第99話 綾麿の策略 〜後編〜
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を帝から拝領し、御所警備西番を任う。村雨の真刃と鞘刃での不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を憎み、鎌足を快く思っていない。麒麟や朱雀など五人の直属配下と『六歌戦』現体制の打破を画策する。
番傘剣朱雀━━━━
朱のきらびやかな振袖型の戦闘服に身を包んだ、綾麿の直属の配下の美しい少女。十八歳。仕込み刀の番傘剣の使い手で、その剣腕は鬼の修羅をも凌ぐ。綾麿に仄かな恋心を抱いているが、色恋に疎い綾麿にいつもやきもきしている。招集を受け、京の外れの路地裏を訪れる。
━━━━弓のように細い三日月が、朧がかっていく。
視線を空から地に下ろしていく綾麿の瞳にも今、遥か遠くに霞む山際が映っていた。
この地より南へ約三里(※約12km)。
広がる霞の間から見える山々の影の全てが、強大な権力を持つ弓削大社の支配管轄。
それは双方共に因縁を匂わす件の巫女、宮司の弓月院小夜が鎮座する神山だった。
「⋯⋯小夜様かぁ。⋯⋯今この瞬間も、あの山の本殿で、優雅に座しているんだろうな」
まるで朧の空が舞い降りたような曇った微かな声で、朱雀が初めて“その名”を口にする。
「⋯⋯ああ、裏切者でなくとも、当面の俺たちの最大の障壁、攻めるべき本丸であることには変わらぬが」
しかし綾麿はそんな因縁の南を軽く一瞥しただけで、何故か東の方角へと目を向けた。
この場に訪れていた沈黙は、終わりを迎える。
綾麿は神妙な顔つきで、再び朱雀に話かけた。
「⋯⋯六歌戦の話は今はこれ迄としよう。⋯⋯朱雀よ、そなたとの話はもう一つある」
「⋯⋯え、もう一つ? それは?」
綾麿からの唐突の声。
朱雀はきょとんとした顔で、綾麿の方を振り返った。
「⋯⋯そなたもその名だけは聞いているかもしれんが、俺が東番を譲った、“鎌足”と言う名の江戸御庭番小頭。その忍が昨日昼に遠き東の地、出羽三山へと向かった」
「鎌足? ⋯⋯ああ! 江戸からの援軍でしたっけ? 初日に紫宸殿で暴れたとか、鬼を斬ると云う伝説の鬼切丸って刀の半刃を持っているとか⋯⋯。ほんの少しだけですが噂でちらりと。そうそう、綾麿様ともかなり揉めた事も、青龍様から聞きましたよ? 何でもその鎌足の命を奪おうと、村雨と共に御所内を追っかけ回したとか」
「⋯⋯⋯⋯」
「うふふ。綾麿様ったら普段は大人なのに、やんちゃな子供みたいに可愛い所もあるんだからぁ、もう、好き」
朱雀は紅の頬に両の掌を当て、身体をくねらせながら愉しそうに微笑んだ。
綾麿には珍しく冷静さを失ったような行動も、朱雀にとってはたまらなく愛しく思えるらしい。
しかし綾麿はそんな朱雀の微笑ましい仕草には触れず、既に過去の話とばかりに御所での経緯も顧みない。
崩さない表情と真剣な眼差しが、今から伝える話の大事を何よりも物語っていた。
その話こそが此処に朱雀を呼んだ最大の理由。
そしてそれは、鎌足の旅の目的でもある、”あの男“に関する話だった。
「⋯⋯その行き先は、朝廷とは遥か前から縁を切り、出羽の秘境に隠遁として暮らす、━━━━役小角」
⋯⋯役小角。
朱雀は初めて聞く名だった。
「⋯⋯は? えんの? おずぬ? その者が鎌足とやらとどんな関係が?」
「鎌足め。どうやらその小角に会いに⋯⋯、いや、”刀を求めに“、向かったと見える」
「⋯⋯刀? ⋯⋯うーん、どういう事ですか?」
「その出羽国の役小角は、今よりおよそ七十年前。紅鬼を封じた元『六歌戦』。生き残った者の内の一人だ」
