第三十八話 黒き穿孔、極東への道
「……ここが、極東への最短経路というわけか」
西の大断層・最深部での激闘を経て、ナタルとスターシャは冷たく澄んだ闇が支配する巨大な地下空洞の縁に立っていた。足元から見下ろす先には、底すら見えない漆黒の亀裂が地平線の彼方まで延々と穿たれている。
『常闇の深淵迷宮』の核であり、2体目のエンシェントドラゴンであった『嵐龍』を喰らい尽くしたことで、その領域を支配していた圧倒的な真空刃と絶対空間切断の嵐は完全に霧散していた。あとに残されたのは、かつて巨龍が塞ぎ止めていた古代の地底連絡路——『極東・漆黒の大空洞』へと続く地下の大穿孔であった。
「嵐龍の『空間切断』と『超風圧』を呑み込んだおかげで、道中の重力歪曲や空間崩落は力づくでねじ伏せられるわね」
スターシャは手元の地図と、ナタルの体内から放たれる高密度の魔力波動を照らし合わせながら、微かに笑みを浮かべた。
「街道を渡って地上から極東へ向かえば数ヶ月……けれど、この大空洞を突っ切れば一気に『ノード07』の真下まで最短距離で到達できる。……まあ、遭遇するモンスターの質も、地上とは比較にならないでしょうけれど」
「フン……素材の質が高いなら願ったり叶ったりだ」
ナタルは黒い手袋を締め直し、冷徹な視線を暗黒の洞穴へと向けた。
目指すは、3体目のエンシェントドラゴン——『深淵巨龍・ヴォイド・ドラゴン』が潜む『極東・漆黒の大空洞』。
1体目の『空間歪曲』、2体目の『絶対空間切断』を最適化させた今のナタルにとって、次なる獲物が展開する『空間虚無』と『存在消滅領域』は、自らの『器』を完成へと導くための最高の糧に過ぎない。
「行くぞ、スターシャ」
「ええ。世界の理を踏みにじる旅の続き……見届けてあげるわ」
ステータス上は相変わらず最弱の『Lv.1』のまま。だが、内部に世界の膨大な概念コードを蓄えた男は、躊躇うことなく果てしない漆黒の大空洞へと足を踏み入れていった。
「……来たわね。地上どころか、大断層の深層にすら存在しない『未知』の群れよ」
スターシャの緊迫した声が、漆黒の大空洞の静寂を切り裂いた。
極東へと続く広大な地下大空洞。その先を進むふたりの前に、洞窟の壁面や頭上の暗闇からドロリとした黒紫色の物質が滴り落ち、次々と蠢く肉塊となって形を成していく。
そこに現れたのは、通常の生態系からは完全に逸脱した異形のモンスター群であった。
全身が流動する粘液と結晶化した骨格で構成され、空気を腐食させる不快な蒸気を撒き散らす長腕の爬虫類形異形——『ヴォイド・スーカー』。そして、中央に巨大な単眼を宿し、空間そのものをかみ砕くような不協和音を響かせる浮遊型球体目玉——『虚無の監視者』。
【警告:周辺領域における『存在消滅コード』の濃度上昇を確認】
【未知の空間浸食異形群の接近を感知しました】
脳内に流れる無機質な通知音を、ナタルは冷ややかな鼻鳴らしで受け流した。
「『深淵巨龍』の領域に近づいたことで、漏れ出した空間虚無の概念が周囲の魔力を変質・異形化させたか……」
「どうするの、ナタル? あの群れ、ただ触れるだけでも存在を削り取られる『消滅の霧』を纏っているわよ!」
スターシャが気配を完璧に殺しながら、鋭い瞳で敵の特質を見抜く。
「ただの雑兵に『消滅』の概念が備わっているとはな。……上等だ。『深淵巨龍』と相まみえる前の、最高の慣らし運転になる」
ガッ! と黒い手袋を深く締め直し、ナタルは躊躇なく異形の大群の中へと踏み込んだ。
ギシャアアアアアッ!
鋭い音を立て、最前列のヴォイド・スーカー数体が、空間を歪めながら超音速の肉弾突進を繰り出してくる。その爪には、あらゆる物質を分解・消滅させる黒紫色の光芒が宿っている。
「ハッ……遅い」
ナタルは避けることすらしない。
前戦で『嵐龍』から喰らい尽くした『絶対空間切断』と『局所超重力場』を肉体表面に同時展開。襲い来るヴォイド・スーカーの爪撃がナタルの皮膚に触れた瞬間、接触面で熾烈な概念の衝突が弾けた!
ズドガァァァァンッ!!!!
肉体を削り取ろうとする『消滅領域』を、ナタル体内の膨大な空間切断の理が強引に押し返し、逆にかみ砕く。そのまま無造作に伸ばしたナタルの黒い手が、ヴォイド・スーカーの頭部を鷲掴みにした。
——『概念吸収』!
【『ヴォイド・スーカー群』より『局所空間消滅(微弱)』および『高密度空間滑走』の概念を統合・最適化しました】
「ガ、アッ……!」
腕を通じて流れてくる、これまでになく歪で冷徹な概念コード。肉体の細胞ひとつひとつが『消滅』の毒に侵されかけるが、すぐさまナタルの強靭な『器』がそれを圧倒的な密度で屈服させ、己の血肉へと上書きしていく。
「ふ……なるほど。『消滅』とはこういう感覚か」
黒い手袋から漆黒の衝撃波を放ち、群がる異形を一瞬で肉塊へと変えながら、ナタルは残る『虚無の監視者』たちの群れを見上げた。
「おい、異形ども。もっとその『虚無』を吐き出せ。すべて喰らい尽くして、巨龍を殺すための糧としてやる」
最弱の『Lv.1』による、極東の大空洞における新たな強奪の宴が始まった。




