バースデイ
私は彼を裏切った。
この秘密を、ついに誰にも打ち明ける事が出来なかった。怖かったのだ。彼から譲り受けた癒しの力が、一転して裏切りの報いとなり、私の身に降り掛かる事が。
だから、この書に私の遺言と、私の知る限り魔王の全てを記すことにした。
私の犯した罪はきっと多くの人々を苦しめる事になる。
なればこそ、せめて残りの生を費やして祈り続けよう。魔王を倒し得る真の英雄、真の勇者が現れん事を。
——魔王国勃興記 あとがきより
「ついに追い詰めたぞ! 魔王ジークフリート!」
「賊風情が、此処を何処と心得る。魔王様に変わってこの忠臣アトラスが駆除してくれるわ」
私達はついに魔王城の居城に踏み込んだ。重厚な広間の奥。黒曜の玉座に座す人影に侍る、燕尾服の老爺が立ち塞がった。
レギンは剣を、ガレスは拳を、私とミーニャは杖を構える。緊張感が高まり老爺が一歩踏み出した時、奥の人影がゆっくりと立ち上がった。老爺は慌てて振り返り、膝をつく。
「良い。アトラス。丁度暇をしておった。儂がやる。何より其方が戦うと羽が舞って鬱陶しい」
「御意」
広間の抜けるように高い天井付近から差し込む月光が、人影の相貌を暴く。
細く長い体躯、しなやかに引き締まった筋肉。そして、中性的で整いすぎた顔立ち。初代聖女の血のせいか、その美貌は何処かミーニャに似ていた。
「さてと、勇者と言うものと戦った事は実は何度かあるのじゃが。どいつもこいつも、弱い癖に中々屈さぬ。玩具としては上等よのう」
ジークフリートはクスリと笑う。顔立ちはそっくりなのに、その笑みはミーニャと違って凶暴な獣を思い起こさせた。
「ガハハ! 勇者だけじゃあ無いぞッ! まずは俺の相手をして貰おうかァッ!!」
ガレスはずんぐりとした足の筋肉を膨らませる。飛びかかった戦士は魔王の顔面に拳を振りかぶる。すかさずミーニャがガレスの肉体を強化した。
「ダラァッ!」
日焼けし鍛え抜かれて毛羽だった拳は魔王の鼻面を撃ち抜く。しかし、太く鍛え抜かれた腕は小枝のように折れるた。一方でジークフリートの鼻は曲がるどころか、かすり傷一つ負っていない。
「“アスクレピオスの杖”」
ミーニャが光り輝く杖を召喚し、広間の床に突き立てた。ガレスのひしゃげた腕が瞬く間に元通りになる。
「ガハハ! 安心したぞ魔王。それでこそ殴りがいがある!」
「この光、懐かしい。母上の術か」
しかし、ガレスの口上には興味も示さず。ジークフリートは瞬きの間にミーニャの目前まで移動した。細い首を魔王の右手が掴み、絞め上げる。
「ぐっ、カハッ」
「ミーニャを離せ!」
「“八咫烏”」
レギンが聖剣を魔王の後頭部に叩きつけ、私はできる限り最大の火球を放つ。だがジークフリートは炎を一息で吸い込み、そもそもレギンの攻撃には気付いてすらいなかった。
「むぐむぐ。これまた懐かしい。腹が減ったと駄々をこねる儂に父上がくれた菓子の味だ。少々薄味だが。人間にしては腕が良い」
「ハアッ!」
聖剣は刃が立たず、魔王の体に支えられる形で浮いていたレギンは、腰を捩って細身の腕を蹴りつける。
「おお、勇者よ。そこにおったのか。後でたっぷり相手をしてやるから、今少しお眠り」
魔王の目が怪しく光り勇者の体は糸が切れたようにカクンと崩れ落ちる。一方で首を絞められたミーニャも意識を失い、広間を満たす光の波動が潰えた。
「ガハハ! 未だかつて無い窮地、心が躍る! 俺の——、」
「やかましい」
ジークフリートは一言だけ呟き、指を鳴らした。それと同時にガレスの頭部が弾け飛ぶ。
仮にミーニャの回復があったとしても間に合わない。それは見間違えようの無い即死だった。
「さて」
「ヒッ」
魔王の銀の瞳が収縮し私を映した。自分の死を悟り、喉が凍てつく。
「ふふふ、怖がらなくとも良い。先程までは勇者と聖女に興味を持っていたが、今は寧ろ其方に興味がある。先程味合わせてくれた炎は中々良い味じゃった。もし其方が儂の僕になってくれれば、この2人は殺さずに帰してやろう。1人はうっかり殺してしもうたが、悪い提案ではあるまい?」
……仲間を見た。
