第三十七話 スターシャ
地下室から戻り、豪邸の居間で休んでいたスターシャのもとへ向かったナタルは、ヴァルネから得た次なる討伐対象の情報を切り出した。
「スターシャ。次に喰らうべき3体目のエンシェントドラゴンの居場所と詳細が分かった」
ナタルは静かにグラスを置き、彼女の直視を見据えながら淡々と告げる。
「狙うは**『極東・漆黒の大空洞(ノード07)』に潜む、『深淵巨龍・ヴォイド・ドラゴン』**だ」
スターシャが息を呑む中、ナタルはその極めて危険な権能について説明を続けた。
* 司る主要概念(権能):『空間虚無』『絶対重力歪曲』『存在消滅領域』。
* 1体目から奪った『空間歪曲』や、かつて喰らったアースドラゴンの『重力制御』を遥かに超える高次元の権能。
* 周囲の空間ごと事象を消し飛ばす『消滅ブレス』を放つ。
* 相手の防衛戦略:
* アクティブ化によって『絶対拒絶空間』を展開しており、接触したあらゆるコードを距離ごと削り取って近づくことすら拒絶してくる。通常の近接や『概念吸収』の間合い(タッチ)に入ることすら許さない「全滅率100%の絶望的領域」。
「……まともに挑めば、間合いに入る前に存在ごと消去される近接殺しのセキュリティコアだ。だが、1体目の『空間歪曲』で虚無の領域に直接割り込み、2体目の嵐龍から奪った『絶対空間切断』で消滅領域のコードを切り割けば、一瞬の間隙にハッキング(タッチ)を叩き込める」
ナタルは冷徹な確信を込めて結んだ。
「この『虚無』と『重力』を強奪して器に統合できれば、残り9体の連続討伐に必要な『瞬間移動』と『長距離概念侵食』の基盤が完全に完成する。部が悪い賭けだが、呑み込む価値はある」
ナタルの説明を聞き終えたスターシャは、手にしていた温かい紅茶のカップをそっとテーブルに置いた。
「……『絶対拒絶空間』に『事象ごとの消滅ブレス』。相変わらず、セキュリティコアなんて大層な名前がついている割には、やってくることが極悪非道で理不尽そのものね」
彼女は呆れたように軽く溜息をつき、扇子を広げてそっと口元を覆う。しかし、その優雅な仕草とは裏腹に、碧色の瞳には隠しきれない高揚感と興味の色が濃く浮かんでいた。
「接触したコードを距離ごと削り取るなんて、普通の魔法使いなら近づく前に存在を消されて終わりよ。それを『空間歪曲』で無理やり割り込んで、奪ったばかりの『絶対空間切断』で消滅領域ごと切り裂いて突破するだなんて……」
ふっと可憐な笑みを深め、スターシャはナタルを覗き込む。
「相変わらず、最弱の『Lv.1』さんの考えることは常識外れで恐ろしいわ。でも……ふふ、ただの力任せではなく、奪った概念を複雑に組み合わせて完璧なハッキング(攻略法)を組み立てているあたり、本当に大したものね」
彼女は優雅に立ち上がると、旅の支度を整えるように衣の裾を払った。
「いいわ。その『虚無』と『重力』を強奪して『瞬間移動』の基盤を完成させる賭け、私も特等席で見届けさせてもらうわね。……もちろん、私の気配遮断(隠蔽)は完璧にしておいてあげるから、心置きなくそのドラゴンを呑み込んでいらっしゃい」
豪邸の自室の窓辺に立ち、夜の静寂が広がる庭園を見下ろしながら、ナタルは己の胸にそっと手を当てた。
服越しに伝わる鼓動は、静かに、だが確実に打っている。過剰な概念を呑み込み、冷徹なデータ処理のように精神を最適化させてきたはずの肉体。しかし、そこには確かに「人間」としての温もりが残っていた。
(俺はまだ、人間だ……)
さきほど居間でスターシャが見せた、あの呆れたような、けれどどこか愉快そうな笑みが脳裏をよぎる。
『深淵巨龍・ヴォイド・ドラゴン』。
接触したすべてのコードを距離ごと削り取る『絶対拒絶空間』。1体目と2体目のエンシェントドラゴンから強奪した権能を精密に組み合わせなければ、肉体ごと存在を消去される全滅率100%の絶望。そんな凶悪な領域へ挑むというのに、彼女は「特等席で見届けさせて戴くわ」と、まるで観劇のチケットでも手に入れたかのように軽妙だった。
(あいつは……最終的に、どちら側に立つ?)
ふと、冷ややかな思索が思考の底から首をもたげる。
スターシャの「Lv.250」というステータスが、システム上の単なるダミー表示に過ぎないことをナタルは知っている。世界の創生期から存在する「根源コード」そのものをその身に宿す存在。どれほど『器』を拡張し、Lv.350のアースドラゴンすら呑み込んだこの手であっても、彼女に触れた時に『概念吸収』が起動することはない。彼女の密度の前では、己の『器』など未だ浅瀬に過ぎないのだ。
もし、自分がこの世界の理やシステムそのものを喰らい尽くそうとした時——世界の基盤そのものである彼女は、どう動く?
完璧な気配遮断で高みの見物を決め込み、ナタルが『絶対拒絶空間』に呑み込まれて消滅したなら、ただ「退屈しのぎが終わった」と背を向けるだけなのか。それとも、システムを揺るがすバグとして、最後の最後でその圧倒的な根源の力をもって俺を撃滅する側に回るのか。
「……フッ」
ナタルは自嘲気味に口元を歪め、黒い手袋のフィット感を確かめるように指を握りしめた。
疑念はある。警戒も下ろさない。だが、不思議と不快感はなかった。
追放され、最弱の『Lv.1』として捨てられたあの日から、誰もが自分を見下し、奪う対象でしかなかった。そんな中で、彼女だけは己の化け物じみた成長を恐れることもなく、どこまでも対等で、親しみやすく、それでいて底知れない「高み」として隣に立っている。
(世界の管理者だろうと、根源のコードだろうと関係ない)
ヴォイド・ドラゴンを喰らい、11体のエンシェントドラゴンをすべて呑み込んで『器』を完成させたその先——もしスターシャが最後の壁として立ち塞がるというのなら、その時こそ、彼女のすべてを喰らい尽くして上書きするだけだ。
「待っていろ、ヴォイド・ドラゴン……そして、スターシャ」
夜風に黒髪を揺らしながら、ナタルは暗闇の向こうにある『極東・漆黒の大空洞』を見据え、静かに、そして鋭く瞳を細めた。




