第97話 京 裏路地にて
【登場人物紹介】
不知火綾麿━━━━
従三位中将。帝と日本を守る『六歌戦』の一人。謎の妖刀『村雨』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨の真刃と鞘刃を使った不知火二刀流の使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足を快く思っていない。現在は鎌足に代わって東番も務めている。
━━━━⋯⋯六つの鐘が鳴り終える。
鎌足が京都に暫しの別れを告げ、出羽国へと旅立った日の翌日、午後、京都御所。
夕闇が迫り来る人気の消えた内裏では、今日もまた暮れ六つの晩鐘の余韻が物憂げに響いていた。
夕刻を迎えたばかり、まだ陽は茜の空に残っている。
警備の長い夜はこれから幕を開ける。
とは言え、既に多くの篝火が煌々と焚かれ、手に掲げられた松明の灯火が幾つも揺らめく。
御所内の至る所において、今日も相当に早い時間から警備兵たちの影がちらついていた。
警備隊を構成しているのは、先日の蒼鬼紅鬼の襲撃の日に非番で難を逃れた警備兵と、欠員補充のために京都周辺から急遽集められた追加兵。
あの襲撃の夜を経ても、数や配置など警備体制は以前と何ら変わらないように思える。
しかし明らかに以前とは大きく違う点があった。
それは鎌足も出仕の際に直接目にしたように、『六歌戦』鷹乃宮中納言霧人が差配、代々日本の祭祀や魔除けを担ってきた陰陽寮に在籍する“陰陽衆”たちが、助勢として何人も警備の任に就いていた事だった。
公家たちの妖奇さとはまた違う、独特の近寄り難い雰囲気を醸し出している彼等は皆、法衣や身体の皮膚の何処かに常に、陰陽五色”青赤黄白黒“の何れかの色の装飾を纏うか、紋様を記したりしていた。
物好きな誰かが聞いた眉唾な噂によると、その装飾の五色は火であったり水であったり、各々が最も得意とする呪法、守護属性の色なのだと言う。
その色を自身の傍に備えておく事により、自身の妖力を増す効果を得る事ができるらしい。
この陰陽衆の得体の知れない妖力に鬼でさえも用心しているのか、それとも先日の侵攻の失敗によって相当の戦力を削がれた故の警戒なのか。
あの大規模な襲撃以降は、不思議にもどちらの蒼鬼紅鬼たちにも新たな動きは無い。
今日もまた平穏な刻が過ぎ、静かな夜が更けていく。
しかしそんな中、不可解な事もあった。
この十日間、ほぼ全ての夜に警戒の目を光らせ続けていた、『六歌戦』不知火中将綾麿の姿だけが、今日は内裏の何処にも見当たらないのだ。
今宵の警備は西の番。
番頭を務める夜であるにも関わらず、である。
従来の警備詰所も御所同様に半壊したため、特例として暫くは紫宸殿が詰所として使われることになっていたが、この広い紫宸殿の中にもやはり綾麿の姿は無い。
しかし紫宸殿には綾麿の在不在以上に、更に不可解な点があった⋯⋯。
⋯⋯謎の男の“白い”影があったのだ。
刻は既に夜更け。
月明かりと僅かな燭台だけが目の頼りとなる紫宸殿内には、この男の他は誰も居ない。
合戦の本陣で軍の大将が腰掛けるように、”床几“と呼ばれる椅子にどっしりと腰を沈めているこの男は、綾麿の代わりと言わんばかりに今、夜の闇の四方八方に鋭い眼を送っていた。
男は黙したまま、全く微動だにしない。
闇深い静寂の紫宸殿の中、響いてくるのは、この男の荒い呼吸の音だけだった。
そんな折、ふと戸口の隙間から光が差し込む。
それは雲間から生まれたばかりの月灯り。
この悪戯な光に照らし出された男の姿は、御所では馴染みのない、まるで見かけない顔だった。
齢はまだ二十を少し過ぎたばかり。
