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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編 十一

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第97話  京 裏路地にて

【登場人物紹介】

不知火綾麿(しらぬいあやまろ)━━━━

 従三位(じゅさんみ)中将(ちゅうじょう)。帝と日本を守る『六歌戦(ろっかせん)』の一人。謎の妖刀『村雨(むらさめ)』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨(むらさめ)の真刃(しんば)と鞘刃(さやば)を使った不知火(しらぬい)二刀流(にとうりゅう)の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足(かまたり)を快く思っていない。現在は鎌足(かまたり)に代わって東番も務めている。


 ━━━━⋯⋯六つの鐘が鳴り終える。


 鎌足(かまたり)が京都に暫(しば)しの別れを告げ、出羽国(でわのくに)へと旅立った日の翌日、午後、京都御所。

 夕闇が迫り来る人気の消えた内裏(だいり)では、今日もまた暮れ六つの晩鐘(ばんしょう)の余韻が物憂げに響いていた。


 夕刻を迎えたばかり、まだ陽は茜(あかね)の空に残っている。

 警備の長い夜はこれから幕を開ける。

 とは言え、既に多くの篝火(かがりび)が煌々と焚かれ、手に掲げられた松明(たいまつ)の灯火が幾つも揺らめく。

 御所内の至る所において、今日も相当に早い時間から警備兵たちの影がちらついていた。


 警備隊を構成しているのは、先日の蒼鬼紅鬼(あおおにあかおに)の襲撃の日に非番で難を逃れた警備兵と、欠員補充のために京都周辺から急遽集められた追加兵。

 あの襲撃の夜を経ても、数や配置など警備体制は以前と何ら変わらないように思える。


 しかし明らかに以前とは大きく違う点があった。


 それは鎌足(かまたり)も出仕(しゅっし)の際に直接目にしたように、『六歌戦(ろっかせん)』鷹乃宮(たかのみや)中納言(ちゅうなごん)霧人(きりひと)が差配、代々日本(ひのもと)の祭祀(さいし)や魔除けを担ってきた陰陽寮(おんみょうりょう)に在籍する“陰陽衆(おんみょうしゅう)”たちが、助勢として何人も警備の任に就いていた事だった。


 公家たちの妖奇さとはまた違う、独特の近寄り難い雰囲気を醸し出している彼等は皆、法衣や身体の皮膚の何処(どこ)かに常に、陰陽(おんみょう)五色(ごしき)”青赤黄白黒“の何(いず)れかの色の装飾を纏うか、紋様(もんよう)を記したりしていた。

 物好きな誰かが聞いた眉唾(まゆつば)な噂によると、その装飾の五色(ごしき)は火であったり水であったり、各々が最も得意とする呪法、守護属性の色なのだと言う。

 その色を自身の傍に備えておく事により、自身の妖力を増す効果を得る事ができるらしい。


 この陰陽衆(おんみょうしゅう)の得体の知れない妖力に鬼でさえも用心しているのか、それとも先日の侵攻の失敗によって相当の戦力を削がれた故(ゆえ)の警戒なのか。

 あの大規模な襲撃以降は、不思議にもどちらの蒼鬼紅鬼(おに)たちにも新たな動きは無い。


 今日もまた平穏な刻が過ぎ、静かな夜が更けていく。


 しかしそんな中、不可解な事もあった。

 この十日間、ほぼ全ての夜に警戒の目を光らせ続けていた、『六歌戦(ろっかせん)』不知火中将綾麿(しらぬいちゅうじょうあやまろ)の姿だけが、今日は内裏(だいり)の何処(どこ)にも見当たらないのだ。

 今宵の警備は西の番。

 番頭(ばんがしら)を務める夜であるにも関わらず、である。


 従来の警備詰所も御所同様に半壊したため、特例として暫(しばら)くは紫宸殿(ししんでん)が詰所として使われることになっていたが、この広い紫宸殿(ししんでん)の中にもやはり綾麿(あやまろ)の姿は無い。

 しかし紫宸殿(そこ)には綾麿(あやまろ)の在不在以上に、更に不可解な点があった⋯⋯。



 ⋯⋯謎の男の“白い”影があったのだ。



 刻は既に夜更け。

 月明かりと僅かな燭台(しょくだい)だけが目の頼りとなる紫宸殿(ししんでん)内には、この男の他は誰も居ない。

 合戦の本陣で軍の大将が腰掛けるように、”床几(しょうぎ)“と呼ばれる椅子にどっしりと腰を沈めているこの男は、綾麿(あやまろ)の代わりと言わんばかりに今、夜の闇の四方八方に鋭い眼(まなこ)を送っていた。