血と脳漿に沈むガレス。そして、床に転がるレオンとミーニャ。2人だけでも助かるなら。
思考が魔王への恐怖で萎縮し、私は何が自分の意思なのか分からなくなってしまいそうだった。
しかし、突然脳裏に魔王に焼かれた故郷の風景が蘇った。夏には畑が緑で埋まり、秋には日光を照り返して黄金色にキラキラと輝いた。冬は内職や賃借業で日銭を稼ぐ。
素朴で何処にでもあるような生活だったが、失った今となってはどれだけ望んでも戻ってはこない。
私から、私達から日常を奪った仇が目前にいる。思い出せ。私は今日まで何の為に鍛えてきた。
「私は……私の答えは、これだ! “八咫烏”」
震える指でカマエルの杖を握り締め。魔力を限界まで解き放つ。
先程より一回りも二回りも大きい筈の炎を、しかし、魔王は易々と吸い込み、腹の中に収めた。
「一応、確認しておくが。今のは攻撃……で、あっておるかの?」
「クッ、ハアッ!」
杖を握り直し、魔王に殴りかかった。
「例え! 傷ひとつ! 負わせられなくても! 私はァッ! 戦って! 死ぬ!!」
私の無様な動きを嘲笑うように魔王は身をヒラリと躱す。
「ハアッ!」
何度目かも知れない攻撃を躱して魔王の体勢が僅かに崩れた。その時、レギンが跳ね起き、ジークフリートの細い足を払って、聖剣を銀の瞳に突き込む。魔王は眼を見開き、刺突は間違いなく命中した。
「クッ、これでも……届かないのか……」
しかし、凡そ目を突いたとは思えない硬質な金属音が空しく響いた。
「ふふふ、この魔王の不意を付くとは。アトラスでは殺されておったな……さあ、2人ともお眠り」
魔王は再び目を光らせ、私とレギンの意識を刈り取った。
「ん、」
目が覚めると私はフカフカのベッドの上に寝かされていた。肌に触れるシルクの質感が心地良い。
「目覚めたか? 人間の魔法使い」
ぼやける視界の奥から、嗄れた声が話し掛けてくる。その声には聞き覚えがあった。何か絶対に忘れてはならない声。
——アトラス。
「……! お前、一体何のつもりだ!」
「黙れ。我とて業腹なのだ。魔王様を狙った賊の世話など。しかしながら、陛下はいたく貴様を気に入ったらしい。目覚めたら御身の前に連れて行くよう仰せつかっている、早く支度しろ」
「誰がお前達の言う事なんか! お前だけでも此処で倒す!」
私はサイドボードに雑然と置かれたカマエルの杖を手に取り老爺に向けた。幸い、使い切った魔力が多少回復している。これなら……。
「我は構わぬ。が、こうも仰せつかっている。我が無事でなければ勇者と聖女も無事ではいられない、とな」
「何……?」
興奮と希望が寝起きの倦怠感を一撃で吹き飛ばした。
レギンとミーニャも、まだ生きている。私は死んだって良い、でも2人だけは何としても逃さなくては。
私はゆっくりと杖を下ろした。
「ふ、その気になったか? それは残念」
老爺は皮肉気な笑みを浮かべて頭を横に振った。それから、私はアトラスに言われるがまま着慣れないドレスに着替えさせられた。
何度も躓きながら長い廊下を歩かされる。
ようやく突き当たりに辿り着くと大きな扉が聳えていて、アトラスは片手で軽々とそれを開いた。
そこは魔王との戦いを繰り広げた広間だった。かつて私達勇者パーティが蹴破った観音開きの鉄扉が、今は何事も無かったかの様に沈黙を守っている。
アトラスと私は右横にあった玉座の正面に回り込んだ。
「おお、おお。連れてきてくれたからアトラスよ」
魔王、ジークフリートは穏やかに笑う。
「は! ……小娘、頭が高いぞ!」
「良い良い。レッドアイと言ったかの、先も言ったが、儂の部下になってはくれぬか?」
「断る! レギンやミーニャを何処へやった!」
魔王は悲しそうに目を細めると、指を鳴らした。すると、玉座の左側の扉から使用人の姿をした魔物達が現れた。
「そうそう、其方。自分が、どれだけ眠っていたかは気付いているかの?」
「何……?」
「其方らが儂に挑んでから3日。その間、勇者で遊んでみたのじゃが、大した物じゃ。未だに闘志は衰えておらぬ」
そして、魔物達は肩に担いだ何かを床に放った。暫く転がり私の目の前で止まる。