大柄で若さ漲る逞しい身体つきに、真っ白な和衣と袴を纏っている。
そして目の周りには、古の紋章のような紅の紋様が描かれていた。
しかし純白の衣や、顔の紋様以上に驚かされたのは、その髪色と刀だった。
獅子神のように荒々しく伸びた髪。
精悍で凛々しく整った眉。
その全てが男の瑞々しい若さとは正反対に、白い衣と同様に“真っ白”だったのだ。
そして床に突き刺すように垂直に立てた、大きな蛮刀のような、白鉄の刀も異彩を放っていた。
荒波が海面に立つ様を模したように、大きくは二つ、小さくは二十もの鋭い刃が無数に連なっている。
刃はまるで、波の一つ一つがまるで獣の爪や牙のようにも見える、恐ろしく幅広で巨大な刀だった。
そんな物々しく歪な刀の鍔に荒々しく腕を乗せ、悠然と肩口に掛けているこの男の全身からは、はっきりと目に見える程に気迫の湯気までが漂っている。
その全身と鋭い眼から放たれているのは、触れるもの全てを薙ぎ払うような、凄まじいまでの闘気。
そして全てを排除しようとする、殺気だった。
そんな殺伐とした警戒の眼光は、庭園に面して開かれた戸口を一気に抜け、悪戯な光さえも跳ね除けて、一直線に紫宸殿の外へ。
その先の庭園内に在った相手。
それは悠然と我が物顔で闊歩する、独特の灰色の呪術衣に身を包んだ、五色の人影たち。
⋯⋯薄ら笑みを浮かべながら歩く、陰陽衆に対して向けられていた。
その視線の鋭さはまるで、共に御所を守り味方であるはずの陰陽衆たちを、まるで鬼と同等に敵視しているようにも見える。
男がぽつりと呟く。
「⋯⋯何かの呪法を唱えながら回っているな。どうやら適当に彷徨いているのではなさそうだ。⋯⋯綾麿様の仰った通り、蒼鬼紅鬼以上に奇っ怪で面妖な奴等だ」
そして口にしたのは綾麿の名だった。
この男の名は━━━、白い虎と書いて“白虎”。
綾麿が大将の兼季から許可を受け、内裏に派遣した西番頭代理。
京の都の裏、闇世界ではその名と刀を知らない者は居ない程の剣客、━━━爪牙刀白虎である。
外からの鬼の脅威も、内からの人の不信も、内裏に息吹き動くもの全てが今、この白髪白装束の若き男の眼と刃の監視の下に置かれていた。
それはまるで獰猛な一匹の獣。
鋭い眼。
荒々しい息吹。
そして四肢二十の爪、二の牙の如き猛々しい刃。
紫宸殿に朧気に浮かぶその白は、夜の闇に爪を研いで獲物を狙う⋯⋯、まさに“白き虎”だった━━━━⋯⋯。
⋯⋯━━━時を同じくして、京の町の中心部から少し離れた大通り、その裏路地。
京都の夜は昼の賑やかさとはがらりと様相が変わる。
この辺りは貧しい者の長屋が散在し、御所の警備の手も普段はほとんど回らず、それ故に夜は人通りも皆無に等しかった。
今の京都のもう一つの象徴とも言えるこの裏路地で、人知れず怪異は起こっていた。
突如として空に、あの禍々しい渦が巻いたのである。
それは御所に現れたあの蒼の羅生門邪道と全く同じ、鬼が通る魔界の扉。
蒼鬼軍の副将格である蒼将鬼が、極秘裏に派遣した斥候部隊だった。
中級鬼である羅刹四鬼で構成されたこの斥候部隊は、綾麿、麒麟、鎌足たち人間界の難敵三人の動向を探る任を受けていた。
しかし蒼将鬼の命令をそっちのけで、この四鬼は人間界に降り立てる事に浮かれていた。
今宵はわざわざこの寂れた裏路地を選び、まず助けの来ない弱い立場の人間たちを狙って、密かに殺戮の宴を催そうと画策していたのだ。
これもまた鬼の習性。
そして裏路地に住む者たちにとっても、野盗や飢餓など、よくある不幸や災難の一つに過ぎなかった。
《⋯⋯皆、殺シタナ》
《⋯⋯アア、皆ダ、誰モ生キチャイネエ》
