究極の個
アルとの一戦を終えエルノー村へ戻った翌日、俺は早速鍛錬を始めた。
「“天弩”」
スカーレットが詠唱と共に杖を振った。空から降り注ぐ炎の矢を、間一髪で躱し俺はスカーレットに肉薄する。
「駄目だ。もっと激しくしてくれ、こんなんじゃ鍛錬にならない」
「激しくって、これ以上やったら当たった時点で即死よ。いくらヘスの回復でも蘇生は無理なんでしょ?」
「この程度で死ぬぐらいなら、どのみち7日後に俺は死ぬ。いいから、やってくれ」
あの時、俺の斬撃を受けたアルの槍は微動だにしなかった。膂力もそうだが、タイミングを合わせられていた事も大きい。つまり、それだけ技量に差があるのだ。
「ねえ、気になったんだけど。何でアンタはそんなに頑張るの? 私には名誉の回復って目的があるけど、よく考えるとアンタって功名心とか旺盛なタイプじゃ無いし」
スカーレットは杖を下ろして、首を傾げた。
「……それは、俺が勇者に選ばれたからだ」
「それだけ? 他人に言われたからそんなに頑張ってるの?」
「他人じゃない。イゴールだ」
パズズと戦った時、アイツは俺に言った。俺程度でなれるのが勇者ならそんな物に興味はない、と。その時、胸中にあったのはイゴールに失望された事への寂しさと、安心だった。
幼少期、イゴールは常に俺の前を歩いていた。けど、勇者に選ばれた事で俺がアイツの前を歩かないといけないのかと思うと、怖かった。だから、安心してしまった。でも、それは過ちだと直ぐに気付いた。
俺はイゴールから勇者に憧れる気持ちを奪ってしまったんだ。
それ以来、俺の人生はイゴールへの償いの日々となった。暇さえあれば体を鍛え、イゴールに頼ろうとする自分を常に戒めた。そこまで努力しても依然として俺の前を歩く奴に劣等感を抱き、そんな自分を嫌悪した。
しかし、この苦しみも魔王を倒しさえすれば終わらせられる。俺は腰に佩いた聖剣を抜き放った。
胸に抱える気持ちが、醜く変容してしまっている事を自覚していても、今更、立ち止まる事だけは出来ない。
「世間話は終わりだ。次を頼む」
黙りこくった俺を不思議そうに眺めるスカーレットに鋭く声を飛ばす。
「“天弩”」
要求通り、遥かに密度が増した炎の雨を掻い潜った。花蘇芳の足運びを利用して躱し、剣戟で炎を打ち払う。が、いずれの防御もすり抜けて一筋の炎が視界の端に抜けて行った。直後、脇腹に焼ける様な痛みを感じた。
「ガハッ!!」
俺は血を吐きながら続きの型を繰り出す。即死さえ免れればヘスの回復ですぐに治る。それからの7日間、貧血で倒れては鍛錬、倒れては鍛錬を繰り返した。
鍛錬に明け暮れた7日はとても短く感じた。約束の日、俺達は再びタイズ湖沼に足を向ける。
着いてくるなと2人に何度も言ったが、ヘスは相手が約束を反故にする可能性がある、と言って頑なに頷かなかった。
結果的にヘスとスカーレットまで伴う事になってしまった。
「参られたか」
アルは前回と同じ様に湖沼の畔に立っていた。俺と背後の2人を1度に視界に収めたが、何も言わずに目を閉じる。
「責めないのか? 1対1の決闘なのに仲間を連れてきた事」
「何を咎める事がある? 某が見初めた貴公の人柄であれば、その身を案じる者の1人や2人、いてもおかしくは無い。寧ろ、安心した。某の目は、まだ濁ってはおらなんだ」
俺は心の中で舌打ちした。魔物の癖に、戦い辛いったら無い。いずれにしても手加減できる相手じゃ無いが。
「もう1つだけ聞きたい。キサマの性分は魔王のそれとは異質に思える。なのに、どうして強さを求める? 何の為に高みを目指す? 名誉か、金か、それとも女か?」
俺は皮肉っぽく笑みを浮かべた。その時、初めてアルは不快そうに顔を顰めた。
「……事ここに至って、わざわざ言葉にする理由も乏しいが。敢えて語ろう。高みを求めるのは、某が、雄だから」
