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羅生門怪鬼譚  作者: 夏川凪
第一鐘 京都六歌死闘編

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第91話  其々の思惑 〜中編〜

【登場人物紹介】

不知火綾麿しらぬいあやまろ━━━━

 従三位じゅさんみ中将ちゅうじょう。帝と日本を守る『六歌戦ろっかせん』の一人。謎の妖刀『村雨むらさめ』を時の帝から拝領し、御所警備の西番を任されている。村雨むらさめ真刃しんば鞘刃さやばを使った不知火しらぬい二刀流にとうりゅうの使い手。江戸徳川政権を激しく憎み、鎌足かまたりを快く思っていない。現在は鎌足かまたりに代わって東番も務めている。


伊賀の鎌足かまたり━━━━

 江戸城の公儀御庭番こうぎおにわばん伊賀組の小頭こがしらの女忍。伊賀流鎖鎌の使い手。七十年前に鬼を滅した伝説の刀『鬼切丸おにきりまる』を手に、鬼が現れた京都に援軍として派遣された。裏では極秘に朝廷の探索の密命も帯びる。幻斎げんさいからのふみにより伊賀の危機と鬼切丸の秘密を知り、一時御所を離れる決意を固め、その報告の為に御所へ向かったのだが⋯⋯。


近衛兼季このえかねすえ━━━━

 従二位大将じゅにいたいしょう。武官最高位の大将として、清涼殿せいりょうでんだけを警備する御帝みかど親衛隊を指揮する。鞍馬一刀流くらまいっとうりゅうの使い手で、性格はおおらかで実直。鎌足かまたりにも親しみを見せる。


 ━━━━(やっぱり今日は厄日かもしれない)


 目を丸くしながら鎌足かまたりが呟く。


 この男にだけは会いたくなかった。

 ⋯⋯またか。

 心が項垂うなだれる。


 謹慎前のあの日、いざ美桜みおから帝の話を聞き出せると思った時もそうだった。

 顔を上げた鎌足かまたりの目の前。

 早くも笑顔を見せてくれる兼季かねすえの隣には、今回もまた同じ邪魔者。

 乏しい表情の綾麿あやまろが座していたのだ。


 頭の中は混乱したままだが、鎌足かまたりの心は正直だった。

 どうやらあからさまに不機嫌な表情を浮かべていたらしい。


「⋯⋯どうした? その顔は?」


「⋯⋯へ? ⋯⋯あ、ま、まだ青痣あおあざ残ってますか?」


「⋯⋯いな。傷のあとの事ではない。不服そうなその顔色について問うている」


「⋯⋯べ、別に。何でもありません。⋯⋯まさか、今日は中将ちゅうじょう様もいらっしゃるとは、思っていなくて。⋯⋯あ、あは、あはははは」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯あは、あは、あはは、⋯⋯はは⋯⋯っ⋯⋯」


 作り笑顔が自身でも虚しかった。

 鎌足かまたりは心の中で深い溜め息をつく。


(⋯⋯綾麿こいつ、何で? まずい、計算外だ)


 綾麿あやまろからの返事は無い。

 問いかけの声の冷静さ。

 加えてこの沈黙。


 ⋯⋯不気味だった。


 自身の考えを全て見透かされているのではないか。

 そんな不思議な気分に囚われてくる。

 焦った鎌足かまたりはこの場を適当に誤魔化し取り繕うため、逃げるように兼季かねすえへと目線を移した。


「⋯⋯ははは。中将ちゅうじょうが居て驚いたみたいだな、鎌足かまたり殿。いや、中将ちゅうじょうはな、先日の親衛隊の全滅も受けて、怪我をしていた私を心配してくれ、昼間はなるべく私と行動を共にするよう、配慮してくれているのだ」