「ミーニャ……?」
それは、体のあちこちが半端に食いちぎられ所々から赤黒い断面を覗かせる、変わり果てた聖女だった。
私はミーニャの脇にへたり込み、上半身を持ち上げる。
「ああ、無事、だったんですね。良かった……」
ミーニャは血に濡れた唇で微かに笑む。
「聖女には礼を言わねばならんな。食った側から回復してくれたおかげで随分と食費が浮いた。儂のペットの、じゃが」
魔王は手に乗った小さな虫を一頻り愛でると、火を付け焼き尽くす。
「愛くるしい見た目故、飼い始めてみたのはいいものの、中々どうして世話が焼ける」
「ミ、ミーニャ! 今すぐ回復を……」
「私なら、大丈夫。それより、レギンを、お願い、します」
ミーニャは途切れ途切れに口をモゴモゴと動かして、最後に1度微笑むと力尽きた。
「……話が違う。攻撃しなければ2人は無事だと」
「無事だったでは無いか。今までは」
「何処が!? “八咫……」
「待て!」
私は杖を握りしめて魔力を迸らせた、しかし、聞き覚えのある声に制止され反射的に炎を消す。
「レギン! 何処だ?」
私は声の主を探して辺りを見回した。
「僕は、此処だよ」
ミーニャが運ばれてきた扉からレギンがよろよろと現れる。
「レッドアイ、頭を使うんだ。今のまま、闇雲に戦っても、僕らに勝ち目は無い」
「れ、レギン……そんな……」
レギンは片目をくり抜かれていた。
恐らくミーニャの回復のお陰か、それ以外に目立った傷は無い。が、私が眠っている間に、どんな目に遭わされていたかは、容易に想像が付く。
「聖女が食われる様を見せ続け、本人にも少し拷問を加えてみたのじゃが、此処まで強固な意思を持つ者は見た事がないのう。凡そ正気の沙汰では無い」
「当然だ。君が暴力を振り翳せば振り翳すほどに、僕の背負う使命の重大さが身に染みたよ……ハアッ!」
レギンは聖剣を振りかぶり魔王の頭に振り落とした。
絶望的な戦況とは裏腹に、聖剣は不自然なまでの光沢を備えている。けれど、レギンの攻撃は相変わらず魔王から防御の動作すら引き出せていなかった。
「レッドアイ。冷静になれ、頭を使うんだ。君に出来る最善を尽くせ。その為なら僕の命だろうと惜しむな」
「な、何を言ってるんだ……私なんかどうでも良い! 生き残るべきなのは——」
「生き残るべきなのは君の方だよ。僕が死ねば新しい勇者は産まれる。聖女もだ。でも、君が死んだら君の代わりは産まれてこない。本当はガレスの代わりに僕が死んでたら良かったんだけ、どッ!」
言いながらレギンは更に剣に力を込めた。空っぽの目から血の涙が滴り落ちる。
「さて、再三の事じゃが。もう1度問おう。其方、儂の部下にならぬか? さすればこの者の苦しみを終わらせてやるぞ」
「レッドアイ……!」
魔王と勇者が同時に私に呼びかけた。
私はカマエルの杖を取り落とし、両手で耳を塞いだ。
もう何も見たくない、聞きたくない。知らなかった。自分がこんなに弱いなんて。私はもう無理だ。私の魔法が魔王に通用しなかった時とっくに私の心は折れていた。だから、戦おうとはしても、勝とうとはしなかった。
なのに、レギンは私に勝て、と言う。その重圧と向き合う事が私には何より恐ろしい。
耳を塞いだまま、まるで貼り付けたような調子で口が動いた。喉から頭全体へ伝わる振動は、こんな言葉を紡いでいた。
——私を配下にして下さい。魔王様。
「良い良い。其方を今日から四大魔将の一席に据える。儂のために働いておくれ」
耳を閉じているはずなのに魔王の言葉は溶け込むように、私の鼓膜を震わせた。
全てが終わった。
安堵した私が顔を上げた時、目に映ったのは雷の柱に飲み込まれ影だけを残す勇者の最期だった。
その後、魔王様は忠誠心を試すと言って私の身柄を1度王都へ返した。
王都は歓喜に沸き、私は手厚く歓迎された。3人が戦死した事を伝えると街の人間が総出で葬儀を催された。
「あ、レッドアイ様。良くお戻りになられました。貴女のお陰で聖剣を魔王に奪われずに済みました」
私が王城の廊下を歩いていると、荘厳なドレスに身を包んだ少女に呼び止められた。第3王女ダイアナだった。
