第二十話 奈落の試練
『黒銀の奈落』の中層を突破し、さらに深層へと足を踏み入れたナタルとスターシャ。
周囲の岩壁は禍々しい漆黒の鉱石に変わり、空気そのものが肌を刺すような濃密な魔力を帯びている。
「ここから先は『奈落の試練』と呼ばれる領域よ」
スターシャは息を殺し、極限までレベルと気配を隠蔽しながらナタルの背後について歩く。
「この層に立ち入った者は、ダンジョンそのものの意思——『奈落の試練』によって、過去に挑んだあらゆる侵入者の影……『シャドウ』と戦わされることになるわ。それも、ただの影じゃない。この奈落に命を散らした凄腕冒険者や、400年前に挑んだ伝説の英雄たちの最盛期の強さを完全に模倣した影よ」
「……なるほど」
ナタルが足をとめると、前方からドロリとした黒い影が幾重にも湧き上がった。
現れたのは、かつてこの階層で潰えたとされるSランク冒険者たちの姿をした影——さらにその背後には、異質な圧倒的圧力を放つ「古代の剣聖」の影が蠢いている。
「Lv.150オーバーの影が数体……それに、一番奥の影は推定Lv.300……! ナタル、さすがにこれは力任せだけじゃ——」
「試練、か」
ナタルはスターシャの警告を冷たく一蹴した。
「ただ死んでいった敗北者の記憶を再現しているに過ぎん。……そして、影であろうと『概念』が存在する限り、俺にとっては極上の『素材』でしかない」
一斉に襲いかかる影の集団。
高速の斬撃、無詠唱の極大魔法、重力を無視した曲芸的な超加速。
普通の冒険者であれば一瞬で肉塊に変えられる絶望的な連撃の渦の中へ、ナタルは恐れることなく踏み込んだ。
——『概念吸収』。
ナタルがすれ違いざまに影の腕を、首を、胴体を掴むたび、黒いモヤとなって砕け散る影たち。
【『古代の剣聖の影』から剣術極意・超高速思考の概念を統合・最適化しました】
「ガ……ッ!?」
凄まじい密度のスキルと戦闘経験の概念が、ナタルの体内に一気に流れ込んでいく。
一撃喰らうごとに、敵の技術・速度・威力がすべてナタルの血肉となり、ナタルの動きはさらに洗練され、次元を異にする速さへと進化していく。
ドスッ、ドカァァンッ!!
「試練」として立ちはだかった古代の英雄たちの影は、ナタルという「理外の存在」を強化するためだけの高純度な経験値(概念)へと変わり、数分も経たずに全滅した。
静寂が戻った深層の通路。
ナタルは黒い手袋を嵌め直しながら、自身の手に宿る新たな「剣聖の鋭気」を確かめるように拳を握りしめた。
「……ふん。『試練』という割には、ずいぶんと効率的な補給ポイントだったな」
「……奈落の試練を『ただの補給』扱いするなんてね……」
数分後異変に気づく。
「……やはり、一筋縄ではいかんか」
『奈落の試練』として立ちはだかった古代の英雄たちの影を砕き、その『剣聖の極意』すらも呑み込んで前進していたナタルだったが、足をとめた。
最下層へと続く大空洞の入口。そこは静寂に包まれるどころか、異質な魔力と濃密な圧力が空間そのものを歪めるほどに膨れ上がっていた。
「……どういうことかしら?」
気配を極限まで遮断し、ナタルの背後についていたスターシャが眉をひそめる。
「『奈落の試練』は、過去にこのダンジョンで倒れた侵入者の影をすべて倒せば終わるはずよ。なのに……ダンジョン全体の魔力循環が止まるどころか、むしろ活性化しているわ」
「ふん。試練が『過去の敗北者の再現』だけで終わるわけがなかろう」
ナタルが冷ややかに呟いたその時、大空洞の壁面や天井、そして足元の漆黒の床から、ドロリとした黒銀の液体が湧き出し始めた。
それは集まり、形を成していく。
現れたのは——数多の腕と無数の巨大な眼球を持った、不定形の巨大な異物。
【警告:システム防衛プログラム『奈落の防衛核』の起動を確認】
【侵入者の強制排除を開始します】
魔物でも、過去の英傑の影でもない。
この『黒銀の奈落』という迷宮そのものが持つ、侵入者を拒絶し消去するための自警システム——「防衛核」が直接お出まししたのだ。
「なるほどな……」
ナタルは口元を歪め、黒い手袋をはめ直した。
「英雄たちの影はただの『前菜』…… 本命はこのダンジョンの『理』そのものを司る防衛機能というわけだ」
「ナタル、気をつけて! あれはただの魔物じゃないわ! ダンジョンそのものがあなたを『不純物』として認識して消し去ろうとしてる……!」
「不純物、か」
ナタルは恐れるどころか、その瞳に底知れぬ強欲な光を宿らせて一歩踏み出した。
「このダンジョンを統べる理すらも喰らわねば、最深層に潜む『怪物ども』へは辿り着けん。試練が終わっていないなら、すべて呑み込んで終わらせるまでのこと!」
漆黒の衝撃波が吹き荒れる中、最弱の『Lv.1』はダンジョンの心臓部へと向かって踏み込んでいった。




