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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編 十一

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第96話  酒吞

【登場人物紹介】

紅皇鬼(こうおうき)━━━━

 閻魔宮(えんまきゅう)で亡者に罪を伝える役目を担う閻魔王(えんまおう)の片腕。紅鬼(あかおに)総大将であり、短気で感情的な性格。蒼鬼(あおおに)軍の壊滅と日本(ひのもと)の制覇を目論む。紅呪鬼(こうじゅき)の反対を押し切り、封鬼牢(ふうきろう)に永年封印されてきた酒吞(しゅてん)の解放を決意する。


紅呪鬼(こうじゅき)━━━━

 紅鬼(あかおに)の修羅(しゅら)。官吏のような衣を纏(まと)い、常に知的で冷静沈着、余裕の笑みを浮かべている。紅鬼(あかおに)の中では誰よりも妖力に長けた副将格。紅皇鬼(こうおうき)の片腕的存在。紅皇鬼(こうおうき)の命令を受け、酒吞(しゅてん)の封印を解くために封鬼牢(ふうきろう)へ向かう。


紅蓮鬼(こうれんき)━━━━

 紅鬼の修羅(しゅら)。『分茶梨迦(ぶんだりか)』と呼ばれる地獄の池で、火焔(かえん)の蓮の花で罪人たちを焼き尽くしている。穏やかな優男的な見た目によらず、性格は紅皇鬼(こうおうき)に似て残虐。酒吞(しゅてん)に興味津々、紅呪鬼(こうじゅき)と共に封鬼牢(ふうきろう)へと向かう。


紅風鬼(こうふうき)━━━━

 紅鬼(あかおに)の修羅(しゅら)。紅鬼(あかおに)の牢獄、封鬼牢(ふうきろう)の番人。若いながらも閻魔王(えんまおう)からの信頼は厚い。呪術に関しては紅呪鬼(こうじゅき)とは師弟の間柄。鬼を封じる術に長け、呪符(じゅふ)を使った風の攻撃を得意とする。渦巻柄の紅白の外套(まんと)を羽織っている。


紅酒鬼(こうしゅき)(酒吞童子(しゅてんどうじ))━━━━

 紅鬼(あかおに)の修羅。かつて紅鬼(あかおに)軍の総大将だった絶大な力を誇る紅鬼(あかおに)。大胆不敵にも閻魔王(えんまおう)に逆らって地獄転覆を画策するが失敗。二千年の禁固刑を受けて封鬼牢(ふうきろう)に封印された後、現在に至るまで七百年以上もの歳月が流れた。紅鬼(あかおに)にとっては敵にも味方にもなりえる諸刃(もろは)の紅鬼(あかおに)。


 ━━━━禁忌(きんき)の封印は解かれた。

 

 およそ七百年前、日本(ひのもと)だけではなく地獄までをも混乱に陥れ、閻魔王(えんまおう)の地位すらも狙った伝説の狂鬼(きょうき)、酒吞(しゅてん)。


 その古(いにしえ)の物語は、再び現実の恐怖となる。

 その巨躯(きょく)に煌めく鋭い瞳は今、封印を解いた紅呪鬼(こうじゅき)たち三鬼に対して向けられていた━━━━。



 ━━━━《⋯⋯何者だ? この酒吞(しゅてん)様の封印を解いたのは、貴様たちか? 見た所、同じ紅鬼(あかおに)だな。⋯⋯答えろ。はや二千年の月日が経ったのか? それとも⋯⋯、返答次第によっては⋯⋯、⋯⋯ひねり潰す》



 その眼光は地上のどんな野獣(けもの)よりも鋭い。

 封印を解き放った感謝の念も無ければ、同じ紅鬼(あかおに)同士の親近感も無い。

 酒吞(しゅてん)に寄り添える要素はまるで無かった。

 どんな言葉を返したとしても、穏やかに事は進みそうもない。

 そんな問答無用の残虐性や理不尽な暴力性が、この時の酒吞(しゅてん)の瞳には滲みに滲んでいた。


 それはまさに大蛇(だいじゃ)に睨まれた小蛙(こがえる)だった。

 紅蓮鬼(こうれんき)の口元が無意識に歪(ゆが)む。

 そして眉を顰(ひそ)めながら呟いた。


《⋯⋯っ、嫌な予感しかしない。僕の想像していた以上だ。酒吞(こいつ)は見るからに危ないな》


 紅蓮鬼(こうれんき)の額からは先程の余裕は完全に消え失せ、早くも死地(しち)の戦場さながらの緊迫緊張の汗が滲んでいる。

 隣の紅風鬼(こうふうき)も状況は全く同じだった。


 若い紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)が完全に圧倒されている中、この場で冷静に自身を保つ事ができているのは、ただ一鬼。


 紅呪鬼(こうじゅき)だけだった。



《⋯⋯久しぶりだな。紅酒鬼(こうしゅき)、酒吞(しゅてん)よ。刻の流れが思いのほか早いと感じているかもしれんが、さも当然。まだ刑期二千年までは程遠い。あれから七百年しか経っておらん。此度(こたび)は一時的に牢から解き放ってやったまでだ》


