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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編 十一

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第98話  綾麿の策略 〜前編〜

【登場人物紹介】

不知火綾麿(しらぬいあやまろ)━━━━

 従三位中将(じゅさんみちゅうじょう)。帝と日本を守る『六歌戦(ろっかせん)』の一人。謎の妖刀『村雨(むらさめ)』を帝から拝領し、御所警備西番を任う。村雨(むらさめ)の真刃(しんば)と鞘刃(さやば)での不知火(しらぬい)二刀流(にとうりゅう)の使い手。江戸徳川政権を憎み、鎌足(かまたり)を快く思っていない。麒麟(きりん)や朱雀(すざく)など五人の配下と何かを画策しているようなのだが⋯⋯。


番傘剣(ばんがさけん)朱雀(すざく)━━━━

 朱のきらびやかな振袖型の戦闘服に身を包んだ、綾麿(あやまろ)の直属の配下の美しい少女。十八歳。仕込み刀の番傘剣の使い手で、その剣腕は鬼の修羅をも凌ぐ。綾麿(あやまろ)に仄かな恋心を抱いているが、色恋に疎い綾麿(あやまろ)にいつもやきもきしている。招集を受け、京の外れの路地裏を訪れる。


 ━━━━人気(ひとけ)も蒼鬼(おに)も消えた、寂れた京の裏路地。

 狂乱の宴に幕が下りたばかりの夜の静寂(しじま)を、雲間に悪戯(いたずら)に浮かぶ三日月だけが今、仄かに照らしていた。

  

 その三日月の真下には、神妙な面持ちの二人の剣客、村雨(むらさめ)を手にした綾麿(あやまろ)と、番傘をさす朱雀(すざく)の姿。

 主従関係の二人が見つめ合っていた。


 ⋯⋯この場の会話は、誰にも聞かれてはならない。 

 主(あるじ)である綾麿(あやまろ)との暗黙の約束(きまり)を胸に、そして蒼鬼(あおおに)たちを斬り裂いた番傘は肩に。

 朱雀(すざく)が真剣な眼差しで口を開いた。



「⋯⋯私たち直属五人に課せられた極秘の任務、それはすなわち⋯⋯━━━━現『六歌戦(ろっかせん)』の排除、そして時と場合によっては、その抹殺⋯⋯」



 確固たる意志、力強さが伝わってくる声だった。

 朱雀(すざく)の口から出た言葉は、耳にした誰もが驚き慌てふためく事は間違い無い、日本(ひのもと)京都防衛の根底を揺るがす衝撃の一言━━━━。



 ━━━━『六歌戦(ろっかせん)』の暗殺計画だった。



 綾麿(あやまろ)もまた朱雀(すざく)を力強く見つめ返す。

 朱雀(すざく)の言葉の意味を噛みしめるように、そして静かに頷(うなず)き返した。

 それは事の重大さ、そして覚悟の重さがひしと伝わる眼だった。

 朱雀(すざく)が遠慮がちに言葉を続ける。


「⋯⋯でも、やはり宜しいのですか。『六歌戦(ろっかせん)』の方々は、綾麿(あやまろ)様の同胞。鬼たちと戦う仲間であり、その強さは大いなる武器。また京を生きる人々にとっても精神的支柱とも言える存在。そんな方々を失っては⋯⋯」


「そなたの言う通り、共に戦うに相応しい者ならば共闘(それ)も歓迎できよう。『六歌戦(ろっかせん)』の中には一人か二人、まだその真意がはっきりと見えぬ者も居る。もし真にこの国の未来を憂いている者がいるならば、それに越したことはない。⋯⋯が、しかしほとんどの者は⋯⋯」


「⋯⋯讃える六(む)つ和歌(うた)に値しないと?」


「⋯⋯朱雀(すざく)。そなたは深くは知らぬだろうが、とりわけ今の『六歌戦(ろっかせん)』は腐りきっている。『六歌戦(ろっかせん)』の名を隠れ蓑(みの)に邪(よこしま)な野望を抱く者、私利私欲に溺れた動きを見せる者、就任してから一度も顔を見せない者⋯⋯。仮に今、一時に京や帝は守れたとしても、蒼鬼紅鬼(あおおにあかおに)の侵攻はこれから先、何百年後の世も続く。負の連鎖そのものを断ち切る事はできん。俺が帝から村雨(むらさめ)を受け、『六歌戦(ろっかせん)』に名を連ねるのも、現状の打破のためだ」