「⋯⋯今は引退した『六歌戦』の一人?」
「そして俺はかつて噂で一度耳にした事がある。その小角は鬼を斃した伝説の刃を所有している⋯⋯、と」
「⋯⋯刃。⋯⋯ん? あれ? ⋯⋯あ、それって、鎌足とやらの鬼切丸と同じ曰く? また鬼を斬る刀だ?」
「俺の憶測にすぎん。⋯⋯が、小角が持つその刀とは、もしかしたら鎌足の持つ鬼切丸の片割れ。まだ見ぬ半刃のもう一つなのではないか? そなたはどう思う?」
「⋯⋯なるほどぉ。それは十分にあり得ますね。生き残った『六歌戦』が二人。伝説の刀も二つ。しかも鎌足とやらが持つのはちょうど半分」
「⋯⋯少なくとも俺は、その二つの云われは元は一つ。同一の刀だと見ている。⋯⋯とすれば、俺たちにとって厄介な事になる」
「⋯⋯厄介な事?」
朱雀はあどけなく首を傾げた。
「ああ、今の鎌足の剣技はまだ未熟。朱雀たちには及ばぬが、その秘めた素質には目を見張るものがある」
「でも麒麟君に、ぼっこぼこにされたんでしょう?」
「あの勝負。麒麟は終始手を抜き油断していた⋯⋯とは言え、麒麟程の使い手が追い込まれたのだ。最後の一閃、一瞬。あの時の鎌足の動きは麒麟の読みに勝り、俺の想像の上をいっていた⋯⋯。鎌足自身もまだ気づいていない。⋯⋯が、確実に底しれぬ不思議な強さ、そして鬼たちをも凌ぐような大いなる謎も秘めている」
「⋯⋯ふーん、そんな侮れない奴なんだ? でも私たちの計画の邪魔になることはないのでは? 京都に援軍に来てるとは言え、いつか京都を離れる江戸者でしょ?」
「⋯⋯これもまた俺の憶測になるが、⋯⋯鎌足の背後が気になるのだ」
「⋯⋯背後? 鎌足を裏で操る者たちがいると? 江戸の御庭番衆、伊賀の忍たちですか?」
「⋯⋯⋯⋯」
この時、何故か綾麿の言葉が止まった。
朱雀がそんな綾麿を覗き込むようにして、また首を傾げる。
「⋯⋯綾麿様?」
「⋯⋯いや何でもない。今は詳しくは話さぬが、まあそんな所だ。鎌足がもし鬼切丸の両刃を手にすれば、何れは俺たちの計画の前に必ず立ちはだかる。そして大きな災いとなるだろう。それだけは未然に防がねばならん」
「でもどうして綾麿様はそんな危険な奴を、この十数日の間も野放しに? 京都の町を一緒に守る!⋯⋯なーんて、大の江戸嫌いの綾麿様が思う事は無いだろうし。綾麿様の権力や剣腕なら、御所の中で幾らでも殺せる機会などあったでしょうに。鬼の襲撃の際も、襲撃後も、昨日も。しかも人知れずひっそりと」
綾麿は少しばつの悪そうな表情を浮かべる。
そして朱雀から目線をそらし、ぼそりと呟いた。
「⋯⋯⋯⋯、だから内裏で追っかけ回した」
「⋯⋯あ、そこに繋がるんだ? なるほどぉ。うふふ」
綾麿のぶっきらぼうな物言いに、逃げ惑う忍と、村雨二刀を振り回しながら忍を追い回す綾麿の姿を、朱雀は思わず想像してしまう。
その余りの可笑しさに、朱雀の口元も自然と緩む。
「元々好機は窺っていた。鎌足から刃を抜くように圧をかけながら。その刃を交えた時も、鎌足の力を試しながらだったが、確実に殺るつもりだった。だが蒼鬼紅鬼どもの急な出現があり、その機会は逸してしまったが」
「⋯⋯ん? でもその後、いくらでも殺せたのでは?」
「⋯⋯その時の互いの罵り合いや諍いは、生き残った警備兵たちに見られている。それ故に派手な手出しはできぬ。鎌足がもし御所で死んだり殺されたり、何か不審が起こると、麒麟共々疑われて面倒な事になるからな」
「⋯⋯ふーん?」