《⋯⋯何だと?》

 

 酒吞(しゅてん)の身体がぴくりと反応する。

 改めて三鬼に向けて放たれる、怪訝(けげん)を纏(まと)った眼光。

 その濃銀(のうぎん)の眼(まなこ)が放つ鋭さと迫力は、先程までの視線とは比べ物にならない。

 敵意を顕(あらわ)にした威圧感、そして凶暴な醜悪さに満ちていた。


 しかし紅呪鬼(こうじゅき)は怯まない。

 凛とした口調で言葉を続けていく。


《⋯⋯微かにでも聞こえたであろう。我々三鬼が封鬼牢(ここ)に来た目的は、先程発した声の通りだ。御主に代わる紅鬼(あかおに)の現 総大将(そうだいしょう)様からの御下命(ごかめい)により、参上した》


《⋯⋯なにぃぃ、現総大将だと? ⋯⋯ふん、どうやら酒吞(しゅてん)様の出獄を祝って駆けつけたわけじゃなさそうだな。⋯⋯しかも命令だと? 笑わせるぜ。どんな魂胆かは知らねえが、この酒吞(しゅてん)様を牢から出したのは、その現総大将さまとやらの意思か? それとも口から出任せ、貴様らの入れ知恵か何かの企みか? ⋯⋯それとも⋯⋯閻魔(えんま)からの命令か?》



 酒吞(しゅてん)の口から出た、“閻魔(えんま)”の言葉。


 酒吞(しゅてん)は目覚めたばかり。

 封印されてからの日本(ひのもと)侵攻に関わる詳細はおろか、正門が固く閉ざされた現在の閻魔宮(えんまきゅう)、姿を見せない閻魔王(えんまおう)の事も何一つ知らない。


 更にこの時点における蒼鬼(あおおに)軍との日本(ひのもと)争奪戦。

 加えて閻魔宮(えんまきゅう)の不可解な現状。

 どちらも酒吞(しゅてん)には願ったり叶ったりの状況だった。

 それをありのままに語る事は、説得には不利。

 加えてこの強大な酒吞(しゅてん)を更に増長させ、暴走へと導く可能性がある。


 咄嗟にそう考えた紅呪鬼(こうじゅき)は、返す言葉に咄嗟(とっさ)の機転を利かせていた。


 紅呪鬼(こうじゅき)は敢えて大事の全てを伏せた。

 そして酒吞(しゅてん)を抑えるために最も効果的と思われるその言葉⋯⋯、“閻魔王(えんまおう)”の名を利用した。



《⋯⋯そうだ。これは総大将様の御意思であり、“閻魔王(えんまおう)”様の御意志でもある。御主が逆らえば、すぐに閻魔王(えんまおう)様が動かれる》


《⋯⋯なにぃぃぃッ、⋯⋯ちぃっ、また閻魔王(えんまおう)か⋯⋯、あの野郎、いちいち出しゃばりやがって》


 酒吞(しゅてん)が初めて苦々しく呟く。

 この偽りの言葉に、酒吞(しゅてん)は何一つ疑念を抱いていないように見える。

 第一の関門は上手くすり抜けることができたかもしれない⋯⋯、そう捉えた紅呪鬼(こうじゅき)は、これ幸いとばかりに矢継ぎ早に次の言葉を畳み掛ける。


《⋯⋯それが嫌ならば、紅鬼(あかおに)の悲願。人間界の征服のためにも邪魔な二人の人間を殺すのだ。⋯⋯紅鬼(あかおに)の同胞、酒吞(しゅてん)よ。⋯⋯心してよく聞け。御主を解き放った理由。それは日本(ひのもと)にあり。⋯⋯即ち、羅生門(らしょうもん)の開門!》


《⋯⋯羅生門(らしょうもん)。どういう事だ。しかも二人殺せ、だと? ⋯⋯おい、この酒吞(しゅてん)様が封印されてから、この地獄や地上界はどうなった? まだ日本(ひのもと)は堕ちていねえのか!?》


《⋯⋯日本(ひのもと)侵略は今もまだ続いている。その標的、まず一人目は、私たち紅鬼(あかおに)軍の修羅(しゅら)の二鬼を斃(たお)した、厄介な刀を持つ鎌足(かまたり)と言う女の忍。その鎌足(かまたり)は今、日本(ひのもと)の北、出羽国(でわのくに)の山中に向かっている。日本(ひのもと)の協力者とも連携し、何らかの手段を用いて羅生門(らしょうもん)邪道(じゃどう)を開通させる故(ゆえ)、その鎌足(かまたり)を追撃し刀を奪い、そして命を奪うのだ》


