勇者の力
遥か昔、天界には2柱の神がいました。
2柱は争い、どちらがより優れているかを決めようとしました。
1柱が大地を作ると、もう1柱は海を作りました。
1柱が人間を作ると、もう1柱は天使を作りました。
1柱が植物を作ると、もう1柱は鉱石を作りました。
2柱は競っても競っても、ついにどちらが優れているか決める事が出来ません。そこで、1柱は自らが生み出した天使を使い、もう1柱を天界から蹴落としました。
奈落の様に深い空を落ちながら、神は憎しみに駆られ、その姿は醜い竜と化しました。
竜となった神は、自らがもう1柱に似せて作った人間達を殺し、憂さを晴らしていました。
天界に残った神は自分と似た姿の者たちが虐殺されている事を憂い、下界に住む人の中で最も精強な雄に力を授けました。
神は言いました。
「この剣を持つ限り、汝は我の代行者とならん。されど、我と彼の竜は争い合い、ついに決着をつける事が出来なかった。我の代行者であっても勝てるとは限らぬ。故に、我の力をその血に刻みつけた。汝が滅すとも、子を成せば、最も濃い血を受け継いだ者に、その力は引き継がれん」
男は問いました。
「しかし、私には過分な力です。いつの日か邪悪なる絶大龍を倒した時、この剣は、新たな争いの火種となるでしょう」
神は答えました。
「良かろう。本来、この剣は壊れる事など無いが、たった1人当代の所有者にのみ破壊できる様に計らおう。我が力が不要とならば、その時は、所有者自身が剣を壊すが良い」
こうして神の力を手にした男は、絶大龍を倒す旅に立ちました。
やがて、人々は彼をこう呼ぶ様になりました。不撓不屈の英雄、勇者と。
——人類史 勇者と聖者 第1章第1節より
「おい、聞いたか? あの噂」
「聞いた聞いた。現勇者が元聖女に見限られたって」
「コホン」
酒場の片隅、くだを巻いていた酔っ払い供を、隣に座る聖女——ヘスが咳払いでたしなめた。すると、酔っ払いの1人の顔色が変わった。
「げ、勇者!」
「元、だろ? ちょっと不調になったってだけで直ぐに仲間を切り捨てた薄情者なんか、誰も認めねえんだよ」
俺は無言で席を立つ。
「レオン、大丈夫ですか?」
「今日はもう寝る。ほっといてくれ」
俺はヘスの声にも背を向けて、階段を上がった。
「おいおい、テメェの女に当たんなよ。勇者様ってのは女々しくてもなれるもんだったんだな」
聞こえよがしに放たれた侮辱にも、何も感じない。俺が勇者に相応しくないのは、誰に言われずとも俺自身がよく知っている。
酒場の2階は宿屋になっており、階段を登って直ぐにあるのが俺の部屋だ。ベッドで仰向けになると柔らかい感触が体を包み込んだ。仄かなロウソクの光が、眠気を優しく誘う。
イゴールとブカの森で別れて1ヶ月、俺とヘスは街道を南下し、タイズ湖沼から程近いエルノー村に滞在していた。
俺がイゴールをパーティから追い出した噂が広がるのとほぼ同時期に、元聖女が声明を出した。
——私は選ぶべき者を間違えました。先日の宣言を撤回し、改めて告げましょう。勇者は居ない、と。
教会の説教師や手書きの新聞が瞬く間に元聖女の発言を広めた。今や俺は勇者ではなく薄汚い裏切り者で、イゴールは悲劇のヒーローと言った雰囲気だ。
しかし、そんな風聞や元聖女の声明とは裏腹に俺の体から力が失われた感覚は無い。
少なくとも聖剣カリバーンはまだ俺を見放していないのか……?