「それに鎌足には、共に御所を命懸けで守り抜いた、その礼もあったからな。今の所はその命、見逃してやった。⋯⋯まあ、そのような理由が色々とあって、襲撃後は言葉で圧をかけるくらいしかできなかったのだ。⋯⋯ふっ、その代わり此方から散々に脅して罵ってやった。その青ざめた表情、なかなかに愉しかったぞ」
「⋯⋯本気の道化最中の、情けを完全に捨てている、鬼よりも恐くて厳しい綾麿様が⋯⋯、見逃した? しかもそんなねちねちと絡みに? ⋯⋯ん、私の勘ですけど、あれこれ理由はあれど、もしかして命懸けで御所を守った”御礼“って理由が、良くも悪くもいつのまにか“興味”に変わっちゃいました?」
綾麿の性格を誰よりも知っている朱雀は、少し驚いたような表情を見せた。
そして立ったまま脚を組みながら、何度も左右に首を傾げ、人差し指を頬や額に当てて考察する。
開いている番傘までも、左に右に不規則に回る。
朱雀の顔には、明らかな疑問符が浮かんでいた。
「⋯⋯まあ、命を助けたのは、元々心根がお優しい綾麿様らしいと言えばらしいけど。共に鬼と戦った事で情が移っちゃったのかなあ? うーん⋯⋯でも珍しいなぁ。いつも冷静沈着な綾麿様が人目も憚らず追いかけ回す程、むきになったり。と思ったら意外や意外、情けをかけて見逃してみたり。⋯⋯その男、どんな奴だろう?」
「⋯⋯女子だ」
「⋯⋯え?」
「⋯⋯鎌足は女子だ」
⋯⋯不自然な沈黙が流れた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。⋯⋯女子、⋯⋯なんですか」
唐突に訪れた長い沈黙の後。
朱雀は眉間に皺を寄せ目を細め、綾麿をじいっ⋯⋯と睨みながら、異様に低い声でぼそりと呟いた。
その声の響きには、つい今しがたまでの明るさや張りは何一つ感じられない。
この時、この綾麿の返事を聞くに至るまで、江戸徳川将軍からの正式な援軍である鎌足がまさか女性だとは、朱雀は頭の片隅にも考えた事が無かった。
きっと図体も大きく、髭もじゃ。
そして岩のように筋骨隆々、屈強な身体。
鎌足をそんな”ごつい男”とばかり思い込んでいた。
朱雀の顔が明らかに苛立ちで歪む。
手の中に握る番傘の柄が、みしみしと音を立てる。
その心は嫉妬の炎で燃え滾っていた。
(⋯⋯あの綾麿様が、一人の女にそんな執着を? 有り得ない、有り得ない、有り得ない。⋯⋯っ、ぐぎぎぎぎぎぎ、⋯⋯か、鎌足ぃぃぃ。⋯⋯どんな禍々しい憎たらしい色気を放っている美女なの!? ⋯⋯私より歳上? ⋯⋯綾麿様、実は年増女が趣味なの!? ⋯⋯でも待って待って。まさか⋯⋯、もし⋯⋯歳下⋯⋯だったら? ⋯⋯嘘ぉ!? ⋯⋯はぁああぁ!? まっさかぁ!?)
しかし綾麿は色恋沙汰にはまるで不器用。
一言で性格を表すならば、”鈍感“や“無関心”だった。
この朱雀の変化に何一つ気付かない。
それどころか赤羅様に不機嫌に変わっていく朱雀を前にしながら、鎌足との回想を更に続けていた。
「鎌足め。鬼との戦いの後、抱きかかえて部屋まで運んでやったが、俺の腕の中で涎を垂らし、百地殿の名を呟きながら胸にも擦り寄ってきおった。ははは⋯⋯。きっと夢の中で俺を、その江戸の百地殿と勘違いして、その身体を任せていたのだろうな。⋯⋯ふふふ」
「⋯⋯だ、抱き!? ⋯⋯よ、涎!? ⋯⋯す、すすす、擦り寄り⋯⋯、⋯⋯み、みみみ、身を任せ⋯⋯!?」