《⋯⋯あぁん!? ⋯⋯かまたり!? ⋯⋯女だと!?》


《そしてその同じ山奥には、前回撤退を余儀なくされた七十年前、当時『六歌戦(ろっかせん)』を務めていた、役小角(えんのおずぬ)と言う並外れた妖力と剣技を持つ男も暮らしているはず。⋯⋯相当の高齢だが、その人間もまた先の鎌足(かまたり)同様、私たち紅鬼(あかおに)の仇(かたき)。よいか、その男が二人目の獲物だ》


 酒吞(しゅてん)の眼光に怯む事無く、紅呪鬼(こうじゅき)は冷静に、そして力強く言葉を並べていく。

 しかし紅呪鬼(こうじゅき)と酒吞(しゅてん)の性格は、見るからに水と油。

 紅呪鬼(こうじゅき)の冷静さが悪印象となり、また話の内容自体も短気な酒吞(しゅてん)には逆効果だった。

 更に酒吞(しゅてん)は命令される事を何よりも嫌い、またその自尊心はどんな山よりも高い。

 何もかもがその機嫌を大きく損ねるには十分だった。


 酒吞(しゅてん)はすぐさまに声を荒げる。

 そして紅呪鬼(こうじゅき)を罵(ののし)り、嘲(あざけ)り笑う。


《何だ、何だ、七百年も経ちながら、まだ人間界を征服し損ねてるのか、ふはははは⋯⋯! やはりこの酒吞(しゅてん)様が居なければ、紅鬼(あかおに)軍は駄目だな。⋯⋯そしてそんな駄目駄目な紅鬼(あかおに)の分際で、この地獄最強の酒吞(しゅてん)様に向けた、今の数々の生意気な命令口調、万死(ばんし)に値す⋯⋯ん⋯⋯?》



 断罪の怒鳴りの最中、ふと酒吞(しゅてん)の目の色が変わった。


 そしてまだ怒りに目を血走らせながらも、唐突に⋯⋯


 ⋯⋯笑い出した。



《⋯⋯ん、ふふ⋯⋯、ふふふ、⋯⋯ふははははははははは! ⋯⋯小賢(こざか)しい生意気な紅鬼(おに)。何処(どこ)の誰かと思えば、七百年前に閻魔(えんま)が俺を封じ込める時に一役買っていた、紅呪鬼(こうじゅき)じゃねえか。⋯⋯待てよ。⋯⋯という事は、まさか今の総大将ってのは⋯⋯!?》


《⋯⋯ああ、紅皇鬼(こうおうき)様だ》


《⋯⋯何ぃ!? ⋯⋯ふふ、ふはははは!! まさかとは思ったが、図星か。あの紅皇鬼(こうおうき)が現総大将なんてなあ?》


《⋯⋯だから、何だ》


《⋯⋯はっ、冗談じゃねえ!! 紅皇鬼総大将(それ)だけでも相当に頭にくるのに、女と爺(じじい)如きを俺様の獲物に充てがうとは⋯⋯、しかも華やかな京の都でなく、何処(どこ)にあるのかもよく知らねえ北のはずれの出羽(でわ)だぁ? ⋯⋯っ、たく、この酒吞(しゅてん)様も全くもって舐められたものだ⋯⋯⋯⋯━━━━ふざけるなぁぁぁぁぁッッ⋯⋯!!!!!!》


《⋯⋯お、おおっとぉッ!?》

《⋯⋯まずいッ!?》


 最後の凄まじい怒号に震えが走ったのは、紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)だけではない。

 武器の無い丸腰の酒吞(しゅてん)に、洞窟までもが震えていた。

 強烈な波動により天井からぱらぱらと落ちてくる石礫(いしつぶて)や、ひびが走っていく岩壁は、まるで怒声だけで粉々にされた人間の骨肉のようにすら見える。


 鬼の本能を刺激する、凄まじい殺気と迫力だった。

 紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)の身体も自然に反応する。

 気付いた時には二鬼は既に身構えていた。


 紅蓮鬼(こうれんき)は広げた両の掌に火蓮(かれん)の炎を無数に咲かせる。

 紅風鬼(こうふうき)は外套(まんと)を靡(なび)かせ両手に攻防一体の呪符(じゅふ)を握る。


 両鬼共に完全な戦闘態勢だった。


 いつ七百年前と同じ捕物(とりもの)、生きるか滅するかの激突が起こってもおかしくない。

 しかしそんな緊迫の状況の中でも、まだ紅呪鬼(こうじゅき)の動きや表情だけは変わらなかった。

 それは並々ならぬ精神力で、湧き上がる様々な鬼の本能を、自身で制御しているようにも見える。


(《⋯⋯今は説得こそが最大の攻撃、そして防御》)


 紅呪鬼(こうじゅき)はそう心で呟きながら、淡々と酒吞(しゅてん)に言葉の刃を返す。



《ふざけてはおらん。勿論(もちろん)ただとは言わぬ。見返りも用意してある。その二人を斃(たお)せば、先の二千年の受刑、総大将様の特別の恩赦(おんしゃ)で、この僅か七百十年で留め置く。すなわち晴れて自由の身になれるのだ。御主の好きな、人間の生き血を搾った酒もまた飲み放題、人間を殺すのも喰うのも思うがままだ。⋯⋯どうだ? 決して悪い話ではあるまい?》