蒼鬼たちが物言わなくなった人間たちを無造作に投げ捨て、積み重ね、”亡骸の山“を作る。
それは今宵の狂わしい宴の、終焉の儀式でもあった。
どの鬼が人間を一番多く殺せるか。
目的だった賭け事も無事に勝者が決まり、後は此処に現れた証拠を何一つ残さないための後始末と、殺戮の愉しい余韻に浸るだけ。
蒼鬼四鬼は松明を高々と掲げて不気味に笑い、何の躊躇もなく、拵えたばかりの”山“に火を投げ入れる。
そして“死”の香りが煌々と漂う焚き火を東西南北に囲んで座り、今はただただ上機嫌で酒を呑みながら語り合っていた。
《⋯⋯プハァ! 美味エ! 人間ヲ殺シタ後二飲厶酒ハ、格別ダ!》
《貧乏人バカリノ路地ハ無警戒。騒ガレズニ好キ勝手、人間狩リガデキテ最高ダナ!》
《餓鬼ノ肉ハ堪ラネエナア、婆ノ肉トハ違ッテ、頬ガ落チルクライ柔ラカイゼ》
《コノ若イ女ノ肉モ負ケテネェ、ヤッパリ肉ハ喰ウナラ男ヨリモ女ダナ》
賞味や自慢や罵りを好き勝手に口にしながら、満足の絶頂でこの密かな殺戮の夜を締めくくろうとしている。
《⋯⋯グハハハハ、折角ニ開イタ羅生門、タマニハ好キ勝手ニヤラネエトナア⋯⋯》
この時、浴びるほどに酒を呑み、酔っ払う蒼鬼たちは愚かにも気付いてはいなかった。
四鬼の背後の土塀、その物陰から自分たちに向けられている、凄まじいまでの殺気。
その出処は今駆け付けたばかり、鬼たちの醜悪な晩餐の様子を苦々しく窺う、一人の男からだった。
男が口元を歪め、怒りに震える。
「⋯⋯おのれ。⋯⋯遅かったか」
夜の闇に煌めく豪華絢爛な鞘を帯刀したその男は、目を鋭く細めながら呟いた。
「⋯⋯蒼の羅刹め。その身体を灰と滅し、地獄へと還す。⋯⋯だが。⋯⋯もはや出る幕は無さそうだな」⋯⋯
⋯⋯呟いた男の目線の先━━━━。
━━━━塀で左右を囲まれた細い路地を、火を囲む蒼鬼の方へ、ゆっくりと歩いてくる人影が見える⋯⋯。
⋯⋯鬼さん、こちら、⋯⋯手の鳴る、方へ⋯⋯
遠くから微かに聞こえてくるのは、鬼の童唄。
透き通った女の声だった。
そして微かに聞こえる下駄の音。
蒼鬼の一鬼がその声と音に気付いた。
《⋯⋯ン? ⋯⋯今、何カ⋯⋯、聞コエナカッタカ? ⋯⋯女ノ声⋯⋯、⋯⋯鬼タチヲ呼ンデイルヨウナ⋯⋯》
⋯⋯鬼さん、こちら⋯⋯、手の鳴る、方へ⋯⋯
声も下駄も、今度ははっきりと聞こえる。
他の三鬼も即座に反応する。
《⋯⋯聞コエタ。間違イ無イ、女ダ、若イ女ノ声ダ》
《⋯⋯ナンテ澄ンダ綺麗ナ声ナンダ》
《⋯⋯居タゾ、向コウカラダ、此方へ歩イテクル》
そして一斉に同じ方向を振り向く。
蒼鬼たちは音を視界に捉えた。
それは悠然と下駄の音を響かせながら、蒼鬼たちの方へと歩いてくる、一人の女の影だった。
晴れているにも関わらず、女は風流にも番傘を広げて肩に担ぐようにして持っているようだった。
そしてたまにその肩に担いだ番傘を気楽にくるくると回しながら、ゆっくりと近づいてくる。
(鬼さん、こちら⋯⋯、手の鳴る、方へ⋯⋯)
幸いにもこの時、雲間からふと顔を覗かせた悪戯な月灯りがあった。
この灯火によって、この謎の女の姿は、上から下へとほんのりと照らし出されていく。
紅白の注連縄を模したような後頭部の蝶結びの髪飾りに、長く美しい艶のある黒髪。
由緒正しき姫君を想像させるような、切り揃えられた顔側面の前髪。
それは”女“と呼ぶよりも、“少女”。
齢はまだ十七から十八程に見えた。
まだ着物の柄までははっきりと見えないものの、夜闇の中での色の煌めき具合から、金箔の装飾が施された、豪華できらびやかな朱色の着物である事だけは分かる。
しかしその形状が一風変わっていた。
地面にまで達しそうな程に長い両袖が一際目につく。