 男は黙したまま、全く微動だにしない。

 闇深い静寂の紫宸殿(ししんでん)の中、響いてくるのは、この男の荒い呼吸の音だけだった。


 そんな折、ふと戸口の隙間から光が差し込む。

 それは雲間から生まれたばかりの月灯り。


 この悪戯(いたずら)な光に照らし出された男の姿は、御所では馴染みのない、まるで見かけない顔だった。


 齢(よわい)はまだ二十を少し過ぎたばかり。

 大柄で若さ漲(みなぎ)る逞(たくま)しい身体つきに、真っ白な和衣(ころも)と袴(はかま)を纏(まと)っている。

 そして目の周りには、古(いにしえ)の紋章のような紅の紋様(もんよう)が描かれていた。


 しかし純白の衣や、顔の紋様(もんよう)以上に驚かされたのは、その髪色と刀だった。


 獅子神(ししがみ)のように荒々しく伸びた髪。

 精悍(せいかん)で凛々しく整った眉。

 その全てが男の瑞々しい若さとは正反対に、白い衣と同様に“真っ白”だったのだ。


 そして床に突き刺すように垂直に立てた、大きな蛮刀(ばんとう)のような、白鉄(しろがね)の刀も異彩を放っていた。

 荒波が海面に立つ様を模したように、大きくは二つ、小さくは二十もの鋭い刃が無数に連なっている。

 刃(それ)はまるで、波の一つ一つがまるで獣(けもの)の爪や牙のようにも見える、恐ろしく幅広で巨大な刀だった。


 そんな物々しく歪(いびつ)な刀の鍔(つば)に荒々しく腕を乗せ、悠然と肩口に掛けているこの男の全身からは、はっきりと目に見える程に気迫の湯気までが漂っている。


 その全身と鋭い眼から放たれているのは、触れるもの全てを薙ぎ払うような、凄まじいまでの闘気。

 そして全てを排除しようとする、殺気だった。


 そんな殺伐とした警戒の眼光は、庭園に面して開かれた戸口を一気に抜け、悪戯(いたずら)な光さえも跳ね除けて、一直線に紫宸殿(ししんでん)の外へ。


 その先の庭園内に在った相手(もの)。

 それは悠然と我が物顔で闊歩(かっぽ)する、独特の灰色の呪術衣に身を包んだ、五色(ごしき)の人影たち。



 ⋯⋯薄ら笑みを浮かべながら歩く、陰陽衆(おんみょうしゅう)に対して向けられていた。



 その視線の鋭さはまるで、共に御所を守り味方であるはずの陰陽衆(おんみょうしゅう)たちを、まるで鬼と同等に敵視しているようにも見える。


 男がぽつりと呟く。


「⋯⋯何かの呪法を唱えながら回っているな。どうやら適当に彷徨(うろつ)いているのではなさそうだ。⋯⋯綾麿(あやまろ)様の仰った通り、蒼鬼紅鬼(おに)以上に奇っ怪で面妖(めんよう)な奴等だ」


 そして口にしたのは綾麿(あやまろ)の名だった。



 この男の名は━━━、白い虎と書いて“白虎(びゃっこ)”。

 


 綾麿(あやまろ)が大将の兼季(かねすえ)から許可を受け、内裏(だいり)に派遣した西番頭(にしばんがしら)代理。

 京の都の裏、闇世界ではその名と刀を知らない者は居ない程の剣客、━━━爪牙刀(そうがとう)白虎(びゃっこ)である。

 


 外からの鬼の脅威も、内からの人の不信も、内裏(だいり)に息吹(いぶ)き動くもの全てが今、この白髪(はくはつ)白装束の若き男の眼(め)と刃の監視の下に置かれていた。



