第94話 紅の策略
【登場人物紹介】
紅皇鬼━━━━
閻魔宮で亡者に罪を伝える役目を担う閻魔王の片腕。紅鬼総大将であり、本拠、紅鬼洞に軍を構える。短気で感情的な性格。蒼鬼軍の壊滅と日本の制覇を目論む。
紅呪鬼━━━━
紅鬼の修羅。官吏のような衣を纏い、常に知的で冷静沈着、余裕の笑みを浮かべている。紅鬼の中では誰よりも妖力に長けた、紅皇鬼の片腕で紅鬼軍の副将格。
紅蓮鬼━━━━
紅鬼の修羅。『分茶梨迦』と呼ばれる地獄の池で、火焔の蓮の花で罪人たちを焼き尽くしている。穏やかな優男的な見た目によらず、性格は紅皇鬼に似て残虐。
━━━━蒼鬼軍の策略の始動と時を同じくして、蒼鬼城から東に千里、天然の地下要塞、紅鬼軍の本拠、紅鬼洞。
日本侵略、その第二の煙幕が上がろうとしていたのは蒼鬼城だけではない。
日本を脅かす新たな火種が、この紅の鬼岩の洞窟の奥深くで、十日以上の間に渡り延々と燻り続けていた。
紅鬼総大将である紅皇鬼が、絶対の自信と共に御所に送った第一陣、修羅三鬼と羅刹二十鬼の紅鬼。
高らかに帝の首を掲げ、京御所制圧の吉報を持ち帰るはずの二十三鬼の内、紅鬼洞に戻ってきた紅鬼は皆無。
文字通りの全滅だった。
同時に侵攻した蒼鬼二十三鬼、そして『六歌戦』綾麿や鎌足たちの逆襲に遭い、散々たる結果となっていた。
紅鬼洞内に凄まじいまでの憤怒と狂気が充満する。
屈辱。
まさにその二文字だった。
人間たちの刻の流れにして既に十日以上は経過しているにも関わらず、総大将の紅皇鬼の怒りは何ら収まる気配が無い。
一面を亡骸の彫刻で囲まれた大広間で、思い切り投じられた人骨の杯が宙を飛ぶ。
壁に当たった杯は、紅皇鬼の自尊心を表すかのように、見るも無残に粉々に砕け散った。
《⋯⋯ッ、おい! どうなってるんだ!? ⋯⋯紅斬鬼、紅鋏鬼、紅閃鬼、⋯⋯手練れの修羅三鬼も斃された上に、羅刹二十鬼までも尽く全滅だぁ!? 状況と敗因を、もう一度俺に説明しろ! 紅呪鬼!!》
通常なら大広間の端々に控えている羅刹以下の警備の紅鬼たちも、紅皇鬼の不機嫌のとばっちりを恐れてか、その姿は見られない。
とすれば、その怒りの矛先は、ただ一つ。
常に近くに控える副将格、紅呪鬼だけだった。
⋯⋯また始まった。
そんな渋い顔を浮かべながら、紅呪鬼は眉間に皺を寄せる。
そして出来る限り慎重に言葉を選んだ。
《ですから⋯⋯、毎日のように何度も何度も言っていますが、妖刀村雨を振るう『六歌戦』不知火中将綾麿。我々紅鬼にとって思い出したくも無い、あの七十年前の忌まわしき刀、鬼切丸の半刃を持つ、伊賀の忍の鎌足。この二人の強さを見誤ってしまった事が最大の敗⋯⋯》
《それだけじゃねえだろ! 蒼鬼はどうした!》
紅呪鬼の言いかけた“敗因”という言葉を打ち消すように、紅皇鬼は吠えた。
とにかく吠えた。
八つ当たり気味に、吠えに吠えた。
《⋯⋯蒼鬼側ともかなり斬り合いにはなりましたが、蒼鬼は同じく二十三鬼が参戦。うち二鬼の修羅を含む二十二鬼が結果的に消滅。当方と同様の被害状況ですな》
《どこが“同様”なんだ? どこが!》
《⋯⋯、⋯⋯は?》
《何が“は“だ!? ⋯⋯一鬼、斃されずに無事に残ってるじゃねえか!》