更に腰からの背中側の裾の長さに比して、前面の着物の裾は膝上までの長さしかなく、両の脛には西洋の長靴を彷彿とさせる脛当てのような防具を装着していた。
とは言え、着物独特のごわごわとした動きにくい作りではなく、その袖も裾も全てが軽やかな作りをしていることは間違い無かった。
袖と裾も美しい黒髪と共に、ひとときの風にひらひらと舞うように、愛らしい靡きを見せていたからである。
何処か鎌足の忍装束にも通じる、若い女性らしさと動きやすさを意識した、戦闘の中に映える作り。
そんな不思議な着物と装備だった。
月灯りにほんのりと照らされたその可憐な口元は今、薄っすらと微笑みを浮かべている。
大人びた雰囲気と無邪気さを含んだ顔立ち。
それは誰が見ても“美しい”と感じ、赤面してしまう事は間違い無い、そんな魅力的な色白の綺麗な娘だった。
そしてその身なりに加え、朱色に染まる豪華な花柄の番傘という派手な持ち物からも、寂れた裏路地に住んでいるような、下々の少女では無い事は明白だった。
《オイ! 信ジラレナイクライノ上玉ノ人間ノ女ダゾ! 何処カノ公家ノ姫カ?》
《コンナ夜中ニタッタ一人デ出歩クトハナァ、嬢チャンノ親ノ躾二感謝シネェトナ》
《此奴ハ今宵ノ宴ノ、最高ノ締メノ食材ニナル、喰ライ甲斐ガアルッテモンダ》
《嬢チャン、ソレニ蒼鬼タチヲ呼ンデイタダロウ? ソンナニ蒼鬼タチニ殺サレタイノカ? グハッハッハ!》
番傘の少女を待っていたのは、案の定、この四鬼の蒼鬼からの身の毛もよだつ悍ましい挑発の嵐だった。
しかし少女は番傘に妨げられてこの邪悪な声が聞こえていないのか、それとも目が見えていないのか。
足取りを緩めるような素振りはまるで無い。
気が付けば、邪な焚き火のほんの数歩先。
蒼鬼たちが少し手を伸ばせば、十分に柔肌に届く。
そんな危険すぎる四鬼の目の前にまで、少女は歩み寄っていた。
しかしどうやら目も見え、耳も聞こえているらしい。
少女は不可解にも目の前の四鬼の正面に向き直ると、にっこりと優しく微笑みかけた。
そして鬼たちを誘うように上げた右の手で、そのまま傘を持っている左の拳をぽんと叩いた。
「鬼さん、こちら。⋯⋯手を鳴らしたのは、⋯⋯私よ」
私よ━━━何気に告げたこの最後の言葉には、それまで優雅に童歌を奏でていた、蝶や花のような声は完全に消え失せていた。
少女の声は明らかに刺のある声へと変わり、その口元にも妖しい微笑みが浮かぶ。
少女は肩に担いでいた番傘を、まるで見えない雨粒を弾くように、目の前に振り下ろした。
そして醜悪な笑みを続ける無警戒な蒼鬼たちの目の前に翳すと、くるくると数度回転させる。
その直後、少女の番傘を持つ手元が月灯りに一瞬だけ煌めいた。
一筋の閃光が走る。
と、同時だった。
硬い鋼が何かを抜けるように流れていく。
そんな滑らかな音が響いた、次の瞬間。
驚くべき事にこの少女は、蒼鬼の背丈を遥かに超えて空高くへと舞っていた━━━━。
━━━━《⋯⋯⋯ッ、ナ、ナナナッ!?》
それは”狩る“側の蒼鬼たちの想像だにしていなかった光景だった。
四鬼それぞれが目を丸くして、空に尾を引く少女の残像を見上げながら、惚け混じりの狼狽の声を上げる。
少女の飛翔は、目の前の危険にようやく気付き、慌てて跳び逃げるような、ただの凡人の動きではなかった。
それはまさにあの『六歌戦』不知火中将綾麿を彷彿とさせる、鳳凰のような煌めき。
空を自由自在に舞い、縦横無尽に駆ける。
高く速く凛々しく、そして何より美しい跳躍だった。
「悪いけど殺されに来たんじゃないの、⋯⋯殺しに来たのよ、⋯⋯人間とあの御方の敵、蒼鬼どもを、ね」
空を舞う少女の手が握るのは、番傘だけではない。
