第二話 美少女エルフと不可解なLv.1
薄暗い洞窟の浅層で、俺——ナタルは目の前に現れたスライムに手を伸ばしていた。
ぷにり、と柔らかい感触が指先に伝わった瞬間——
【概念吸収が発動しました】
【スライムの『物理耐性(微)』『粘性体質』を複製・加算しました】
頭の中に流れる無機質な音声とともに、俺の腕にわずかな力がみなぎる。そのまま握りつぶすと、スライムは弾けて消滅した。
「……なるほど。倒す必要すらない。触れるだけで相手の力を俺の血肉として加算し続けるのか」
自由になった両手を何度も握り締め、俺はその異常な権能の感触を確かめていた。スライムを触っては潰し、また触れては潰す。一撃ごとに自分の動作が研ぎ澄まされ、処理速度が加速していくのがわかる。
——その異様な光景を、頭上の岩陰からじっと見つめる存在があった。
透き通るような白銀の髪に、風を孕む美しいエルフの少女——スターシャだ。
10代後半にしか見えない可憐な容姿をしているが、その実年齢は400歳を超える。そしてレベルは「250」。この世界でも一握りの領域に達している規格外の強者だった。
「……変な人間ね」
スターシャは興味本位で、自身の『高級鑑定スキル』を発動させ、下で一人黙々とスライムを処分している少年のステータスを覗き込んだ。
名前: ナタル
職業: 荷物持ち
レベル: 1
筋力: 10 / 体力: 10 / 魔力: 0
「やっぱりLv.1……。迷宮の浅層で迷子になった荷物持ちかしら?」
スターシャは呆れたように息を吐こうとした。……だが、すぐに強烈な違和感に襲われ、言葉を失う。
(……え? ちょっと待ちなさい)
ナタルがスライムに触れ、握りつぶす。また次のスライムに触れ、一瞬で破裂させる。
1匹、2匹、10匹……どれだけ討伐を重ねても、彼のステータス画面にある『Lv.1』の数字は微動だにしない。
(レベルが上がらない? いいえ、それ以前に……なんなの、あのスピードは!?)
最初は普通の人間らしい素早い動きだった。しかし、スライムに触れるたび、ナタルの踏み込みの深さ、腕を振る速度、果ては無駄のない体の捌き方が、明らかに倍々ゲームで跳ね上がっているのだ。
最初は「潰す」動作だったものが、今や「触れた瞬間にスライムが衝撃波で破裂している」ようにしか見えない。Lv.250を誇るスターシャの目をもってしても、彼の動線が一瞬霞んで見えるほどに速度が増していく。
(おかしいわ……! レベル1のステータスであんな動きができるわけがない! なのに、鑑定結果は『Lv.1』のまま……! 彼の身体の中で、一体何が起きているの!?)
レベルという世界の絶対的な理と、目の前で繰り広げられる矛盾だらけの光景。
400年を生きてきた最強クラスのエルフ・スターシャは、冷や汗を流しながら、その「最弱のLv.1」から目が離せなくなっていた。
岩陰からナタルの異様なスライム処理を見つめ、思考を巡らせていたスターシャ。
しかし、彼女がその困惑に囚われていたほんの数秒の間に——決定的な変化が起きていた。
スライムを何匹も触れては破裂させるたび、ナタルの身体には『スライムの動体視力』『振動感知』『微弱な気配察知』といった概念が果てしなく重複して加算され続けていたのだ。
能力の底上げは、とっくに普通の人間を超越した領域に達していた。
「……ッ!?」
スターシャは背筋にひやりとした悪寒を感じ、息をのんだ。
岩陰の向こう、下の広場で黙々とスライムを触っていたはずのナタルの手が、ふっと止まったのだ。
そして——ナタルの視線が、ゆっくりと、しかし確実にスターシャの潜む頭上の岩陰へと向けられた。
(気づかれた……!? 私の気配遮断を、Lv.1の人間が破ったというの!?)
スターシャのレベルは「250」。気配を消す技術に関しても、400年の生の中で極限まで高められた代物だ。並の冒険者はおろか、上位の魔物ですら彼女の存在を察知することは不可能のはずだった。
だが、ナタルの黒い瞳は、隠れているスターシャの「位置」を正確に射抜いていた。
「……そこに誰かいるのか?」
ナタルの静かな声が、静寂の広がる洞窟内に響く。
その瞬間、ナタルの足元が爆発したかのような衝撃音を立てた。
「っ!?」
スターシャが反応する間すら与えず、目の前の視界が歪む。
次の瞬間に彼女の目の前に立っていたのは、つい先ほどまで遙か下方にいたはずの少年——ナタルだった。
スライムから吸い上げ続けた俊敏性と脚力により、彼は跳躍というよりも「瞬間移動」に近い速度で頭上の高台まで跳び上がってきたのだ。
息一つ乱さず、冷ややかな瞳で自分を見下ろすナタルと、驚愕で目を見開くスターシャ。
「エルフ……? なぜこんな浅層に、人が隠れて俺を見ている?」
ナタルの視線と警戒に向かい合いながら、スターシャは冷や汗を流すことしかできなかった。
目の前の少年のステータスは、高級鑑定で見ても相変わらず**『Lv.1』**の表示のままである。
(殺気も、武器を構える素振りもない……)
至近距離で対峙するスターシャを、ナタルは冷静に見定めていた。
スライムから吸収し続けている察知能力や直感が、目の前のエルフ少女から悪意や殺気が一切出ていないことを伝えてくる。ただ存在しているのは、目を見開いて硬直するほどの強い「困惑」と「驚愕」だけだった。
ナタルはすっと体から緊張感を抜き、構えを解いた。
「……敵意はないみたいだな。警戒させて悪かった」
ナタルの態度が柔らかくなったことで、息を止めていたスターシャは「ふぅ……」と小さく安堵の息を漏らした。だが、彼女の頭の中は依然としてパニックの渦中にあった。
(な、なんなの今の移動速度は……! 息を呑む暇すらなかったわよ! 400年生きてきて、あんな異次元の踏み込みをする人間なんて見たことがないわ!)