「⋯⋯(聞いてないよぉ⋯⋯)、そうなんですね、びっくりしました。⋯⋯あ、大将様、御機嫌麗しゅう。先般の寛大な処分、改めて本当にありがとうございました」


 兼季かねすえには流暢りゅうちょうで心のこもった挨拶ができる。

 しかし後に続く綾麿あやまろに対しての挨拶は、どうしてもぎこちなくなってしまう。


「⋯⋯ち、ちゅちゅ⋯⋯中将ちゅうじょう⋯⋯あや、綾麿あやまろ、さまも⋯⋯東番、代わり、⋯⋯あ、ありがとう、でした」


「⋯⋯⋯⋯」


 笑うでもなく、けなすでもない。

 突っ込みどころ満載な挨拶にも関わらず、それでも綾麿あやまろは無言のままだった。


 そんな綾麿あやまろとまるで正反対なのは兼季かねすえだった。

 兼季かねすえは久しぶりとなる鎌足かまたりの顔をまじまじと見つめ、再びにっこりと爽やかな笑顔を見せる。


「⋯⋯うむ、顔の傷もかなり癒えた様子。⋯⋯女子おなごの顔の傷だ。かなり心配していたが本当に良かった。気分一新また今日から東番の任に励んでほしい」


「⋯⋯え。⋯⋯あ、⋯⋯はい」


「なに、あの大掛かりな侵略の失敗、鬼たちも余程にこたえたと見える。この十日はあの騒ぎがまるで嘘のように平和そのものだ。新任の中納言ちゅうなごんも居る。また至る所に陰陽衆おんみょうしゅうの目も光っている。鬼たちと言えどもきっとお手上げ状態、もしかしたら羅生門らしょうもんが開く事は二度と無いかもしれぬ。二回目以降の東番は、気を楽にして相務める事が出来よう」


 兼季かねすえは声も表情も自信満々だった。

 既に鬼との戦いは勝利したも同じ、そんな余裕すらも覗かせていた。

 そんな兼季かねすえの姿は慢心に映ったのか。

 綾麿あやまろが釘を差すように重々しくつぶやく。


「⋯⋯大将たいしょう殿、くれぐれも油断は禁物⋯⋯」


「⋯⋯ん? ⋯⋯おお、それもそうだな。気分が良いゆえのうっかり。失言だった、いや面目ない、ははははは」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯ははは、いやなに。実はな、委任状を送ってくるだけのあの欠席の常習者、あの者からついさっき連絡ふみがあり、何と此度こたびの会合にはやって来るらしいのだ」


「⋯⋯⋯⋯」


「すなわちこの御所にやっと六人全員が集結する。⋯⋯警備を預かる大将ものとしては、これ以上の力添えは無い。想像しただけで不思議と自身までが強くなった気分でな。まだ二人しか集まっていないのに、だ。⋯⋯ははは、恥ずかしながら早もう百人、いや千人の力を得たような気持ちになっていたのだ。⋯⋯確かに慢心まんしんだな、中将ちゅうじょうよ、すまなかった。許せ」


「⋯⋯いえ、お気になさらず」



(⋯⋯?)


 鎌足かまたりが一瞬首を傾げる。

 綾麿あやまろ兼季かねすえが最後に口にしていた言葉。

 聞き慣れない言葉が飛び交っていたが、それは果たしてどんな意味だったのかは分からない。

 だが今日の兼季かねすえはすこぶる機嫌が良いらしい。

 それだけは何となくは伝わってきた。


「⋯⋯ほれ、鎌足かまたり殿、見られよ。崩れた屋根の下敷きになってできた私の傷もこの通り、まだ青痣あおあざや傷跡が残っている。かなりの血も出たぞ、ははは。それに引き換え鎌足かまたり殿は若いから肌も瑞々しく、傷もすぐ治る。回復力それはなはだ羨ましいかぎりだ。⋯⋯ははははは」

 

 袖をめくり、先日の腕の傷を見せてきたりもする。


 しかし一方の綾麿あやまろはまるで違った。

 鎌足かまたりを見るでもなく、積極的に話かけるでもない。

 伏し目で無表情のままだった。


(⋯⋯綾麿こいつの目があるお陰で尚更に言いにくいなあ、⋯⋯何で重要な話をしようとする時は、決まって私の周りにちらちらと現れるんだよ、邪魔だなあ⋯⋯)