いつの間に何処から取り出したのか、一本の刃を手にしていた。
少女は空から雀のように急降下し、二鬼の蒼鬼に向けて数度かの閃撃を放つ。
そして地上に降り立つと共に、くるりと番傘ごと体を一回転させ、残り二鬼の蒼鬼の喉元にも再び閃撃を走らせた━━━━⋯⋯。
⋯⋯全てがあっという間。
瞬きの間ほどの、ほんの一瞬の出来事だった。
空で飛翔する身体を支え、共に浮遊していた“相棒”の番傘を再び肩へと掛けた少女は今、その相棒をくるくると愉しそうに回しながら、にこにこと優雅な微笑みを浮かべている。
そして右手に持っていた刃を、眼前の番傘の柄の先にはめ込み戻すように、ゆっくりと納めていった。
それは紛れもない納刀の動き。
いつの間にか手に握られていた刃⋯⋯、それは番傘の柄の先に一体化していた、“仕込み刀”だったのだ。
四鬼の蒼鬼たちは皆、今しがた目の前で何が起こったのかをまだ理解できないでいた。
顔を見合わせる蒼鬼たちの首筋に今、ゆっくりと横一文字に、少女の番傘や着物の色と同じ朱色の線が走る。
それが全ての答えだった。
目の前で何が起こったのか、ではない。
自分たちの身に何が起きたか、だった。
蒼鬼たちはすぐにその身を以て知る事になる。
それは言い換えるならば、狩る側と狩られる側の逆転の縮図だった。
蒼鬼たちは立ち止まったまま、足は動かしていない。
それにも関わらず、それぞれの瞼に映る女の姿は、ある蒼鬼は左へ、またある蒼鬼は右へ。
四つの視界全てが、横へ横へとずれていく。
《ア、アレ⋯⋯? ドウナッテル? 目ガ、ズレ⋯⋯》
そして少女が先程のようにまた手をぽんと叩き鳴らしたのが、最期の合図となった。
⋯⋯ずるり。
四鬼全ての蒼鬼の首は、地へと落ちていた。
そして主を失った首元からは、大量の鮮血が勢いよく噴き出していた。
この謎の番傘の少女はどこまでも余裕で優雅だった。
仕込み刀の番傘を再び正面に翳す。
そして番傘で頭の先の紅白の注連縄からつま先の長靴に至るまで、全身を覆い隠した。
番傘は防壁、血は水溜りからの撥ねた泥水だった。
蒼鬼からの夥しい返り血、その第一波の噴血の全てを番傘で弾いた少女は、またすぐに番傘を肩に担ぐ。
番傘は今度こそ正真正銘、雨から身体や着物が濡れるのを防ぐ、本来の役目を遂げる番だった。
四つの蒼鬼の鬼骸が蒼い霧と変わるまでの間、空から降り注ぐ蒼鬼の噴血の第二波は、まるで激しい雨粒のように番傘を叩き続けていた。
そして蒼い霧が夜の闇に飛散し、蒼鬼が完全に地上から消滅した事を見届けた少女は、付着した血の雨を薙ぎ払うように、くるくるとまた再び番傘を回し始める。
この時、蒼鬼たちが開いた邪道も雲と共に消え去り、夜の闇は薄くなっていた。
回る番傘も、きらびやかな着物の柄も、全てが月灯りの下で鮮明に浮かぶ。
⋯⋯蒼鬼の首を斬り裂いた刃。
それは柄の仕込みの剣だけでは無かった。
回る番傘の先にも、番傘の円に沿って無数の短い刃があった。
この刃の仕込み先は、番傘を構成する骨組み。
内側の骨の先端から鋭い刃が飛び出し、尚且つ柄の操作と連動して、少女の意思一つで刃は自由に出し入れが出来る仕掛けとなっていたのだ。
番傘がくるくると回る動きと共に、全ての刃先がゆっくりと骨組みの中へと納まっていく。
そんな番傘を握る掌の下。
少女の着物の長い両袖には、伝説の霊獣の羽ばたき━━━━、朱雀の飛翔が金色に色鮮やかに描かれていた。
四鬼もの蒼鬼羅刹を同時に斃す。
そんな大事を事もなげに成し遂げた少女は、ふんわりとした薄笑みを浮かべ、そしてまた来た道を戻るために、下駄の踵を返した⋯⋯。
⋯⋯その時だった。
少女がふいにその足を止める。
「⋯⋯其処の物陰から見ている者、⋯⋯誰ッ!?」