「それと傷の様子をわざわざ見に行ってやった、昨日は昨日でな。謹慎明け一番に会った時の、鎌足の驚いた顔といったらなかったぞ。しかも江戸が恋しくなった、傷がまだ癒えていない等と嘘八百を並べてな。そのくせにそれはそれは嬉しそうに、廊下をまるで野兎のように飛び跳ねていきおったわ。⋯⋯ははは、おかしな奴よ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「しかも内裏の勤怠を扱う式部省にな、昨日あの後、大将殿宛てで出羽国行きの届を出したらしい。江戸ではない何処かへ向かう事だけは何となく読めていたが、調べる手間や時間が省けた。そんな届を出せば、まるで筒抜けになる。勿論、念のために逢坂の関所にも問い合わせた。北東の方角に向け、間違い無く鎌足が京都を離れた事が確認されている。⋯⋯ははは、どう思う? 朱雀よ。鎌足は本当にそんな笑える程に、間抜けで愚かな奴だと思うか? ⋯⋯俺はな、この一連の件、実の所⋯⋯ん? どうした朱雀?」
綾麿は何かを言いかけて、一旦言葉を止めた。
目を鋭く細め、じっと無言で綾麿を見つめ続けていた朱雀。
その嫉妬と猜疑心に溢れた視線を、ようやくにして感じ取ったからである。
朱雀の眉間はぴくぴくと引き攣っていた。
「⋯⋯綾麿様? はっきりと言ってくださいな。愚かな奴とか、おかしな奴ではなくて、愛しい女子の間違いでは?」
「⋯⋯ん?」
「 ⋯⋯貴方様という御方は、目の前にこんな尽くす美女が居ながら⋯⋯。褥にその愛しい女子を運んでから、一体何をなされたのです?」
「⋯⋯どういう意味だ?」
「⋯⋯言葉の通りです」
「⋯⋯愛しいひと? とは? 何だ?」
「⋯⋯さあ? 御自身の胸に聞いてみれば如何でしょう。ちなみにその鎌足って女忍、歳は幾つですか?」
「⋯⋯歳? ⋯⋯あぁ、正確には知らぬが、そなたよりは若い。麒麟よりは上だろう。十六ほどではないか?」
「⋯⋯はぁあぁあぁあぁあん!? じゅ、十六ぅ!?」
「⋯⋯? どうした?」
「⋯⋯綾麿様、歳の差。ないわ。趣味が悪すぎます」
「⋯⋯趣味? ん? 何やら不穏な殺気を感じるが?」
「⋯⋯そうですか? ⋯⋯別に」
「⋯⋯ふふふ。⋯⋯その殺気、丁度良い」
「⋯⋯は?」
綾麿の一言に、細かった朱雀の目も、尖っていた口も、ぽかんと丸くなる。
そんな朱雀に向けて、綾麿は薄笑みを浮かべた。
「⋯⋯話を戻そう。鎌足の件。廊下まではともかく、届出と関所の件は、鬼切丸同様に半刃。半分は真、半分は形無きもの⋯⋯、即ち偽りだ」
「⋯⋯え? 偽り? ⋯⋯全く意味が分かりませんが?」
「鎌足は忍にしては確かに抜けている。恐らく感情を殺した潜入経験などは、まだ少ないのだろう。とは言え、流石に届出を出して御所を出る程は、抜けてはいない。また人目につき、行き先が分かる関所をわざわざ抜けて向かうような、救いようの無い馬鹿でもない。⋯⋯届出と関所の返答は、恐らくは霧人の陰謀だ━━━」
それは事実、的を射ていた。
式部省からの伝達も、逢坂の関所からの返事も、全てが『六歌戦』鷹乃宮中納言霧人の裏からの指示。
昨日夜に配下の少納言葛羽に命じ、陰陽衆たちに手配させた、綾麿一派の分散を狙った情報の横流し。
極秘裏に進められている不可解な陰謀の一端だった。
しかし綾麿の目は騙されなかった。
この隠された真実、霧人の計略を見抜いていた。
小角の名は知らなかった朱雀だが、霧人の名には当然に聞き覚えがある。
「⋯⋯霧人。⋯⋯それは天才陰陽師と名高い、あの『六歌戦』の鷹乃宮中納言の事ですね? 妖術知略に長けた、変幻自在の妖剣の使い手と聞いています。⋯⋯が、でもどうして? 何故に綾麿様にそんな偽の情報をわざわざ流すんです!?」
「⋯⋯全てが偽ではない。今言った通り、半分は真。鎌足の出羽行きは真実だ」
「⋯⋯では、何故!? わざと綾麿様に情報を流すなど。ますますもって鷹乃宮中納言の真意が分かりません」
「⋯⋯恐らくは俺たちに鎌足を追わせる気だろうな」
「追わせる? ⋯⋯っ、⋯⋯まさか、狙いは分断?」