「勿体なきお言葉ありがとうございます。ダイアナ殿下」
「お顔をお上げになって? 私など大した事は出来ないのに、王族などと担がれて……本当に尊敬されるべきなのは戦場で戦う貴女方だと言うのに」
私はダイアナの手を両手で包み込み、服の裾から炎の虫を潜り込ませた。蜘蛛の温度を彼女の人肌に調整したお陰で、気付かれた様子は無い。
「そう仰らないでください。私達庶民にとっては王族の方々こそ、希望の象徴なのですから」
「……ありがとう。私は私に出来る事を頑張ります」
自信を取り戻し、廊下を去っていくダイアナを見送りつつ、私は王族の名前を脳内で連ねる。
王、カルシス・ラグナ。女王、ヘリオス・ラグナ。第一王子、ペリオ・ラグナ。第二王女、ホルン・ラグナ。第三王女、ダイアナ・ラグナ………………。
王族の血を継ぐ者は分枝を含めれば60人を超えたが、私は3日のうちに全員と接触し、それぞれの体に虫を仕込んだ。
全ての下準備を終えた日の晩、貴族達によって、私が帰還した事を祝うパーティーが催された。
これまでに接触した王族もかなりの数が出席しており、始まってから暫くは野次馬に取り囲まれた。
どいつもこいつも、本当の戦いなど知らない屑ばかり。私は自分にそう言い聞かせ人気のないベランダに出て杖を掲げる。
後は一言唱えるだけ。それで私は本当に魔王様の配下になれる。だと言うのに口が強張って幾ら声を出しても意味のある言葉にならなかった。
「……! ……! ……!」
「声が出せないのかの?」
声がする方を慌てて振り向くと、闇から滲み出る様に忽然と魔王がそこに居た。
「ま、魔王様……やはり、私には出来ないのです。王族を焼き殺すなど」
「ほう」
「必ずや貴方様のお役に立ちます。どうか信用して頂けませんか?」
「そうか、まあ構わぬよ。儂もいきなり人間性を手放せるとは思っておらなんだ。少しずつ時間を掛けてやっていけば良い」
魔王は何気なく伸びをした。それから、ベランダの手摺りに身を乗り出す。
「ふむ、良い街じゃ。さて、折角来たのだ、ついでにこの街を焼いていこうかの」
「は?」
「ふむ? 何かおかしな事を言ったかの? この儂がわざわざここまで足を運んだと言うのに何の娯楽も見ずに帰るわけがない。見せ物は王族に提供してもらうつもりじゃったが、彼等は其方の獲物じゃからな。きっちり彼等以外に火を付けるから安心しておくれ」
「お止めください!」
私は、これから何が起こるのかを理解するなり叫んだ。
「何じゃ?」
「まさか、私が王族を殺せない限り何度でも街を焼き続けると……?」
「まあ、その時の気分次第じゃの。焼く時もあれば水没させたり、切り刻んだり、雷を落としたり。今宵は火の気分じゃ」
魔王様は音を鳴らす為、細い指と指を絡めた。
「分かりました! 私が、王族を殺します。どうかこの街の人たちは……」
「良い良い。儂は寛容じゃからの。移ろいやすい心も、また人間の愛嬌よ」
魔王は愛おしそうに私の顎を撫でて、数歩離れた。
やるしかない。
強く自分に言い聞かせる。
王族を殺さないと、より多くの人々が殺されてしまう。虫を仕込む際の王族達の顔が脳裏をよぎった。私は頭を振って嫌な考えを振り落とし、改めて杖を掲げる。
「“火土蜘蛛”」
私がそう唱えると背後のパーティー会場から、食器の割れる音と悲鳴が幾重にも重なって聞こえてきた。
「素晴らしいのう。幾百年と続いた王族が日一日で絶える。これほどの余興はそうは見られぬ。さあ、褒美を取らせよう」
「……ありがたく、頂戴します」
「これは、野道具。炎錫レーヴァテインと言う。さあ、新たな魔女の誕生日じゃ、あそこへ行って自己紹介しておいで」
魔王は私の背を押し、パーティー会場に戻らせる。
「おお! レッドアイ様。何者かに攻撃を受けている様なのです。どうかお助け下さい」
その時、私は自分でも驚く程に自然に微笑む事ができた。
「それには及ばない。王達を焼いたのは私なのだから。今こそ名乗ろう……私の名はレッドアイ。魔王様が麾下。四大魔将が一席。レッドアイだ」