 それはまるで獰猛(どうもう)な一匹の獣(けもの)。



 鋭い眼(まなこ)。

 荒々しい息吹(いぶき)。

 そして四肢(しし)二十の爪、二の牙(きば)の如(ごと)き猛(たけ)々しい刃。


 紫宸殿(ししんでん)に朧気(おぼろげ)に浮かぶその白(すがた)は、夜の闇に爪を研(と)いで獲物を狙う⋯⋯、まさに“白き虎”だった━━━━⋯⋯。








 ⋯⋯━━━時を同じくして、京の町の中心部から少し離れた大通り、その裏路地。


 京都の夜は昼の賑やかさとはがらりと様相が変わる。

 この辺りは貧しい者の長屋が散在し、御所の警備の手も普段はほとんど回らず、それ故(ゆえ)に夜は人通りも皆無に等しかった。

 今の京都のもう一つの象徴とも言えるこの裏路地で、人知れず怪異は起こっていた。



 突如として空に、あの禍々しい渦が巻いたのである。

 それは御所に現れたあの蒼(あお)の羅生門(らしょうもん)邪道(じゃどう)と全く同じ、鬼が通る魔界の扉。

 蒼鬼(あおおに)軍の副将格である蒼将鬼(そうしょうき)が、極秘裏(ごくひり)に派遣した斥候(せっこう)部隊だった。


 中級鬼である羅刹(らせつ)四鬼で構成されたこの斥候(せっこう)部隊は、綾麿(あやまろ)、麒麟(きりん)、鎌足(かまたり)たち人間界の難敵三人の動向を探る任を受けていた。

 しかし蒼将鬼(そうしょうき)の命令をそっちのけで、この四鬼は人間界に降り立てる事に浮かれていた。

 今宵はわざわざこの寂れた裏路地を選び、まず助けの来ない弱い立場の人間たちを狙って、密かに殺戮(さつりく)の宴(うたげ)を催そうと画策していたのだ。



 これもまた鬼の習性(さが)。

 そして裏路地に住む者たちにとっても、野盗や飢餓など、よくある不幸や災難の一つに過ぎなかった。

 


《⋯⋯皆、殺シタナ》

《⋯⋯アア、皆ダ、誰モ生キチャイネエ》


 蒼鬼(あおおに)たちが物言わなくなった人間たちを無造作に投げ捨て、積み重ね、”亡骸(むくろ)の山“を作る。

 それは今宵の狂わしい宴の、終焉の儀式でもあった。


 どの鬼が人間を一番多く殺せるか。

 目的だった賭け事も無事に勝者が決まり、後は此処(ここ)に現れた証拠を何一つ残さないための後始末と、殺戮の愉しい余韻に浸るだけ。


 蒼鬼(あおおに)四鬼は松明(たいまつ)を高々と掲げて不気味に笑い、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく、拵(こしら)えたばかりの”山“に火を投げ入れる。

 そして“死”の香りが煌々と漂う焚き火を東西南北に囲んで座り、今はただただ上機嫌で酒を呑みながら語り合っていた。



《⋯⋯プハァ! 美味エ! 人間ヲ殺シタ後二飲厶酒ハ、格別ダ!》

《貧乏人バカリノ路地ハ無警戒。騒ガレズニ好キ勝手、人間狩リガデキテ最高ダナ!》

《餓鬼(ガキ)ノ肉ハ堪(タマ)ラネエナア、婆(ババア)ノ肉トハ違ッテ、頬ガ落チルクライ柔ラカイゼ》

《コノ若イ女ノ肉モ負ケテネェ、ヤッパリ肉ハ喰ウナラ男ヨリモ女ダナ》


 賞味や自慢や罵(ののし)りを好き勝手に口にしながら、満足の絶頂でこの密かな殺戮(さつりく)の夜を締めくくろうとしている。


《⋯⋯グハハハハ、折角ニ開イタ羅生門(ラショウモン)、タマニハ好キ勝手ニヤラネエトナア⋯⋯》



 この時、浴びるほどに酒を呑み、酔っ払う蒼鬼(あおおに)たちは愚かにも気付いてはいなかった。

 四鬼の背後の土塀(どべい)、その物陰から自分たちに向けられている、凄まじいまでの殺気。


 その出処(でどころ)は今駆け付けたばかり、鬼たちの醜悪な晩餐(ばんさん)の様子を苦々しく窺う、一人の男からだった。


 男が口元を歪め、怒りに震える。


「⋯⋯おのれ。⋯⋯遅かったか」


 夜の闇に煌めく豪華絢爛(ごうかけんらん)な鞘(さや)を帯刀したその男は、目を鋭く細めながら呟いた。


「⋯⋯蒼(あお)の羅刹(らせつ)め。その身体を灰と滅し、地獄へと還(かえ)す。⋯⋯だが。⋯⋯もはや出る幕は無さそうだな」⋯⋯



 ⋯⋯呟いた男の目線の先━━━━。

 