そして離れた土塀の角を、キッと睨みつけた。
少女の敵意に満ちた視線の先。
土塀の角に潜むのは、少女よりほんの少し先にこの地に到着していた、あの謎の男だった。
双方に言葉は無い。
その場に緊張が走る。
しかしその緊張も沈黙も長くは続かなかった。
まさに臨戦態勢、今にも飛びかかりそうな勢いの少女とは真逆に、男の方は落ち着き払っていた。
そして何の刀の構えも警戒も見せずに、土塀の角からゆっくりとその姿を現したのだ。
「⋯⋯流石だ。⋯⋯天を翔ける美しき朱雀の舞、⋯⋯久々に愉しませてもらった」
「⋯⋯っ!? その声は!」
その男の影と発せられた声に、あれだけ警戒を強めていた少女の顔が一瞬にして綻び、瞳をきらきらさせながら破顔する。
「⋯⋯っ! 綾麿様っ!」
その男の正体。
それは村雨を手にした、⋯⋯あの綾麿だった。
「⋯⋯朱雀よ。蒼鬼退治、御苦労だった」
「⋯⋯綾麿様? どうして此処へ? 今日は御担当の西番の日では!? まさかずっと見ておられたのですか?」
「まあな」
綾麿の返事と頷きに、”朱雀“と呼ばれた少女は、驚きと恥ずかしさに満ちた表情で頬を赤らめた。
番傘剣朱雀━━━━。
それがこの謎の少女、うら若き女剣客の名だった。
今この時も紫宸殿で睨みを利かせている白虎、そして麒麟や青龍と同様、綾麿直属の剣客集団の一人である。
朱雀は赤面しながら言葉を続ける。
「⋯⋯今日、私が此処に来たのは青龍様よりの指示のため。何やら私に用がある者が居るとかで。⋯⋯で、来てみれば鬼がこんな悪さを。⋯⋯でも何だ、青龍様もお人が悪い。用がある者とは綾麿様の事だったんですね」
「すまなかったな。少々訳ありでな」
「ふふふ⋯⋯、綾麿様からのお呼びでしたら、この朱雀、地の果てでも喜んで駆けつけましたのに⋯⋯。綾麿様が望む事なら、何でも、何でもしましてよ?」
朱雀は既に赤くなっている頬を更に紅くして俯き、左右の人差し指を合わせながら、もじもじとしている。
其処には先程までの蒼鬼を凛々しく斬り捨てた、凛々しい女剣客の姿は微塵も無い。
ただ齢相応の初々しい少女が居るだけだった。
「青龍の占術は、特性から蒼の追跡には優れているからな。氣の乱れから羅生門がこの地辺りに生まれ出でる可能性があるとの占を受けたのだ。それならばと、そなたへの用も合わせてこの付近を待ち合わせ場所とした」
「そうだったのですね。さすがは青龍様。刻も場所も少しずれたとは言え、その読みや精度は増してきている」
「⋯⋯だが、羅生門の出現が思いの外に早く、残念ながら蒼鬼の蛮行を阻止するには間に合わなかった。占を受けてからすぐに向かったのだが⋯⋯」
「⋯⋯すみません。私ももう少し早く駆け付けていれば⋯⋯、皆は無理でも何人かは救えましたでしょうに」
朱雀は心から申し訳なさそうな、哀しい表情を浮かべている。
それ程にこの時の綾麿の顔は憂いを含んでいた。
⋯⋯謝るな、御主のせいではない。
綾麿はそう言わんばかりに首を軽く横に振ると、視線を空へと向けた。
「⋯⋯あと西番の方も案ずるな。御所の警備は白虎に任せてある」
「そうなんですね。爪牙刀が睨みを効かせているなら、どんな鬼が現れても安心ですね」
朱雀も綾麿の目線の後を追うように、ぼんやりと空を眺めた。
綾麿が見つめる空には、今日もまた無言の闇が広がっている。
それは何千年、何万年と日本を見続けていたはずの、いつもと変わらない空。
日本で過去に起きた大小多くの戦乱や悲劇も、そして今日のような蒼鬼の悲惨な蛮行も、いつの時代もこの虚空はこうして傍観者として見続けてきたのだろう。
虚空をぼんやりと見つめる綾麿と朱雀の傍に今、寂しげな一陣の風が吹き抜けていた。
