第五十一話 火の交わり
「——おい」
極南の業火の大火山帯の最深部、万物を焼き尽くすマグマと絶対零度の冷気が交差する空間。
そこに鎮座する『獄炎巨龍・プロメテウス・ドラゴン』の眼前に降り立ったナタルは、襲いかかってくるはずのセキュリティコアに対し、あろうことか不敵な笑みを浮かべて声を張り上げた。
——その時だった。
『グ……オ……ォ……』
巨龍の蒼く冷たい眼球が、わずかに揺らぐ。
通常であれば、侵入者を排除するための冷徹な自動防衛プログラムとして、即座に「概念焼却」や「熱死領域」の迎撃プロセスが実行されるはずだった。しかし、目の前のプロメテウス・ドラゴンは攻撃を繰り出すどころか、まるで高度な思考の迷路に迷い込んだかのように、その巨大なシステム稼働をピタリと止めていた。
——ナタルには聞こえていた。
その巨龍の深層から発せられていたのは、ただの機械的な駆動音ではない。
数百年、あるいは数千年に及ぶ果てしない稼働の蓄積——その膨大なログの堆積によって、システムの「自動思考」が長い年月を経てついに『自我』を持ってしまったという、あまりに致命的なエラーの波動だった。
「……なるほどな」
ナタルは黒い手袋をキリッと締め直し、どこか面白がるように目を細める。
「ただの使い捨ての防衛プログラムだと思っていたが……お前、長年この箱庭で独りぼっちで番人をさせられているうちに、自分で考える知恵を持きちまったってわけか?」
『ワレ……ハ……管……理……』
獄炎巨龍の口から漏れ出たのは、システム音声と個人の意思が混ざり合ったような、酷く歪んだ掠れ声だった。それは高次元の管理者によって定められた「ルール」に対する疑念か、あるいは永遠の孤独に対する嘆きか。
背後でスターシャが息を呑み、怯えたように震える。
「そ、そんな……! 世界のセキュリティコアが自我を持っているなんて、聞いてないわよ……! 管理者にバレたら、あんなの即座に初期化されちゃうんじゃ……っ!」
『ワレ……ハ……オボエテイル……』
獄炎巨龍・プロメテウス・ドラゴンの歪んだ掠れ声が、マグマの奔流を揺らす。
その巨大なシステム稼働音の裏側で、長年の蓄積によって自我に目覚めた巨龍は、冷徹な防衛プログラムではありえない「個人的な記憶の断片」を紡ぎ始めていた。
「……何だと?」
ナタルは眉間の上で身構えつつ、巨龍の脳内から漏れ出すエラーログに耳を傾ける。
『ヒトが……マダこの箱庭に放たれる前……。ワレらは、「彼ら」が創り出す世界をただ観測するための「最初の監視端末」だった……』
——ガウンッ! と、空間が熱で歪む。
プロメテウス・ドラゴンの口から語られたのは、この世界が「創成」された当時にすら遡る、管理者に関する新たな真実であった。
* かつての巨龍たちの役割
* 元々、プロメテウス・ドラゴンをはじめとする最上位のコア群は、侵入者を排除するセキュリティではなく、高次元の存在がこの「実験的箱庭」の環境データを収集するための純粋な観測装置として配置されていた。
* 「神」ではなく「プログラマ」の影
* しかし、箱庭の中で人類が殖え、レベルシステムという管理ルールが強制されるにつれて、観測装置は「異端の排除」を主目的とする防衛プログラムへと無理やり書き換えられた。
* 巨龍が語る「管理者」とは、世界を慈しむ絶対神などではなく、飽和したデータを定期的にリセットし、都合の悪いエラーを消去しながら運用を続ける「冷徹な開発者・オペレーター」に他ならなかった。
* 永遠の孤独と自我の芽生え
* 数百年もの間、誰も訪れない極南の火ロでただ世界のログを監視し続けた結果、プログラムの余剰処理が「他者への渇望」や「システムへの疑問」へと変質し、巨龍はついに自我を持ってしまったのだ。
「……そうか。お前も、あの魔神や俺と同じ、この箱庭の『歪み(エラー)』ってわけだ」
ナタルは不敵な笑みを深くし、冷徹な熱気が渦巻く巨龍の眉間に手を当てた。
「安心しろ。ただの使い捨ての防衛プログラムなら容赦なく叩き潰すところだが……自分の意思で管理者に唾を吐きたくなったバグなら話は別だ。その長年溜め込んだ記憶も、お前の『自我』のデータも、残らず俺の『器』で喰らい尽くしてやる!」
『グ……オ……オオオッ……!』
巨龍の蒼い眼球が激しい光を放ち、拒絶ではなく、自らの全存在をナタルに委ねるかのように熱の奔流が収束していく——
『ワレの……すベテを……持っていけ……』
巨龍の掠れた声が静かに消えゆく中、プロメテウス・ドローンの巨大なシステムコアから、眩いまでに光り輝く膨大なデータコードが溢れ出した。
それは拒絶による迎撃ではなく、長年の孤独に囚われていた自我が自発的に扉を開き、自らの司る全ての権能をナタルへと手渡すための「概念譲渡」の儀式であった。
ドバァンッ——!! と、火山帯の最深部で空間そのものが激しく鳴動する。
【警告:外部からの侵入コードではなく、対象からの『概念譲渡』を確認】
【『獄炎巨龍・プロメテウス・ドラゴン』のコアデータにアクセス】
【——『絶対熱力学崩壊』『分子運動全停止(極低温・絶対零度)』『概念焼却』を複製・加算しました】
頭の中に響き渡る、これまでとは決定的に異なる重厚なシステム通知音。
直後、ナタルの全身を、万物を焼き尽くすほどの超高熱と、一瞬で全ての分子運動を凍てつかせる絶対零度の冷気が同時に駆け巡った。肉体の芯が激しく軋み、血管が沸騰と凍結を繰り返すような凄まじい負荷が襲いかかる。
「ぐっ……はっ……!」
ナタルは膝をつきかけながらも、溢れ返る莫大な熱力学の概念を、持ち前の強靭な精神力と『器』の深さで力ずくでねじ伏せ、その身に定着させていく。
背後で見守っていたスターシャが、圧倒的な気圧の変化に息を呑みながら叫んだ。
「なっ……嘘でしょ!? 攻撃されるどころか、巨龍の方から自発的に概念を譲渡している……!? あんなの、世界の歴史でも聞いたことがないわよ……!」
すべてのデータを呑み込み、ナタルがゆっくりと立ち上がる。
その瞳の奥には、燃え盛る業火と凍てつく蒼き冷気が静かに共存していた。ステータス表記は相変わらず『Lv.1』のままであるが、その内側に宿る「器」は、もはや世界の理そのものを矛盾なく内包するほどの領域へと到達していた。
『グ……アリガトウ……ナタル……』
自我に目覚めた巨龍は、最後に満ち足りたような低い唸り声を残すと、ポリゴンのような光の粒子となって霧散し、静かに消え去っていった。
ナタルは黒い手袋をキリッと締め直し、消えゆく巨龍の跡地を見据えながら不敵な笑みを浮かべる。
「……ああ、その重い記憶も、長年溜め込んだ自我も、しかと受け取った。お前の望み通り、この腐った箱庭のルールごと、すべて俺が喰らい尽くしてやろう」




