第三十九話 誤算
『ヴォイド・スーカー』や『虚無の監視者』といった異形の大群を足蹴にし、その『局所消滅』や『滑走』の概念コードを骨の髄まで喰らい尽くしながら、ナタルとスターシャは暗黒の洞穴を疾走した。
どれほど降り進んだろうか。
ふっと、周囲を包んでいた洞窟の圧迫感が消え去り、突如として視界が底知れぬ広大な超巨大空間へと開けた。
「……ここが、極東・漆黒の大空洞の最深部……『ノード07』のセキュリティコアか」
スターシャが息を呑み、即座に気配遮断の精度を極限まで高める。
眼下に広がるのは、もはや地上や通常のダンジョンとは次元の異なる「無の世界」であった。
岩盤や天井といった概念すらあやふやになり、周囲の空間そのものがまるで黒い泥のように蠢き、無音のまま削れ落ちては消滅を繰り返している。
そして——その広大な空間の中心に、それは鎮座していた。
かつて喰らった1体目のエンシェントドラゴンや、2体目の『嵐龍』をも遥かに凌ぐ圧倒的な質量。
全身を星々の光すら呑み込む完全な「漆黒」の結晶鱗で覆われ、背後には空間そのものを歪ませて展開された巨大な虚無の翼。
3体目のエンシェントドラゴン——『深淵巨龍・ヴォイド・ドラゴン』。
ナタルたちが足を踏み入れた瞬間、漆黒の巨龍の双眸が激しい紫紺の光を放った。
【警告:特定危険コード(ナタル)の侵入を確認】
【防衛ルーチン作動:全領域における『絶対拒絶空間』および『存在消滅領域』を展開します】
ゴォォォォォォォォオオオン…………ッ!!!!
音すら発生しない圧倒的な圧力が空間全体を支配する。
ヴォイド・ドラゴンの全身から放たれた黒紫色の波紋が広がり、ナタルと巨龍の間に存在する物理的な「距離」や「物質」そのものを無情に削り取っていく。
『概念吸収』のために近づくことすら拒絶する、絶対の防衛領域。
「……ふん。『距離』ごと削り取って接近させない気か。2体目の嵐龍よりは幾分か頭を使っているようだな」
ナタルは凶悪な笑みを浮かべ、黒い手袋を深く締め直した。
『1体目』から奪った『空間歪曲』、『2体目』から喰らい尽くした『絶対空間切断』、そして今しがた道中の異形から足し増しした『局所消滅』と『空間滑走』——それら体内の概念コードが、目の前の巨龍が放つ『存在消滅』の波紋と激しく共鳴し、ナタルの『器』を熱く滾らせる。
「ナタル! 気をつけて! あいつの放つ『消滅ブレス』や拒絶空間に少しでも触れれば、直撃すれば概念ごと存在を消去されるわよ!」
スターシャが叫ぶ。
「消去だと? ハッ、笑わせるな」
最弱の『Lv.1』のステータスを刻む男は、存在すら消し飛ばす黒紫の嵐の中へと、迷うことなく最初の一歩を踏み出した。
「俺の『器』を完成させるための3体目の肉……残らず喰らい尽くしてやる」
「ハハッ……なるほど! そう来たか……ッ!」
絶対拒絶の波紋が広がる「無の世界」。ナタルは『1体目』の『空間歪曲』と『2体目(嵐龍)』の『絶対空間切断』を叩きつけ、消滅の嵐を力づくで切り裂きながら距離を詰めた。
『距離』そのものを消し去ろうとする『ヴォイド・ドラゴン』の展開に対し、強引に空間の座標を歪めて割り込み、ついにその漆黒の結晶鱗の超巨躯へと肉迫する。
黒い手袋を脱ぎ捨て、剥き出しの右手を巨龍の喉元へと突き出すナタル。
接触の瞬間——脳内で凶暴な『概念吸収』の覚醒を確信していた。
——カチッ。
(……なに……?)
触れた。間違いなく、手甲と喉元の重厚な黒鱗が接触した。
しかし——脳内に無機質な覚醒通知は響かない。
【警告:アクセスエラー】
【『概念吸収』の発動条件を満たしていません】
「な……ッ!?」
【理由:対象の概念密度およびデータ領域が『現在のナタルの器』の許容量を超過しています】
【学習・複製プロセスを中断します】
「バカな……! オーバーライドが……通らない……!?」
かつてパンを分け合おうとした際、レベル250であるスターシャの膨大な概念を呑み込めなかった時と同じ現象。
1体目、2体目のエンシェントドラゴンを喰らい、道中の異形から概念を足し増しして拡張してきたはずのナタルの『器』。しかし、3体目『ヴォイド・ドラゴン』が宿す『空間虚無』と『存在消滅』の高次元データは、想像を遥かに絶するほど巨大であり、現在のナタルの容量では「接触しても一瞬でコピー&ペースト処理がパンクする」という最悪のエラーを引き起こしたのだ!
敵の能力を奪えず、相手の強さも100%保持されたまま——!
「ルグオォォォォォォォォオオオオンッ!!!!」
無言の全滅マシンであった『ヴォイド・ドラゴン』の単眼が、侵入者を嘲笑うかのように不気味に明滅する。
『概念吸収』の硬直で一瞬隙を見せたナタルの眼前に展開されたのは、至近距離からの『存在消滅ブレス』。
「ナタルーッ!!」
スターシャの悲鳴が轟く中、ナタルは反射的に『嵐龍』の絶対切断領域を防御壁として展開するが、事象そのものを消し飛ばす漆黒のブレスは、ナタルの切断座標ごと押し潰し、その肉体を容赦なく飲み込んだ!
ドォォォォォォォォォンッ!!!!
「グ、ガぁっ……!?」
触れた相手の能力を複製・学習する最強の権能『オーバーライド』が封殺された今、Lv.1の男はただの「無防備な肉体」として、存在消滅の巨大な暴力に晒されることとなった。