《⋯⋯あぁん!? 紅皇鬼(こうおうき)と言えば、強気と負けん気、そして達者な口”だけ“は一丁前な、格下の紅鬼修羅(おに)。貴様の後ろでさっきからずっとびびってやがる、そいつらみたいな”ひよっこ“の若僧だったじゃねえか!?》


 酒吞(しゅてん)はゆっくりと指先を左へ、右へ。

 中央の紅呪鬼(こうじゅき)の背後に控えている紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)を順番に指差し、不満と嫌悪に満ちた声で一笑に付した。


《⋯⋯何だってぇ!? 僕を馬鹿にしないでください!!》

《⋯⋯っ、この呪符(じゅふ)ですら完全に舐められているッ!?》


 百戦錬磨の紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)と言えども、この酒吞(しゅてん)の氣と圧に呑まれ、今や完全に子供扱いされていた。

 紅蓮鬼(こうれんき)たちの抗いの声はまさに“焼け石に水”のように、更に酒吞(しゅてん)の眼光に熱さと鋭さを注ぎ込む。

 今すぐにでも三鬼に襲いかからんばかりの勢いで怒りを顕(あらわ)にし、更に鋭く睨(にら)みを利かせた酒吞(しゅてん)が吠える。


《⋯⋯ふざけるなあぁぁぁッ!!!! ⋯⋯何故(なぜ)この最強の酒吞(しゅてん)様が、あんな雑魚(ざこ)の紅皇鬼(こうおうき)の下なんぞで手足のようにこき使われなきゃならねえんだ!? ⋯⋯えッッ!!!?》


 しかし紅呪鬼(こうじゅき)は怯まない。

 酒吞(しゅてん)の荒ぶる唾(つば)の礫(つぶて)の代わりに静かに溜め息を返す。


《甘いな、酒吞(しゅてん)よ。紅皇鬼(こうおうき)様は七百年前とは比べものにならない程強くなられた。⋯⋯そして勿論(もちらん)この私もだ》


《⋯⋯何ぃぃぃ!?》


《⋯⋯酒吞(しゅてん)、どうだ? 久しぶりの人間界。思う存分に暴れてみないか? そんな狭い封鬼牢(ばしょ)に閉じ込められて、その間に殺めたのは紅挽鬼(こうばんき)のみ。⋯⋯相当に鬱憤(うっぷん)も溜まっているのだろう? この七百年余りの間に人間界は栄華を極め、更に堕落(だらく)を増しているぞ? 地獄の伝説となった鬼、酒吞(しゅてん)が久々に蘇り、華々しく暴れるのだ。映えある舞台に日本(ひのもと)は相応しいとは思わぬか?》

 


《⋯⋯日本(ひのもと)⋯⋯栄華(えいが)に堕落、この酒吞(しゅてん)様に相応しい場所だと!?》━━━━



 ━━━━それは酒吞(しゅてん)の性格と単細胞を誰よりも知る、紅呪鬼(こうじゅき)ならではの、芳醇(ほうじゅん)な美酒にも似た誘惑の言葉。

 そして交渉の成否を握る、”鍵“となる一言だった。


 賽(さい)の目は半丁(はんちょう)どちらに転ぶかは分からない。

 何の成功の確証も無い、一か八かの五分五分の賭け。


(《五分どころか、勝算は一分(いちぶ)も無いかもしれんが》)


 洞窟内には石礫(いしつぶて)ではなく、いつの間にか長い静寂の刻(とき)が舞い降りていた。


 吉と出るか凶と出るか。

 背後で見守る紅蓮鬼(こうれんき)や紅風鬼(こうふうき)にとっては、既に永遠とも思える程の長さの睨み合いを、紅呪鬼(こうじゅき)と酒吞(しゅてん)は続けていた。


 この心理戦。

 優勢なのは、やはり圧で上回る酒吞(しゅてん)か。

 しかし一概にそうも言えない。

 短気な酒吞(しゅてん)がすぐさま拒否や攻撃に動いていない所を見ると、この段階では紅呪鬼(こうじゅき)の知力は、酒吞(しゅてん)の殺気を抑え込む事に成功している、とも言えた。


 そして賽(こと)は幸いにも一分(いちぶ)以下の確率へと転がる。

 酒吞(しゅてん)の表情が僅かに緩む。

 それが次なる駆け引きの合図だった。


 紅呪鬼(こうじゅき)の思惑通り、酒吞(しゅてん)は”乗ってきた“のだ。


 酒吞(しゅてん)は先程までの怒りや凶暴性、猜疑心(さいぎしん)に満ちた表情の代わりに、不可解な余裕、不気味な謎の笑みを見せ始める。


《⋯⋯ふっふふふ。⋯⋯ふん、上手く持ち上げる奴だ。その巧みで落ち着いた口ぶり、七百年前(むかし)と何ら変わってはいないな。⋯⋯だが。確かに貴様の言う通り、妖気や邪気は七百年前とは段違いに増しているようだ。⋯⋯ふん、この酒吞(しゅてん)様が牢の中で寝ているうちに、鍛え抜いたというわけか》


