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封蝋師令嬢は白紙の誓約から幸せを結ぶ  作者: 銀細工ナギ


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第14話 北風の知らせと王都召喚

翌朝、エルシア工房の窓は内側から白く曇っていた。


まだ開店前だというのに、戸口の鈴が細く鳴る。エルシアが鎧戸を上げると、北辺伯家の使いではなく、王宮配達役の少年が肩をすくめて立っていた。灰色の外套には霜がつき、胸の革札には王冠と羽根ペンの印がある。


「エルシア・リュネット殿。宰相府より召喚状です」


差し出された封筒は厚かった。封蝋は王宮の群青、印は正式なものだ。けれど、エルシアが受け取った瞬間、指先に遅れて冷えが沈んだ。


表の熱はまっすぐだ。王宮文書としての手順は踏まれている。だが、蝋の縁にだけ、昨日の木箱に残っていた白い曇りと同じ匂いがある。竜胆油を薄め、正しい熱の上へ布のようにかぶせた冷たさ。


「……ありがとうございます。受領の印を」


エルシアは工房印を押した。少年は礼をして去ったが、外の風は戸が閉まってからも床を這うように残った。


召喚状の文面は簡潔だった。三日後、王宮東離宮の誓約広間に出頭すること。王家旧誓約に関する解印式において、封蝋師として証言すること。命令者は宰相府、立会人の筆頭にオルセウス宰相補の名があった。


「来たな」


奥の作業机で台帳を読んでいたカイが顔を上げた。昨夜は北辺伯邸へ戻らず、工房の二階にある控え室で資料番をしてくれていた。彼がいるだけで心強いのに、そのことを口にすると甘えになりそうで、エルシアは召喚状を差し出すだけにした。


カイは文面を最後まで読み、封蝋の縁へ視線を落とした。


「正式な召喚だ。拒めば、君の証言そのものを逃亡扱いにされる」


「出向くしかありませんね」


「ただの証人として行かせるつもりはない。北辺伯家の監査補佐として同行する」


迷いのない声だった。エルシアの胸に、昨日押した淡い金の蝋の熱がよみがえる。


「私の工房の仕事でもあります。守られるだけでは行きません」


「分かっている。だから準備をする」


その日、工房は臨時休業にした。戸口へ小さな札を掛けると、昨日来たパン屋の娘が向かいの店先から心配そうにこちらを見ていた。エルシアは軽く会釈し、作業台へ戻る。


銀の小箱には、侍女が残した白い粉が保管してある。橋守の巻紙から採った欠片。代書人の契約書に潜んでいた薄い冷え。三つを別々の小皿へ置くと、どれも見た目はただの粉や蝋片なのに、指を近づけた時だけ同じ方向へ熱が逃げた。


「白蝋そのものは少ない。でも、竜胆油で薄められているから広く伸ばせるんです」


「王宮の封蝋に混ぜても、表面の印は崩れない」


「はい。正しい誓約を偽物に見せるのではなく、正しい熱を読めなくする。解印式でそれを使えば、古い誓約は『すでに力を失った』と見せかけられます」


カイは腕を組んだ。窓の外、北風に揺れる看板の影が作業台を横切る。


「狙いは王家の旧負債か」


「それと、北辺へ渡る権利。橋守の誓約も、母の名が残っていた台帳も、同じ空白へつながっています」


言葉にした途端、足元の床板が少し遠くなるような気がした。王家、宰相府、古い誓約。ひとつひとつが大きすぎて、かつての自分なら目を伏せていただろう。


けれど今、机の上には市井の契約が並んでいる。パン屋の弟の徒弟契約、洗濯屋の奉公契約、寡婦の家賃証文。小さな紙片の熱が、エルシアに背を向けるなと言っている。


昼過ぎ、もう一通の手紙が届いた。今度は差出人の印がなかった。封もされていない安い紙に、乱れた筆跡で一行だけ。


解印式では、白い燭台を見るな。


エルシアは息を止めた。脅しではない。紙にはかすかな温もりが残っている。罪悪感と恐れの混じった、人の手の熱だ。


「ダリオン卿かもしれない」


カイが低く言った。


「彼はまだ王都に?」


「監査の証言後、ヴェルク家で謹慎しているはずだ。だが、宰相府に出入りしていた者なら、解印式の支度を耳にしてもおかしくない」


エルシアは手紙を小皿の横へ置いた。白い燭台。蝋を溶かす熱皿ではなく、式場に置かれる飾り。その炎に竜胆油を仕込めば、封蝋師の感覚だけを鈍らせることもできる。


「私の目ではなく、指先を封じるつもりなのですね」


「なら、式場では君を蝋に近づけすぎない」


「いいえ。近づかなければ、読めません」


反射のように答えてから、エルシアは自分の声に驚いた。怖くないわけではない。失えば、彼女は何者でもなくなるのではないかという恐怖は、喉の奥にある。


カイはすぐには言わなかった。少しだけ間を置き、手袋を外して作業台の端に置く。


「では、君が読む。そのかわり、君が読んだものを、私が場に残す。証言記録、予備の封蝋、銀の小箱、すべて二重に用意する」


「私が倒れても、ですか」


「倒れさせない。だが、君が一人で抱えなくて済むようにする」


その言い方が、約束ではなく仕事の手順として示されたことに、エルシアは救われた。甘い言葉より、ずっと強い支えだった。


夕方、工房の扉を閉めるころには、召喚状の写しが三通、証拠の小箱が二つ、工房印を押した記録束が一冊できていた。カイは王宮へ同行者の届出を送り、エルシアは淡い金の蝋を携帯用の筒へ詰めた。


最後に、彼女は自分の手袋を見つめた。指先の革は使い込まれ、白蝋の冷えを何度も受け止めてきた。母の誓約も、橋守の巻紙も、小さな工房へ訪れた人々の紙も、この手が覚えている。


「行きましょう。王宮へ」


窓の外で、北風が雲を裂いた。遠い王宮の尖塔に、冬の夕陽がひとすじだけ灯る。


それは封蝋に残る熱のように、冷たい空の中で消えずに光っていた。

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