 ━━━━塀で左右を囲まれた細い路地を、火を囲む蒼鬼(あおおに)の方へ、ゆっくりと歩いてくる人影が見える⋯⋯。




 ⋯⋯鬼さん、こちら、⋯⋯手の鳴る、方へ⋯⋯




 遠くから微かに聞こえてくるのは、鬼の童唄(わらべうた)。

 透き通った女の声だった。

 そして微かに聞こえる下駄(ぽっくり)の音。



 蒼鬼(あおおに)の一鬼がその声と音に気付いた。


《⋯⋯ン? ⋯⋯今、何カ⋯⋯、聞コエナカッタカ? ⋯⋯女ノ声⋯⋯、⋯⋯鬼(オレ)タチヲ呼ンデイルヨウナ⋯⋯》




 ⋯⋯鬼さん、こちら⋯⋯、手の鳴る、方へ⋯⋯




 声も下駄も、今度ははっきりと聞こえる。

 他の三鬼も即座に反応する。


《⋯⋯聞コエタ。間違イ無イ、女ダ、若イ女ノ声ダ》

《⋯⋯ナンテ澄ンダ綺麗ナ声ナンダ》

《⋯⋯居タゾ、向コウカラダ、此方(コチラ)へ歩イテクル》


 そして一斉に同じ方向を振り向く。

 蒼鬼(あおおに)たちは音を視界に捉えた。


 それは悠然と下駄(ぽっくり)の音を響かせながら、蒼鬼(じぶん)たちの方へと歩いてくる、一人の女の影だった。


 晴れているにも関わらず、女は風流にも番傘を広げて肩に担ぐようにして持っているようだった。

 そしてたまにその肩に担いだ番傘を気楽にくるくると回しながら、ゆっくりと近づいてくる。



(鬼さん、こちら⋯⋯、手の鳴る、方へ⋯⋯)



 幸いにもこの時、雲間からふと顔を覗かせた悪戯(いたずら)な月灯りがあった。

 この灯火によって、この謎の女の姿は、上から下へとほんのりと照らし出されていく。


 紅白の注連縄(しめなわ)を模したような後頭部の蝶結びの髪飾りに、長く美しい艶のある黒髪。

 由緒正しき姫君を想像させるような、切り揃えられた顔側面の前髪。

 それは”女“と呼ぶよりも、“少女”。

 齢(よわい)はまだ十七から十八程に見えた。


 まだ着物の柄までははっきりと見えないものの、夜闇の中での色の煌(きら)めき具合から、金箔(きんぱく)の装飾が施された、豪華できらびやかな朱色(しゅいろ)の着物である事だけは分かる。


 しかしその形状が一風変わっていた。

 地面にまで達しそうな程に長い両袖が一際目につく。

 更に腰からの背中側の裾の長さに比して、前面の着物の裾は膝上までの長さしかなく、両の脛(すね)には西洋の長靴(ブーツ)を彷彿とさせる脛当(すねあ)てのような防具を装着していた。

 とは言え、着物独特のごわごわとした動きにくい作りではなく、その袖も裾も全てが軽やかな作りをしていることは間違い無かった。

 袖と裾も美しい黒髪と共に、ひとときの風にひらひらと舞うように、愛らしい靡(なび)きを見せていたからである。

 