何より異常なのは、今こうして間近で対面してもなお、自らの『高級鑑定』が示す結果が変わらないことだ。
名前: ナタル
職業: 荷物持ち
レベル: 1
「……ねぇ、あなた」
スターシャはごくりと唾を飲み込み、震える声を絞り出した。10代後半に見える可憐な容姿とは裏腹に、彼女はLv.250を誇る凄腕のエルフだ。しかし、目の前の少年の存在そのものが、彼女の持つ世界の常識を根底から揺さぶっていた。
「あなた、本当にLv.1なの……? 鑑定の偽装スキルでも使っているの?」
「偽装なんてしていない。俺は本当にLv.1の荷物持ちだ」
ナタルは嘘偽りのない静かな声で答える。
「嘘よ! だって、レベルが1のステータスであんな速度で動けるわけがないじゃない! そもそも、さっきからスライムを何匹も倒しているのに、どうして経験値が入ってレベルが上がらないのよ!? なのに……どうして一撃ごとに動きが速くなっているの!?」
矢継ぎ早に質問をぶつけてくるスターシャに対し、ナタルは自分の手元をちらりと見やった。
自身に宿ったスキル『概念吸収』——触れた対象の能力や概念を無限に加算し続けるこの能力の全貌を、見知らぬ他人にすべて明かす気はない。
だが、追放されて一人になったばかりのナタルにとっても、Lv.250という規格外の強さを持つエルフが自分に興味を示しているこの状況は、決して悪いものではなかった。
「……俺の体質は少し特殊でね。レベルという数値には反映されないんだ」
ナタルは短くそう告げると、スターシャに向かって静かに尋ね返した。
「それより、Lv.250もあるようなお前が、なぜこんな迷宮の浅層で俺を見ていたんだ? スターシャ」
「っ!? なんで私のレベルと名前を……」
ナタルが放った言葉に、スターシャは思わず一歩後ろへ退がった。
スライムから得た微弱な察知能力の重複、そして相手に気づいた瞬間に働いたナタル自身の鋭い観察眼が、彼女のタダ者ではない気配を見抜いていたのだった。
「っ!? なんで私のレベルと名前を……」
警戒露わに身を引いたスターシャに、ナタルは淡々とした調子で答えた。
「俺も長年冒険者の荷物持ちでダンジョン潜ってたからな。鑑定スキルくらいは使えるんだ」
そう口にしながら、ナタルは己の視界に浮かぶ『鑑定』の結果を思い返していた。
荷物持ちとしての長い年月の中、持ち帰る素材の価値や道具の判別、危険な魔物やパーティーの危険度を把握するために、ナタルは独学と実戦の中で自然と『鑑定スキル』を体得していた。
レベルは「1」のままでステータスは上がらなくとも、行動や経験の積み重ねによって得られる「一般スキル」は着実に成長していたのだ。
名前: スターシャ
種族: エルフ(実年齢:412歳)
レベル: 250
(……実年齢412歳、レベル250か。化け物クラスだな)
ナタルは表情一つ変えずに心の中で分析する。
外見こそ可憐な10代後半の少女にしか見えないが、この世界で「Lv.250」といえば一国の騎士団を一瞬で壊滅させられるほどの規格外の領域だ。
「……荷物持ちが『鑑定』を持ってるのはいいとして……」
スターシャは驚きで少し眉をひそめながらも、ジリジリとナタルとの距離を測り直す。
「わたしのレベルは250よ? 隠蔽の魔法もかけていたわけじゃないけど、普通ならレベルの差がありすぎて鑑定すら弾かれるか、情報が霞んで見えないはずだわ。なのに……あなたは平然と私の名前とレベルを読み取ったの?」
レベル差による「鑑定遮断」すらも無効化してみせたナタルに、スターシャの頭の中の疑問は増すばかりだった。
レベルは「1」。
どれだけ討伐しても経験値は入らない。
それなのにスライムに触れるたび動きは跳ね上がり、Lv.250である自分を正確に察知し、視線を向け、瞬時に間合いを詰めてきた。
「……ナタル、だったかしら」
スターシャは息を整え、諦めたように両手を挙げてみせた。
「分かったわ、敵意がないのは本当みたいね。……でも、400年を生きてきたエルフの好奇心にかけて、あなたのその異様な力の秘密を放っておくわけにはいかなくなったわ。あなた、一体何者なの?」