鎌足かまたり殿、⋯⋯で、今日は私をこんな早くからわざわざ呼び出してどうされた? 何かの希望や要望が有るならば遠慮はいらん。何なりと言ってくれ」


 元々口に出しにくい話題なのは百も承知だった。

 思考が読めない寡黙な綾麿あやまろとは正反対に、長年の友人のように気さくに明るく話しかけてくれる兼季かねすえの笑顔。

 それだけが頼りだった。

 鎌足かまたりは膝の上の拳を握りしめ、意を決する。


「⋯⋯近衛大将このえたいしょう様、申し訳ございません! ⋯⋯さすれば一つ、たった一つ、重要な伝達事項がございます!」


「⋯⋯ん? 重要な伝達?」

「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯あの! 江戸からの援軍、その第二陣が━━」



 鎌足かまたりはいよいよ本題を切り出した━━━━。




 ⋯⋯⋯⋯




 ━━━━が。




 ⋯⋯結果は拍子抜けする程に意外なものだった。


「⋯⋯なるほど、第二陣。鎌足かまたり殿は一時的に一月ひとつき程、内裏だいりを離れると言うのだな? ⋯⋯相わかった」


 兼季かねすえのこの一言で全ては簡単に終わっていた。

 兼季かねすえは二つ返事で鎌足かまたりの希望をあっさりと認めてくれたのだ。


「⋯⋯本当に良いのですか?」


「⋯⋯ん? 良いのですか? ⋯⋯とはどう言う意味なのだ? 第二陣をきっかけに更に次の第三陣の準備を整える。素晴らしき事ではないか。それに鎌足かまたり殿よ、多くを語らずとも理由は分かるぞ。私などよりも遥かに強い鎌足かまたり殿とて、やはりまだうら若き女子おなご。十日も戦場を離れ、ゆったりと英気を養っておれば、剣気も抜けきり、もうしばらく休養を取りたい、一度江戸に戻りたい、などと想い願う心が芽生えてくるのも至極当然だ」


 あれこれと第二陣に至った経緯を追求される、そう思って相当の覚悟で身構えていた。

 しかしどうやら杞憂きゆうだったらしい。

 真意の全ては秘密のまま、難なく一月ひとつきにも及ぶ不在は認められそうだった。


「⋯⋯御心遣い、心より感謝致します」


「なあに、此処ここにちょうど中将ちゅうじょうも居る、話は早い。第二陣の到着、そして日の分担が決まるまで、引き続き鎌足かまたり殿の東番はこの中将ちゅうじょうしばらく任せるとしよう。⋯⋯というわけだ、問題は無いな? 中将ちゅうじょうよ」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯ん、どうした、何か納得できぬ点があるのか?」


「⋯⋯一つだけ、願いをお聞き届け頂きたい」


「ん? 何だ、言ってみよ」


「⋯⋯夜は少々調べたき事があるゆえ、東西の二番は若干の重荷。よって無官ではありますが一人、補佐役の入所を大将様の御力で是非お許し頂きたい。そして麿まろとその者、“どちらか”が東番と西番の各夜の警備を担当する。それでよければ、臨時の東番、今暫いましばらくお受け致します」


「無官の補佐役? ちなみにそれは誰だ?」


「⋯⋯麿まろが直属の配下。⋯⋯白虎びゃっこと申す者」


「おお、あの音に聞こえた豪の者、爪牙刀そうがとう白虎びゃっこか!」


「⋯⋯はい」



 ⋯⋯爪牙刀そうがとう白虎びゃっこ

 鎌足かまたりが耳をそばだてる。

 鎌足かまたりも武の世界に身を投じる者。

 諸国の名の知れた武芸者たちの名ならば、ある程度は知識がある。

 しかしその記憶の中には、白虎びゃっこの名は無い。

 綾麿あやまろ青龍せいりゅう麒麟きりん同様に初めて耳にする名だった。



「⋯⋯中納言ちゅうなごんにそなたに少将しょうしょう陰陽衆おんみょうしゅう、さらに爪牙刀そうがとう白虎びゃっこか。これはこれはまことに心強い。良いだろう、特別に入所を許す。中納言ちゅうなごんには私から伝えておこう」