《⋯⋯蒼鬼城に帰還している蒼妖鬼の事ですか? ⋯⋯確かに蒼妖鬼だけは消滅を免れていますが》
《蒼鬼にも一鬼ぶん後れを取ってるじゃねえか!? いいか、そういうのを負け、恥、屈辱って言うんだ!! ⋯⋯おい、蒼妖鬼を此処に引きずってこい、今すぐに!》
《そんな無茶な⋯⋯、連れてきてどうするんですか?》
《嬲り殺すに決まってるだろ! 酌させるためだけにあの女鬼連れてくるか? ん? 当たり前の事を聞くな!》
十数日前から、何十回と同じ話を聞いてきた。
そして同じ数、何十回と溜め息を吐いてきた。
そして今もまた紅呪鬼の口から溜め息が漏れる。
(《⋯⋯一度怒りが限界点を超えてしまった紅皇鬼様は、本当に手がつけられない。⋯⋯癇癪さえ無ければ、地獄最強かつ最高の紅鬼なのだが⋯⋯》)
さて、今回はどうやって話を切り出すべきか。
紅呪鬼がそう考えた時だった。
《お話中の所失礼致します、紅呪鬼様。日本の例の御方から香典が届いていますが、如何いたしましょうか?》
紅皇鬼のすぐ傍らから声をかけたのは、紅呪鬼以外で唯一この場に同席していた女紅鬼。
紅袴の巫女服に身を包んだ修羅、”紅髪鬼“だった。
気配も無くいつの間にか忍び寄っていたこの修羅は、その妖艶かつ美麗な容姿以上に、踵や床にまでつきそうな程に伸びた、長く艶かな黒い後ろ髪が目を引く。
長い髪は前髪も然り、右目は髪に隠れて見えない。
更に紅の花が何枚も重ねられた大きな髪飾りにさえ、その黒髪は巻き付いていた。
それでもまだ髪は毛先ではない。
長い後ろ髪を辿ったその先は、巫女服の腰の帯にまで幾重にもぐるぐると絡みついている。
完全に下ろした髪が一体どれ程の長さになるのか。
想像もつかないほどの長髪だった。
不機嫌そうに紅皇鬼が振り向く。
《⋯⋯あぁん? 香典だと?》
《はい。恐らくは全滅した我々紅鬼への弔いかと》
《⋯⋯何だと。ちいっ、蒼妖鬼といい、あの女といい、どうなってやがる。ふざけやがって!⋯⋯》
《しかし、紅皇鬼様。ただの香典ではありません》
《⋯⋯”ただ“じゃねえだと? じゃあ何だ、この紅鬼洞で採れる金や宝玉と“物々交換”ってか!》
《いえ。百聞は一見にしかず。こちらを御覧ください》
紅髪鬼のすぐ傍らには、小さな丸机があった。
その机の上には、紅の紐で縛られた豪華絢爛な装飾の黒箱がこれ見よがしに置かれている。
紅皇鬼が机に歩み寄る。
すると突如、怪異が起こった。
その箱の上を無数の細く長い影が蠢いたのだ。
そして箱の紐にじゅるじゅると縦横無尽に絡みつき、蝶結びの紐を巧みに解いていく。
謎の蠢く影の正体。
それは、長く伸びた黒髪だった。
その出処は紅髪鬼。
背中の長い黒髪、そのほんの一部分。
毛先が逆立ち、ゆらゆらと伸びて、大広間の宙を自由自在に妖しげに漂っていたのだ。
思うがままに髪を伸縮し、自身の手足のように操る事ができる。
これがこの妖艶美麗な女修羅、紅髪鬼の妖力だった。
黒髪の“手”によって開けられた箱。
その蓋が、からんと乾いた音を立てて床を転がった。
《⋯⋯こ、これは!?》
箱を覗き込んだ紅皇鬼の表情が一変する。
箱の中身は、紅皇鬼の想像を遥かに上回る、恐ろしい嗜好品だった。
それは人間たちの生きていた”証“。
そして美食家の紅皇鬼にとって最高の珍味。