「⋯⋯だろうな。俺たち六人を東西に分散させ、京での邪魔な“目”を減らす目的だろう。⋯⋯それが何を意味し、そして何を企んでいるかはまだ分からぬがな」
「⋯⋯もしかしたら蒼鬼に協力している裏切者っていうのも、その鷹乃宮中納言なんじゃ!?」
「⋯⋯かもしれんな」
「⋯⋯なら鎌足の出羽の件なんて無視しなきゃ! ⋯⋯っ、そう言えば。この所の陰陽衆の動きには、青龍様も疑念や不審を抱いていた。⋯⋯ッ! これは御所や京都の監視を強めないと!」
朱雀が切迫した真剣な表情で身を乗り出す。
しかし綾麿の次の返事もまた、そんな焦燥の朱雀が想像だにしていない、意外すぎる言葉だった。
「⋯⋯否、⋯⋯ここは敢えて、誘いに乗る」
思わず朱雀の声も裏返る。
「⋯⋯はぁあ!? 綾麿様!? どういう事です!?」
「情報の出処が霧人であろうとなかろうと、鎌足の件が真実ならば、それは決して見過ごせぬ話」
「⋯⋯そ、それは確かに、そうかもしれませんが」
「忘れたか。俺たちの目的は『六歌戦』の打倒。ならば逆に丁度良い。その『六歌戦』霧人が陰陽衆たちと何を企み、何を御所で成そうとしているのか。霧人の真意を探るのにむしろもってこいの好機とは思わぬか?」
「⋯⋯なるほどなるほどぉ。敢えて罠にかかったふりをして、もう一つ道化を演じて油断させる、か。⋯⋯うふふ、綾麿様らしい嫌がら⋯⋯いや、反撃だなあ。そんな大胆不敵で知的な綾麿様が、やっぱり朱雀は好きぃぃ」
綾麿への羨望と感嘆。
朱雀の表情が一気に蕩けていく。
そんな愛らしい姿を他所に、綾麿はこの朱雀を招集した理由、その核心部分を口にする━━━━。
「━━━━そこで、だ。俺たちの計画、御所にまつわる不審、謎の裏切者、そして出羽国に眠りし鬼切丸⋯⋯。その全てを踏まえ、朱雀や青龍たち其々に、適任の命令を下すことにした」
「⋯⋯っ、命令? と言うことはいよいよ今宵の本題ですね。⋯⋯しかも五人其々に? 一体何かしら?」
「ここ十日ばかり前から、青龍の羅生門の動きを探る占星術が妨げられている。御所周辺の氣が乱れているからだ。恐らくは奴ら陰陽衆の仕業。⋯⋯青龍には陰陽衆への対抗術式と、引き続き羅生門本道の探索を頼んだ。⋯⋯そして鎌足が抜けた東と、俺の西の二つの番。これは既に白虎に任せてある」
「青龍さんはまさに適任ですね。白虎は⋯⋯、鬼に同情かも。爪牙刀に斬り刻まれる鬼が可哀想。麒麟君は?」
「⋯⋯麒麟はそのまま北と南の番だ。麒麟め、俺に激しく咎められたのが気に食わないのか、ここ暫くは俺とはほとんど話そうとはせん」
「あらあら。麒麟君、拗ねちゃって。⋯⋯で、あれ? 綾麿様は?」
「⋯⋯俺は清涼殿の謎の閃光の正体を追う。それに小夜と弓削大社の秘密について、過去の書物や記録を中心に色々調べたい事もあるからな。⋯⋯当面の大敵は霧人ではなく、やはり弓削の小夜だ」
「なるほどぉ⋯⋯、あ、で私は? あと玄武さんは?」
「玄武には出羽国の小角が持つ半刃の探索。そして俺の見立て通りだった場合の、半刃”破壊“もしくは“鎌足より先の奪還”を任せた。もしその探索や破壊の邪魔をする者があれば、その者たち全てを排除せよ、ともな」
「⋯⋯なるほど、それも適任ですね。流石は綾麿様。破壊にかけては玄武さんの右に出る者はいないもの」
「玄武は人の善悪を見抜く目にも長けている。小角の従者たちを相手に、無益な殺生は決してしないはずだ」
「⋯⋯うーん、でもなあ。破壊は適任とは言え、やっぱり大丈夫かな、玄武さん。普段は冷静でも、怒らせたら本当に怖いからなあ。人でも家でも村でも砦でも城でも、何でも破壊し尽くしちゃいそう」
