第四十三話 恐怖
3体目となるヴォイド・ドラゴンの『空間虚無』『絶対重力歪曲』『存在消滅領域』という理不尽な権能と絶望的な過負荷すらも力づくで呑み込み、己の『器』の糧として覚醒を遂げたナタル。
その人智を超えた異様すぎる進化と存在感の変容を目の当たりにし、ついにスターシャの胸中に芽生えた「本能的な恐怖」を描いたストーリー展開です。
結界の向こう側で、スターシャの息が詰まる。
(嘘……でしょ……?)
視線の先では、かつて世界の理そのものとして君臨していた3体目のエンシェントドラゴン——ヴォイド・ドラゴンが遺した『存在消滅』の奔流が、跡形もなく掻き消えていた。
通常であれば、触れた空間ごと存在を消去する全滅率100%の絶対拒絶領域。それを『空間歪曲』と『絶対空間切断』で強行突破したばかりか、吹き荒れる過負荷の嵐そのものを己の肉体と『器』へと強引に呑み込んで見せた男。
ナタルが黒い手袋を締め直し、ゆっくりと振り返る。
その瞬間、スターシャの背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。
「……っ」
声が出ない。
400年という遥かな年月を生き、Lv.250という世界の規格外に君臨し、この世界の根源コードすら宿しているはずの彼女の脚が、わずかに震えていた。
これまでは、いくらナタルが驚異的な成長を遂げようと、彼女の中にはどこか「高みの観客」としての余裕が存在していた。ナタルがどれほど概念を吸収しようとも、彼女自身の根源に届くには『器』が小さすぎたからだ。
だが、いま目の前に立つナタルの気配は、まるで違っていた。
ステータス上は、どこまでも無機質な『Lv.1』のまま。
しかし、彼を取り巻く空気の密度と重圧は、もはや一つの生命体や魔法使いの域を完全に逸脱している。
『空間虚無』や『存在消滅』という、世界の理すら消去する悪夢概念を喰らい、体内で完全に分解・統合作業を終えたナタルの『器』は——もはや「世界そのものを一口で丸呑みしかねないブラックホール」へと変貌を遂げていた。
(この男は……ダメだ……)
スターシャのハイエルフとしての本能が、そして世界の根源に繋がるシステム側の感覚が、狂おしいほどの警報を打ち鳴らしている。
(これまでは「概念を学習して奪う」段階だった……。でも、今の彼の『器』は違う。次に彼が私に本気で触れたら……。私のLv.250も、400年の記憶も、この世界を構成する根源コードすらも……拒絶する隙もなく、一瞬で噛み砕かれて『素材』として消化されてしまう……!)
親しみやすい協力者や、高物みの見物決め込む観客としての立場は、完全に吹き飛んでいた。
目の前にいるのは、世界のシステムや管理者を喰らい尽くすために生まれた、底知れぬ『概念の天敵』そのものだ。
「どうかしたか、スターシャ」
ナタルが静かな声で問いかけながら、一歩を踏み出す。
ただそれだけの動作に、スターシャは反射的に一歩、後退っていた。
「……な、なんでも……ないわ」
扇子を持つ指先が、かすかに震えている。
引きつりそうな笑みを必死に繕いながら、彼女は生まれて初めて「喰われる側の恐怖」を噛みしめていた。
「……ふふ。本当に……恐ろしい男ね、あなたは……」
背筋を凍りつかせながらも、その瞳の奥には恐怖と背中合わせの凶暴な高揚感が、赤々と燃え上がり始めていた。