「⋯⋯古きを捨て、新しきを纏(まと)う。何かを変えるには、変える側も痛みを伴う⋯⋯、ってこと?」


「そうだ。羅生門(らしょうもん)の本道(ほんどう)ならば、生者も仮死状態で通る事ができる。蒼(あお)でも紅(あか)でもどちらでも構わぬ。京の何処(どこ)かに繋がる本道(それ)を見つけ⋯⋯、━━━━此方(こちら)から地獄に攻め上がり、蒼鬼紅鬼(おに)の魔城(まじょう)と魔窟(まくつ)を制するしか、日本(ひのもと)の未来は無い━━━━、⋯⋯そして」


 綾麿(あやまろ)は朱雀(すざく)からそっと目線を外した。

 そしてそっと穏やかに、言葉を紡いだ。


「⋯⋯今の、今の体制のままでは、このような悲しき者たちが増えていくだけだ」


 憂いを帯びた声だった。

 その目線の先には、鬼たちに火を点けられた市井(しせい)の人々の亡骸(むくろ)の炎。

 灰混じりの黒煙が夜空へと舞い上がる。

 そしてその黒煙の先に瞬く星々を見上げながら、綾麿(あやまろ)は想いの言葉を続けた。



「⋯⋯三日後、久方ぶりに『六歌戦(ろっかせん)』の六人の召集がある。だが、いくらその場で俺が積極案を唱えても、全員の一致同意が絶対の決まり。恐らくは反対を受け、都合の良い“様子見”という事で終わるだろう。⋯⋯ならば、もはや日本(ひのもと)の命運は、“俺たち”が切り開く。消極的な『六歌戦(ろっかせん)』どもは排除するしか道は無い。しかもあろうことか、此度(こたび)は更に由々しき事態も起こっている⋯⋯」


「⋯⋯更に由々しき事態? ⋯⋯っ、それは?」


「⋯⋯俺を除く『六歌戦(ろっかせん)』五人。その内少なくとも二人は、その誉(ほまれ)を捨て、蒼鬼(あおおに)紅鬼(あかおに)と密かに通じている」


「⋯⋯ッ!? ま、まさか⋯⋯、『六歌戦(ろっかせん)』五人の中に、裏切り者がいるって言うんですか!?」


「⋯⋯何も驚くべき話ではない。何時(いつ)の時代にも、大いなる力を手にした権力者たちの中には、偽りの正義の仮面を被った偽善者(ぎぜんしゃ)は生まれるもの。悲しきかな、それは『六歌戦(ろっかせん)』とて例外ではない。事実、過去に鬼との内通を疑われ、密かに闇に葬られた者も何人かいたと聞く」


「そんな。信じられない。⋯⋯っ、それは誰なのですか? 綾麿(あやまろ)様はその者の目星は付いているのですか?」


「御所での戦いの際に、紅鬼(あかおに)の修羅(しゅら)が口を滑らせた。よって紅鬼(あかおに)と通じている者はおおよそ見当がついている。それは予(かね)てから俺が、日本(ひのもと)に巣食う、諸悪の根源と疑っていた人物。⋯⋯だが、残念ながら確証は無い。しかしつい先日、偶然にもその証拠を握ると思われる者の生存と居場所を確認した。⋯⋯遠く離れた、江戸、にな」


「⋯⋯江戸。⋯⋯綾麿(あやまろ)様の憎むべきもう一つの地ですね。⋯⋯其処(そこ)に証拠が? ⋯⋯うーん、どんな証拠⋯⋯いや、生存、居場所⋯⋯か。⋯⋯”誰“なんだろう?」


「⋯⋯その内いずれ話す時は来る。だが、遅かれ早かれ、必ず。必ず確たる証拠は掴む。そして『六歌戦(ろっかせん)』の立場を謳歌(おうか)する、其奴(そやつ)の悠久(ゆうきゅう)にも渡る大罪を白日の下に晒す。それが永年(ながねん)の俺の使命であり、また鬼を迎え撃つ今、成すべき大事(だいじ)の一つでもある」


 それはまるで見えない強敵を睨みつけるようだった。

 力強い宣言と共に細めた、綾麿(あやまろ)の鋭い目。

 その瞳はこの時、闇の奥深くに潜み裏で鬼糸(いと)を引く、裏切者の黒い影の真実(しょうたい)に一人の女の姿を重ねていた。


 そしてそれは朱雀(すざく)も同じだった。

 綾麿(あやまろ)と全く同じ女の幻影を、その瞳の中に宿していた━━━━。



 

