第四十四話 危機感
拠点の地下室へと一旦戻ったナタルたち。
3体目となるヴォイド・ドラゴンの『存在消滅』すら呑み込み、世界そのものを丸呑みしかねないブラックホールの如き『器』へと変貌を遂げたナタルに対し、スターシャは400年の人生で初めて本能的な恐怖を覚えていた。
彼女はその冷めやらぬ身震いを隠すように優雅に扇子を収めると、酒杯を片手にくつろぐヴァルネのもとへと歩み寄った。
「……ねえ、ヴァルネ。少し相談に乗っていただけるかしら」
スターシャは気品を保ちつつも、どこか探るような親しみやすい口調で問いかけた。
「今のナタルの『器』……ご覧になったでしょう? ヴォイド・ドラゴンの絶望的な過負荷すら力づくで分解して呑み込んでしまったわ。私の内側にある本能……いいえ、この世界に刻まれた根源のコードすらも、『次にあの男に触れられれば、一瞬で噛み砕かれて素材として消化される』と悲鳴を上げているのよ」
扇子を持つ手元をわずかに震わせながら、スターシャは苦笑交じりに言葉を続ける。
「Lv.250という私の表示や、400年積み重ねてきた存在そのものが、彼の前では単なる『美味しそうな概念』に過ぎなくなっている……。ふふ、まさかこの私が、これほど底知れない生命の危機を覚えることになるなんてね」
ヴァルネはグラスの琥珀色の液体を喉に流し込むと、面白そうに瞳を輝かせた。
「あらお姉さん、可憐な顔をして案外素直に恐怖を認めるのね? ええ、あなたの感覚は正しいわ。今のナタルは単に強いんじゃない。世界の理や管理者すら喰らい尽くすために最適化されつつある『概念の天敵』そのものなんだから」
「天敵……ええ、まさにその通りだわ」
スターシャは息を小さく吐き出し、静かに腰を下ろした。
「ねえヴァルネ。このまま彼が世界のシステムや管理者を喰らい尽くすまで突き進んだとき……私たち『世界の基盤』や『エラーコード』を抱える者は、最終的にどう向き合うべきなのかしら? 観察者として特等席で見届けるだけでは、いつか私たち自身も彼の『器』の底へと呑み込まれてしまいそうだわ」
恐怖と背中合わせの凶暴な高揚感を瞳の奥に宿しながら、スターシャは世界のシステムを誰よりも知るヴァルネの言葉を待った。
「そうね、彼らが神なのか……それとも単に高度な管理能力を持っているだけの存在なのか、そろそろ分かるかもしれないわね」
ヴァルネはグラスを弄びながら、ふっと面白そうに口元を緩めた。
「だって、もし彼らが『全知全能の神』なら、こんな不格好なセキュリティプログラム(エンシェントドラゴン)を配置したり、エラーを起こした私たちを消し去るために『特攻デバッガー』なんて手回りくどいものを使ったりしないでしょう? 神様なら指を一本鳴らすだけで、世界ごとナタルを無かったことにすればいいんだから」
その言葉に、スターシャは扇子でそっと口元を覆い、思案するように目を細めた。
「つまり……彼らもまた、ルールや能力の限界の中でシステムを必死に回している『ただの高度なオペレーター』に過ぎない可能性がある、ということかしら」
「ええ。もしそうなら、ナタルのハッキング……いいえ、『システム・オーバーライド』でそいつらの管理権限すら引きずり下ろせるかもしれないわ。神なら諦めるしかないけれど、単なる『能力者』や『管理者』なら……喰らい尽くして上書き(オーバーライド)するチャンスは十分にあるってことよ」
ヴァルネの確信に満ちた笑み、そして自らの背中を冷や汗が伝うほどのナタルの底知れない存在感。
それらを交互に感じながら、スターシャの胸中には恐怖だけでなく、400年の停滞を打ち破る世界の真実への強い好奇心が芽生え始めていた。




