第五話 戦いの日々
「……行くぞ」
ナタルの静かな一言とともに、迷宮の暗闇の中へと踏み出す二人の足音が響いた。
追放されたあの日から、ナタルの目的は明確だった。自分を足手まといと見下し見捨てた元仲間たちへの復讐、そしてこの世界の頂点に君臨する怪物たちを踏みにじり、理の先へ到達すること。
傍らを歩くのは、Lv.250を誇るハイエルフのスターシャ。彼女はナタルの異質さに戦慄しながらも、未知なる存在への興味からその足跡に追従していた。
「ねえ、ナタル。あなたのその『器』を広げるためには、ただ魔物を倒すだけじゃダメなのよね?」
スターシャが並んで歩きながら尋ねる。
「ああ。スライムのような雑魚をいくら喰らったところで、得られる能力の質には限界がある。より強く、多様な『概念』を持つ魔物や存在に直接触れ、その能力と固有のスキルを吸収する必要がある」
ナタルの言葉通り、彼の持つ権能『概念吸収』は、対象に「直接触れる」ことで相手の能力、耐性、魔力、スキル、身体操作の極意までも100%自身へと重複して加算する。
しかし、強大な存在の概念を呑み込むためには、ナタル自身の「器」の容量を広げなければならない。
「ふうん……それじゃあ、ここから先は格好の狩場になりそうね」
スターシャの視線の先——迷宮の中層へ続く巨大な大空洞には、無数の凶暴な魔物たちが蠢いていた。
巨大な顎を持つ鉄甲の甲虫『アーマービートル』。
無詠唱で炎を吐き出す中級魔獣『ヘルハウンド』。
そして、鋭い爪と達人級の剣技を繰り出す人型魔物『オークマスター』。
「ハッ、人間が二人きりで迷い込んできたか!」
「死ねぇ!」
魔物たちが一斉に襲いかかってくる。普通の冒険者パーティーであれば、緻密な連携と前衛・後衛の役割分担が不可欠な難所だった。
だが、ナタルは武器すら構えなかった。
「スターシャ、手を出さなくていい」
「言われなくても高みの見物させてもらうわよ。……あなたの戦い、じっくり見せてもらうわ」
スターシャが距離を取ると同時に、ナタルは無防備に魔物の群れの中へと足を踏み入れた。
最初に肉薄してきたのは、巨体を生かした突進を仕掛けるアーマービートルだった。
その鉄球のような巨躯がナタルを押し潰そうと迫る。
(触れる——それだけでいい)
ナタルは避けることもせず、ただ静かに右手を伸ばし、襲い来るビートルの外殻に指先を触れさせた。
【概念吸収が発動しました】
【アーマービートルの『外殻硬度』『物理絶対耐性(小)』『剛力』を複製・加算しました】
ズシンッ……!
凄まじい衝撃波が巻き起こる。しかし、ナタルの体はミリ単位すら揺るがなかった。
指先から吸収された『外殻硬度』と『剛力』の概念が、即座にナタルの肉体へと浸透する。ビートルの誇る鉄壁の防御力と質量は、そのままナタルの筋力と耐久力へと書き換えられた。
「な……なにいっ!?」
困惑する魔物たちの隙を突くように、ナタルはさらに足を踏み込む。
次に襲いかかってきたヘルハウンドが、至近距離から超高温の火炎ブレスを放つ。
だが、ナタルは炎の中に左手を突っ込み、その首元を掴んだ。
【概念吸収が発動しました】
【ヘルハウンドの『火炎適性』『火属性絶対耐性』『無詠唱発動機構』を複製・加算しました】
「ガっ……!?」
炎はナタルの皮膚に届く前に鎮火し、逆にヘルハウンドの魔力総量と属性適性がナタルの血肉となる。
ナタルが少し力を込めると、ヘルハウンドは音もなく砕け散った。
「バ、化物……! 怯むな、囲んで叩け!!」
オークマスターが長剣を構え、流麗かつ鋭利な剣技『三連斬』を繰り出してくる。長年の鍛錬によって磨き上げられた武具とスキルの冴え。
だが、ナタルはその刃を素手で受け止めた。
カギンッ!
金属音が響き渡り、刃に触れた瞬間——。
【概念吸収が発動しました】
【オークマスターの『達人級剣術』『武技:三連斬』『身体操作の極意』を複製・加算しました】
「……なるほど。武技とは、こういう風に気を巡らせるのか」
ナタルは奪い取ったばかりの『身体操作の極意』と『達人級剣術』をその場で理解・再現した。
刃を掴んだままの手を軽くひねるだけで、オークマスターの巨体は宙を舞い、地面に激しく激突する。
遠くからその光景を注視していたスターシャは、目を見開いたまま動けずにいた。
(……嘘でしょ? 魔法使いや戦士が何年も修行して体得するようなスキルや武技を……ただ『触れる』だけで、一瞬で自分のものにしている……!?)
スターシャの持つ『高級鑑定スキル』で見ると、ナタルのステータス表示は依然として『Lv.1』のままである。
しかし、その内部に蓄積されていく筋力、魔力、耐性、そして取得スキルの欄は、魔物に触れるたび不気味な勢いで埋め尽くされていく。
レベルという概念を超え、あらゆる存在の能力を奪い取り、無限に重複させていく悪魔的な成長速度。
触れて、奪い、喰らい尽くす。
数時間の戦闘の末、中層の魔物たちは全滅していた。
ナタルは静かに手袋をはめ直し、己の身体の奥底から湧き上がる莫大な力を見つめた。
(『器』が……確実に拡張されている)
無詠唱で発動できる魔法の属性が増え、腕力と敏捷性は人間の限界を遥かに超えた。
そして何より、長年冒険者の荷物持ちとして培ってきた独学の察知力や鑑定スキルも、急激に跳ね上がった身体能力と融合し、より精密なものへと進化を遂げていた。
「……ナタル、あなた……」
スターシャが静かに近づいてくる。その表情には驚愕と、どこか恐れを含んだ美しさがあった。
「本当に……一人で迷宮を制覇する気なのね」
「ああ。まだまだ足りないがな」
ナタルは淡々と、迷宮のさらに深く、暗い闇が続く深層への階段を見据えた。
「この先には、俺を切り捨てた元仲間たちが進んでいるはずだ」
勇者、女魔法使い、女僧侶。
上位職の力に溺れ、Lv.1のナタルを「無駄な足手ま徒」と切り捨てた奴ら。
「あいつらが絶望的な戦いの末に手に入れる経験値も、誇りも、命も……すべて俺が喰らうための前座に過ぎない」
冷徹な炎を宿したナタルの瞳に、迷いはなかった。
最弱の荷物持ちだった男の「戦いの日々」は、世界を喰らい尽くすための苛烈な侵略の歩みとなって、迷宮の深淵へと続いていくのだった。