 ━━━━それは宵闇(よいやみ)の神殿内に鎮座する、きらびやかな巫女姿の絶世の美女━━━━⋯⋯。




 ⋯⋯裏路地での会話は徐々に核心へと近づいていた。




 何かを思い悩むように胸に手を当てた朱雀(すざく)の表情や声には、明らかな動揺が滲む。


「⋯⋯あの、綾麿(あやまろ)様? その予(かね)てから、疑っていた⋯⋯という者なんですが、⋯⋯それはもしかして、ゆげ⋯⋯っ、いや、あの⋯⋯」


「⋯⋯⋯」


「⋯⋯いえ、やっぱり、大丈夫です。⋯⋯別に何でもありません。⋯⋯それより蒼鬼(あおおに)と通じている者の方は?」


「⋯⋯残念ながらそれはまだ掴めてはおらぬ。他の四人の内の誰なのか⋯⋯。だがそれ故(ゆえ)に此度(こたび)の『六歌戦(ろっかせん)』の招集は好都合。どんな発言をするか、どんな態度で臨んでくるか。裏切者(てき)は必ず尻尾を出す。俺は此度(こたび)の召集、ある作戦をもって裏切者(それ)の仮面を見破る。そして排除すべき者は誰かも見届ける。⋯⋯そして抹殺すべき者⋯⋯即(すなわ)ちこの日本(ひのもと)から消し去る和歌(うた)が決まったあかつきには━━━」


 妖しく眼を煌(きら)めかせた綾麿(あやまろ)の言葉の後を、まるで心の迷いを振り払うように、朱雀(すざく)がすぐさまに繋げていく。



「━━━━『六歌戦(ろっかせん)』の後継として、麒麟(きりん)君、青龍(せいりゅう)様、白虎(びゃっこ)、玄武(げんぶ)さん、そして朱雀(わたし)の五人が新たに就く。⋯⋯そして綾麿(あやまろ)様を中心とした、新たな『六歌戦(ろっかせん)』の体制を作り、この日本(ひのもと)を真(しん)に守り続ける⋯⋯、ですよね?」



 そしていつものように明るく微笑んだ。

 そんな“いつも”を見せてくる朱雀(すざく)に、綾麿(あやまろ)が穏やかな笑みで返す。

 

「⋯⋯そうだ。そなたを含めた五人は、来たるべき決起に備え、俺が見出(みいだ)し、集めた、最強かつ自慢の剣客(けんきゃく)たちだ。⋯⋯その剣の強さは、地獄の蒼鬼紅鬼(あおおにあかおに)修羅(しゅら)どもにも、現世(うつしよ)の名のしれた剣客(けんきゃく)にも、ましてや当然に『六歌戦(ろっかせん)』の五人にも、絶対に引けは取る事は無い」


 涼やかな声と共に、綾麿(あやまろ)の瞳は凛と真っ直ぐに前だけを見据え、力強く煌(きら)めいていた。

 その眼の色の深さからは紛れもなく、朱雀(すざく)たち五人の強さへの揺るぎない信頼が感じ取れた。


「⋯⋯うふふ。そうやって畏まって改めて面と向かって言われると、何か照れちゃうけどぉ。⋯⋯お任せあれ、綾麿(あやまろ)様ぁ」


 綾麿(あやまろ)に頼りにされている。

 それだけで朱雀(すざく)の顔も自然と綻び、身体をくねらせながら頬がまた紅く染まる。


 しかし綾麿(あやまろ)はすぐにこうも言葉(ちゅうい)を添えた。


「⋯⋯ただし」


「⋯⋯ただし?」


「⋯⋯蒼鬼紅鬼(おに)から京を死守し、日本(ひのもと)『六歌戦(ろっかせん)』の和歌(うた)を消し、尚且つ地獄を制するためには、激しい戦いになるは必至。どのような強さを持つ者でも、武運(ぶうん)拙く敗れたり、相討ちなども十分に考えられる。それが命を賭けた戦いに伴う痛み、犠牲と言う名の宿命(さだめ)だ。⋯⋯朱雀(そなた)、青龍(せいりゅう)、玄武(げんぶ)、白虎(びゃっこ)、麒麟(きりん)、そしてこの俺も含め、六人のうち何人かは失う事も覚悟している」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯『六歌戦(ろっかせん)』に欠員が出ようとも、その“全員”が俺たち六人の誰かで占めるならば、”全員一致“の決まりは通じる。例え一人になろうとも、生き残った者が、死んだ者たちの志を継ぎ、新たな『六歌戦(ろっかせん)』を選び、育て、この日本(ひのもと)を守る礎(いしずえ)となっていくのだ」