《⋯⋯おい、見ろ。あの女、分かってるじゃねえか。これは最高の弔いになる。⋯⋯こいつは人間の━━━━》
━━━━心臓だった。
《そのようですね。あの御方らしい。⋯⋯美味しそう》
紅髪鬼が舌舐めずりをする。
《⋯⋯ひぃ、ふぃ、みぃ⋯⋯、⋯⋯ふふふ、ご丁寧にも二十と三。⋯⋯それに、おい、斃された修羅たちへの鎮魂を込めてってか? この内の三つは巫女の心臓だぞ。⋯⋯しかもまだ息がある内に”取り出して“やがる》
箱の中に積まれていた、まだ血も乾き切らない二十三の心臓の山。
紅皇鬼はその中で一番小さな一つを鷲掴みにする。
そして銀の瞳を煌めかせ、恍惚の笑みを浮かべた。
《⋯⋯見える、見えるぞ。巫女になりたて、逃げ惑う若い女の姿が。恐怖に慄く顔、絶望の瞳━━━━⋯⋯
(⋯⋯や、止めて、お願い、どうか止めてください!!)
⋯⋯━━━━信じていた神に見限られ、逃げても逃げても、どこまでも追いかけてくる、矢の雨━━━━⋯⋯
(⋯⋯こ、来ないで⋯⋯どうして!? ⋯⋯い、嫌、⋯⋯きゃあああぁぁぁ⋯⋯小夜さまぁぁああッ⋯⋯!?)
⋯⋯━━━━あの女、やるな、人間の分際で。しかも自身を慕う巫女たちに、これだ。鬼以上に容赦ねえな》
紅皇鬼はにやりと笑みを浮かべると、掌の中の心臓に豪快に齧りついた。
大広間に生々しく陰惨な音が響く。
口元から垂れた雫が、床を紅に染めた。
紅皇鬼は目の前の馳走にすっかり魅了されていた。
つい先程まで顔面を覆い尽くしていた怒りの炎は今、まるで嘘のように消え失せている。
《⋯⋯紅髪鬼よ。その巫女服⋯⋯。確かあの女との繋ぎ役は御前だったな》
《はい。あの御方⋯⋯小夜様は信心深く、普段の戦闘衣装では会って頂けないもので。でも巫女服も着てみれば、中々に着心地の良いものですよ》
《⋯⋯香典返しだ。あの女に例の“もの”を送ってやれ。いつもよりも多めにな。俺からの礼だと伝えろ》
《畏まりました、⋯⋯では直ちに》
紅髪鬼はするすると髪を元の長さへと戻しながら、頭を垂れた。
そして名残惜しそうに心臓の山を横目に、魅惑的な黒髪をゆらゆらと妖しく揺らしながら、大広間を悠然と後にしていった。
紅皇鬼の血の晩餐を眺めながら、紅呪鬼が再び溜め息をついた。
⋯⋯どうやら多少は機嫌は直ったらしい。
⋯⋯今ならば話を聞いてもらえるだろう。
ほっと胸を撫で下ろした紅呪鬼は、堰を(せき)切ったように、口内に溜めていた言葉を吐き出していく。
《紅皇鬼様、その日本の協力者から、香典よりも重要な情報がもう一つ。どうやら近々、日本の行く末を決める重要な集まりが久々に開かれるそうです。その中には現時点において我々紅鬼の侵攻の最大の妨げとなる、紅閃鬼を斃した中将綾麿も出席するらしい、との事。あの女にどのような指示を与えましょうか。私めの独断ですが、その協議で話し合われる内容に関して、我々に不利に成るような決定は絶対に阻止するよう、念押しはしておきました。私としましては⋯⋯》
やっと話す事ができた、緊急の報告。
告げられた内容は今後の日本侵攻、その成否にも影響するような機密事項とも言えた。
しかしそんな重要な情報ですらも、目の前の快楽に魅せられている今の紅皇鬼の耳には届かない。
真剣な眼差しの紅呪鬼に背を向けたまま、紅皇鬼は無言でただひたすらに心臓を貪り喰らっていた。