アルは噛んで含めるように時間を掛けて答えを返す。俺は泥臭い空気をゆっくりと吸い、聖剣の鯉口を切った。
「俺は、キサマに勝つ。これまでの全てに誓って、必ずだ!」
アルは先日携えていた三叉の槍とは別の槍を構えた。穂先は1本だけで、宣言通り特殊な力も帯びていないのだろう。にも関わらず魚人の発する迫力は先日の比では無かった。
「その意気やよし。いざ尋常に……参る!」
アルは咆哮を上げ、湿った地面を深く踏み込んだ。雨の様な激しい刺突の連続に対し、俺は基本的に回避に専念する。が、瞬間、刺突の1つを見切り、穂先を絡め取ってカウンターを見舞う。
「僥倖、僥倖。たったの7日で随分と腕を上げられた」
「今度は俺の番だ!」
お互いに浅く皮膚を裂かれながらも間合いを取って仕切り直す。
今度は俺から肉薄した。
「“花蘇芳”」
魔物の槍のスピードに対抗するには、意識ではなく反射から攻撃を繰り出せる、この技しか無い。
「また、この技か。後の先を取ってくれと、言っている様なものぞ!」
次の型を読み、それに合わせてアルは槍を繰り出す。俺は袈裟懸けに振り下ろしていた剣を途中で止めて、一歩踏み込み切先を突き出した。
「“花蘇芳・反曲し”」
剣と槍とが噛み合い、軋む。
俺の刺突を槍の柄の部分で受け流し、アルは後ずさった。
「ほう、技を読まれた場合の、言わば裏符があるか」
「その通り。そして、反曲しは、花蘇芳のどの型から、どの型へでも接続出来る。全てのパターンを網羅する事は不可能。これこそが“花蘇芳”の真価だ」
「なるほど。良い物を見せて貰った礼だ。某の奥義、受けてみよ」
アルは槍を持ち直して息を深く吸った。そして、長く吐き、吐き終える前に俺の間合いに踏み込んだ。
呼吸の間で俺の油断を誘った様に見えるが、そうでは無い。魚人の踏み込みの速度は、そもそも目視出来る領域のものでは無かった。
その勢いのままに繰り出される刺突を、俺はただ眺めた。鋼鉄の穂先が俺の眉間を貫く。そう思った矢先、不意に足元が滑った。
ただの偶然だったが、それに救われた。穂先は俺の眉間を逸れて、耳を削ぎ落とすに留める。
「ハッ!」
攻撃を外し、伸び切ったアルの腕に向かって俺は聖剣を切り上げた。魚人は慌てもせずに槍を器用に回し、半円を描かせて俺の斬撃を弾く。
「僥倖、僥倖。今のを、凌ぐか!」
アルはめげずに更に踏み込んで槍を打ち出した。そのスピードに“花蘇芳”で何とか追い縋るが、攻防は完全に拮抗する。
技と技。
勇者の名に誓って、一歩たりとも退けはしない。
俺が槍の穂先を斬り下ろすと、アルは更に踏み込み、槍の石突で俺の顔面を殴る。
再び間合いが開き、アルが刺突を放った。俺は柄の側面を転がり剣を薙ぐ。
俺の放った横薙ぎの腹を、アルは槍の石突で叩き、逸らした。
今までに演じた事のない剣戟は、俺の想像力を刺激し、動きの精細を研ぎ澄まさせた。きっと、剣と槍の向こうに居る魚人も同じ感覚を覚えているだろう。
「ハァッ……ハァッ……」
「ゼェッ……ゼェッ……」
全力の戦闘は、見る見るうちに体から力を奪い去った。それを取り戻すべく俺は口一杯に湿った空気を吸い込む。
一方でアルも息を乱していた。が、魚人の方は寧ろ、刻一刻と呼吸が浅くなっている様に見えた。
「ゼェッ……ゼェッ……。先の奥義。名を“久遠”と申す。どうか頼む。これより繰り出す某の奥義“久遠”を打ち破って見せてくれ」
その声音には闘争心ではなく期待があった。その意図は知る由もないが、きっとこの戦いはその為にあるのだと、俺は何となく察した。
「受けて立つ」
俺は一旦構えを解き呼吸を整える。
“久遠”の厄介な点は2つ。異常なスピードと、それによる重さ。仮にスピードに対応出来たとしても、重さに無理矢理突破されてしまう。
——一体、どうすれば。
周囲の情報が消え、世界の全てが遠のいたが聖剣の切先だけは残された。その剣はまるで俺に語り掛けるようにキラリと光る。