「⋯⋯はい、綾麿(あやまろ)様。それは私たち五人全員が重々承知の上。⋯⋯あ、⋯⋯でも待って。麒麟(きりん)君だけはちょっと分からないかも。あの子、裏表が激しいからなぁ」


 朱雀(すざく)は腕組みをして考え込む。

 そんな朱雀(すざく)に綾麿(あやまろ)は再び微笑みかけた。


「確かにな。麒麟(きりん)の心はまだ成長の途上にある。⋯⋯朱雀(すざく)よ。重ね重ねになるが、俺が冥府に旅立ち、そなたが最後に生き残った時は、この国を宜しく頼む。⋯⋯麒麟(きりん)も命が最後まで在ったならば、そなたや青龍(せいりゅう)の言葉なら我慢して聞くはずだ」


「⋯⋯心得ています。⋯⋯ん、でも私はやっぱり綾麿(あやまろ)様と一緒に、これからの日本(ひのもと)を見守っていきたいな。そのためにあんな厳しい剣の修行に堪えてきたんですもの」


 朱雀(すざく)は頬を赤らめながらも、寂しげに呟いた。


「⋯⋯⋯⋯」

 

 その場に一時の静寂が訪れる。


 

 綾麿(あやまろ)が朱雀(すざく)に穏やかに声をかけたのは、朱雀(すざく)の心を少し落ち着かせるように、少しの間を置いてからだった。

  

「⋯⋯朱雀(すざく)よ」


「はい、綾麿(あやまろ)様」


「先程、俺に問おうとした、紅鬼(あかおに)と通じる者の名」


「⋯⋯はい」


「先程も言った通り、決定的や確証はまだ無い⋯⋯が、聞きたいならば伝えるが?」


「⋯⋯、⋯⋯いえ。その必要はありません。御心遣い、ありがとうございます。わざわざ言って頂かなくても、綾麿(あやまろ)様が誰の名前を口にしようとされていたのか。⋯⋯私には分かります」


「⋯⋯そうか」


 ⋯⋯名前を告げる必要は無い。

 そうはっきりと答えた朱雀(すざく)の顔は、言葉とは裏腹に何処(どこ)か陰を帯びていた。


「⋯⋯綾麿(あやまろ)様。一つだけ」


「どうした?」


「⋯⋯先程『六歌戦(ろっかせん)』の召集と仰(おっしゃ)いましたが、⋯⋯ということは、⋯⋯その御方も来られるんですよね?」



 この時、蒼鬼(あおおに)四鬼にも全く怯む事は無かった朱雀(すざく)の右腕は、握り拳を作りながら僅かばかり震えていた。

 心做(こころな)しか番傘を握る左の拳も、力強さを増している。


 綾麿(あやまろ)はそんな朱雀(すざく)から敢えて目をそらす。

 そして空へと視線を送る。


「⋯⋯ああ」


 そして返す言葉を短く留めた。

 朱雀(すざく)も綾麿(あやまろ)の視線を追うように空を仰ぎ見て呟いた。


「⋯⋯きっと、⋯⋯揉めそうですね」


「⋯⋯ああ⋯⋯」


 綾麿(あやまろ)もまた短く言葉を返した。



 二人が見上げた夜空には、既に雲は無かった。

 細く美しい三日月だけが、相変わらず二人をぼんやりと見つめている。



 この時の朱雀(すざく)は、遠い昔と今が混濁するような、既視感にも似た不思議な感覚に包まれていた。

 この日本(ひのもと)には星の数程の多くの民が生きている。

 しかし今、二人の瞳に映る月の光は、そんな市井(しせい)の人々を全て避けて、綾麿(あやまろ)と朱雀(すざく)の二人だけを的確に照らしている、そんな気がしていたのだ。


 夜空にぽっかりと穴が空いたように浮かぶ細い月は、大いなる高みから二人を見下ろしている、異形の何者かの瞼(まぶた)を開いた眼のように見える。

 またそんな三日月の眼から放たれる光は、鋭いの矢の閃光(せんこう)のようにも見えた。



 幻想の中で、弓の三日月が声をあげる。

 


(⋯⋯コンドハ、ケッシテ、オマエヲ、ノガサナイ)


 

