ出したり、正当な理由も無く一方的に反故にすると、問答無用で騎士団に捕まります」
うわ。やっぱどの世界も簡単に契約書にサインするべきじゃないな。
「私のような身請け契約は、完全に契約者の所有物扱いになりますので、契約者の望む罰が下されます」
「……それって、契約者が騎士団に殺してくれと頼んだら、殺されてしまうのか?」
「はい。その通りです」
随分と物騒な話だが、今のでますます決意が固まった。
「ジーナ、机の上の蝋燭を取ってくれ。それとこっちは机の引き出しにでも仕舞っておいてくれ」
「あ、はい」
俺はジーナから身請けの契約書の方を受けとる。
少ししてジーナが蝋燭の灯る燭台を持って来てくれた。
「これが無くなればジーナは借金とかその他諸々から開放されて自由なんだな?」
「え? ええ、そうですが……」
俺が躊躇わずに契約書を燃やす。
「ご主人様なにを!?」
「さあジーナ、これでもう自由だ。好きな選択をしてくれ」
「好きな、選択……」
「選択を狭めていた枷はもう無い。俺と一緒になるよりも大事なことや、成したい事があるのなら、そちらを選んで貰いたいと思う」
俺はジーナに向かって掌を向ける。
「先に言っておく。俺はハーレムを作るつもりだ。俺の手を取るなら、そのつもりでいて欲しい。それと、たとえ俺の手を取らなくても、ジーナが一人で生きていけるようになるまでは、友人として一緒に行動しようとは思っている。いきなり着の身着のまま放り出したりはしない。約束する」
「…………」
黙って俺の手を見詰めているジーナに、最後に俺の気持ちをぶつける。
「ただ、もし俺の手を取ってくれるのなら。必ず幸せにしてみせる。俺が一生支えてみせる」
「ご主人様……」
ジーナが視線を上げて一度だけ俺を見詰めると、両手を握りしめて目蓋を閉じた。
「……それでは駄目です」
目蓋を開けて真剣な表情で、ジーナはそう言い放った。
「そうか……」
少し、いやかなり残念だが、仕方ない。
そう思いながら下ろし掛けた俺の手を、ジーナが両手で包み込んだ。
「一緒に、幸せになってください。まだまだご主人様を支えるには力不足な私ですが」
視線を上げてジーナを見詰める。
彼女は顔を赤くし、困ったような表情で、けれどとても優しい笑顔を浮かべていた。
ああそうだったな。また間違えるところだった。
俺は俺の大切な人とみんなで幸せになりたいんだ。
「ああもちろんだ。二人一緒に幸せになろう。そのために、一緒に強くなろう!」
俺はジーナを抱きしめる。両腕じゃないのが残念だが、ある意味これを教訓として生きていこう。
「はい……愛しています……ご主人様」
ジーナも俺の背中に腕を回す。
そしてどちらからともなく唇を合わせ、肌を合わせて愛を確かめ合った。
久しぶりに感じたジーナの愛は……とても激しかった。