俺はベッドの脇に寝かせた聖剣をそっと抜いた。度重なる戦いの中で傷一つなく、まるで新品の様に輝く刃。それを鞘に収め、かき抱いて眠った。
翌朝。上機嫌のヘスが銀色の瞳を輝かせて、俺の体を揺すった。
「レオン、レオン! スカちゃんが来ましたよ! マインツでイゴールに会ったんですって」
ヘスは黙っていれば精緻な相貌と陶器の様に白い肌をした美女だが。この女は人格が破綻している。それと同時に自分の恋心を思い返し、その度、情け無い気持ちにさせられるのだ。
「なら、スカーレットも俺に業腹だろうな」
「もう! スカちゃんは他の人達とは違いますよ。少しは人を信じて下さい」
俺が人間不信になった諸悪の根源が、悪びれもせずに言う。呆れを通り越して、知れず、嘆息が出た。
「彼女はイゴールに惚れてたろう。私怨を持たれていてもおかしくは無い」
「ええ!? そうだったんですかあ」
ヘスは白々しく口に手を当て驚いたフリをした。どうやら起き抜けからフルスロットルの様だ。
1階に降りるとスカーレットはテーブル席で朝食を取っていた。俺達に気付くなりこっちを睨みつけてくれる。俺は自嘲気味に笑みを浮かべつつ、彼女の対面に座った。
「この村にはいつ着いたんだ?」
「……3時間くらい前」
「そうか。先に仮眠でも取ったらどうだ?」
「平気。修行の時は徹夜なんて当たり前だし」
ぶっきらぼうに返しながらスカーレットはナイフとフォークを動かす。
「マインツでイゴールに会ったって?」
「ええ、アミリアって言う女の子と一緒に仕事してたわ。それにしても、アンタがイゴールの心配なんてどう言う風の吹き回し?」
「心配してた訳じゃ無い。ただ落ちぶれられても、俺の名に傷がつく」
それを聞いてスカーレットはわざとらしく噴き出した。
「冗談が上手くなったのね」
俺は渋面を作り、腕を組む。
「言いたい事があるならハッキリ言え」
「それじゃあ言わせてもらうけどねえ」
「あらあら、まあまあ」
立ち上がったスカーレットをヘスは満面の笑みで見上げた。何故この女は、こんなに幸せそうなんだろうか。
「アンタとイゴールの確執は側から見ててもすぐ分かる。だからってイゴールの不調にかこつけて、恨みを晴らす為だけに追い出す程、アンタが馬鹿じゃ無いのも分かってる」
「なら、何に怒ってる」
「本当は根っこの部分で通じ合ってる癖に、アンタもイゴールも距離を置いて、バッカみたい!」
全く。コイツはいつもこうだ。勇者パーティでも無い癖に、同期と言うだけで知った風な口を聞く。
「今、勇者パーティでも無い癖にって思ったでしょ。言っとくけど、それはアンタ達が仲間に入れてくれないせいなんだからね!」
「はあ……仮にキサマの言う事が正しかったとして、今更俺達にどうしろって言うんだ?」
「知らない! ただ見てて無性にイライラしたから八つ当たり!」
イゴールは勿論、ヘスにも噛みつかない癖に、俺にはこれだ。何故よりによって俺がスカーレットに妬かれないといけないのか、その事を考え出すと毎度、頭が痛くなる。
「まあまあ、スカちゃん。レオンにも色々あるんですから、私と一緒に見守りましょう」
「嫌よ。アンタに合わせたら気が触れるわ」
「ま、ご挨拶ですね。プンプン」
ヘスは腰に手を当てて上半身を左右に揺らす。俺とスカーレットは辟易して一斉に項垂れた。
「どの口で言うのよ。聖女でいる為に貞操を守った結果、性癖を拗らせた性女の分際で」
「人聞きが悪いですね。私はただイゴールとレオンを同時に自室に呼び、鉢合わせた際の地獄の空気を鑑賞したり。他の殿方から頂いた恋文をレオンに読ませたりして興奮すると言うだけの、至って普通の少女なのですよ?」
「アンタ女の趣味悪すぎ、引くわー」
「何故そこで矛先が俺に向くんだ!!」
俺は声を荒げたが、スカーレットは受け流して皿の上の料理を平らげた。
