第二十五話 新たな同居人はバグ?
屋敷の広大な地下室。冷んやりとした暗がりの中に、不機嫌そうな溜息がひとつ響き渡った。
「……ったく。こんなデカい屋敷を丸々一軒、自分の拠点にしてやがるのかよ。Lv.1のくせに生意気な野郎だ」
そこにいたのは、古代の封印から解き放たれ、ナタルによって強引に連れ帰られた魔神であった。
かつて世界を脅かしたとされる災厄の存在——その実体は、高次元の管理者が敷いた「レベルシステム」という秩序に従わなかったために「不要なエラーデータ」として追われ、静かに眠ったフリをして生き延びてきた哀れな先住バグ(エラー)である。
魔神は地下室のソファにだらしなく深々と身体を沈めると、己の体内に潜む魔力を鬱陶しそうに弄びながら、向かいに立つナタルをじろりと睨みつけた。
「で? 俺を殺さずにこんな豪邸まで連れ帰って、一体どういうつもりだ? 俺の持つエラーコードすら喰らい尽くして『素材』にするんじゃなかったのかよ」
ナタルは表情ひとつ変えず、黒い手袋をはめ直しながら冷ややかに魔神を見下ろす。
「お前を喰らうのはいつでもできる。……だが、お前は管理者の目から逃れ、何百年もこの箱庭で生き延びてきた『先行エラー』だ。管理者のデバッグ(消去)を回避する知恵や、世界のシステムに関する情報……今の俺にとって、お前はただ喰らう以上の『利用価値』がある」
「ヘッ……人使いの荒いバグだな。要するに、管理者どもが送ってくる次の刺客を返り討ちにするためのデバッグ対策・情報源として俺を囲い込むってわけだ」
魔神はケロッとした様子で鼻を鳴らした。自らを脅かすナタルの異様な狂気と『システム・オーバーライド』の権能を前にして、下手に逃げ出すよりはこの規格外のエラーの足元に潜んでいる方が安全だと、即座に計算を終えたのだ。
その時、地下室へと続く階段から足音が響き、扉が開いた。
「ナタル、さっきから地下で誰と話して……って、なになのその人!?」
姿を現したのは、部屋で休みを終えて降りてきたハイエルフのスターシャだった。
彼女はナタルの隣でくつろぐ見知らぬ男——しかしその奥底に渦巻く、神聖なエルフの知覚すら狂わせる不吉で異様な気配を感じ取り、瞬時にLv.250の鋭い威圧感を跳ね上げる。
「待って……この気配、まさか大空洞に封印されていた……魔神!?」
「おいおい、いきなり物騒な圧をかけてくるなよハイエルフの姉ちゃん。俺はただの哀れな居候だ。……そこのイカれたLv.1に脅されて、今日からこの屋敷の『同居人』兼『情報屋』に任命されたところさ」
呆れ果てたように肩をすくめる魔神と、当然のように頷くナタル。
スターシャはこめかみを押さえ、絶望的な頭痛に襲われたように深々と溜息をついた。
「本気なの、ナタル……? 世界を滅ぼすと言われた魔神を、自分の屋敷に連れ帰って住まわせるなんて……!」
「問題ない。この屋敷は俺の領域だ。管理者のシステムすら上書きする俺の『器』の庭で、ただのエラーが暴れられるわけがない」
淡々とと言い放つナタルの言葉に、魔神は冷や汗を流しながら苦笑いを浮かべる。
「違いないねぇ……! さて、それじゃあ居候の初仕事だ。ナタル、お前がぶっ壊したメイン・セキュリティの穴を埋めるために……高次元の管理者が次に何を送り込んでくるか、たっぷり教えてやるよ」
「しかし、この姿は、どうにも都合が悪くてねぇ……」
地下室の冷たい空気のなか、魔神はそう呟くと、気だるげに細い指先を鳴らした。
その瞬間、彼の肉体を構築するコードの隙間から、不快なノイズと黒いバグ粒子が立ち上る。
高次元の管理者が敷いた世界の理を逃れ、何百年も生き延びてきた先住エラーの権能——「姿の擬態」である。
黒いノイズが霧散したあとに立っていたのは、男の骨太な体躯ではなく、妖艶でしなやかなラインを持つ一人の「女性」だった。
長髪が背中に流れ、瞳には怪しい魔力の光が宿っている。声のトーンもまた、どこか耳に残りやすい艶やかな低音へと変化していた。
「……ふぅ。男の姿でうろついてると、ろくな目に遭わないのさ。それに、人間どもの街に溶け込むなら、警戒されにくい姿の方が何かと動きやすいだろう?」
魔神——いや、姿を変えた彼女は、自分の胸元や手首を確かめるように見下ろすと、くすりと妖しく微笑んだ。
「な……ッ!? 姿を……変えた!?」
あまりの変貌ぶりに、それまで警戒を強めていたスターシャが目を丸くする。
「驚くなよハイエルフの姉ちゃん。これも管理者のデバッグ(消去)から逃れるために身につけた、ただの生存戦略(エラー利用)だよ。……まあ、ナタルほど無茶苦茶なシステム改変はできないがね」
彼女はしなやかな足取りでナタルの前まで歩み寄ると、新しくなったその瞳で冷酷な「Lv.1」を見つめ返した。
「で、どうだいナタル? 女の姿になった居候ってのも、悪くないだろ? これで外の情報収集にも、もっと都合よく動けるってわけだ」
理を呑み込む最弱の「Lv.1」ナタル、400年を生きるLv.250のハイエルフ・スターシャ、そして正体を隠して人族の拠点に潜伏する古代の「魔神」。
世界のバグたちが集うナタルの屋敷で、システムへの反逆を果たすための新たな計画が静かに動き始めた。




