第四十二話 限界!?
「……なっ!?」
ナタルの皮膚に走る異様な赤黒いノイズ、そして全身の細胞が内側から悲鳴を上げる凄惨な崩壊の兆候。
駆け寄ろうとした手をナタルに制され、スターシャの碧色の瞳に緊張が奔った。
「触るな……ッ! 今の俺に下手に触れれば……体内で渦巻く『消滅』の概念がお前にまで波及する……!」
「……っ! 馬鹿言わないで、誰に口を利いていると思っているの!」
冷や汗を流しながら苦悶するナタルを見下ろし、スターシャは一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐにいつもの不敵で気品ある笑みをその唇に戻した。
「あなたの『器』がどれだけイカれていようと、私はLv.250のハイエルフよ。余計な心配をしてる余裕があるなら、大人しくしていなさい!」
スターシャは優雅に衣の裾を翻すと、懐から古代の触媒結晶を取り出し、最深部の地面へ強烈に打ち立てた。
——『空間遮断絶対結界』!
キーーン……ッ!!
極東の大空洞の最深部、荒れ果てた空間の一部が薄青い幾何学模様の光で区切られ、外部の不純な魔力や残存する異形の気配が完全にシャットアウトされた。
「ここなら外界からの干渉もないわ。……それに、暴走したあなたの『消滅』の概念が漏れ出して、この大空洞ごと空間崩落を起こされても迷惑だからね」
スターシャは結界の強度を確認すると、荒い息を吐くナタルから数歩離れた位置に優雅に腰を下ろした。
ナタルが懸念した通り、現在のナタルの体内で渦巻くのは『存在消滅』という極限の危険コードだ。安易に手を触れれば、回復魔法の術式ごと消滅の概念に呑み込ま滅しかねない。
「物理的な手当てや下手に魔力を流し込む処置は命取りになるわね……。今のあなたに必要なのは治療じゃない。自分自身の力でその膨大すぎる概念と魔法レベル300の過負荷を『馴染ませる』時間よ」
スターシャは扇子をパチンと閉じ、冷たい地面に横たわるナタルを静かに見つめた。
「安全な領域は用意してあげるわ。……さあ、最弱の『Lv.1』さん? 自分の体内で暴れ回る怪物をねじ伏せてみなさいな」
スターシャが完璧な防護結界を展開して見守る中、ナタルは荒い呼吸のまま意識を集中させ、自らの体内で暴走する過剰概念の「押さえ込み」と「再構築」の瞑想へと入っていたが、冷たい床に伏せたナタルの肉体は、すでに限界を越えていた。
『1体目』の空間歪曲、『2体目』の絶対空間切断、道中で得た数々の歪んだ異形のコード、そして『3体目』ヴォイド・ドラゴンの莫大な『空間虚無』と『存在消滅』。さらには魔法レベル300に達した己の魂が生み出した未知のオリジナル魔法『事象穿孔』。
膨大なデータと過負荷の奔流が、ナタルの細胞を内側から焼き切り、不気味な赤黒いノイズとなって肉体表面を激しく明滅させている。
痛みが感覚を麻痺させていく。
普通なら『器』が破裂し、概念ごと世界から消滅して終わる末路。
だが——ナタルの口元が、血に濡れながらも凶暴に吊り上がった。
(ねじ伏せる……? 押さえ込む……? ハッ、そんな生ぬるい真似ができるか……ッ!)
ナタルは体内で暴走する過負荷のエネルギーを、力づくで抑圧(制御)することを完全に放棄した。
「暴走したいなら……好きなだけ暴走させてやる……ッ!!」
あえて体内の『消滅』と『過負荷』の暴虐な奔流を野に放つ。
内側から肉体が削られ、消去されかける絶望的な激痛。しかしナタルはその痛みの渦中、死の淵に立たされた『Lv.1』の意識を極限まで研ぎ澄ませた。
——自分自身の体内で起きている『崩壊と暴走のシステム(現象)』。
それを、外部の敵から能力を写し取るのと同じように、己の意識で客観的に捉え直したのだ。
(これすらも……俺の体内で起きておるただの『データ処理エラー(過負荷現象)』に過ぎない……なら、喰えない理などあるはずがない……ッ!)
黒い手袋をはめた右手を、己の胸元へと強く突き立てる。
——『概念吸収』!!
【警告:自体内のシステムエラーおよび過負荷現象を対象として認識】
【『概念吸収』を発動します】
自らの中で暴走する『魔法レベル300の過負荷』と『存在消滅の反作用』そのものを、強引に『オーバーライド(複製・上書き統合)』の対象としてシステムに認識させた!
ドゴォォォォォォォォンッ……!!!!
ナタルの体内で、概念の位相が爆発的に反転した。
暴れて肉体を破壊していた『消滅』のエネルギーが、ナタルの強靭な精神力によって一瞬で「自らの器を拡張するためのエネルギー」へと再構築されていく。
ミシミシ……ッ! ゴキッ……!!
骨と筋肉が不気味に鳴動し、赤黒いノイズが徐々にナタルの体内に吸い込まれ、透き通るような圧倒的密度の静寂へと変わっていく。
【自己の崩壊現象および過負荷の統合・最適化……完了】
【『器』の基本容量が恒久的に大幅拡張されました】
【固有魔法レベルの常時安定化を統合】
「ふう……っ……」
静かに息を吐き出し、ナタルはゆっくりと体を起こした。
あれほど全身を苛んでいた激痛もノイズも、跡形もなく消え去っていた。
「な……なにが起きたの……? 暴走していた消滅の波紋が、一瞬で……消失した……!?」
結界の向こうでスターシャが目を丸くし、絶句している。
ナタルは黒い手袋を深く締め直し、立ち上がると、己の掌を静かに見つめた。
ステータス表記は、相変わらず『Lv.1』のままだ。
だが、その内に秘めた『器』の深さは、過負荷そのものを呑み込んだことで、もはや世界そのものを呑み込みかねないほどの領域へと進化を遂げていた。
「暴走を喰らって、己の『器』の糧にしただけだ。……これで、残りのエンシェントドラゴンを連続で喰らっても、壊れる心配はなくなった」
ナタルは冷徹な不敵な笑みを浮かべ、スターシャへと視線を向けた。