 何処(どこ)か鎌足(かまたり)の忍装束にも通じる、若い女性らしさと動きやすさを意識した、戦闘(たたかい)の中に映える作り。

 そんな不思議な着物と装備だった。


 月灯りにほんのりと照らされたその可憐な口元は今、薄っすらと微笑みを浮かべている。

 大人びた雰囲気と無邪気さを含んだ顔立ち。

 それは誰が見ても“美しい”と感じ、赤面してしまう事は間違い無い、そんな魅力的な色白の綺麗な娘だった。


 そしてその身なりに加え、朱色に染まる豪華な花柄の番傘という派手な持ち物からも、寂れた裏路地に住んでいるような、下々の少女では無い事は明白だった。



《オイ! 信ジラレナイクライノ上玉ノ人間ノ女ダゾ! 何処(ドコ)カノ公家ノ姫カ?》

《コンナ夜中ニタッタ一人デ出歩クトハナァ、嬢チャンノ親ノ躾(シツケ)二感謝シネェトナ》

《此奴(コイツ)ハ今宵ノ宴(ウタゲ)ノ、最高ノ締メノ食材ニナル、喰ライ甲斐ガアルッテモンダ》

《嬢チャン、ソレニ蒼鬼(オレ)タチヲ呼ンデイタダロウ? ソンナニ蒼鬼(オレ)タチニ殺サレタイノカ? グハッハッハ!》


 番傘の少女を待っていたのは、案の定、この四鬼の蒼鬼(あおおに)からの身の毛もよだつ悍(おぞ)ましい挑発の嵐だった。

 しかし少女は番傘に妨げられてこの邪悪な声が聞こえていないのか、それとも目が見えていないのか。

 足取りを緩めるような素振りはまるで無い。


 気が付けば、邪(よこしま)な焚き火のほんの数歩先。

 蒼鬼(あおおに)たちが少し手を伸ばせば、十分に柔肌に届く。

 そんな危険すぎる四鬼の目の前にまで、少女は歩み寄っていた。


 しかしどうやら目も見え、耳も聞こえているらしい。

 少女は不可解にも目の前の四鬼の正面に向き直ると、にっこりと優しく微笑みかけた。

 そして鬼たちを誘うように上げた右の手で、そのまま傘を持っている左の拳をぽんと叩いた。



「鬼さん、こちら。⋯⋯手を鳴らしたのは、⋯⋯私よ」



 私よ━━━何気に告げたこの最後の言葉には、それまで優雅に童歌(わらべうた)を奏でていた、蝶や花のような声は完全に消え失せていた。

 少女の声は明らかに刺のある声(もの)へと変わり、その口元にも妖しい微笑みが浮かぶ。


 少女は肩に担いでいた番傘を、まるで見えない雨粒を弾くように、目の前に振り下ろした。

 そして醜悪な笑みを続ける無警戒な蒼鬼(あおおに)たちの目の前に翳(かざ)すと、くるくると数度回転させる。


 その直後、少女の番傘を持つ手元が月灯りに一瞬だけ煌(きら)めいた。

 一筋の閃光が走る。

 と、同時だった。


 硬い鋼(はがね)が何かを抜けるように流れていく。

 そんな滑らかな音が響いた、次の瞬間。


 驚くべき事にこの少女は、蒼鬼(あおおに)の背丈を遥かに超えて空高くへと舞っていた━━━━。



 ━━━━《⋯⋯⋯ッ、ナ、ナナナッ!?》



 それは”狩る“側の蒼鬼(あおおに)たちの想像だにしていなかった光景だった。

 四鬼それぞれが目を丸くして、空に尾を引く少女の残像を見上げながら、惚(ほう)け混じりの狼狽(ろうばい)の声を上げる。

 少女の飛翔(それ)は、目の前の危険にようやく気付き、慌てて跳び逃げるような、ただの凡人の動きではなかった。

 それはまさにあの『六歌戦(ろっかせん)』不知火(しらぬい)中将(ちゅうじょう)綾麿(あやまろ)を彷彿とさせる、鳳凰(ほうおう)のような煌(きら)めき。

 空を自由自在に舞い、縦横無尽に駆ける。

 高く速く凛々しく、そして何より美しい跳躍だった。



「悪いけど殺されに来たんじゃないの、⋯⋯殺しに来たのよ、⋯⋯人間とあの御方の敵、蒼鬼(おに)どもを、ね」



 空を舞う少女の手が握るのは、番傘だけではない。

 いつの間に何処(どこ)から取り出したのか、一本の刃を手にしていた。


 少女は空から雀(すずめ)のように急降下し、二鬼の蒼鬼(あおおに)に向けて数度かの閃撃(せんげき)を放つ。

 そして地上に降り立つと共に、くるりと番傘ごと体を一回転させ、残り二鬼の蒼鬼(あおおに)の喉元にも再び閃撃(せんげき)を走らせた━━━━⋯⋯。



 ⋯⋯全てがあっという間。

 瞬(まばた)きの間ほどの、ほんの一瞬の出来事だった。



 空で飛翔する身体を支え、共に浮遊していた“相棒”の番傘を再び肩へと掛けた少女は今、その相棒をくるくると愉しそうに回しながら、にこにこと優雅な微笑みを浮かべている。

 そして右手に持っていた刃を、眼前の番傘の柄の先にはめ込み戻すように、ゆっくりと納めていった。

 それは紛れもない納刀の動き。

 いつの間にか手に握られていた刃⋯⋯、それは番傘(ばんがさ)の柄(え)の先に一体化していた、“仕込み刀”だったのだ。



 四鬼の蒼鬼(あおおに)たちは皆、今しがた目の前で何が起こったのかをまだ理解できないでいた。

 顔を見合わせる蒼鬼(あおおに)たちの首筋に今、ゆっくりと横一文字に、少女の番傘や着物の色と同じ朱色の線が走る。


 それが全ての答えだった。

 目の前で何が起こったのか、ではない。

 自分たちの身に何が起きたか、だった。

 蒼鬼(あおおに)たちはすぐにその身を以(もっ)て知る事になる。

 それは言い換えるならば、狩る側と狩られる側の逆転の縮図だった。

 