「⋯⋯で、綾麿様? 私に御用とは? 宮仕えでは無い私は普段は御所には入れぬ身。とは言え話ならば御所でなくとも別邸でも良いのでは? 何故このような場で?」
朱雀が不思議そうに問いかける。
綾麿の目線は既に空から地上へ、蒼鬼たちに無残に殺され火を付けられた、人間の亡骸の山へと移っていた。
その悲しい山の残り火を見つめながら、綾麿が呟く。
「別邸も含め御所の周辺は陰陽衆の目が光っている。此度の話は予てからの計画の根幹にも関わる重要な話。それ故に大事を取った」
「⋯⋯なるほど。陰陽衆かぁ。青龍様からちらっと聞いただけですが、内裏ではかなり勢力を増してきているみたいですね。本当に鬱陶しい連中だこと」
「それに朱雀よ。理由はもう一つある。先日の御所での戦い。今の蒼鬼紅鬼たちの力、そのおおよそは読めた。よってもし此処に蒼鬼が現れるならば、蒼鬼を実際に相手にしたそなたの剣腕の程を、念のためこの目で直に見ておきたかったのだ。⋯⋯今後の計画のためにも、な」
「⋯⋯で、どうでした? 私の実力は? 御所に現れたという、蒼鬼紅鬼の修羅や羅刹たちと比較して?」
「⋯⋯ふっ、全くもって問題は無い。杞憂であった。蒼炎鬼、紅斬鬼、そして蒼鋼鬼。あの日に実際に刃を交えたどんな修羅を相手にしても、そなたが後れを取るような事は決して無い。そしてそれは他の四人、青龍や麒麟たちも然りだ」
「うふふ⋯⋯良かった。来たるべき決起の時は、誰よりも綾麿様の御役に立てそうで」
「その”決起“だがな。奴等の動きも其々に活発になってきた。これ以上は見過ごせぬ。いよいよ麿らの⋯⋯」
綾麿が朱雀に何かを告げようとしたその時。
朱雀がすっ⋯⋯と掌を上げる。
そして綾麿の言葉を遮り、制止した。
「⋯⋯綾麿様? 良いですよ。今は私たち二人だけなんだし。仮初めの御公家様や中将様としてでは無く、身分に囚われない、飾らない普段の綾麿様と話す方が、朱雀は好きです⋯⋯」
そう呟いた朱雀は、更にまた一段と顔を赤くした。
綾麿は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたものの、すぐに表情を緩める。
そして気持ちを入れ替えるように軽く溜め息をつくと、続けてその口元も薄っすらと緩めた。
「⋯⋯ふっ、⋯⋯そうか。⋯⋯そうだな。相わかった。道化は解くとしよう」
⋯⋯“道化を解く”
そう語り見せた、この時の綾麿の微笑みは、いつものような人をまるで寄せ付けない、高貴さを纏った妖しく不敵な笑みではなく、どこか市井に生きる人々に似た、穏やかな清々しさに溢れていた。
そんな綾麿の目が凛々しく煌めく。
「⋯⋯朱雀よ、いよいよだ。⋯⋯刻は来た。“俺”の予てからの計画が、陽の目を見るべき刻は、今⋯⋯」
⋯⋯綾麿は自分の呼称を”麿“とは言わなかった。
はっきりと“俺”と口にしていた。
「⋯⋯という事は! 例の暗殺、排除の計画を遂に!?」
朱雀が驚きと興奮混じりの声を上げる。
「⋯⋯俺たちが斃すべき相手は蒼と紅の鬼だけに非ず。『六歌戦』の五つの歌。⋯⋯この空のような傍観者の歌を日本から滅し、葬り去るべき刻が来た」━━━━。
第97話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回、ついに綾麿の秘めた計画が明らかになります。そして綾麿を慕う朱雀に下された、新たな任務とは⋯⋯?
次回第98話は9月16〜17日頃の投稿予定です。
引き続きよろしくお願い致します。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)