 その時、朱雀(すざく)は心の中で、先程口にしかけたある者の名を呟いていた。



(⋯⋯弓削(ゆげの)、弓月院(きゅうげついん)、⋯⋯小夜(さよ)さま)━━━━⋯⋯







 ⋯⋯━━━━小夜(さよ)、それはこの日に至るまで綾麿(あやまろ)が度々口にし、また朱雀(すざく)が言葉にしかけた女の名。


 その名こそが『六歌戦(ろっかせん)』の一人、⋯⋯弓月院(きゅうげついん)小夜(さよ)。


 奇遇にも刻(とき)を同じくして件(くだん)の小夜(さよ)もまた、綾麿(あやまろ)と朱雀(すざく)と同じ三日月(つき)を、ひとり仰ぎ見ていた━━━━⋯⋯。






 ━━━朝廷から最高の大社の称号を得た山門の寺院、男子禁制の『弓削大社(ゆげのたいしゃ)』。

 麓(ふもと)から長い石段で繋がり、山一面に拡がる社(やしろ)の敷地は、京の町が幾つもすっぽりと入る程の広大さを誇る。

 朝廷の保護を受け、全国の有力神社仏閣や時の権力者たちとの結びつきも強く、また京都内外全国の民衆からも信仰の対象として絶大な支持を受けていた。

 この弓削大社(ゆげのたいしゃ)の巫女となるためには容姿端麗(ようしたんれい)かつ文武両道(ぶんぶりょうどう)が求められ、巫女として仕えることができるのは才色兼備の証(あかし)、最高の誉(ほまれ)とされていた。

 そんな優秀な百人以上の巫女を束ね、たった一代で巨大勢力を築いたとされるのが宮司(ぐうじ)である弓月院(きゅうげついん)小夜(さよ)。


 弓月院(きゅうげついん)小夜(さよ)には、日本(ひのもと)に並ぶ者無しと言われるものが二つあった。


 一つは『六歌戦(ろっかせん)』としての比類無き弓の腕前。

 その弓矢は四半里(しはんり)(※約1km)先の的を撃ち抜いたとか、同時にあらゆる方向に五本の弓矢を放ち何(いず)れも的の真ん中を射抜いたなど、嘘か真(まこと)か定かではない話が民衆の話題の常になっていた。


 そしてもう一つがその類稀(たぐいまれ)なる美貌(びぼう)だった。

 正確な年齢もその出自も誰も知らなかったが、美しく長い黒髪、そして二十歳前半に見えるその顔は、まさに男を虜にする絶世の美女と言うに相応しかった。

 公家や僧侶の権力者たちは、小夜(さよ)の魔性の美貌に心を奪われ、こぞって寄付や支援を買って出たのである。


 『六歌戦(ろっかせん)』の歌の中でも、綾麿(あやまろ)と並び称される程に市井(しせい)に浸透し、鬼の出現に毎日を怯えて暮らす民衆の心を癒す唯一無二の存在であり、あらゆる意味で京都内外の民衆にとってまさに“刻(とき)の人”だった━━━━。






 ⋯⋯━━━━「⋯⋯今宵の月はあの日あの時と同じ。か細いまでの三日月。まるで弓のような繊月(せんげつ)か⋯⋯」


 赤と白の水干(すいかん)の巫女(みこ)姿の弓月院(きゅうげついん)小夜(さよ)は、その美しい黒髪を風に靡(なび)かせながら、神殿の縁側で優雅に月を仰ぎ見ていた。

 そして静かな水面(みなも)に映る月のように穏やかに呟いた。


 その脇には三日月が地上に舞い降りた様な一張(ひとはり)の弓。

 その弓の両端は独特で、通常は上下両方の先端に弦(つる)の輪を結びつけて終わっているはずの弓だが、小夜の持つ弓は更に上下ともに両端から刃が伸びており、それはまるで三日月のような外観となっていた。


 そんな独特の弓に張られた弦(つる)を指でなぞりながら、小夜(さよ)がそっと呟いた。


「あれからもう三年。時の経つのは早い。⋯⋯九条綾麿(くじょうあやまろ)。⋯⋯いや、今は不知火(しらぬい)綾麿(あやまろ)⋯⋯か。三日後どの面(つら)を下げて私の前に現れるか。本当(ほん)に楽しみな事よ。




  弓月(きゅうげつ)の 満ちては欠けて 消(き)ゆるとも


       世にあらざらむ 彼(か)の思ひ花━━━━




(弓のように力強く撓(しな)るあの三日月も、時の流れの中で満ちたり欠けたり、時には消える日があってもまた再び会えるのに、同じ様に消えてしまった貴女とは、きっともう二度とこの世では逢えないのでしょうね。貴女との想い出のこの花だけが今も咲き誇っています━━━━)