「⋯⋯是非に」


 綾麿あやまろは相変わらず伏し目のまま、小さな低い声で軽くうなずいた。

 そんな綾麿あやまろの隣で、兼季かねすえはそっと鎌足かまたりに目配せする。


(⋯⋯あ、兼季かねすえ様。⋯⋯気を使ってくれたのかな)


 もしかしたら、と鎌足かまたりは思った。

 下級の公家や官吏は別として、皆の前で刃を交える程に揉めに揉めた麒麟きりんを筆頭に、御所の高官たちと鎌足かまたりとの関係は今、最悪と言ってよい程に冷え込んでいる。

 言い方は失礼かもしれないが、”鈍感“な兼季かねすえと言えども流石に気付いているに違いなかった。

 その現状を考慮した上での二つ返事。

 些細な疑問などは一切黙認したのかもしれない。


(⋯⋯それと後は中納言ちゅうなごん鷹乃宮たかのみや様と陰陽衆おんみょうしゅう、新体制の布石ふせきの強化を考慮したのかもしれないな。話しぶりからして兼季かねすえ様は鷹乃宮たかのみや様をかなり頼りにしているみたいだ。確かに格好良いし頼りになりそうだからなあ。⋯⋯まあ、とりあえずは良かった。嘘をついているみたいで心苦しいけど、綾麿あやまろの前だ。このまま終わってくれ)

 

 いずれにしても事は上手く進んでいる。

 先程の白虎びゃっこが一体何者なのか、そんな小さな疑念は鎌足かまたりの頭からはすぐに消えていた。

 兼季かねすえは終始笑顔のまま。

 どうやら鬼斬丸おにぎりまる出羽国でわのくになどの秘密事項は、この二人には何一つ告げる事無く終わりそうだ。

 

 そう鎌足かまたりが安堵しかけた時だった。



 ⋯⋯視線を感じる。



 それは笑顔の兼季かねすえの隣。

 鎌足かまたりの右前方から放たれている。



 ⋯⋯また綾麿あやまろだった。



 最初は全く目線を合わせなかった綾麿あやまろ

 それがいつの間にか今は、じっと睨むように鎌足かまたりを見つめている。


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯う」


 しかも相変わらず言葉は無い。

 しばしの別れを惜しみ、兼季かねすえが色々と鎌足かまたりに話しかけている最中も、この綾麿あやまろの刺すような鋭い視線は遠慮なく続いた。


(⋯⋯っ、私、何か怪しい変な事でも口にしたっけ? ⋯⋯凄い睨まれてる。な、何だよ、『もう来なくていい』なんて言っていたくせに⋯⋯。言葉通りに大嫌いな私はしばら御所ここには来なくなるじゃないか。願ったり叶ったりだろ。⋯⋯なのに何故なぜ、そんなに厳しい目で睨むんだよぉ⋯⋯、綾麿おまえ


 何かを勘付かれたのかもしれない。

 そんな疑念すら鎌足かまたりが抱き始めた時、綾麿あやまろの口が動いた。


「⋯⋯多少痛みはあっても、傷自体は癒えたのだな」


「⋯⋯へ?」


「傷は治ったのか」


「⋯⋯あ、⋯⋯は、はい。治りましたけど」


「嘘偽り無いな。四肢は問題なく動かせるな? 以前と何ら変わらず、鬼切丸おにきりを振るう事ができるな?」


「⋯⋯(何だ、綾麿こいつ、やけにしつこく聞いてくるなぁ。そんな事を確認するために睨んでいたわけ?)、⋯⋯な、治りましたよ。ほら、両腕もこんなぴんびんと。それが何か?」


