第十五話 え、換金できない?ランクの壁に立ち向かう
ギルドの受付カウンターで、ナタルたちの前に突きつけられたのは、あまりに不条理で冷酷な「現実」だった。
「申し訳ありません、ナタル様。ギルドの規約上、Fランク(最低ランク)の冒険者が中層以上の素材を持ち込んで換金すること、および中層への単独立ち入りは禁止されております」
受付嬢の毅然とした、しかしどこか見下すような声が響く。
ナタルの手元にあるのは、アースドラゴンの素材や深層の希少鉱石——世界のパワーバランスを揺るがすほどの超高価値なアイテム群だ。しかし、冒険者ギルドという組織は、強さの絶対的な証明として「冒険者ランク」と「ステータス(レベル)」の開示を求めてくる。
「おいおい、Fランクの荷物持ちがそんな高価な素材を持ってるわけないだろ!」
「どうせ腕利きのパーティーから盗んだか、死体漁りでもしたんじゃないか?」
周囲の冒険者たちからクスクスと不躾な笑い声と嘲笑が漏れ聞こえる。
ナタルの鑑定ステータスは、どこまでいっても『Lv.1 / 荷物持ち』のまま。どれほど強大な概念を吸収しようと、世界のシステム上は「最弱の存在」としてしか処理されないからだ。
(なるほど……『世界の理』に従って構築された社会組織では、俺の力は『不正』か『存在しないもの』として扱われるわけか)
ナタルは冷ややかな瞳で受付嬢を見つめる。
横に立つスターシャ(Lv.250)は、あまりの愚かさに呆れ果て、こめかみをピクピクと震わせていた。
「ちょっと、あなたたち! 目の前にいる彼がどれだけの力を——」
スターシャが言いかけた瞬間、ナタルは静かに手を出して彼女を制した。
「ランクを上げるための『昇格試験』、あるいは実績の証明方法はあるか?」
「え、ええ……通常は討伐証明部位の提出と、ギルド指定の試験官による実技試験を行っていただくことになりますが……Fランクから一気に跳ね上げるなど前例が——」
「それでいい。試験の手配をしろ」
ナタルの言葉に、ギルド内が一瞬静まり返る。
ギルドの奥へと通されたナタルとスターシャの前には、机一面に敷き詰められた羊皮紙の山と、偏屈そうな老試験官が待ち構えていた。
「実技の前に、まずは『筆記試験』だ。法律、魔物生態、素材の危険度分類、古代語……冒険者ランクを飛び級しようってんなら、満点以外は即不合格と知れ」
試験官が突きつけてきた試験紙は、中級〜上級冒険者が数ヶ月かけて叩き込む知識を網羅した極めて難解な内容だった。隣に立つスターシャが「さすがに知識なしのLv.1には無茶よ、一度持ち帰って勉強し直したら……」とナタルの腕を引っ張ろうとする。
しかし、ナタルは無言のまま手袋を外し、試験官の手元にあった『ギルド管理用・模範解答集(過去50年分)』の束の端に、ほんのわずか指先を触れさせた。
* 発動判定:『概念吸収』
* 対象:記録媒体に刻まれた知識データ
* 効果:半世紀分のギルド知識・法務・解析技術を完全マスター
(なるほど……文字や紙に込められた『知の概念』すら、俺の器には一瞬で記憶・最適化されるか)
「ナタル? ちょっと、諦めて帰り——」
スターシャの言葉が終わるより早く、ナタルの羽ペンが恐ろしい速度で紙面を滑り始めた。カリカリカリ、と静かな部屋に速記の音だけが鳴り響く。
* 解答時間:わずか1分40秒
* 試験内容:過去最高難易度の昇格試験問題(全50問)
* 結果:満点(加点方式の裏回答・最新の素材分析法まで完全記述)
「な……なんだと……! 読まずに解いているのか!? いや、それ以上に……この『アースドラゴンの角の解体法』、ギルドの最高機密である秘伝の処理手順まで完璧に書かれているだと……!?」
試験官は震える手で採点用紙を掴み、目を見開いてナタルと解答用紙を交互に見つめた。長年の修練や独学などというレベルではない。ナタルの網膜には、世界の理が管理する知識のデータベースそのものが完璧に展開されていた。
「筆記は終わりだ。これで文句はないな?」
ナタルは静かに手袋をはめ直すと、冷ややかな視線を試験官に向けた。
「つ、次は……実技試験だ! 訓練場へ向かえ……!」
動揺を隠せない試験官をあとに、ナタルはゆっくりと歩き出す。
ギルドの地下にある広大な実技試験場(訓練場)。
石造りの堅固な壁と魔法障壁で囲まれた空間で、案内されたナタルの前に立っていたのは、全身を頑丈な重鎧と重厚な大盾で固めた大柄な男——ギルド最高峰の防衛能力を誇るBランク試験官・ガルバ(Lv.78)だった。
「筆記はインチキか何かで誤魔化せたかもしれんが、実技はそうはいかんぞ、Fランク」
ガルバは極厚のタワーシールドを地面に突き立て、地鳴りのような響きとともに膨大な魔力と防衛スキルを展開した。
「俺のスキル『絶対鉄壁』と『物理攻撃極大耐性』を打ち破ってみせろ! 魔法でも武技スキルでも、持てるすべての力を叩き込んで——」
ガルバが言いかけたその時、ナタルは静かに手袋を外した。
(……待てよ。ここで重力干渉や属性魔法、武技の概念を使ってしまえば、この軟弱な訓練場ごとギルドの施設が消滅しかねないな)
ナタルは思考を巡らせる。
これまで『概念吸収』で取り込んできた無数の魔物や戦士たち——アーマービートルの『外殻硬度』、アースドラゴンの強靭な鱗、オークマスターや数多の戦士から加算され続けた純粋な『筋力』と『剛力』。そしてそれらを体内で分解・統合(最適化)し続け、拡張されてきた圧倒的な『器』の基本耐久力。
(『概念(スキルや魔法)』を何ひとつ発動させず、ただの肉体性能……純粋な『素手の一撃』だけで行けばどうなる?)