 ⋯⋯か。⋯⋯彼(か)の想い花。どうかこの世にずっと居てほしい、と願う和歌(うた)か⋯⋯」 


 小夜(さよ)が何かを想い偲(しの)ぶように、自身に対して詠われた『六歌戦(ろっかせん)』の和歌(うた)を口ずさんだ⋯⋯。



 ⋯⋯その時。



 縁側から見える夜の闇、社(やしろ)の庭園。

 そこに一つまた一つと、無数の蛍の光が舞い出した。

 蛍の時期にはまだ相当に早い。

 しかし驚くべきは季節や場所ではない。

 その尋常ではない“数”だった。


 夜の闇には数千、数万とも思える大量の光の玉。

 夥(おびただ)しい数の蛍が、夜の闇に浮遊していたのだ。



「⋯⋯おやおや? 季節外れの蛍(ほたる)がこんなにも数多(あまた)に。⋯⋯餌(ひと)の温もりを求めて、迷い出たのであろうか」



 怪異は蛍(それ)だけではない。


 神殿内の何処(どこ)からだろうか。

 夜の闇に紛れ、神々しい残響を残しながら、不思議な鈴の音も聞こえてきた。

 鈴の音は北から南から、梁の上から床の下から、そして柱と柱の闇の中から。

 神殿の四方八方から夢現(ゆめうつつ)に響いてくる。

 並の者が聞いたならば、その音色は耳からではなく、頭蓋骨や器官を飛び越えて脳の奥にまで直接に響いてくるような、そんな魔性(ましょう)の旋律だった。



「⋯⋯ふふ。この鈴の音はまさに神楽(かぐら)の舞。⋯⋯誰かの弔いか、それともこの私を呼ぶ魔界からの鈴とでも?」



 更に怪異はもう一つ、起きていた。

 小夜(さよ)以外、副官の無鵺(むえ)も仕える側近の巫女たちも、誰も居なかったはずの神殿内。

 それなのに今、明らかに幾つもの黒い影が動き回っている。


 しかし神殿内に灯された燭台(しょくだい)に照らされ、壁に映る無数の影は人間のような四肢も頭もまるで無い。

 ただの黒い線のような不気味な集まりが、ぞわぞわと動いているだけだった。


 その正体は人ではない。


 ⋯⋯髪の毛だった。


 無数の伸び盛った髪の毛が縦横無尽に冷たい神殿内の虚空(こくう)を彷徨(さまよ)い、宙を蠢(うごめ)いていたのだ。



 小夜(さよ)は三日月の空からゆっくりと目を離す。

 そして座しながら背後をゆっくりと振り返った。



 その視線の先。

 神殿中央に、侵入者たちは居た。

 いつの間に足を踏み入れていたのか。

 凛と横一列に立ち並ぶ、三つの影があった。



 この奇怪な訪問者たちに向けて小夜(さよ)が口を開く。



「日本(ひのもと)の遥か遠方、地の底より遥々よく参られた、⋯⋯この弓削大社(ゆげのたいしゃ)本殿(ほんでん)へ」



 告げられたのは襲撃を受けた警戒の言葉でも、非常時に備える巫女たちを呼ぶ緊迫の声でもない。

 優雅に微笑みながらの、侵入者たちを真に歓迎する言葉だった。


 そして三つの影もその歓迎に応えるように、薄笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。


 その三つの影は、意外にも全員が女だった。

 しかも弓削大社(ゆげのたいしゃ)の巫女たちと同じ、紅袴(くれないばかま)の巫女の衣を身体に纏(まと)っている。


 しかし衣は同じでも、この三者の姿形はそれぞれに並の巫女たちとはまるで異なる、”禍々しい“ものだった。



 まず、小夜(さよ)から向かって右の巫女。

 まだ幼く見える顔に、遊郭の禿(かむろ)のような肩までの長さの金色の髪。

 可愛らしい菊人形のような容姿をしていた。

 ただ普通の巫女と違っていたのは、その身体の周辺に怪奇にも無数の蛍を纏(まと)っていた事である。

 しかも蛍の光と共に、自身の髪や衣も金色に発光し、全身がぼんやりとした光の膜に覆われている。

 ずっとあどけない笑みを浮かべているが、甘い表情の裏で何を考えているかは分からない、そんな不思議で不気味で、危険な氣を放っていた。

 


