第十六話 僻み
黒金(Sランク)のプレートを懐に収め、冒険者ギルドの賑やかな大通りへ足を踏み出したナタルとスターシャ。
しかし、事態はナタルの思惑通りには運ばなかった。
ギルドの酒場や大通りに集う冒険者たちの視線は、尊敬や畏怖とはほど遠い、ドロドロとした『疑惑』と『欲望』に満ちていた。
「おい……聞いたか? あのFランクの荷物持ち……いきなり『Sランク』に昇格したらしいぞ」
「はあ!? 冗談だろ! あいつのステータス、どう見ても『Lv.1』のままだぞ!?」
「どうせカラクリがあるに決まってんだろ。見ろよ、隣にいるあの格好いいハイエルフの女を……」
冒険者たちがヒソヒソと交わす悪意に満ちた囁きは、やがて確信めいた『妄想』へと変わっていく。
「間違いない……あのレベル250のハイエルフ・スターシャが、裏でギルドの幹部や試験官に巨額の『金』を握らせて丸め込んだんだ!」
「金で買ったSランクかよ! 笑わせるぜ!」
「ってことはだ……あのLv.1のヒモ野郎は、あの女から莫大な金を出させて懐に溜め込んでるんじゃねえか?」
経験値とレベルという「世界の理」に凝り固まった彼らにとって、Lv.1の荷物持ちが実力でSランクになるなど、絶対にあり得ない不条理だった。故に彼らは、「金権買収」という自分たちの理解できる浅ましい理屈に飛びついたのだ。
ナタルたちがギルドの敷地を出て暗い路地裏へと差し掛かった瞬間、下品な笑い声を上げながら、ガラの悪い数人の高ランク冒険者たちが前後の退路を塞ぐように現れた。
リーダー格の大男が、腰の剣に手をかけながら下劣な笑みを浮かべる。
「やあやあ、時の人……いや、『金で買われたSランク様』のお出ましだなぁ?」
「何の用だ」
ナタルは一切の動揺も見せず、冷ややかな瞳で男たちを見下ろした。
「しらばっくれるなよ! レベル1の分際でSランクの看板を買い取るとは、いい度胸じゃねえか! どうせそのハイエルフの姉ちゃんに甘い顔して、巻き上げた大金をギルドに握らせたんだろ?」
男は不快そうに唾を吐き捨てると、ナタルに向かって下品な手つきで指を折ってみせた。
「俺たち叩き上げの冒険者が血反吐を吐いて上げたランクを、金で汚されて黙っていられるかよ。……なあ、Sランク様よ。俺たちの口を封じて『買収』の件を黙っててほしけりゃ、その溜め込んだ金をここに置いていきな。なに、あのエルフの女におねだりすれば、またいくらでも出してくれるだろ?」
「……クック……あはははは!」
ナタルの後ろで、スターシャが思わずお腹を抱えて爆笑し始めた。
「ちょ、ちょっとナタル……! 聞いた!? 私があなたを金で買い叩いてSランクにしたんですって! 400年生き届いて色んなバカを見てきたけど、ここまでおめでたい頭の持ち主は初めてだわ!」
「黙ってろ、女! 命が惜しくなけりゃ、大人しく——」
「身程を知らないのは、お前たちだ」
ナタルの低く冷たい声が、路地裏の空気を一瞬で凍りつかせた。
ナタルは黒い手袋の形を静かに整えると、一歩、愚か者たちへと歩みを進める。
「『金で丸め込んだ』か。世界のシステムにしか縋れん愚者どもらしい、浅薄な発想だな」
「ああん!? なんだとその態度は! たかがLv.1が気取ってんじゃねえぞ!!」
痺れを切らした大男が剣を抜き、ナタルの首元目掛けて斬りかかった。
だが——。
ドォン!!!!
刃がナタルの皮膚に触れることすらなく、ただナタルが軽く振るった「素手の掌打」の風圧だけで、大男の巨体は弾丸のような勢いで吹き飛んだ。背後の石造りの壁を何重にも突き破り、そのまま路地裏の奥へと埋没する。
「が、は……っ!?」
残された冒険者たちは、目の前で起きた悪夢のような光景に息をのんだ。
魔法の詠唱も、武技の発動光もない。ただの「肉体」が放った圧倒的な衝撃波。
「……ひ、ヒィっ!? な、なんだ今の……!?」
「金など使わん」
ナタルは青ざめる冒険者たちを見下ろし、冷徹な瞳で告げた。
「お前たちが信奉するそのちっぽけな『レベル』も『金』も……俺にとっては、いつでも奪い尽くせる無価値な概念に過ぎん。……消えろ。次に俺の視界に入れば、お前たちの命という概念そのものを喰らう」
「ひぃああああああっ!!!」
腰を抜かした男たちは、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
静けさを取り戻した路地裏で、スターシャが呆れたように肩をすくめる。
「やれやれ……せっかくSランクになって障害が消えたと思ったのに、今度は『金持ちのヒモ扱い』かい? 街を歩くだけで変なハエが寄ってきて大変ね」
「別に構わん」
ナタルは黒金のプレートを指先で弄びながら、冷ややかな笑みを浮かべた。
「羽虫がどれだけ群がろうと、踏み潰す手間が一度増えるだけだ。……行くぞ、スターシャ。まずはこの金を狙う愚者どもを逆手にとって、さらなる資金と拠点を巻き上げてやる」