スカーレットが聞き入れるまで抗議を続けたい所だが、早々に諦めて話題を変えることにした。
「はあ……ところでここへ来る途中にタイズ湖沼は見たか?」
「見てないわ。街道を直進してきたから、何かあったの?」
「それがですね、スカちゃん。偵察に送ったミリシアが3日経っても帰って来ないのです。全員、総合ランクはA以上で固めたのですが、恐らくは……」
ヘスは一転して沈鬱な面持ちで俯いた。
「って事は、やっぱりいるわね。大物が」
「ああ、現状その偵察隊以上に強いパーティは、この村に俺達しかいない」
「俺達って、そこに当然私は入ってるのよね?」
俺とヘスは同時に頷く。
「よし! やってやろうじゃ無い。どうする、今から行くの?」
「いや、出立は夕方だ。戦闘が目的じゃ無いから、隠密しやすい夜に行動する」
「……ん? それ私行く必要あるの? 魔法使えないじゃ無い」
「勿論ありますよ。もしも偵察がバレて、戦闘になったらスカちゃんが頼りです」
イゴールが居ない今、スカーレットの面の攻撃は必要不可欠だ。加えて水棲の魔物に炎は相性が良い。
「所で、あの話って本当なの? 元聖女が声明を出したって奴」
「分からん。少し前に隠者の里から連絡があって、失踪したとか言う話は聞かされたが」
「し、失踪。アンタ心配じゃ無いの? 確か、元聖女ってアンタのお母……」
俺はスカーレットの言葉を遮って席を蹴り、勢いよく立ち上がる。
「レオン……」
「とにかく、だ! 出立は今日の夕方。俺は鍛錬してくる」
酒場を出て、村の外れに向かった。低木の梢に手を掛け、左腕の力だけで体を持ち上げる。
俺を41代目勇者に指名したのは、40代目の聖女であり俺の母のレイブン・クシラス。母は厳格で常に正義たれと俺を育てた。小さい頃はイゴールとバカをやる度に酷く叱られたが、いつからかそんな事も無くなった。
ふと、俺は旅に出る時、見送りに来た母の顔を思い出した。心配と冷徹が綯い交ぜになった表情だ。
懸垂を100数えた所で止めた。聖剣は今、部屋にある。が、例え千里離れていても所有者の力を増強させる。それが、聖剣カリバーンなのだそうだ。
俺は形だけの鍛錬を切り上げ、ストレッチするフリを装って、辺りを見回した。依然として羽虫の姿をした魔物がじっとりと俺に視線を向けている。
——イゴール。母は頼んだぞ。
俺は内心で独りごちた。そして、また自嘲気味に笑う。初めてパズズと対峙した時以来、それは俺の癖になっていた。
虫の視線をこめかみの辺りに感じつつ低木の下に座り込み瞑想を試みた。けれど、頭の中をイゴールや母の事ばかりが巡って到底無心にはなれそうもなかった。
——10年前。
僕はふらつく足取りで先を行くイゴールに何度も声を掛けようとしては、喉の奥で言葉を詰まらせていた。手の中には、ヘスの為に取った山桃がある。けど、僕の心は惨めさで一杯だった。
そうこうしている内に、木立を抜けて集落の入り口に辿り着いた。
そこは隠者の里。勇者と聖女の血筋を守り、力を保持する為に形成された集合体は、本家と分家に分かれている。
本家は可能な限り子供を作り、魔王を倒す旅に出る。分家の者は集落の管理をしつつ、場合によっては王都にある宮廷に助言を出す。
当然、分家の者は本家の人間を崇め、仕える立場だ。しかし実際にこの里を動かしているのは、分家の、隠者と呼ばれる存在だった。
「おい、着いたぞ」
俯きがちだった視線をぎこちなく持ち上げると、質素なログハウスから暖かい光が溢れていた。耳聡く僕達の足音を聞き取ったお母さんが、けたたましい音と共に扉を開け放つ。
「一体、こんな時間まで何処をほっつき歩いていたのですか!?」
仁王立ちするお母さんは銀色の目を、冬に最初に降る雪みたいに冷たく光らせた。
「何でも良いだろ」