「そして⋯⋯、朱雀よ。そなたには⋯⋯」
「⋯⋯あ、はい、何なりと」
まるで何処か近くの店に簪や菓子でも買いに行くような、のんびり気楽な表情で朱雀は構えている。
しかしその顔には、未だかつて綾麿の命令を仕損じた事は無い、そんな絶対の自信と余裕が滲んでいた。
綾麿もそんな朱雀の自信に応えるように、瞳を妖しく煌めかせる。
そして次に綾麿の口から飛び出したのは、数々の驚きの言葉を超える、歓喜雀躍の一言━━━⋯⋯
⋯⋯━━━━「江戸御庭番小頭、鎌足の追跡、そして抹殺を任せる」━━━━⋯⋯
⋯⋯━━━━鎌足の暗殺命令だった。
(⋯⋯あら、まあっ)
朱雀の口元が自然と綻ぶ。
これ以上は無い、願ったり叶ったりの命令だった。
「⋯⋯女子同士。故に適任かと思ってな。不服か?」
「⋯⋯いえ。勿論、”喜んで“、⋯⋯お受け致します」
朱雀は当然に二つ返事。
満開の笑顔の花を咲かせながら頷いた。
「既に一足先に玄武は出羽へと向かった。そなたも直ぐに準備をし、出羽へ向かうがいい。馬は要るか?」
「その鎌足とか言う、憎き女子は歩きで?」
「ああ。これも御丁寧に霧人からの情報だ。鎌足は伊賀の仲間九人と、出羽の何処かで落ち合うらしい。仲間と集まる刻にまだ十分に余裕があるのだろう。ちなみに玄武は歩きだ」
「なら私もそうしようかな。玄武さんからは半日遅れ。急げば追い付けるかもだし。それに日本の北だと、たぶんまだ相当に寒いでしょう? 馬でかなり先に着いちゃうと、鎌足が来るのを、寒さに震えながら何日も待たなくちゃならないですから」
「小角の支配する地は、吹雪が舞う万年雪、極寒の地と聞く。決して備えを怠るな。そして青龍の占術によれば、蒼鬼や紅鬼どもも出羽の方面、北から東へ向けて、何らかの不可解な氣の動きが見られる、との事だ。⋯⋯よいか、努々油断するな」
「御安心を。青龍様の羅生門探索と陰陽師対策。麒麟君や白虎の御所警備。そして玄武さんの鬼切丸破壊。⋯⋯この仲間内の手柄勝負にも、絶対に負けられませんわ。何をするにしても綾麿様の一番じゃなくちゃ。もし私の前に蒼鬼紅鬼どもが現れても、その全てを蹴散らして、必ずや綾麿様の御期待に添いますから。⋯⋯うふふふ」
朱雀は両の振袖をひらひらと舞わせながら、嬉しそうに微笑む。
そして最後に上目遣いで綾麿を見上げた。
「⋯⋯あの。でも念のため、一つ聞いても良いですか」
「⋯⋯何だ?」
「本当に良いのですか。その鎌足とやらを殺しても?」
綾麿の返事を聞くのが怖いのか。
この短い問いかけが終わる時には、朱雀は少し伏し目がちになっていた。
「何故、改めてそのような事を聞く?」
「⋯⋯だって。さっきから話を聞いてると、綾麿様、その鎌足という女子に何か特別な感情や執着を抱いている御様子⋯⋯、私の気の所為かもしれませんが⋯⋯」
朱雀は左右の振袖の端を目の前で擦り合わせながら、もじもじとしている。
そんなしおらしい朱雀に向けて、綾麿は“心配するな”とばかりに、力強く微笑みかけた。
「⋯⋯蒼鬼紅鬼と同じ。江戸や徳川もまた俺の敵。殺したい程、憎くてたまらない。⋯⋯そんな江戸側に組する鎌足らに対しても同じだ。命を保護する俺の中での礼、義理立ても終わった。⋯⋯構わぬ。⋯⋯俺の代わりに、━━━殺れ」
「⋯⋯っ、わあっ」
朱雀の表情がぱあっと輝く。
その笑顔を見届けた綾麿は、狩衣の袖を片方だけ颯爽と翻す。
「⋯⋯さて。長い立ち話をしてしまったな。そろそろ中将に戻らせてもらうぞ、朱雀。⋯⋯後は任せた」
「⋯⋯あーあ、残念だなぁ。今の綾麿様の方が良いのにぃ。⋯⋯まぁ、道化の綾麿様の、妖しくて危険な雰囲気や、雅な麿言葉もまた好きなんだけどぉ」