「おい、何を黙って——」
ガルバが不審そうに眉をひそめた瞬間、ナタルの姿が消えた。
ドッ——!!!!
魔法の踏み込みでも、超加速のスキルでもない。ただ「足の筋肉で地面を叩いた」だけの力任せな一歩。それだけで訓練場の石畳が足元から激しく爆砕し、空気が激震する。
(……なるほど。エフェクトも術式も介さない、ただの過剰な質量と密度の運動エネルギーか)
次の瞬間、ナタルはガルバの目と鼻の先に立っていた。
一切のオーラも魔力も纏っていない、ただの平然とした「素手の拳」が、ガルバの構える極厚の大盾へとなんの捻りもなく真っ直ぐ突き出される。
「ハッ、無詠唱の魔法も武技の気配もない『ただの素手』だと!? 舐めるなよ——」
——ゴウッ!!!!
言葉は最後まで続かなかった。
ナタルの素拳が触れた瞬間、鉄壁を誇るタワーシールドの中央が、まるで紙粘土のように無残に陥没した。
遅れて押し寄せたのは、魔法の衝撃波などではない。超高密度の肉体が弾き出した「天災級の物理的な風圧と質量攻撃」だ。
「ごばッ……!?!?!?」
スキルの『物理攻撃極大耐性』が発動する猶予すらなく、ガルバは盾ごと吹き飛ばされた。
訓練場の頑丈な石壁を何重にも突き破り、そのまま奥の岩盤へ深々と埋まり込んで動かなくなる。訓練場全体に激しい地震のような揺れが走り、粉塵が天井からパラパラと舞い落ちた。
「ヒッ……!? し、試験官が一撃で……!? 武技も魔法も使ってないのに、ただの拳の風圧で壁を叩き割っただと……!?」
見学していたギルド職員たちが、恐怖のあまり悲鳴を上げて腰を抜かす。
ナタルはゆっくりと自分の右拳を見つめ、静かに手袋をはめ直した。
(概念を一切乗せず、ただの肉体の硬度と腕力だけで叩いたが……やはり加算・最適化された基礎性能だけでも過剰すぎるな)
レベル1のまま世界の理を超越した男の「ただの素手」は、ギルドが誇る最高峰の防衛スキルすら、ただの物理現象として力ずくで粉砕してみせたのだった。
粉塵が少しずつ収まり、静まり返ったギルドの実技試験場。
壁の岩盤に深く埋まり、ピクリとも動かないBランク試験官・ガルバ。その前で、採点板を抱えたギルド職員たちの手が震えていた。
「判定……! 判定はどうなったんだ!?」
試験官補佐の青年が声を裏返らせながら、恐る恐る魔導測定器と壁の状況を確認する。
* 試験項目:実技(物理防衛スキルの突破および実戦能力の証明)
* 測定結果:測定不能(ギルド最高峰の防壁『絶対鉄壁』および『物理攻撃極大耐性』を一撃で全壊)
* 行使能力:なし(魔法・武技スキル・魔力放出の反応ゼロ。純粋な物理衝撃のみ)
「ひ、筆記試験……100点満点(規格外の裏回答まで記述)」
「じ、実技試験……判定不能(試験官一撃不能につき合格、計測不能領域)」
震える声で告げられた結果に、見学していた職員や周囲の冒険者たちが息をのむ。
「ご、合格だ……! Fランク冒険者ナタル……Sランク昇格試験、即時合格および特例昇格適用!!!」
ギルドの地下に、悲痛な叫びにも似た合格宣言が響き渡った。
通常、ランクを一つ上げるだけでも年単位の貢献と無数の依頼達成が求められる。にもかかわらず、一切の魔法も武技も使わず、ただ「素手の拳の風圧」だけでBランク試験官の絶対防御を砕いたLv.1の男は、ギルドの歴史上初となる『FランクからSランクへの特例跳躍昇格』を勝ち取ったのだった。
「……おい、ナタル」
後ろで一部始終を見ていたスターシャ(Lv.250)が、呆れたように、しかしどこか引きつった笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「『概念を使わない素手で試す』って……限度があるでしょうが。あの試験官、命があっただけ儲けものよ? ギルドの頑丈な壁ごと崩壊させる勢いだったじゃない」
「加減はした」
ナタルは静かに手袋の形を整えながら、淡々と答えた。
「武技も魔法も乗せていない。ただの肉体の硬度と腕力をそのままぶつけただけだ。これ以上手加減すれば、ただの挨拶になってしまう」
「それが異常だって言ってるのよ……」
スターシャはため息をつきつつも、その瞳には「世界の理」を鼻で笑うようなナタルの圧倒的な異質さへの強い興味が灯っていた。
腰を抜かした職員から差し出されたのは、最高位の証である『黒金(Sランク)の冒険者証』。
これで、中層どころか深層への単独立ち入りも、高価値な素材の自由な換金も何一つ制限されることはなくなった。
「これで障害は消えた。……まずは、あの元仲間どもの鼻を明かすだけの『資金』と『拠点』を固めるぞ」
ナタルは黒金のプレートを懐に収めると、一切の感情を交えずに地下訓練場をあとにした。
レベル1の最弱として切り捨てられた男が、冒険者ギルドという権力構造の頂点へ一瞬で駆け上がった瞬間だった。




