第二十一話 最下層にあるもの
「チッ……どれだけ湧いて出ようと、すべて喰らうまでのこと!」
頭上に立ち塞がる巨大な『奈落の防衛核』が放つ、空間そのものを消滅させる破滅の光線。
ナタルは退くどころか、新たに獲得した重力操作の理と剣聖の超速を踏み込みに変え、垂直に空へ躍り出た。
直撃する激痛。肉体が砕け散る寸前の衝撃波の中、ナタルの黒い手袋をはめた手が、防衛核の中心部へと直接突き立てられた。
——『概念吸収』発動!
【『奈落の防衛核』からシステム自己防衛・領域修復・データ消去の概念を統合・最適化しました】
「ガ、アァァァッ!?」
防衛核の巨体が狂ったように明滅し、高彩度のノイズを撒き散らす。
ダンジョンそのものの『自警機能』という概念を何一つ削がずにそのまま保持させたまま、ナタルの『器』の中へ莫大なシステムコードが直接流し込まれていく。
ミシミシと骨が鳴り、膨大な情報量に肉体が破綻しかけるが、ナタルの執念がそれを力ずくでねじ伏せ、新たな「己の概念」として最適化していった。
ズドンッ!!!!
防衛核の膨大な魔力が霧散し、静寂が訪れる。
着地したナタルの周囲から、先ほどまで空間を狂わせていた狂暴な異物感が嘘のように消え去っていた。
「ふう……。これで叩き潰すものはすべて倒したな」
手袋を嵌め直すナタル。そのステータス表記は相変わらず『Lv.1』のままだが、その体内に秘められた『器』は、ダンジョンの防衛機構すら吞み込んだことで、もはや一国の常識を遥かに凌駕する密度へと至っていた。
「……信じられない。ダンジョンの自衛システムそのものを自分の血肉にして突破しちゃうなんてね……」
スターシャは息をのむと同時に、狂おしいまでの高揚感で瞳を湿らせていた。
そして、二人の目の前に横たわっていた巨大な大理石の二重扉が、重々しい音を立てて静かに開き始める。
400年間、誰も辿り着いたことがないという『黒銀の奈落』の最下層。
扉の向こうに広がっていたのは、禍々しい魔物の巣窟……などではなかった。
そこは、見渡す限りの漆黒の空間に、無数の「巨大な青い結晶柱」が整然と立ち並ぶ、静寂に満ちた異空間。
そしてその中央、宙に浮く巨体——
「……なんだ、ありは……」
ナタルの目が細められる。
そこに鎮座していたのは、かつて喰らったアースドラゴンやリヴァイアサンなどとは次元の違う、数千年の時を生き抜いてきたような禍々しくも神々しい巨躯——『エンシェントドラゴン』の姿であった。
さらによく見れば、そのドラゴンの足元には、禍々しい黒い鎖で繋がれた『禍つ神の仮面』——すなわち『魔神の封印体』までもが重なり合うように眠りについていた。
「……なるほど。ダンジョンの防衛核すら『前座』に過ぎんわけだ」
世界の頂点に君臨するレベル1000を超える怪物ども。
ナタルは恐れるどころか、その口元を凶悪に歪め、底知れぬ強欲な光を眼差しに宿らせた。
「おい、スターシャ」
「……なに?」
「極上の『素材』が、二つも並んで待っているぞ」
最弱の『Lv.1』は、世界の理の頂点に座す二つの絶望へ向け、踏み出したが、
「……待て。様子がおかしい」
『禍つ神の仮面』と共に沈黙を守る巨大なエンシェントドラゴン。ナタルはその神々しくも禍々しい姿を見上げ、静かに足を止めた。
広大な異空間に満ちているのは、並の魔物から放たれるような雑な殺気ではない。
まるで研ぎ澄まされた刃のように静まり返り、空間そのものを威圧する圧倒的な「静寂」——。
「……どうしたの、ナタル? あんな怪物、一刻も早く——」
「身構えるな、スターシャ」
ナタルは静かに制した。
宙に浮く巨躯は、羽ばたくことすらしていない。龍の巨大な眼球はナタルたちを冷徹に見下ろしているが、息遣いひとつ聞こえないのだ。
(ピクリとも動かん……。だが、この圧迫感の正体は『生半可な魔物』のそれではない)
ナタルは自らの体内に息づくアースドラゴンの『龍圧』や、防衛核から喰らった『領域修復』の感覚を研ぎ澄ます。
そこで確信する。
動きがないのは弱っているからではない。人間の魔法最高限界(Lv.150)すら一切受け付けないという「絶対的な強者の余裕」——世界の頂点に君臨する者ゆえの沈黙なのだと。
「生命の鼓動が、あまりに重密すぎる。……こいつは今まで喰らってきた中級の龍どもとは、根底から次元が違うな」
「ええ……。世界の頂点に立つ、Lv.1000を超える絶対王者『エンシェントドラゴン』……! 存在しているだけで世界の空間を歪めかねないほどの怪物よ……!」
「ふん。どれほどの高みにいようと関係ない」
ナタルは手袋をはめ直し、口元を凶悪に歪めた。
次の瞬間、エンシェントドラゴンの巨大な瞳が怪しく蒼く光り輝く。
静寂が破られ、世界そのものを押し潰すかのような暴虐な龍圧と莫大な魔力が大空洞を満たした。
「おい、スターシャ」
「……な、なに!?」
「あいつの持つ『絶対の概念』……残さず喰らい尽くして、俺の『器』を満たすぞ」
レベル1の男は恐れることなく、世界の絶対王者へ向けて牙を剥き、拳を振りかざして跳躍した。
直後。
ドガァァァァァンッ!!!!
激しい衝撃音とともに、ナタルの視界が突如として上下反転した。
『概念吸収』を試みるべく、その皮膚に触れようと手を伸ばした一瞬——エンシェントドラゴンはナタルを攻撃しようとすらしなかった。
ただ、大きく広げられた翼が、わずかに羽ばたたいただけ。
「が、は……っ!?」
発生したのは、魔力によるブレスでも、重力干渉でも、スキルによる攻撃でもない。
ただの『翼の扇ぎによる風圧』。それだけだった。
だが、数千年の威容を誇る超巨躯が放つ純粋な質量と物理的風圧は、ナタルがこれまでにアースドラゴンやアーマービートルから喰らい、体内で統合・最適化してきた圧倒的な肉体耐久性すらも軽々と置き去りにしていた。
ドォンッ!! と大空洞の分厚い鉱石の壁に激突し、深く深くとめどなくめり込んでいくナタルの肉体。
口から激しく朱の血が噴き出す。
「ナタルーッ!?」
遠くでスターシャの悲鳴のような叫び声が響く。
めり込んだ壁の中で、ナタルは途切れかける意識を力ずくで繋ぎ止め、肋骨が砕けた胸を押さえて歪んだ血の唾を吐き捨てた。
(……は……ハハッ! 『概念』もクソもない……! ただの『扇ぎ』の物理衝撃だと……!?)
これまで相手のスキルや能力といった『理(概念)』を喰らい、最適化することで優位に立ってきたナタル。
しかし、目の前の怪物が突きつけてきたのは——概念の介在する余地すら与えない、次元の違う『圧倒的な質量の暴力』だった。
「……なるほど。世界の頂点……Lv.1000を超える絶対王者……! 体制を整える暇すら与えんというわけか」
壁から這い出し、ボタボタと血を撒き散らしながら着地するナタル。
激痛に身体が悲鳴を上げる中、ナタルの瞳に宿る強欲な炎は消えるどころか、かつてないほど凶悪に燃え上がっていた。