(《⋯⋯ふぅ、本当に気紛れで気分屋な御方だ》)
紅呪鬼が心の中でも溜め息をつく。
⋯⋯その時だった。
大広間の天井から突然に白い雨が降り注いだ。
十枚、百枚、数百枚⋯⋯。
数えきれない程の花弁。
それは全て蓮の白い花弁だった。
その花霞の中から、若い男の声が幻想的に響く。
《⋯⋯その中将綾麿の動きや考えは未だに掴めてはいませんが、少なくとも紅影鬼や紅斬鬼を斃した伊賀の女忍、鎌足の方は何とか掴めましたよ》
蓮の滝の終焉と共に、霞の中から現れた男。
それは門番の男に化け、御所で何食わぬ顔で鎌足を見送った、あの紅蓮鬼だった。
《⋯⋯ただいま帰還致しました。紅呪鬼様のお申し付け通り、ちゃんと探りを入れてきましたよ。でもまさか十数日もつまらない門番の雑務をやる羽目になるなんて、思いもよらなかったですけど⋯⋯、ははは》
《先行しての潜入、二十三鬼の邪道の誘導、そして戦いの後の引き続きの御所の情報収集、色々と御苦労だったな、紅蓮鬼よ。今の言葉⋯⋯、何か鎌足に関する情報が掴めたのか?》
《⋯⋯ええ。綾麿は警戒心も強く、本当に謎の男で、詳しく知る者は御所には誰も居ません。ですが鎌足の方は警戒心は空っぽ。直接聞いた話によると、どうやら仲間たち九人と合流して、出羽国に向かうみたいですよ?》
《⋯⋯なに、出羽国? それは解せんな。何故今この時期に守るべき御所を離れて、そんな人里離れた僻地に向かう? 出羽国何があると言うのだ?》
日本側の立場からしてみれば、いつまた新たな紅鬼蒼鬼たちの襲撃があるか分からない。
そんな中で東番を任せている鎌足が御所を簡単に離れる事は、まずもって考えられない事だった。
《さあ? そこまでは⋯⋯。⋯⋯あ、でもそういえば、相棒の片割れがどうとか言ってたかな》
《⋯⋯相棒の片割れだと!? ⋯⋯っ、鬼切丸に関係する⋯⋯刀、か? ⋯⋯そうか、鎌足が向かった先。それはもしかして、七十年前に我々の前に立ちはだかった、⋯⋯あの尋常ならざる妖力を誇る剣士⋯⋯か!?》
《⋯⋯ッ、⋯⋯え、まさか!?》
紅呪鬼と紅蓮鬼の脳裏に浮かぶのは、七十年前の撤退の情景。
━━━━半刃の刀を颯爽と構えた忍装束の剣士。
それはあの若かりし頃の百地幻斎。
そしてその隣には、半刃を手にした男がもう一人。
妖気に満ちた行者姿の剣士の姿が在った━━━━。
《⋯⋯いや、恐らく間違い無い。目的はあの男。⋯⋯役小角だ》
⋯⋯役小角。
その名に紅皇鬼の背中がびくりと動いた。
《⋯⋯何だと!?》
振り向いた紅皇鬼の顔は、再び不穏な感情を纏っていた。
《⋯⋯紅呪鬼よ、今、口にしたのは、あの七十年前、俺達を散々手こずらせた、あの役小角の事か!?》
《⋯⋯はい。あの者は百地幻斎と同じく『六歌戦』の生き残り。半分となった鬼切丸、その半刃を互いに密かに持ち合っていた⋯⋯、そうは考えられませぬか?》
《⋯⋯なるほど、一理あるな》
《それに小角は行者の出。出羽三山は行者たちの集う修験道の栄えし山麓。七十年前の戦いを終えた後、都とは離れた北の果てに小角が隠遁していたとしても、何ら不思議ではありません、いやむしろ、世捨て人として出羽国はこの上ない隠れ蓑。そう考えると出羽国が小角の所在である事は間違い無いかと》