 蒼鬼(あおおに)たちは立ち止まったまま、足は動かしていない。

 それにも関わらず、それぞれの瞼(まぶた)に映る女の姿は、ある蒼鬼(あおおに)は左へ、またある蒼鬼(あおおに)は右へ。

 四つの視界全てが、横へ横へとずれていく。



《ア、アレ⋯⋯? ドウナッテル? 目ガ、ズレ⋯⋯》


 そして少女が先程のようにまた手をぽんと叩き鳴らしたのが、最期の合図となった。


 ⋯⋯ずるり。


 四鬼全ての蒼鬼(あおおに)の首は、地へと落ちていた。

 そして主(あるじ)を失った首元からは、大量の鮮血が勢いよく噴き出していた。


 この謎の番傘の少女はどこまでも余裕で優雅だった。

 仕込み刀の番傘を再び正面に翳(かざ)す。

 そして番傘で頭の先の紅白の注連縄(しめなわ)からつま先の長靴(ブーツ)に至るまで、全身を覆い隠した。

 番傘は防壁、血は水溜りからの撥ねた泥水だった。

 蒼鬼(あおおに)からの夥(おびただ)しい返り血、その第一波の噴血の全てを番傘で弾いた少女は、またすぐに番傘を肩に担(かつ)ぐ。

 番傘は今度こそ正真正銘、雨から身体や着物が濡れるのを防ぐ、本来の役目を遂げる番だった。

 四つの蒼鬼(あおおに)の鬼骸(むくろ)が蒼い霧と変わるまでの間、空から降り注ぐ蒼鬼(あおおに)の噴血(ふんけつ)の第二波は、まるで激しい雨粒のように番傘を叩き続けていた。


 そして蒼(あお)い霧が夜の闇に飛散し、蒼鬼(あおおに)が完全に地上から消滅した事を見届けた少女は、付着した血の雨を薙ぎ払うように、くるくるとまた再び番傘を回し始める。



 この時、蒼鬼(あおおに)たちが開いた邪道(じゃどう)も雲と共に消え去り、夜の闇は薄くなっていた。

 回る番傘も、きらびやかな着物の柄も、全てが月灯りの下で鮮明に浮かぶ。



 ⋯⋯蒼鬼(あおおに)の首を斬り裂いた刃。

 それは柄(え)の仕込みの剣だけでは無かった。

 回る番傘の先にも、番傘の円に沿って無数の短い刃があった。

 この刃の仕込み先は、番傘を構成する骨組み。

 内側の骨の先端から鋭い刃が飛び出し、尚且つ柄(え)の操作と連動して、少女の意思一つで刃は自由に出し入れが出来る仕掛けとなっていたのだ。

 番傘がくるくると回る動きと共に、全ての刃先がゆっくりと骨組みの中へと納まっていく。



 そんな番傘を握る掌の下。

 少女の着物の長い両袖には、伝説の霊獣の羽ばたき━━━━、朱雀(すざく)の飛翔が金色(こんじき)に色鮮やかに描かれていた。



 四鬼もの蒼鬼(あおおに)羅刹(らせつ)を同時に斃(たお)す。

 そんな大事(だいじ)を事もなげに成し遂げた少女は、ふんわりとした薄笑みを浮かべ、そしてまた来た道を戻るために、下駄(ぽっくり)の踵(きびす)を返した⋯⋯。

 