《⋯⋯⋯⋯》


《⋯⋯まあ、牢を出たばかり。こんなつまらん場末(ばすえ)で暴れて、閻魔(えんま)と殺り合い、手傷を負うくらいなら、憎(にっく)き人間界を隅々まで破壊し尽くす。そんな戯事(あそび)に向かうのも確かに悪くはない話だな。⋯⋯ふん。⋯⋯よし、紅呪鬼(こうじゅき)よ。⋯⋯そこまで言うならば一つ条件がある》


《条件だと? ⋯⋯何だ? 言ってみよ》


 酒吞(しゅてん)は妖しくにたりと笑う。

 そして次に口にした言葉━━━━。

 


 ━━━それは紅呪鬼(こうじゅき)たち三鬼が誰一鬼として想像だにしてなかった、驚くべき条件だった。



《⋯⋯褒美が”自由“だけじゃあ物足りねえ。この酒吞(しゅてん)様の自尊心が退(ひ)かねえ。⋯⋯いいか。鎌足(かまたり)って女と役小角(えんのおずぬ)って爺(じじい)。その人間二人を殺したあかつきには、この酒吞(しゅてん)様を⋯⋯、⋯⋯━━━━再び紅鬼(あかおに)の総大将にしろ》⋯⋯



⋯⋯《⋯⋯ッ!?、な、何だと!?、此奴(こいつ)ッ!》


 その言葉に紅蓮鬼(こうれんき)の我慢が限界を迎えた。

 いつもの気楽で穏やかな表情は一変し、珍しく明確な怒りや殺意を滲ませる。

 全てを燃やし尽くす攻撃用の白い蓮(はす)の花びらが無数に舞い、そしてそんな白霞はすぐに紅の霞へと変わる。

 それは火焔(かえん)の渦。

 白と紅、美と炎の美しくも恐ろしい花弁(はなびら)の舞だった。


《私ももう限界だ! ⋯⋯地獄谷の風よ、鬼封(きふう)の風よ》


 目を鋭く煌(きら)めかせた紅風鬼(こうふうき)も紅蓮鬼(こうれんき)に続いた。

 呪符を左右に構えた詠唱(えいしょう)。

 込められた念に、洞窟内の空気がざわめく。

 入り口から流れてくる風が、一段と荒く強くなる。

 紅風鬼(こうふうき)は外套(まんと)を勢いよく外すと、身体と外套(まんと)を素早く翻(ひるがえ)した。

 そしてその流れ込む風を、外套(まんと)に吸い込むように包み込み、耳飾りの片方を外して栓をする。

 そのまま肩に背負った外套(まんと)は、奇怪にも風を収めた巨大な袋と化していた。

 風の氣流を纏(まと)った腰の刀に手をかけ、いつでも呪詛(じゅそ)に満ちた風を放つ事のできる体勢。

 これは風を司(つかさど)る鬼の鬼系(きけい)に伝わる、”風神(ふうじん)の構え“。

 対 蒼鬼(あおおに)修羅(しゅら)戦を想定した、紅風鬼(こうふうき)得意の型だった。



 しかし紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)の物々しい宣戦布告の構えを他所(よそ)に、当の酒吞(しゅてん)は武器を持っていないにも関わらず、顎(あご)を掻きながら至って冷静。

 何の警戒の氣も放っていない。

 二鬼に応じて身構えるどころか、まるで余興の出し物を見ているように、にやにやと薄笑いを浮かべながら、若い二鬼を見下している。


《⋯⋯ッ! 待て! ⋯⋯御前たちが束になってかかっても、敵う相手ではない!》


 紅呪鬼(こうじゅき)がすぐに両の腕を左右に広げ、背後の二鬼の戦意を制止する。


《⋯⋯で、ですが!? あの暴言、戯言(ざれごと)はあまりにも!? ⋯⋯到底、看過できませぬ!》

《そうですよ、交渉決裂ですよ、紅呪鬼(こうじゅき)様! 総大将様の座を狙うなんて、流石の僕でも許せませんよ!》


 紅風鬼(こうふうき)と紅蓮鬼(こうれんき)の続けざまの怒りの声。

 一触即発の緊張を背にしながら、紅呪鬼(こうじゅき)は酒吞(しゅてん)と向き直る。


 窘(たしな)められた紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)は、納得がいかない。

 紅呪鬼(こうじゅき)は紅鬼(あかおに)軍の副将格。

 いくら凶暴かつ危険な存在とは言え、総大将の紅皇鬼(こうおうき)を卑下された事に対して、何故(なぜ)明確な怒りの態度を示さないのか。


 紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)は、苦虫を噛みつぶしたような顔を浮かべている。


 しかしそんな紅風鬼(こうふうき)と紅蓮鬼(こうれんき)たちにとって、続けざまに紅呪鬼(こうじゅき)の口から出た言葉は、酒吞(しゅてん)の提案以上に想定外となる、驚きの言葉だった。