物凄い剣幕で怒鳴るお母さんに怯まずにイゴールが口答えした。僕はもごもごと声が出せずにいて、辛うじて山桃をログハウスから漏れる光に当てる。
「その手に持っているのは、山桃? それを取る為に出かけていたのですか?」
僕は必死に頷く。するとお母さんは額に手を当てて溜息を吐いた。
「とにかく家に入りなさい。イゴール。貴方も」
イゴールの両親は、死んでしまっているそうだ。だから、お父さん、先代の勇者が死んで里に戻ってきてから僕達は、一緒の家に住んでいた。
「まあ、イゴール! 貴方、その怪我はどうしたのですか!?」
お母さんの声が鋭く跳ねた。そして、イゴールの体に軽く触れる。麻布の服は泥と固まった血で黒く汚れ、傷との境目が分からないくらいだった。
「あ、あのね! 僕、ヘスに山桃を食べさせてあげたくて、イゴールに道案内してもらったんだ。けど、道中で魔物に出くわして、イゴールが僕の代わりに戦ってくれたんだ」
イゴールが怒られると焦った僕は、自分でも驚く程の早口で捲し立てた。お母さんは目を閉じて、回復魔法をイゴールに施す。お母さんにはもう聖女の力が殆ど残っていないけど、加護もあるから魔法を使う事、自体に支障は無かった。
「あのね、だからイゴールの事は、怒らないで……」
言い終えるより早く、お母さんは僕の手から山桃を奪い取って地面に捨て、踏み潰した。
「ッ!」
「勇者ともあろう者が、他人を犠牲にして手に入れた物を人に贈るのですか? 恥を知りなさい」
「おい、鬼ババア! だからって踏み潰す事ねえだろ!」
「貴方には関わりの無い話です。体を洗って着替えてきなさい」
お母さんはピシャリと言い渡した。イゴールはしばらく逡巡したが、大人しく家に入って行く。
「お母さん、あ、あの、ごめんな……」
「謝罪した所で、貴方がイゴールを見捨てた事実が無くなるのですか?」
「僕、僕、そんなつもりじゃ……」
目の前には暖かく、明るい家があるのに、その手前に立ち塞がる壁は、決して越えられないと言うような気がする。強く吹きつける冷たい風が、僕の胸の中の絶望を掻き立てた。
「貴方の父も、そのまた父も勇者として魔王を倒す旅の中で死にました。その道程で数え切れないほどの人を救いました。己の身を顧みずに」
僕はどんな風に答えればお母さんが許してくれるのか必死に考えを巡らせる。けれど、心の底から湧いてくる言葉は1つだけだった。
きっと、その言葉を口にすればお母さんはますます怒る。それでも、僕は言わずにいられなかった。
「僕は……本当に、勇者なの? 本当に魔王を倒さなきゃいけないの? お母さん」
お母さんは僕の予想とは反対に悲痛な顔をした。貼り付けていた仮面が割れて、泣き出しそうな素顔がのぞいたみたいだった。
そのせいなのか、お母さんが一歩僕の方に近付いても、不思議と怖くなかった。
「……っ、レオンッ!」
「レイブン様」
お母さんが動揺を振り落として声を上げる。
その時、3対の翼をあしらった紋章を刻む札で、顔を隠した女の人が横から口を挟んだ。
「……隠者殿ですか。後にしてください。今、大事な話をしているのです」
「それは姉君の件よりも、でしょうか?」
その言葉でお母さんの顔に激しい怒りが差した。僕には一度たりとも見せた事のない激しい表情だった。
「レオン、家に入って夕食を食べてなさい。私は帰るのが遅くなるでしょうから、片付けもお願いしますね」
お母さんはそう言い残すと、女の人と共に去って行った。
「あ、レオン、大丈夫ですか?」
刻限を迎えて。俺が村の南門に向かうと既に装備に身を包んだヘスとスカーレットが待ち構えていた。
「問題ない。行くぞ」
「あ、あの、レオン……今朝は、ごめん」
街道に足を踏み出すとスカーレットが囁くように言った。
「ちょっとイライラして、言い過ぎた、かも?」