「⋯⋯ではな。⋯⋯”麿“は白虎の待つ御所へと向かうとしよう。⋯⋯ほほほ」
綾麿は公家独特の少しだけ甲高い笑みで呟くと、夜の闇に溶けるように道化の中へと戻っていく。
綾麿は朱雀に背を向けると、御所のある方角へとゆっくりと歩き出した。
去り行く綾麿。
一月近くはかかるかもしれない旅路。
暫くは見れなくなる綾麿の大きな背中を、朱雀は目に焼き付けるようにして見惚れていた。
時には淡く、時には熱く。
恋心を込めて、ずっと見続けてきた背中。
綾麿が何を考えているのか。
どんな気持ちでいるのか。
決して目には見えない口にもしない細やかな感情も、その背中や歩みを見ているだけで、何となくだが分かるようになっていた。
(⋯⋯あ)
そんな朱雀の目に、今の綾麿の背中は、何かを悩み、悔いている⋯⋯。
⋯⋯そんなふうに見えた。
任せた、任せられた、で終わるいつもの別れ。
頭では分かっているにも関わらず、朱雀の本能は、気付けば綾麿を呼び止めていた。
「⋯⋯あ、綾麿様! もう一度、もう一度だけ! 聞かせてください! その鎌足の首、この京に持ち帰って来ても良いのですね!? ⋯⋯本当に、本当に良いのですね!? ⋯⋯任務を果たして、⋯⋯それで、⋯⋯もし、綾麿様に嫌われたら⋯⋯、私⋯⋯ッ」
綾麿の背中だけを真っ直ぐ見つめながら、朱雀が強く強く問いかける。
その小刻みに震える切実な声、刺すような視線に、綾麿も立ち止まる。
そして綾麿らしく、背中で答えた。
「⋯⋯鎌足の首? ⋯⋯朱雀よ、やはりそれは麿の望む所ではない。今一度、命令を改めた方が良さそうだ」
「⋯⋯っ、⋯⋯え、⋯⋯え? ⋯⋯やっぱり」
朱雀の顔が哀しそうに曇った。
綾麿は再び狩衣の袖を片側だけ靡かせて、半身だけ後ろを振り返る。
「⋯⋯鎌足は伊賀者九人と合流する、と言ったな」
「⋯⋯えっ?」
綾麿の口元が吊り上がる。
朱雀の目の前。
其処には紛れもなく、また迷いもなく、いつもの確固たる志に満ちた⋯⋯
⋯⋯不知火中将綾麿。
その妖しく力強い瞳が在った━━━━。
━━━━「鎌足含め、奴等伊賀全員の頭蓋、叩き割り、“二十“の首、持って来や」━━━━
殺気と迫力に満ちた綾麿の低い声に、朱雀の口から甘い歓喜の吐息が漏れる。
曇りかけていた表情が嘘のようにぱっと明るく弾け、番傘もくるくると嬉しそうに回る。
番傘の花の模様が、今宵一番の綺麗な円を描いた。
(⋯⋯うふふふふ。⋯⋯やった、やった)
この時の朱雀は、まさに暗殺者としての顔だった。
ただの可愛らしい天真爛漫な少女の顔ではない。
華麗に大空を舞い、情け容赦無く獲物を狩り、命を奪う事に慣れた、冷酷非情の殺戮者の顔。
京都の裏社会で、天舞童麒麟や爪牙刀白虎たちと共に恐れられる、番傘剣朱雀としての顔。
(綾麿様との恋路を邪魔する鎌足は、絶対に許さない)
春の夜に歓びを謳う、朱い雀、盲目の恋。
その心に纏う化粧は、血の紅色の白粉だった。
回し終えた番傘を、とん⋯⋯と肩に担ぐ。
そして愛しい綾麿と心を重ねる喜びを味わうように、朱雀もまた妖しく狂わしい殺意を口元に浮かべながら、たった一言だけ、嬉しそうに短い返事の言葉を呟いた。
「⋯⋯御意」━━━━。
第99話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回はいよいよ第100話になります!
一つの目標にしていたので感慨深いです。
第100話は、9月26〜27日頃の投稿予定です。
引き続きよろしくお願い致します。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)