《⋯⋯よかろう、相(あい)わかった》



 紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)は狼狽(ろうばい)と共に目を丸くする。

 そして自分の耳を疑った。

 それはまさに天変動地(てんぺんどうち)。

 その言葉の通り、日本(ひのもと)と地獄が一気にひっくり返るのではないか。

 そう思ってしまう程の、衝撃の一言だった。


 紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)、二鬼共に慌てふためきながら紅呪鬼(こうじゅき)の背中に詰め寄る。


《あの、紅呪鬼(こうじゅき)様、流石にそれは!? 紅皇鬼(こうおうき)様への相談も無しに⋯⋯、いや、そもそも相談なんて、僕にも誰にも出来るわけがない内容なんだけど、⋯⋯え⋯⋯はぁ!? そんなはっきり約束しちゃって大丈夫なんですか!?》

《どういう了見ですか。お答え頂きたい、紅呪鬼(こうじゅき)様!?》


 紅呪鬼(こうじゅき)は酒吞(しゅてん)と目を合わせたまま、ゆっくり数歩退いた。

 そして背後の紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)のすぐ真横まで近付くと、この二鬼だけしか聞こえない小声で呟いた。


《⋯⋯聞け。酒吞(しゅてん)は武には絶対の強さを誇るが、知には劣る。それが酒吞(やつ)の最大の弱点。今は酒吞(やつ)を油断させ、こう答える他は無い。この件は私が責任をもって何とかする。よいな、この話は他言無用。我々だけの秘密だ》


《⋯⋯えぇえ⋯⋯、それ、本当に大丈夫ですかぁぁ?》

《⋯⋯紅呪鬼(こうじゅき)様、秘密は分かりましたが、しかし⋯⋯》



 紅呪鬼(こうじゅき)の二つ返事は、酒吞(しゅてん)にも少なからず驚きを与えていた。

 しかし酒吞(しゅてん)はあくまで後の先を取る提案側。

 紅呪鬼(こうじゅき)が提案に乗ってきた事に喜びの念が先に立つ。

 酒吞(しゅてん)は上機嫌に豪快に笑うと、紅呪鬼(こうじゅき)を指差しながら得意気に言い放った。


《ぐははははは! 聞いた、聞いたぞ、鬼の約束。⋯⋯地獄の掟により絶対だからな! 人間は嘘をついても舌を抜かれるだけだが、鬼同士が誓った約束を破ったら、そう簡単にはいかん。舌だけではない、例えその身体全てが引き千切られ、塵芥(ちりあくた)とされても文句は言えぬぞ? 紅呪鬼(こうじゅき)よ》


《⋯⋯分かっている。だがその代わりに御主が万が一に逃げ出したり約束を反故(ほご)しないよう、常に監視は付けさせてもらう。出羽(でわ)への追撃の作戦では、私の配下で封鬼(ふうき)の術に長けた二鬼、紅滅鬼(こうめつき)と紅殺鬼(こうさつき)。そして二十の羅刹(らせつ)、計二十二の紅鬼(おに)と供に行動してもらう、いいな? 酒吞(しゅてん)》


 紅呪鬼(こうじゅき)の束縛の提案にも、酒吞(しゅてん)は鼻で笑い返す。



《⋯⋯ふん、その二鬼、御前自らが封鬼(ふうき)の術を授けた、紅鬼(あかおに)修羅(しゅら)らしいな⋯⋯、きっと妖術には長けているのだろう? ⋯⋯どうやら来たるべきこの酒吞(しゅてん)様の解放の日に備え、着々と反抗の準備はしていたようだな。⋯⋯え? おい、⋯⋯流石は━━━“葬魂(そうこん)の術をこの地獄に創り出した開祖”、⋯⋯地獄一の狂わしき妖術使い⋯⋯、日本(ひのもと)陰陽師(おんみょうじ)殺しで名を馳せた、狂幻(きょうげん)の修羅(しゅら)、紅呪鬼(こうじゅき)だ》



 その言葉はお世辞ではない。

 一つの真実。

 約千年近くもの間、人間を欺(あざむ)き、大切な者の身体を奪い、苦しめ続けてきた鬼たちの使う“葬魂(そうこん)の術”。

 その恐るべき術を無(む)から生み出し、鬼たちの妖力を高める一つの術として確立。

 地獄蒼紅(じごくそうく)全土に浸透させたのは⋯⋯。

 

 この紅鬼(あかおに)修羅(しゅら)、━━━━紅呪鬼(こうじゅき)だった。



《近い内に日本(ひのもと)の王となる、自由の紅鬼(おに)、酒吞(しゅてん)様には到底呑めない提案⋯⋯、と言いたい所だが、この坂田某(さかたなにがし)たち『六歌戦(ろっかせん)』の身体を手に入れ、強さを増しているのも、紅呪鬼(こうじゅき)⋯⋯貴様のおかげだからな。そんなちっぽけな提案の一つくらいは、聞いてやらなきゃなあ? ⋯⋯ふはははは、優しいだろう? 酒吞(しゅてん)様は!》