 ⋯⋯その時だった。



 少女がふいにその足を止める。



「⋯⋯其処(そこ)の物陰から見ている者、⋯⋯誰ッ!?」


 そして離れた土塀(どべい)の角を、キッと睨みつけた。



 少女の敵意に満ちた視線の先。

 土塀(どべい)の角に潜むのは、少女よりほんの少し先にこの地に到着していた、あの謎の男だった。



 双方に言葉は無い。

 その場に緊張が走る。



 しかしその緊張も沈黙も長くは続かなかった。

 まさに臨戦態勢、今にも飛びかかりそうな勢いの少女とは真逆に、男の方は落ち着き払っていた。

 そして何の刀の構えも警戒も見せずに、土塀(どべい)の角からゆっくりとその姿を現したのだ。



「⋯⋯流石だ。⋯⋯天を翔(か)ける美しき朱雀(すざく)の舞、⋯⋯久々に愉しませてもらった」


「⋯⋯っ!? その声は!」



 その男の影と発せられた声に、あれだけ警戒を強めていた少女の顔が一瞬にして綻び、瞳をきらきらさせながら破顔(はがん)する。



「⋯⋯っ! 綾麿(あやまろ)様っ!」



 その男の正体。

 それは村雨(むらさめ)を手にした、⋯⋯あの綾麿(あやまろ)だった。



「⋯⋯朱雀(すざく)よ。蒼鬼(おに)退治、御苦労だった」


「⋯⋯綾麿(あやまろ)様? どうして此処(ここ)へ? 今日は御担当の西番の日では!? まさかずっと見ておられたのですか?」


「まあな」


 綾麿(あやまろ)の返事と頷きに、”朱雀(すざく)“と呼ばれた少女は、驚きと恥ずかしさに満ちた表情で頬を赤らめた。



 番傘剣(ばんがさけん)朱雀(すざく)━━━━。

 それがこの謎の少女、うら若き女剣客の名だった。


 今この時も紫宸殿(ししんでん)で睨みを利かせている白虎(びゃっこ)、そして麒麟(きりん)や青龍(せいりゅう)と同様、綾麿(あやまろ)直属の剣客集団の一人である。

 

 

 朱雀(すざく)は赤面しながら言葉を続ける。


「⋯⋯今日、私が此処(ここ)に来たのは青龍(せいりゅう)様よりの指示のため。何やら私に用がある者が居るとかで。⋯⋯で、来てみれば鬼がこんな悪さを。⋯⋯でも何だ、青龍(せいりゅう)様もお人が悪い。用がある者とは綾麿(あやまろ)様の事だったんですね」


「すまなかったな。少々訳ありでな」


「ふふふ⋯⋯、綾麿(あやまろ)様からのお呼びでしたら、この朱雀(すざく)、地の果てでも喜んで駆けつけましたのに⋯⋯。綾麿(あやまろ)様が望む事なら、何でも、何でもしましてよ?」 


 朱雀(すざく)は既に赤くなっている頬を更に紅(あか)くして俯(うつめ)き、左右の人差し指を合わせながら、もじもじとしている。

 其処(そこ)には先程までの蒼鬼(あおおに)を凛々しく斬り捨てた、凛々しい女剣客の姿は微塵(みじん)も無い。

 ただ齢(よわい)相応の初々しい少女が居るだけだった。



「青龍(せいりゅう)の占術は、特性から蒼(あお)の追跡には優れているからな。氣の乱れから羅生門(らしょうもん)がこの地辺りに生まれ出でる可能性があるとの占(せん)を受けたのだ。それならばと、そなたへの用も合わせてこの付近を待ち合わせ場所とした」


「そうだったのですね。さすがは青龍(せいりゅう)様。刻(とき)も場所も少しずれたとは言え、その読みや精度は増してきている」


「⋯⋯だが、羅生門の出現が思いの外に早く、残念ながら蒼鬼(あおおに)の蛮行(ばんこう)を阻止するには間に合わなかった。占(せん)を受けてからすぐに向かったのだが⋯⋯」


「⋯⋯すみません。私ももう少し早く駆け付けていれば⋯⋯、皆は無理でも何人かは救えましたでしょうに」


 朱雀(すざく)は心から申し訳なさそうな、哀しい表情を浮かべている。

 それ程にこの時の綾麿(あやまろ)の顔は憂いを含んでいた。


 ⋯⋯謝るな、御主のせいではない。


 綾麿(あやまろ)はそう言わんばかりに首を軽く横に振ると、視線を空へと向けた。


「⋯⋯あと西番の方も案ずるな。御所の警備は白虎(びゃっこ)に任せてある」


「そうなんですね。爪牙刀(そうがとう)が睨みを効かせているなら、どんな鬼が現れても安心ですね」


 朱雀(すざく)も綾麿(あやまろ)の目線の後を追うように、ぼんやりと空を眺めた。



 綾麿(あやまろ)が見つめる空には、今日もまた無言の闇が広がっている。

 それは何千年、何万年と日本(ひのもと)を見続けていたはずの、いつもと変わらない空。

 日本(ひのもと)で過去に起きた大小多くの戦乱や悲劇も、そして今日のような蒼鬼(あおおに)の悲惨な蛮行も、いつの時代もこの虚空はこうして傍観者として見続けてきたのだろう。

 虚空をぼんやりと見つめる綾麿(あやまろ)と朱雀(すざく)の傍に今、寂しげな一陣の風が吹き抜けていた。



「⋯⋯で、綾麿(あやまろ)様? 私に御用とは? 宮仕えでは無い私は普段は御所には入れぬ身。とは言え話ならば御所でなくとも別邸でも良いのでは? 何故(なぜ)このような場で?」


