第一話 転移の朝
完結保障、全68話。
毎日投稿予定。
月が出ていた。
石造りの窓の向こうに、白くて静かな月だ。外ではかすかに虫が鳴いている。
12歳のリサはベッドに横たわったまま目を開けた。
薄い意識のなか、しばらく天井を見ていたが、何かが変わった気がする。
でも、何が変わったのかは分からない。
体はいつもと同じだった。
布団の感触も、窓から入る夜風の温度も変わらない。
ただ、胸の奥のあたりに、何かが入ってきたような感覚があった。
液体が器に注がれるみたいに。静かに、じわっと。
何だろう? と思いながら、リサはまたそのまま眠った。
翌朝、いつもと同じ朝が来た。
髪を布でまとめた母親のノラが朝食を用意している。
3歳下の妹ナイアが「お姉ちゃん、顔色悪い」と言った。
「別に悪くない」と答える。
桶の水に顔を映す。日に焼けた肌と、一つに束ねた栗色の髪。顔色が悪いようには見えなかった。
昨日の自分と今日の自分が、ほんの少しだけ違う気がする。
体のどこかに、小さな異物が入っているような感覚。
怖くはない、何となく懐かしいような、そんな感じ。
幼馴染のアレック・カーレンといつものように広場で遊んだ。
アレックはリサと同い年の12歳。
赤みがかった茶色の髪で同い年の中では頭一つ分背が高く、体つきもがっしりしている。
いつも真っ先に動く。不器用で感情が顔に出やすかった。
彼が石を投げて遊んでいた。
その石が遠くの木の幹に中る。「タンッ」と乾いた音が鳴った。
その瞬間、リサの頭の端に知らない映像が浮かんだ。
広い緑の場所。遠くに丸い的。見慣れない弓を持った人たちが一列に並んでいる。
映像は瞬きひとつしないうちに消えた。
頭の中にもやがかかったような感じが残る。
「どうした?」とアレックが聞いた。
「なんでもない」とリサは答える。
知らない誰かの記憶のかけらが、ほんの一瞬、頭をよぎったような気がした。
夜になった。
ナイアが先に眠ってすやすやと寝息をたてている。
リサは布団の中で天井を見ていた。目を閉じる。静かな眠りが訪れようとしたとき、また見えた。
青い芝の先にある丸い的。
外側から白、黒、青、赤、そして中心に黄色。鮮やかな色だった。
的に向かって立っているのは自分だけど自分じゃない、もう一人のリサ。
綺麗な弓を持って、自分のまわりには叫んでいる人たち。聞いたことのない言葉。
もう一人のリサが弓を引いた。
「カチッ」という音がした。金属の、とても小さな音。
そのあと、自分の放った矢が飛んでいくのが見えた。
そこで映像は途切れた。
リサはゆっくりと目を開ける。
暖かい風が窓から入ってきた。
左手を見た。
何かを握る形に指が動いて、そのまま力が抜けた。
何を握っていた手なのかは、分からない。