 酒吞(しゅてん)の嘲(あざけ)り笑みに、紅呪鬼(こうじゅき)は目を細める。

 そしてただ黙って酒吞(しゅてん)をじっと見つめ続けていた。


《⋯⋯だがな、言っておくがこの酒吞(しゅてん)様は、僅か七百年如きの付け焼き刃、しかも貴様自身ではない、手下の封鬼(ふうき)の術程度では斃(たお)せぬぞ?》


《⋯⋯だろうな。だが暫(しば)しの間でもその動きを封じるだけで十分だ。私や紅皇鬼(こうおうき)様の妖力で後は何とかなる》


《⋯⋯それはどういう意味だ》



 酒吞(しゅてん)も紅呪鬼(こうじゅき)も互いに怯まない。

 


 地獄に今も伝わる語り草、”酒吞(しゅてん)の乱“。

 ⋯⋯その伝説の主役、凶悪凶暴の紅鬼(あかおに)、酒吞(しゅてん)。


 そして恐るべき“葬魂(そうこん)の術”、その開祖の妖術師。

 ⋯⋯現 紅鬼(あかおに)軍の副将格を担う紅鬼(あかおに)、紅呪鬼(こうじゅき)。

 


 強者同士の見えない火花が散る。



 目の前の緊迫の光景に、紅蓮鬼(こうれんき)や紅風鬼(こうふうき)は身動き一つできない。

 二鬼共に若いながらも、地獄では既に武勇で名のしれた修羅(しゅら)。

 しかしそんな二鬼と言えども、この紅呪鬼(こうじゅき)と酒吞(しゅてん)の駆け引きにはただただ圧倒され、今はその交渉と勝負の行方を固唾(かたず)を呑んで見守るしかなかった。


 紅鬼洞(こうきどう)における紅皇鬼(こうおうき)との睨み合いでは、総大将の面子(めんつ)を立て、折れた紅呪鬼(こうじゅき)。

 しかし今回は違った。

 決して折れない。

 そしてその酒吞(しゅてん)にも劣らない程に濃い銀の瞳には、絶対に一歩も引かない、そんな固い決意が漲っていた。



 そんな紅呪鬼(こうじゅき)の気迫を、酒吞(しゅてん)は大好物の酒のように”飲み干した“のか。

 それとも紅鬼洞(こうきどう)の紅呪鬼(こうじゅき)のように、“折れた”のか。

 それは酒吞(しゅてん)にしか分からない。


 ただほんの少しの沈黙の後、豪快に大笑いし、愉しそうに吠えたのは⋯⋯、酒吞(しゅてん)の方だった。



《⋯⋯がはははは! 負けたぜ、紅呪鬼(こうじゅき)。面白い! 貴様には葬魂(そうこん)のこの身体だけじゃねえ、牢から出してくれた礼もあるからな。昔の好(よしみ)だ。貴様の企みに乗ってやる。その抹殺の命令、受けてやろう。元々遊びにも等しい容易(たやす)い話。それだけの事で紅鬼(あかおに)の総大将に返り咲けるなら、日本(ひのもと)の田舎くんだりまで出向く価値はある!》


《⋯⋯一つ言っておく。役小角(えんのおずぬ)は人間にしては類稀(たぐいまれ)な術者。その力、京の陰陽師(おんみょうじ)たちにも勝る程。『六歌戦(ろっかせん)』の名称が日本(ひのもと)に生まれてからおよそ千年。小角(おずぬ)の実力は過去歴代の全ての『六歌戦(ろっかせん)』の中でも、五本の指に入ると言っても良い。そして侮(あなど)れぬのは忍の鎌足(かまたり)の方も同じ》


《⋯⋯そんなに強えのか。⋯⋯ふふふふ、それは楽しみだぜ。⋯⋯だが女の方は、全く興味が沸かねえな。貴様の物言いだと、この酒吞(しゅてん)様が油断したら、その女に後れを取る可能性がある、っていうのか?》


《その鎌足(かまたり)と言う奴はな、女だてらに七十年前に我ら紅鬼軍を撃退した、伝説の封鬼(ふうき)の刃の半刃(はんじん)を持っている。⋯⋯その刃の名は━━⋯⋯『鬼切丸(おにきりまる)』。⋯⋯小角(おずぬ)に鎌足(かまたり)、どちらも決して油断はならぬ》


《⋯⋯はっはっはっは! こいつは笑わせてくれるぜ。そして⋯⋯、ふざけるな。そもそも本気の酒吞(しゅてん)様が、ただの人間の女や爺(じじい)如きに負けると思うか? もう二度と酒の計略は通用しねえ、騙されねえ。⋯⋯いかなる術者であれ、封鬼(ふうき)の刀であれ、本気の酒吞(しゅてん)様の前には、無人の荒野が広がるが如し!!》