そうだ、惑わされるな。何であれ俺には鍛え上げた技しか無い。今の俺にできることをやるだけだ。
息を整え、心を鎮めるアルに対して俺は1人で“花蘇芳”を舞った。相手を伴わない殺陣は、空気と擦れ合い、型をなぞる度に発する音が徐々に高くなっていく。
81、82、83。
慣性がかかり、剣に重みが重なっていく。
一方でアルは槍を腰の高さに構えた。
89、90、91。
そして、アルは息を深く吸う。
95、96、97。
それから、長く吐き——、
98、99、100。
——泥を蹴る。跳ねた飛沫が落ちるより早く、槍の穂先は俺の目前まで迫った。
刺突が俺の眉間を貫く寸前、その動きが鈍くなり、それとは裏腹に俺の思考は加速した。
“花蘇芳”は1から100までの型を繰り返す技だ。しかし、日頃から思っている事があった。もう1つ剣を振れば、その速度は既存の型を遥かに超え得ると。
それ即ち、101の型。
「”雨燕”!」「“久遠”!」
俺の横薙ぎがアルの刺突を横合いから捉えた。刺突と斬撃は盛大な火花を散らしながら、お互いに弾き返される。
俺は踵で泥を削り、地面を踏み締めた。
クソッ、スピードは間に合ったのに、威力が不十分だった。技自体は悪く無い。100個目の型を早めに切り上げたせいで、重みが乗り切らなかったんだ。
「ゼェッ、僥、倖、ゼェッ」
アルも槍を地面に刺し衝撃を受け流し、辛うじて口を開く。そして、槍の柄から手を離した。
「来たれ野道具。流槍トライデント」
アルの弱々しい呼びかけに応じて三叉の槍が姿を現した。それを携えて、一歩俺に近づく。
「やはり、約束を違えましたね! レオン、加勢します!」
「手を、出すな!!」
俺は息を整えるのも中止して叫んだ。
「アル……どう言うつもりだ?」
俺の問いかけに答えず、アルは一歩、また一歩と近付き力尽きて膝をついた。
「ここまで来て、この戦いを穢すつもりか?」
「戦いは……もう終わった。貴公が“久遠”を受け止めた、その瞬間に」
アルがようやく口を開く。
「どう言う事だ?」
「そもそも某が魔王の様な外道の軍門に降ったのは、彼との決闘に敗れた後、四大魔将の地位こそ己を高める上で適していると悟ったからだ」
彼我の間合いを半分程度まで詰めた時、アルの目が白く濁り始める。
魚人は足を止めて、最後の力を振り絞りトライデントを泥に突き立てた。
「サハギンの平均的な寿命は17歳と言われているが某は今年で19歳。もとより先が短い事は分かっていた。だからこそ、魔王に勝ち、頂点に立つ為には、手段を選ぶ余裕など、ありはしなかった」
俺はヘスとスカーレットに目線を走らせて改めて釘を刺し、アルの途切れ途切れの言葉を待つ。
「しかし、武を極めれば極めるほどに魔王との距離を痛感させられた。“久遠”ですら、魔王の間合いに踏み込む事も出来なかった」
「……!」
「だから試したかった。“久遠”を打ち破る事のできる者が居るのかどうか。そして、もしも、その者に出会えたなら某の技を譲り、未来を託したかった」
アルは俺を見上げ、微笑を浮かべた。
「受け取って、くれるだろうか?」
俺は槍に近づき柄を掴んで引き抜く。
「野道具は所有者の死後、最初に手にした者に所有権が移る。もうじき、それは貴公の物になる」
「アルティメット・ワン。キサマに勝てなかった事は俺の一生の恥だ。だから、その恥は魔王を倒す事で雪ぐ」
「ふ……ふふ……かたじけ……ない……」
アルの張り出した目が完全に白く濁った。揺れていた肩が静かに止まる。微かな笑みを浮かべたままの魚人に背を向けて、俺は帰路を取って返した。
暫くして、背後から水音が聞こえた。おもむろに振り返ると魚人の体は影も形もなくなっていた。
きっと、奴も仲間に連れられて帰ったのだろう。この世で最も安らげる何処かへ、と。
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