 そして中央の巫女は、落ち着いた大人びた雰囲気が似合う、三人の中で一番の長身の女性だった。

 美麗な顔も印象的だが、特に目を引いたのは、小夜(さよ)にも決して引けを取らない、その美しく艷やかな黒髪。

 しかも驚くべき事に、その黒髪の先端の一部は今、何十匹もの蛇のようにゆらゆらと宙を蠢(うごめ)いていた。

 女性の涼やかな微笑みと共に、髪の蛇たちは頭部にゆっくりと沈み、元のさらりと肩から下がる黒髪の一部へと戻っていく。

 その黒髪はどれ程の長さなのか、見当もつかない。

 下ろした毛先は神殿の床につく程にまで伸び、自身の右目までも完全に覆うばかりか、巫女服の帯にまで何重にも巻きついていたからである。

 


 最後、一番右に控える巫女は、幾つもの小さな鈴の付いた独特の髪飾りを付けていた。

 髪は後頭部で一つ結びに束ね、下ろした前髪部分だけは鈴色のような黄金色と、所々紅白に染まっている。

 その左手には、髪の色にも似た、俗に言う鈴紐(すずひも)⋯⋯、大きな鈴の付いた紅白の紐をぶら下げていた。

 それは通常の鈴の十数倍はありそうな、大きな鈴。

 この女性がこの掌の鈴を鳴らす度に、音色(ねいろ)は髪飾りの鈴とも共鳴し、その振動や反響は背後の闇すらも幻想的に歪ませていく。

 妖しい笑みの中に神楽の鈴のような厳かさと勝ち気さを覗かせる、他の二人に負けず劣らずの美女だった。

 


 この三人はいずれも甲乙つけがたく相当に美しい。

 だが、明らかに人間とは思えない異様な点があった。



 目は紅(あか)みがかっていて、瞳は銀色。


 更に額には二本の角があったのである。




 ⋯⋯この巫女たちの正体は女の紅鬼(あかおに)、修羅(しゅら)。


 そして中央の鬼巫女は、紅皇鬼(こうおうき)から言付(ことづ)けを依頼された、紅髪鬼(こうはつき)だった。



《弓月院(きゅうげついん)小夜(さよ)殿。私たちが総大将(そうだいしょう)様より、香典の御礼として“例のもの”をお持ちしました。此度(こたび)のものは、毎回のものより永く保(も)ちます。どうぞお納めください》


 紅髪鬼(こうはつき)は懐(ふところ)から小さな包(つつみ)を取り出した。

 するとその黒髪の毛先が、再び蠢(うごめ)き始める。

 長く長く、どこまでも伸び出したのだ。

 そして奇怪にも無数の蛇が床を這うように、座している小夜(さよ)の手元へと黒髪の川を作っていく。

 その流れる黒髪の上には、”例のもの“と呼んだ包(つつみ)が乗せられていた。


 小夜(さよ)はその包(つつみ)を大事そうに拾い上げた。


「ありがたく頂戴(ちょうだい)致そう。この包(つつみ)も堪らなく嬉しいが、何分(なにぶん)、男子禁制の弓削(ゆげの)大社(たいしゃ)。美しい女修羅(おなごおに)の遣(つか)いを、三鬼も用立ててくれた細やかな気配りもまた有り難い。紅皇鬼(こうおうき)殿に小夜(さよ)が大変喜んでいたとお伝えくだされ」


《はい⋯⋯。承知致しました》


 黒髪はするするとまた元の長さに戻っていく。

 黒髪の巫女は頭(こうべ)を下げる。

 

 そして妖しく微笑むと、小夜(さよ)にぶしつけに一つの問いを投げかけた。



《小夜(さよ)殿。ところで、あの心臓は?》


 その問いかけに小夜(さよ)もまた薄ら笑みを浮かべる。


「なに、狂信的な信者の中から志願者を募ったまで。弓削(ゆげの)の巫女との快楽の一時(ひととき)と引き換えじゃ、志願者が多すぎて断るのに苦労したくらいじゃ」


《では、⋯⋯あの三つの特別な心臓は?》


「ああ、⋯⋯あれは”雛(ひな)“じゃ」


《⋯⋯雛(ひな)?》


「この弓削(ゆげの)巫女には“巣立ち”と呼ぶ儀式があってな。あの三つの心臓の娘は、巣立ちが上手くできなかった巫女(ひな)や、嫌だ嫌だと駄々をこねた巫女(ひな)。代わりは幾らでも作れる故(ゆえ)、不要な塵(ごみ)同然の心臓(もの)じゃ、遠慮は要らぬ」