「ならば、約束は”此処ここ“までだ」


「⋯⋯はぁ? 約束? 約束なんてしていませんよ?」


「⋯⋯此方こちらの話だ。関係は無い、忘れるがよい」


「はぁ!? ⋯⋯何ですか、一体!?」


 鎌足かまたりの傷が治った事━━━、それによって綾麿あやまろは心の中で何かの“線引き”をしたようだった。

 しかし鎌足かまたりの方は全く意味が分からないばかりか、そもそも約束などした覚えも無い。


 やはり綾麿あやまろの追求や思考は得体が知れない。

 何が飛び出すか想像もつかない、意図も読めない。

 出来る限り早く座敷ここを出たほうがいい。

 鎌足かまたりの直感がそう言っていた。



「⋯⋯一月ひとつき後、必ずやまた御所ここに戻りますゆえ。伊賀を代表して馳せ参じる第二陣の顔触れ、剣腕うではきっと間違いございません。二、三日程で到着するかと存じます。引き続きどうぞよろしくお願い致します。⋯⋯ではでは、今日はこれにて⋯⋯⋯」


 鎌足かまたりは矢継ぎ早に会話を切り上げると、兼季かねすえ綾麿あやまろに改めて深々と頭を下げる。

 すぐに中腰のまま、そそくさと障子の方へ。

 通常の二倍程の速さで障子を開けると、さっと廊下へと身を投じ、次は通常の三倍程の速さで障子を閉める。

 そして足早にその場を離れようとした⋯⋯。



 ⋯⋯所に、唐突に障子越しで声がかかった。



「⋯⋯待て。⋯⋯それと」


(⋯⋯げっ)



 またも綾麿あやまろの声だった。



「⋯⋯一月ひとつきもの間、何処いずこへ行く?」


(⋯⋯ぬおっ)


 思わず変な声が出かけた。

 言葉を耳にした瞬間、ぞわぞわと鳥肌が立ち、全身を雷に打たれたように震えが走る。

 それは聞かれたくなかった、恐れていた一言だった。

 この時、まるで刻が止まったかのように、前傾姿勢の鎌足かまたりの身体は完全にぴたりと止まっていた。

 

 動揺が隠せない。

 鎌足かまたりの返す言葉が乱れる。


「⋯⋯あ、いえ、そんな。せいぜい江戸に一度帰って、養生してくるだけですよ。まだ私も子供なんですねぇ、江戸の皆が恋しくなって、顔も見たくなりまして。⋯⋯ははは、それだけですよ」


 しどろもどろな返事。

 障子に映る影もぎこちない。

 そんな鎌足かまたりに向けて、綾麿あやまろは更に追い打ちをかけた。


「⋯⋯何か厄介な事にでも巻き込まれたのか」


(⋯⋯ひゃあっ)


 次の問いかけも怖いくらい的を射ていた。

 鎌足かまたりが“どもり”出す。


「⋯⋯え、わ、あ、⋯⋯あはは、そ、そんな事、な、ないですよ。⋯⋯い、いつも通り、そう、⋯⋯いつも通り、ってやつです。はは、⋯⋯あは、ははははははは」


「⋯⋯⋯⋯」



 斜めになった背中、中途半端に突き出した腕。

 それだけではない。

 踏み出しかけていた一歩目の右足も、そのまま完全に宙を彷徨さまよっていた。


 鎌足かまたりの背中を嫌な汗が伝い、頭がくらくらと逆上のぼせてくる。

 どんな返事を返されるのか。

 そして次は一体何を問われるのだろうか。

 極限の緊張状態のまま、鎌足かまたり綾麿あやまろの反応をじっと待った。


「⋯⋯⋯⋯」

(⋯⋯⋯⋯)


 しかし警戒に反して、障子の向こうからは何の反応も返事も無い。

 刻が再び流れ出すような感覚と共に、鎌足かまたりの緊張が解けていく。

 鎌足かまたりの右足、その指の先が恐る恐るゆっくりと廊下の床に触れ、ようやくかかとが身体を支える。


(⋯⋯⋯⋯、⋯⋯よし、とりあえずは納得したみたいだな?)