 朱雀(すざく)が不思議そうに問いかける。

 綾麿(あやまろ)の目線は既に空から地上へ、蒼鬼(あおおに)たちに無残に殺され火を付けられた、人間の亡骸(なきがら)の山へと移っていた。

 その悲しい山の残り火を見つめながら、綾麿(あやまろ)が呟く。


「別邸も含め御所の周辺は陰陽衆(おんようしゅう)の目が光っている。此度(こたび)の話は予(かね)てからの計画の根幹にも関わる重要な話。それ故(ゆえ)に大事を取った」


「⋯⋯なるほど。陰陽衆(おんみょうしゅう)かぁ。青龍(せいりゅう)様からちらっと聞いただけですが、内裏(だいり)ではかなり勢力を増してきているみたいですね。本当に鬱陶(うっとお)しい連中だこと」


「それに朱雀(すざく)よ。理由はもう一つある。先日の御所での戦い。今の蒼鬼紅鬼(おに)たちの力、そのおおよそは読めた。よってもし此処(ここ)に蒼鬼(おに)が現れるならば、蒼鬼(おに)を実際に相手にしたそなたの剣腕(ちから)の程を、念のためこの目で直(じか)に見ておきたかったのだ。⋯⋯今後の計画のためにも、な」


「⋯⋯で、どうでした? 私の実力(ちから)は? 御所に現れたという、蒼鬼紅鬼(おに)の修羅(しゅら)や羅刹たちと比較して?」


「⋯⋯ふっ、全くもって問題は無い。杞憂(きゆう)であった。蒼炎鬼(そうえんき)、紅斬鬼(こうざんき)、そして蒼鋼鬼(そうこうき)。あの日に実際に刃を交えたどんな修羅(しゅら)を相手にしても、そなたが後れを取るような事は決して無い。そしてそれは他の四人、青龍(せいりゅう)や麒麟(きりん)たちも然(しか)りだ」


「うふふ⋯⋯良かった。来たるべき決起の時は、誰よりも綾麿(あやまろ)様の御役に立てそうで」


「その”決起“だがな。奴等の動きも其々に活発になってきた。これ以上は見過ごせぬ。いよいよ麿(まろ)らの⋯⋯」



 綾麿(あやまろ)が朱雀(すざく)に何かを告げようとしたその時。

 朱雀(すざく)がすっ⋯⋯と掌を上げる。

 そして綾麿(あやまろ)の言葉を遮り、制止した。


「⋯⋯綾麿(あやまろ)様? 良いですよ。今は私たち二人だけなんだし。仮初(かりそ)めの御公家様(おくげさま)や中将(ちゅうじょう)様としてでは無く、身分に囚われない、飾らない普段の綾麿(あやまろ)様と話す方が、朱雀(すざく)は好きです⋯⋯」


 そう呟いた朱雀(すざく)は、更にまた一段と顔を赤くした。

 綾麿(あやまろ)は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたものの、すぐに表情を緩める。

 そして気持ちを入れ替えるように軽く溜め息をつくと、続けてその口元も薄っすらと緩めた。



「⋯⋯ふっ、⋯⋯そうか。⋯⋯そうだな。相(あい)わかった。道化(どうけ)は解くとしよう」



 ⋯⋯“道化(どうけ)を解く”

 そう語り見せた、この時の綾麿(あやまろ)の微笑みは、いつものような人をまるで寄せ付けない、高貴さを纏(まと)った妖しく不敵な笑みではなく、どこか市井(しせい)に生きる人々に似た、穏やかな清々しさに溢れていた。



 そんな綾麿(あやまろ)の目が凛々しく煌(きら)めく。



「⋯⋯朱雀(すざく)よ、いよいよだ。⋯⋯刻(とき)は来た。“俺”の予(かね)てからの計画が、陽の目を見るべき刻(とき)は、今⋯⋯」



 ⋯⋯綾麿(あやまろ)は自分の呼称を”麿(まろ)“とは言わなかった。

 はっきりと“俺”と口にしていた。



「⋯⋯という事は! 例の暗殺、排除の計画を遂に!?」


 朱雀(すざく)が驚きと興奮混じりの声を上げる。



「⋯⋯俺たちが斃(たお)すべき相手(てき)は蒼(あお)と紅(あか)の鬼だけに非ず。『六歌戦(ろっかせん)』の五つの歌。⋯⋯この空のような傍観者(やつら)の歌を日本(ひのもと)から滅し、葬り去るべき刻(とき)が来た」━━━━。




第97話も最後までお読み頂きありがとうございました。

ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。

次回、ついに綾麿(あやまろ)の秘めた計画が明らかになります。そして綾麿(あやまろ)を慕う朱雀(すざく)に下された、新たな任務とは⋯⋯?

次回第98話は9月16〜17日頃の投稿予定です。

引き続きよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)

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