《⋯⋯ちぃっ、何だ、あの野郎。そんな日本の北に隠れてやがったのか。手間のかかる奴め》
《紅皇鬼様。これは思わぬ事態。鬼切丸を持つ鎌足が、残り半分の刀までを得れば厄介な事になるかもしれません。日本の小夜にも探りを入れさせ、慎重に対策を練る必要があるかと。小角との接近は避け、まずは鎌足の出羽国入りを止めるのが最良の一手かと存じます》
《⋯⋯ふん、百地幻斎と並んで、七十年前に俺達に屈辱を与えた張本人。此度の侵攻中に今度こそは必ず斃さねばと思っていた⋯⋯が、⋯⋯面白え。居場所が読めたにも関わらず、何をびびってやがる。⋯⋯役小角と鎌足。同時に片付ける事のできる絶好の機会じゃねえか!》
《⋯⋯っ、確かにそうですが。知っての通り、役小角は類稀なる術者。何鬼もの紅鬼が束になってかかっても、敵わぬ程の強敵。今は年老いているとは言え、その妖力はまだ相当なものでしょう。しかも油断ならない鬼切丸も相手。此方から迂闊に攻めれば、京御所の二の舞。今回もまた多くの修羅たちを失ってしまいますぞ》
七十年前の記憶が紅呪鬼を慎重にさせる。
間接的とは言えこの進言こそが、役小角という男の強さや恐ろしさを如実に物語っていた。
しかし血気に逸る紅皇鬼は耳を貸そうとはしない。
七十年前の忌まわしい記憶が、十日前のあの御所襲撃の失敗の屈辱と結びつく。
そして紅皇鬼の自尊心に更に激しく火をつけていた。
《⋯⋯案ずるな。七十年前と同じ撤は踏まねえ。今回の御所撤退の二の舞にもならねえ。今回は修羅たちに犠牲は出ず、俺たちが傷付くことも無い、修羅よりも恐ろしい⋯⋯、最凶の一手を送り込んでやるからな》
《⋯⋯!? 最凶の一手? それは?》
《⋯⋯紅呪鬼よ。⋯⋯紅鬼洞から“紅酒鬼”を解き放て》
《⋯⋯っ!? な、⋯⋯あの紅酒鬼を牢から出すというのですか!? ⋯⋯それだけはなりません!》
《⋯⋯黙れ! 紅酒鬼を生かし、封印しておいたのは、こんな大事の時のためでもあるんだ! ⋯⋯解き放すのはあくまで一時的な恩赦だ。ただし小角と鎌足、この二人を始末したら、その時は過去の罪は全て水に流して釈放。晴れて自由の身を約束する、そう紅酒鬼に伝えろ》
《見返りにあの大罪をも許す、と言うのですか? もう一度お考えください。紅酒鬼は確かに強い。ですが危険すぎます。仮に小角と鎌足を滅しても、そのまま大人しくしているとは思えません。紅酒鬼がかつて何をしたか、地獄に何をもたらしたか。紅皇鬼様も身をもって十分にお分かりでしょう!? それに閻魔王様に無断で牢の封印を破るとは、後々どのような咎めを受けるか!?》
《うるせえ! いいからつべこべ言わずにとっとと出してこい! そんなに心配なら、紅酒鬼が暴れないよう、御前の配下の鬼封術に長けた修羅たちを付ける事くらいは認めてやる! 閻魔王様にも後日俺が自ら説明する! もしこの俺の命令を聞かず、この地獄で紅酒鬼がまた暴れたら⋯⋯、その時は、この俺が取り押さえる!!》
《⋯⋯し、しかし!》
《⋯⋯もう一度言うぞ。紅呪鬼、命令だ。今すぐ封鬼牢へ向かえ。そして紅酒鬼を解き放て。真の自由が欲しいなら、出羽国で役小角と鎌足を殺せ! そう伝えろ!!》
紅鬼上位二鬼による緊迫の対峙だった。
どちらの味方をするべきか。