《総大将(そうだいしょう)様は地獄一の美食家。それはもう、手放しで大変に喜んでおられました》


「⋯⋯うふふ。きっとさぞや美味かったのでしょう?」


《⋯⋯美味でした。この私、紅髪鬼(こうはつき)も、この左右に控える紅螢鬼(こうけいき)と紅鈴鬼(こうりんき)も、僅かばかりご相伴(しょうばん)を》


 紅髪鬼(こうはつき)の左の紅螢鬼(こうけいき)が、あどけない笑顔で舌舐めずりをする。

 また右の紅鈴鬼(こうりんき)も、鈴紐(すずひも)を凛と鳴らしながら、味を思い出しているかのように陶酔(とうすい)の表情を見せた。



「あのような雛(ひな)の心臓(もの)で良ければ、いつでもまた送ろう。最近の若い巫女(みこ)は我慢というものを知らぬからの」


《⋯⋯それはありがたき。是非に。そして後は紅呪鬼(こうじゅき)様の願いの件もどうぞよしなに⋯⋯》


「わかっています。三日後の『六歌戦(ろっかせん)』の召集、善きに計います。案ずる事など一切ありませぬと伝えなさい」


《ありがとうございます。一度地獄には戻りますが、私たち三鬼、また改めて招集当日は、小夜(さよ)殿の身辺警護、そして本殿の警備に参りますので。⋯⋯では》


「⋯⋯待ちなさい。そうそう、忘れていました」


 小夜(さよ)が更に妖しく微笑む。


《⋯⋯どうされました?》


「もう一つ、伝えてほしい事があります」


《⋯⋯どのような御要件でしょう?》


「総大将殿や紅鬼(そなた)たちにとって憎くて憎くてたまらないはずの、紅閃鬼(こうせんき)を斃(たお)した男。その命こそが一番の香典。さればその者の心臓も近い内に、紅(あか)の地獄に送る事ができるよう、この小夜(さよ)が取り計らいましょう⋯⋯、と」


《⋯⋯まぁ。それは勿体(もったい)無い程の素晴らしき香典。確かに承りました。うふふ、これは一刻も早くお伝えしなければ。総大将(そうだいしょう)様も殊(こと)の外(ほか)お喜びになりましょう。⋯⋯それでは。是非とも吉報(きっぽう)、お待ち致しております》


 三鬼の巫女は深々と頭(こうべ)を垂れる。


 そして、本殿内の全ての燭台(しょくだい)の灯火(ともしび)が消える。



 紅螢鬼(こうけいき)は夜空から集まる蛍の群れに包まれながら。

 紅髪鬼(こうはつき)は自身の長髪に身体全体を覆い隠しながら。

 紅鈴鬼(こうりんき)は掌の妖しい鈴紐を鳴らし幻に霞(かす)むように。

 


 頭(こうべ)を上げると同時に、三鬼ともその姿形はこの本殿の中から消え失せていた━━━━⋯⋯。







 ⋯⋯━━━━「⋯⋯⋯⋯」


 真っ暗な本殿の中、再び一人となった小夜(さよ)は上座に歩み、座し直すと、まるで何事も無かったかのようにまた暗闇に浮かぶ夜空の三日月を眺めていた。



「『六歌戦(ろっかせん)』となり、再び私の前に現れし不知火(しらぬい)綾麿(あやまろ)。そして⋯⋯━━━━。三年前の因縁(いんねん)、その決着、此度(こたび)こそは必ずや付けましょう。そなたたちもきっとそれを望んでいるのでしょう? ⋯⋯潰すか、潰されるか。⋯⋯そして、生きるか、死ぬるか━━━━」



 小夜は愉しそうに呟いた。

 そして静かに笑い出す。


 本殿の上座、小夜(さよ)の頭上。

 其処(そこ)には大きな額が飾られていた。



 『満月に囲まれた、杜若(かきつばた)と三日月の弓』⋯⋯



 ⋯⋯それは弓削大社(ゆげのたいしゃ)の神紋(しんもん)だった。



 そんな弓削(ゆげの)の象徴に見守られるようにして、まるで小夜(さよ)の内面をそのまま映しているような、無限とも思える程の深く暗い夜の闇が今、この閉ざされた世界の中に広がっていた。



 そして小夜(さよ)の美しい微笑みが、華やかに闇を彩る。


 その高笑いは美しく、妖しく、そして狂わしく⋯⋯、いつまでも冥闇(めいあん)の本殿の中に響き渡っていた━━━━。




第98話も最後までお読み頂きありがとうございました。

ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。

次回第99話は9月22〜24日頃の投稿予定です。

引き続きよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)

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