 しかし幻斎げんさいの命令を懸命に守っていたこの時。

 鎌足かまたりの脳裏に、そんな命令と反目するある一つの考えもよぎっていた。

 それは伊賀を脅かし忍を狩る謎の集団、その唯一の手掛かりとなる、武田の忍が残した”くも“、“ろっかせん”の血文字。

 綾麿あやまろにその謎を問いかける事だった。


 今は丁度去り際。

 大事な件に関しては既に兼季かねすえとの話は済んでいる。

 もしこの互いに姿が見えない状態で綾麿あやまろに怪しまれたとしても、このまま廊下を突っ走って逃る手を使えば、何とかなるかもしれない。

 そしてあの血文字の謎、その明確な答えも知り得る事ができるかもしれない。


 答えは障子の向こう、すぐ傍にある。

 一度は断念していた想いが沸々と湧き上がってくる。


「⋯⋯あ、あや、⋯⋯あの、く⋯⋯(も⋯⋯っ))


「⋯⋯⋯⋯」


 綾麿あやまろの影が動き、何か息を呑む音が聞こえた⋯⋯。

 ⋯⋯気がする。


 気付けばつい言葉が出かけていた。

 しかしすぐに幻斎げんさいの言葉と顔を思い出し、こぼれ落ちそうになった言葉をすんでの所で呑み込んだ。

 そして軽々しい自分を戒めるように、握り拳を作る。


(⋯⋯いけない、いけない。危険すぎる。勘ぐられて江戸の危機や弱体を悟られたら駄目だ。⋯⋯何せ綾麿こいつは私たちを憎んでいるんだ。忍狩りが綾麿こいつじゃなかったとしても、配下の青龍せいりゅうって人やさっきの何たら白虎びゃっこって名の奴に命じて、江戸に不利となる一手を打ってくるかもしれない。百地翁ももち様もきっとそれを恐れているんだ。⋯⋯御坊さんのことざわ、“さわれる髪はあまり無し”ってやつだ)

 

 どうやら鎌足かまたりは「触らぬ神に祟りなし」と言いたかったらしい。

 だが、そうと心が固まれば二歩目からは速かった。

 鎌足かまたりは黙って一目散。

 歩幅もいつもの倍、逃げるように廊下そのばを後にする。



(⋯⋯それにしても本当にびっくりしたあぁぁ。冷や汗が出た。⋯⋯綾麿あいつ、人の心が読めるのか? ⋯⋯でも面と向かって聞かれなくて良かったぁ、障子越しで。⋯⋯ふふん、しめしめ、上手く誤魔化せたぞ)


 座敷から五歩は離れた。

 此処まで距離を取ればもう大丈夫だろう。

 鎌足かまたりは正真正銘、安堵する。

 心も脚も既に出羽国でわのくに、廊下の角を曲がってしまえば、後は北への旅路の空の下へ、想いを飛ばすだけだった。


(⋯⋯よしっ、宿に荷物を取りに戻って、そのまま出羽国でわのくにに出発だ)



 廊下を遠ざかっていく、ぴょんぴょんと跳ねるような軽快な足音。

 足早に去っていった鎌足かまたりの姿に首を傾げている兼季かねすえの隣で、綾麿あやまろは座したまま微動だにしない。

 そして一度やれやれとばかりに軽く溜め息をつくと、兼季かねすえにも聞こえない程の小さな声で呟いた。


「⋯⋯嘘の下手な奴め」



 そして自嘲の笑みを浮かべた。


(⋯⋯俺もどうかしているな。“鬼”について何か心当たりはないか、思わず口に出かけたわ)



 鎌足かまたりが血文字の謎を問いかけようとしたこの時、実は綾麿あやまろもまた障子越しに、鎌足かまたりに一つの問いを投げかけようとしていた。

 今しか聞く機会はない。

 去り行く鎌足かまたりを前にして、あの襲撃の夜から抱いていたある不可解な疑念が、ふと頭をよぎったからだった。


(⋯⋯あの時。この京御所の空に現れたのは、蒼鬼紅鬼あおおにあかおに其々に二十三にも及ぶ、羅生門らしょうもん邪道じゃどう⋯⋯。紅鬼あかおににとっては七十年前に一旦閉ざされ、無に帰したはずの道。地獄と現世うつしよの双方に仲間の蒼鬼紅鬼おにが居なければ、狙った場所にあれだけ的確に邪道じゃどうを開くことは出来ぬはず)