思案に暮れたまま渋い表情で固まる紅蓮鬼の目の前で、紅皇鬼と紅呪鬼は睨み合うように向かい合っていた。
二鬼ともにそれ以上の言葉は無い。
そのまま暫く沈黙の刻が流れた。
(《次に沈黙を破った方が、⋯⋯折れる。負けだな》)
紅蓮鬼の心の声。
その直後だった。
微かな溜め息と共に、言葉が漏れる。
この沈黙を破ったのは。
⋯⋯紅呪鬼だった。
《⋯⋯これ以上の説得は無理のようですね、貴方様の覚悟はわかりました。御命令、確かにお受け致しました》
紅呪鬼は俯き気味で、黙って踵を返す。
そしてそれ以上は何も語らず、大広間の扉を開け、そっとその場を立ち去っていった。
紅蓮鬼も何度か紅皇鬼を振り返りながら、申し訳なさそうな表情で紅呪鬼の後に続いた。
紅皇鬼はそんな二鬼の背中を黙って見送る。
机の上には置かれたままの箱。
食べかけだった心臓の小さな肉片。
紅皇鬼が視線を下ろす。
そして何食わぬ顔で、肉片をつまみ上げると、徐に口へと運んだ。
《⋯⋯美味え。⋯⋯だが。これくらいじゃ、一時的に俺の渇きや怒りは潤せても、心からの満足を得る事できねえ。⋯⋯日本の制覇、それこそが俺の究極の目的。そのためには手段は選ばねえ。あの禁忌の鬼、酒吞すらも俺の掌の上で転がしてやる。酒吞だけじゃねえ。蒼極鬼も、小角も、そして『六歌戦』も、奴等全てを⋯⋯》
言葉の代わりに紅皇鬼は、口の中の肉の欠片をごくりと一気に飲み込んだ━━━━。
━━━━大広間を出た紅呪鬼はその時、両端を兀々とした紅の鬼岩に囲まれた、長く伸びた天然の回廊を歩いていた。
生暖かな向かい風が吹いてくる方角へ。
その方向に”封鬼牢“はある。
今は何も考える必要は無い、邪推は無粋。
ただ黙って、ただ風の吹いてくる方角へ、ただ歩き続ければ良かった。
紅皇鬼の目論見や命令が正しいか否かは、”封鬼牢“にある。
その時、紅呪鬼の背後から声が聞こえた。
《━━━━お待ちください、紅呪鬼様》
紅蓮鬼が走り寄っていた。
紅呪鬼が今、向かおうとしている先がどれ程厄介な場所なのか、事の大きさを全く知らない天真爛漫な笑顔だった。
《⋯⋯折角なんで、僕も御伴致しますよ。先程の話が気になっちゃって。でも紅酒鬼とは一体何者なのです? そんな名前の紅鬼、僕は聞いたことないけどな》
紅呪鬼は特に嫌がるでもない。
隣に並んで歩き出した紅蓮鬼を一度だけ横目で見ると、淡々と言葉を返し始めた。
二鬼は話しながら歩を進めていく。
《⋯⋯そうか、知らぬ、か。⋯⋯御主が紅鬼として誕生したのはいつだったか。そして修羅となり、葬魂のその人間の姿になってからどれ程の時が経つ?》
《⋯⋯僕がこの紅の地獄で蓮の花を咲かせてから、およそ六百年。修羅にまで妖力を高め、この姿を奪ってからは四百年くらいですね。ちなみにこの身体は、前々回の日本侵攻の時に手に入れたんですよ。あれは一目惚れ、ってやつでしたねぇ》
《⋯⋯六百年、か。ならば何も知らなくても当然だ。罰を受け、あの名前が消されてからもう七百年以上にはなる。⋯⋯⋯紅酒鬼。またの名を“酒吞”。⋯⋯かつて紅鬼の総大将だった修羅の男鬼だ》
《⋯⋯っ! しゅ、酒吞!? そして、紅鬼の総大将!?》
紅蓮鬼の足が止まる。
紅呪鬼が告げた言葉。