《⋯⋯それと、些細な事を一つ言い忘れていた。鎌足(かまたり)は九人の仲間と共に出羽(でわ)へ向かったらしい。また、役小角(えんのおずぬ)も多くの行者(ぎょうじゃ)や修験者(しゅげんじゃ)たちに守られているかもしれぬ。⋯⋯が、その取り巻きの者どもには用は無い。煮るなり焼くなり喰うなり、好きにするがよい。⋯⋯まあ、出羽(でわ)は万年雪。⋯⋯煮る、焼くは無理かもしれんがな》


《⋯⋯ふはははははは。好きにしてよい、と言われたならば、喰うに決まってるだろう! 腹ごしらえにも丁度いい。ならば狙いの鎌足(かまたり)や小角(おずぬ)と一緒に、そいつら雑魚(ざこ)どもも全員まとめて、まだ身体が冷え切らぬ内に五臓六腑(ごぞうろっぷ)を引きずり出して、血の滴(したた)る生肉を勝利の美酒の“つまみ”にでもしてやるわ!!!!》


 酒吞(しゅてん)は自信満々に豪快に笑い続けていた。


 だが、ふとその笑いを止める。


 そして紅呪鬼(こうじゅき)に近づいていく。


 紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)に再び緊張が走る。

 しかし酒吞(しゅてん)の表情からは攻撃の意思は見られない。

 紅呪鬼(こうじゅき)の顔をすぐ間近で覗き込み、改めて遠い昔を懐かしむように呟いた。



《⋯⋯それにしても、紅呪鬼(こうじゅき)。貴様が今の紅鬼(あかおに)の総大将ではないとはな、いささか意外だったぞ。⋯⋯七百年前、実力では貴様の方が、紅皇鬼(こうおうき)よりは上だったはず》


 酒吞(しゅてん)の鼻息を肌に感じながら紅呪鬼(こうじゅき)は静かに答えた。


《⋯⋯私は紅鬼(あかおに)の頂点に立つ事などには微塵(みじん)の興味も無い。術の探求に全てを捧げたかったのですよ、酒吞(しゅてん)⋯⋯いや、我が古くからの紅鬼(とも)、紅酒鬼(こうしゅき)よ》


 酒吞(しゅてん)は紅呪鬼(こうじゅき)の瞳をまじまじと見つめ直す。

 そして邪悪さを感じる、薄ら笑みを浮かべた。


《⋯⋯ふん、まあそういう事にしておいてやろう》



 紅呪鬼(こうじゅき)から視線を外らした酒吞(しゅてん)は、紅呪鬼(こうじゅき)の隣を横切り、依然警戒しながら左右に飛び退く紅蓮鬼(こうれんき)と紅風鬼(こうふうき)を横目に、ゆっくりと洞窟の外に向かって歩いていく。

 酒吞(しゅてん)の眼はただ前だけを、洞窟の出口だけを見据え、鋭い光を放ったままだった。

 その濃銀の瞳には、七百年ぶりとなる日本(ひのもと)の獲物⋯⋯鎌足(かまたり)と小角(おずぬ)への殺意と敵意が早くも滲んでいる。



 その去り行く酒吞(しゅてん)の背中を、紅呪鬼(こうじゅき)の方もただ黙って見つめていた。


《⋯⋯⋯⋯》



 紅呪鬼(こうじゅき)の口元は、ほんの僅かだけ⋯⋯。



 ⋯⋯愉しそうに妖笑(わら)っているように見えた。




《⋯⋯ちっ。この空、七百年前と何ら変わってねえ》


 封鬼(ふうき)の洞窟の外、吹き荒ぶ風の中。

 酒吞(しゅてん)は七百年ぶりにその身体を、紅(あか)の地獄の中へと晒していた。

 風と共に昂(たかぶ)り荒ぶる魂は、狂わしき言霊(ことだま)へと変わる。

 それは底が見えない程に滾(たぎ)る野望。

 まさに自身以外の全ての人鬼(ひとおに)に対する宣言布告。

 その地獄中に聞こえるような咆哮(ほうこう)は今、地獄谷(じごくだに)の紅(くれない)の岩壁や大地を通して、紅(あか)の地獄全土に轟(とどろ)く戦慄の地響きとなっていた。



《⋯⋯閻魔王(えんまおう)、紅鬼蒼鬼(おに)ども、そして人間どもよ、⋯⋯よく聞け!! 地獄と日本(ひのもと)、どちらをも支配する戦いの鬼神(きしん)、七百年の刻(とき)を超えて、地獄谷(ここ)に再び覚めたり!! ⋯⋯真(まこと)の紅鬼(あかおに)が総大将、我が名は━━━━酒吞(しゅてん)!!!!!!》━━━━⋯⋯





 ⋯⋯日本(ひのもと)の北に、恐怖が迫る。



 その恐怖の到来を、旅立つ鎌足(かまたり)はまだ、知らない⋯⋯━━━━。




第96話も最後までお読み頂きありがとうございました。

ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。

次回第97話「京 裏路地にて」は、9月11〜13日頃投稿予定です。

引き続きよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)

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