 かねてから現れていた蒼鬼あおおにはまだ説明がついた。

 一月ひとつき以上前からの侵略で、邪道じゃどうは既に開通している。

 しかし紅鬼あかおにはどうやって邪道じゃどうを開く事が出来たのか。


(⋯⋯姿を現した紅鬼あかおに邪道じゃどうの渦は確かに二十三。あの鬼たちは全員、”導かれて“現れた。紅影鬼こうえいきではない。紅影鬼あやつはその前に鎌足かまたりに討たれていた。⋯⋯ならば何処どこかに存在する紅鬼あかおに本道。それを通った紅鬼あかおにが、あの日かその前からか、少なくともあと一鬼は居たという事になる。 しかもあれ程までの数の渦を一気に導くとは。⋯⋯手引きをしたのはまず間違い無く、⋯⋯修羅しゅら


 綾麿あやまろは考え込むようにゆっくりと目を開じた。


(⋯⋯まあ、よい。鎌足あやつが知っているはずがない。鎌足あやつの今しがたの“抜けよう”ならば、その身に今まで”何か“が起きていたとしてもまず気付くまい。おのれ自身すら知らぬ者に鬼の話を問うなど、ときの無駄というもの。⋯⋯十日以上動きの無い紅鬼あかおに修羅しゅらも、一時地獄へ戻ったと見るべきだろうな)


 真っ暗な綾麿あやまろまぶたの裏に、鎌足かまたりと刃を交えたあの時の光景が浮かび上がる。

 鬼切丸おにきりまるを手に妖しく笑う、鎌足かまたりの豹変した姿。

 あれはまさにこの現世うつしよを生きる邪悪。

 ”修羅しゅら“の化身に見えた。


 そして綾麿あやまろは再び目を開ける。

 その鋭い警戒の瞳は今、来たるべき計画の大きな障害となりうる物者もの、その幻影に対して向けられていた。


(⋯⋯鬼の出現すらも止めている、あの紫宸殿ししんでんからの謎の光。⋯⋯弓削ゆげのうごめ魔性ましょう巫女みこ小夜さよ。⋯⋯そして、鬼切丸おにきりまる。⋯⋯しかし、鎌足あやつめ、本当に何も気付いてはいないのか。己の身体に宿している恐るべき力を⋯⋯)



 綾麿あやまろは障子の先、廊下の方へ再び目を流した。

 鎌足かまたりの消えた廊下は他に誰の気配も無く、しん⋯⋯と静まり返っている。




 ⋯⋯しかしこの時。


 綾麿あやまろ兼季かねすえからは見えない、廊下に面した中庭の先の離れ。

 その柱の物陰に、この最後の障子越しの綾麿あやまろ鎌足かまたり、二人の会話をずっと密かに覗いていた、妖しい薄ら笑みが在った。



「⋯⋯うふふふふ」



 それは⋯⋯。



 ⋯⋯中納言ちゅうなごんに就任した『六歌戦ろっかせん鷹乃宮たかのみや霧人きりひとの配下、少納言しょうなごん樟羽くずはだった━━━━。




第91話も最後までお読み頂きありがとうございました。

ブックマーク、☆評価、感想等よろしくお願いします。その優しさが新たな創作の励みに繋がります(*^_^*)。

次回第92話「其々の思惑〜後編〜」は8月23日〜24日頃投稿予定です。この90〜92話は三話一体で完結する話になります。引き続き次話もよろしくお願い致します。


【改稿履歴】

改稿履歴は全て誤字脱字等や細部表現の訂正です。

過去話も誤字脱字を見つけ次第、訂正しています。

内容は全く変わっていませんので御安心ください。

(いつもたくさんの誤字脱字ばかりで、すみません)

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