それは紅蓮鬼にとってまさに青天の霹靂だった。
しかし紅呪鬼はそんな紅蓮鬼を振り向きもしない。
ただ前へ、風の吹いてくる方向へ。
変わらず、すたすたと歩いていく。
紅蓮鬼は慌てて紅呪鬼を追いかけた。
そしてまた隣に並び歩く。
《⋯⋯それは⋯⋯驚いたな。でも酒吞⋯⋯その名なら聞いた事がありますよ。地獄で起きた三大争乱。その内の一つ『酒吞の乱』。そして同じく、僕のこの身体の持ち主の記憶にも残っている、日本に伝わる伝承、⋯⋯『酒呑童子』》
《そうだ。今より七百年以上も前、二度目となる日本侵攻。その時は今とは違い、紅鬼と蒼鬼の連合軍による攻撃だった。その時の紅鬼の総大将が、その酒吞だ。しかし酒吞は大胆にも禁忌を犯した。配下の紅鬼修羅たちと共謀し、蒼鬼との同盟を反故。その絶大な妖力で蒼鬼の羅生門本道を封じ、紅鬼単独の軍で日本を攻めたのだ》
《それが今の紅鬼蒼鬼の関係の決定的な要因を生んだ、『酒吞の乱』。そして今もその対立は続いている⋯⋯。良くも悪くも酒吞ただ一鬼の暴挙に、昔も今も振り回されている、ってわけですよね》
《紅鬼単独の軍でも酒吞は強かった。あらゆる街を燃やし尽くし、血の川を作り、京都制圧にあと一歩の所まで迫ったのだ。しかし酒吞は無類の酒好き。それと強さへの慢心が仇となった。その当時の日本『六歌戦』、源頼光や渡辺綱の仕掛けた偽の降伏の酒宴の罠に堕ち、泥酔して油断した所を攻め込まれ敗走。配下の修羅は全員が討たれ、酒吞も退却を余儀なくされた》
《地獄に戻ってから、酒吞はどうなったのです? 僕が知っている『酒吞の乱』はその辺りまでなんですよ》
《閻魔王と蒼鬼軍を謀った罪で、その名は地獄では永遠の禁忌となり、反逆の罪で鬼たちの牢獄 “封鬼牢”での二千年の鬼封の刑が下された。だが酒吞は何と閻魔王様の裁きにも逆らったのだ。そして地獄全土を支配しようと企んだ。当然、紅鬼たちも黙ってはいない。総大将とは言え、もはや地獄の裏切り者。酒吞を追跡し捕らえるために集められたのは、精鋭揃いの二十を超える紅鬼修羅。しかしそんな修羅たちも、たった二鬼を除いて、その全員が酒吞の反撃に屈し、消滅したのだ》
《⋯⋯そ、そいつは凄すぎるな。それ程までに強い紅鬼だったとは。知らなかったな。日本の伝承とも違う》
《日本では酒吞は死んだ。『六歌戦』によって斃された。そういう伝承になっているが、それは勝者にのみ許された都合のよい偽り。歴史を創る者たちの特権だ。しかも酒吞は日本から撤退はしたが、ただ引き下がったわけではない。当時の『六歌戦』、渡辺綱ともう一人を除く、その四人までを斃している。そして葬魂の術で、『六歌戦』の強さを得た。それが奴の強さの理由だ》
《⋯⋯『六歌戦』を四人も!? ⋯⋯こいつはますますもって、凄まじい化け物じゃないですか》
《源頼光の喉に喰らいつき、噛み切った。あの姿は今も忘れられぬ。⋯⋯鬼の力に『六歌戦』の力。それが奴の筆舌に尽くし難い強さの秘密だ。酒吞を捕縛するために四十年もの刻を要した。そして最後は閻魔王様自らが出陣、どうにかして酒吞を封じることができたのだ》
《⋯⋯なるほど。三大争乱の一つとしてこれは伝説になるはずだなぁ。それにしてもそんな恐ろしい酒吞がまだ生きているなんて。そしてそんな酒吞に今、僕は会いにいこうとしている、ってわけか。⋯⋯は、ははは》