俺は目を丸くして背後を振り返った。あのスカーレットがしおらしく頭を下げている。かえって不気味だ。
「別に。気にして無い」
それは、俺の本心だった。今朝、スカーレットの言葉を強引に遮ったのは魔王の監視の前であれ以上、余計な詮索をされたく無かったからに過ぎない。
「本当に?」
スカーレットは弱々しく俺を見返す。
「ああ、そんな事よりその気持ち悪い顔はやめろ。キサマらしく無い」
「気持ち悪い!? ったく、まあでも、それもそうね。私らしく無かったわ、さ、それじゃあ気を取り直して出発よ! レオン! ヘス!」
スカーレットは勢いを取り戻し、軽やかに前を行く。
その背中に続いて1時間ほど歩くと、日はどっぷりと暮れ、月の光だけが柔らかく空に浮上した。ジメジメとした腐葉土の匂いが鼻を掠める。そろそろ、タイズ湖沼だ。
「2人ともフードを被れ」
光源は少ないが視界は十分に取れている。俺達はフードで顔を隠し、今まで以上に夜闇に紛れた。それから、湿った地面を踏みしめ、点在する葦のくさむらを掻き分けながら進んでいく
ハンノキの木立を抜けると、目の前に大きな湖が広がった。
湖面は嘘の様に凪いでいた。俺達は岸辺に沿って湖を回り込む。
「何もいませんね」
「相手はサハギンだ。今頃は水中で眠っているんだろう」
「それにしたって歩哨の1人や2人は居ても良さそうだけどね」
囁き声で会話をしていると、唐突に辺りに白い霧が立ち込めた。あっという間に視界が利かなくなる。
「霧……? こんなに突然?」
「某の野道具。流槍トライデントは水を生み出し、また形態を自在に操る。凝縮し氷にする事も出来れば、細かくして霧にも出来る」
白い闇の奥から答えた声に、俺達は一斉に武器を構えた。
「良い反応だ。またしても訓練された兵士が送り込まれるとは、僥倖、僥倖」
「我が名はレオン・クシラス! 第41代勇者だ! キサマの名を名乗れ!」
「某の名はアルティメット・ワン。魔王様麾下、四大魔将が1席」
やはり、いたか。しかし、霧に囲まれていては不利だ。
「スカーレット、この霧、どうにか出来るか?」
「難しいわね。それに、今ここにある霧を無くしたところで、また霧を出されるだけだわ。何とか凌ぐしか無い」
「その通り、これより某の1群がお相手致す。某と見えたければ相応の力を示せ!」
号令と共に夥しい数の水音が聞こえ始めた。
「来るぞ! スカーレット、頼む!」
「”照燕”」
霧から飛び出し、踊りかかってくるサハギンに、炎の燕が喰らいついた。
「ほう、これはレッドアイ殿の……」
「え、レッドアイ!?」
「スカちゃん。今は戦いに集中して下さい。援護します!」
「ヘス、ごめん。ありがとう」
勢いを失いかけた燕が再び力強く羽ばたいた。ヘスがスカーレットに魔力を供給し、魔法の持続力を支えているのだ。
その時、スカーレットの魔法を躱して、1匹のサハギンが漏れ出て来た。俺は素早く聖剣を抜き袈裟に振り下ろす。
「”花蘇芳”」
俺は剣技の名前を呟いた。花蘇芳は1から100までの決められた型を繰り出し続ける技だ。予め体に染み込ませた動きを反射的に繰り出し続け、溢れ出るサハギンの群れを完全に抑え込む。
「中々良い動きだ。しかし某の血族はまだまだ挫けぬぞ」
俺がサハギンの頭部に刺突を放つ。が、仕留めた筈の魔物は聖剣にしがみついて俺の動きの邪魔をした。俺はその体を蹴り付け剣を引き抜く。傍に視線を滑らせると一際巨体のサハギンが槍を振り下ろそうとしているところだった。
すかさず、その場で剣を下段から振り上げた。しかし、槍の穂先が俺の両手首を斬り離す。
「“アスクレピオスの杖”」
ヘスの詠唱と共に光の杖が現れた。それを地面に突き刺すと杖は地面に根を張る。杖から発される光が俺の体を包み、斬り裂かれた筈の俺の手首が瞬時に繋がった。
「ハァッ!」
回復と同時に槍の柄に飛び移って、一閃。