《⋯⋯確かに配下は全て斃された。忘却の罰も受け、地獄でその名前も消された。地獄でも今や知る者すら数少ない。しかし酒吞は今も、今でも、まだ確かに息をしている。今から我々が向かう⋯⋯“封鬼牢”の奥深くでな》
《⋯⋯⋯⋯》
《⋯⋯二千年が経てば、酒吞の封印は自ずと解かれる。酒吞はその残虐さは勿論、妖力、戦闘力、破壊力、生存本能、全てにおいて桁違いの恐ろしい紅鬼だ。紅鬼にとってその存在自体が諸刃の刃。解放された酒吞は紅鬼の存在自体を脅かす”危険“にもなりえれば、交渉次第では日本侵攻においての紅鬼の最大の“武器”にもなりえる。ただ、その交渉は予想外に早くなってしまったが》
《⋯⋯なるほど。⋯⋯今は一種の賭けってやつか。⋯⋯その賭けに勝てる見込みはあるんですよね?》
《⋯⋯見込み? ⋯⋯ふっ。⋯⋯さあな》
《げ、そんなぁ!? 嘘でもいいですから、そこはとりあえず、”ある“って言ってくださいよぉ!》
《⋯⋯何れにしても酒吞とは遅かれ早かれまた相対する、そんな日が来る事は分かっていた。そんな来たるべき時に備え、互いに妖力を磨き、もし万が一の場合が起きたとしても、閻魔王様の力を借りず、今度こそは自分たちの剣技や妖力で酒吞を抑え込む⋯⋯。七百年前を生き延びたその二鬼は、その時互いに誓いあったのだ》
《⋯⋯それにしても、そんな伝説の端々、裏話まで、紅呪鬼様はよく御存知ですね。その生き残った二鬼の修羅を御存知なんですか?》
《⋯⋯ああ。その内の一鬼は、妖力を高みを目指し極めると共に、多くの修羅を失い弱まった紅鬼の力を再び復興すべく、軍の統率に全力を注いだ。⋯⋯またもう一鬼は、元々は鬼が人間の力を取り込むための葬魂の術、それを鬼が鬼の力を取り込み、更なる強化進化を遂げるための最強の呪術とすべく、日々魔導の開発を重ねてきた。⋯⋯その真の葬魂の術、『鬼葬魂の術』の完成は、我が悲願。⋯⋯しかしまだもう暫しの刻を要するが》
《⋯⋯あの、紅呪鬼様? ⋯⋯七百年前、酒吞と戦い、生き延びた二鬼って、⋯⋯もしかして?⋯⋯》
紅呪鬼が初めて立ち止まる。
《⋯⋯これは少し話が過ぎたな。無駄口はこれ迄としよう。⋯⋯急ぐぞ。予想外に早い望まぬ”再会“になってしまったとは言え、我が総大将、紅皇鬼様の御命令だ》
そして紅蓮鬼を一瞥して軽く笑みを浮かべると、またゆっくりと向かい風に向かって歩き出した━━━━。
第94話も最後までお読み頂きありがとうございました。
ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。
次回第95話「封鬼牢」は、9月6日〜7日頃投稿予定です。
引き続きよろしくお願い致します。
【改稿履歴】
改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。
過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。
内容は全く変わっていませんので御安心ください。
(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)