サハギンの首が落ちた。
「何と、ここまでの回復魔法は見た事がない」
霧の奥の声が舌を巻いた。俺はサハギンを斬り続け、白い蒸気が鮮やかな赤に染め上がる。
加えて、スカーレットの炎が俺より多くのサハギンを仕留めていた。焼け焦げた魚の匂いがむせ返るほどに漂う。
自分達の勝利を確信し始めた、その瞬間、何処からともなくその声はポツリと呟いた。
「そろそろ潮時か。“凝結”」
急にサハギン達の攻撃が止んだかと思うと、俺達の足に纏わり付いた泥が瞬時に凍りついた。
「くそ、足が!」
もがく俺達の目前に、霧の奥から1匹のサハギンが現れた。他の個体と比べても大した差の無い。何百と斬ったサハギンの内の1匹。そんな印象だった。
強いて違いを挙げればその手には三叉の槍を携えていると言う事くらいだ。
「クッ、“八咫烏”!」
スカーレットが巨大な火球を繰り出す。しかし、何処からともなく噴き出した水の柱が炎を貫いた。地面に命中すると、重たく低い音を響かせて地面が揺らぐ。
「レッドアイ殿と同じ魔法だが。威力は比べるべくもない」
そのサハギンは炎に怯みもしなかったが、地鳴りのお陰で凍っていた泥にヒビが入った。俺は足に力を込め、拘束から脱する。そして、一足飛ばしに肉薄し、サハギンに斬りかかった。
しかし、サハギンは軽々と受け止め、槍の持ち手を深く溜めて突き出す。返す刀で攻撃を弾くが、体が浮かび上がる。気付くと俺は湖の上空で錐揉みしながら落下していた。
水面に激突し、上下の感覚がめちゃくちゃになりながらも、俺は必死にもがいて岸辺に上がる。
——強い。
1合打ち合っただけで剣を持つ手が痺れた。このサハギンは別格だ。
「今一度名乗ろう。某は四大魔将、アルティメット・ワン。長ければアルとでも呼ばれよ」
俺は、ずぶ濡れになりながらも剣を構えた。奴が水を自在に凍らせる事が出来るなら、最早命を握られている様なものだが。俺は勇者として、最後まで敵の前で剣を引いたりしない。
「貴公のその強さ。感服致した。貴公さえ良ければ武人として1対1にて手合わせ願いたい。当然、貴公の混じり気のない力に敬意を表し、某もトライデントは使わぬ」
アルと名乗ったサハギンは三叉の槍を足元に突き刺し、腕を組んだ。
「お褒めに与って光栄だが、生憎俺は勇者だ。この体は聖剣によって強化されてる」
「否。これまで天に愛された類の者と手合わせして来たが、貴公はそのどれとも異なる。某の所感にすぎぬが、それは、鍛錬でのみ培われた、人という種の、極地。ここまで純朴で直向きな力と見えるのは初めての事。貴公を某の技だけで倒す事叶えば、某は更なる領域に至れよう」
アルは張り出した目を爛々と輝かせて語った。
それを聞いた瞬間。俺は胸の奥に熱を感じたと言わざるを得ない。
今まで勇者なのだから、強いのは当たり前だ、と言われてばかりだった。何より自分自身に、そう課してきた。そんな卑屈な俺に、この魔物は、どこまでも真っ直ぐだったから。
「いけません、レオン! 相手は魔王の配下なのです。そんな誘いに乗っては……」
「悪い、ヘス。それだけは聞けない。アイツは俺の努力を買ってタイマンを売ってきたんだ。ここでその誘いを蔑ろにしたら、俺はこれまでの俺を否定する事になる」
「そんな……! 相手が約束を守るとは限らないのですよ」
俺に近寄ろうとするヘスをスカーレットがそっと押さえつけた。
「スカちゃん、何するの!?」
「ヘス。今のレオンに何を言っても無駄よ。……私には、分かるから。アイツの気持ち」
「返答や如何に?」
俺は深く息を吸って、聖剣を握り直した。
「受ける」
「有り難い。しかし、今宵は既に疲労困憊であろう。日を改め、7日後、この場所で見えようぞ」
「分かった」
俺が頷くとサハギンは踵を返し湖に帰っていく。次第に霧が晴れ、月の光が湖面に揺れていた。




